3 小説を書けない天才

文字数 3,980文字

3 小説を書けない天才
 小説の扱う世界は「偉大」でも「天才」でもなく、「平凡」であリ、そのありきたりの状態がスキャンダルやセンセーショナリズムに襲われる。または、これといった出来事が起きないけれども、登場人物の内面には激しいドラマがある。読者はそれにまるで自分のことが書かれていると錯覚し、共感する。

 啄木の最後の小説『我等の一団と彼』までくると、70年代後半から80年代の初頭にかけてよく制作された企業ドラマを思い起こさせる。その設定自体は、啄木が主人公に「僕の一生は犠牲だ。僕はそれが厭だ。僕は僕の運命に極力反抗してる。僕は誰よりも平凡に暮らして、誰よりも平凡に死んでやろう」と言わせているように、「平凡」であり、決して悪くはない。

 啄木には代理教員だけでなく、新聞記者の経験もある。彼は自らの体験を元に小説を書いたと推測できよう。もっとも、当時の新聞は現在と比較にならないほど紙面は少ない。『日本経済新聞』の1996年6月28日付朝刊は、株主総会の決算報告を載せたため、152頁に達している。

 新聞記者の主人公高橋彦太郎は名高達郎か田中健であり、一団のメンバーには岸部シローに高岡健二、大門正明、荻島真一がいる光景が目に浮かぶ。小説家は対他及び対社会などの諸関係をおりなすようにして、作品を構成しなければならない。だが、啄木は、この小説でも、彼らの会話を羅列したまま、そうした「纏まり」をつけることはがない。

 啄木自身は、1910年6月6日付岩崎正宛書簡において、『我等の一団と彼』について次のように書いている。 

 先月の末からかかかって『我等の一団と彼』というものを書いている。もう六十何枚書いたが、まだ三十枚位はかけそうだ。書いて了って金にかえるまでに、若し僕にも一度これを書き直す時間が有るとすれば、これは僕が今迄に於て最も自信ある作だ。『道』は僕が或る目的を置いて書いた小説の最初のものであったが、後に至ってその目的の置き処の誤っていたことを発見した。従って全然失敗していた。今度の作では、僕は『道』に於て単に一般的に老人と青年の関係に置いた目的を、もっと極限して現代の主潮に置いた。--書きあげもしないうちから余り講釈するのはやめるが、兎に角僕はコツコツと少しずつの時間で毎日いくらかずつ書いている。

 『我等の一団と彼』から「現代の主潮」を読みとることは困難である。「現代の主潮」の中で、人生には挫折や失敗、断念、後悔がつきものである。「ダメ虎」、阪神タイガースに人気があるのは、彼らがそんな巷に近いからである。プロなのに、甲子園で繰り広げられる野球には、河川敷の草野球に極めて近い親しみの持てるプレーが見られる。保身しか頭になく、やる気のないフロントによって骨抜きにされ、タイガースは、どんなチームを相手にしても、いつも負けている。それもコテンパンにされている。小説は、タイガース同様に、そんな人生の悲哀を味わわせてくれる。小説は英雄になり得たかもしれないが、果たせなかった人間の世界を描く。

 西川寝具店で蚊帳(六畳用)を2万円で買ったある女性は、デパートの下着売り場で、形状記憶合金の下着をじっと見つめて、「下着なんかより、私の体のほうが形状記憶合金ならいいのに」とため息をついている。彼女でなくとも、自分自身にもきっと別の可能性があったはずではないかという考えをこころのどこかに持っている。読者は小説の主人公の敗北者としての姿にも愛着を抱く。言うまでもなく、こうした思いの代わりに、小さいが、しかし確かなものを日常生活の中で手にする。小説は「平凡」ということについて、その困難さを含めて読者に訴える。

 文学作品を書こうとするとき、ジャンルを選択しなければならない。もちろん、あるジャンルを書きたいと思っていても、その望みがかなうことは誰にも保証できない。むしろ、あるジャンルを書いてしまう。それは書き手の生の様態と不可分である。自分自身にあったジャンルを見つけることが書き手となるには必要である。それでいて、あるジャンルを選んだと思っていても、完成した作品がまったく別のジャンルに属していることも少なくない。

 小説が日本近代文学において主流と見られていることは確かである。だが、それが小説の優位さを証明するものではない。自分の思い通りに書くことはできない。もしその人が好きなジャンルだからといって、合ってもいないジャンルを選択したとしたら、自分自身の可能性を十分に生かしていないことになる。その誤った選択は自己嫌悪と自己憐憫から、すなわち自己否定から発するものだ。しかし、文学ジャンルの選択肢が少ないとしたら、そうしたルサンチマンが文学界に鬱積する。

 書き手と世界とのある一定の距離が小説を生み出す。小説が受容されたのは、それを歓迎する社会的・歴史的条件が整っていたからである。日本で小説が近代文学の中心になっていくのは、中央集権化が確立していくプロセスと平行しているように、小説は中央集権的な政治体制と密接に結びついている。日露戦争後、中央集権が確立し、「現代の主潮」として近代文学が成立、小説の発達とともにほかのジャンルが抑圧されていく。

 文学の世界が活発になるには、一つのジャンルからほかのジャンルへの移行の自由が必要だ。それぞれのジャンルが互いに交流しあい、競いあい、対抗しあい、刺激しあい、主流は移動する。この運動が鈍いのは日本の文学には何ものかが欠けているからである。つまり、啄木が『時代閉塞の現状』で指摘するように、日本には必要なのは小説ではなく、批評だ。

 自由とは批評が認められることである。「あんなのを見てると些とも心に隙が無い。批評の無い場処にいるばかりでなく、自分にも批評なんぞする余裕が無くなる。僕は此の頃、活動写真を見てるような気持で一生を送りたいと思うなあ」(『我等の一団と彼』)。活字の世界にあって、「活動写真」は批評として機能する。批評は内部にいながらも、外部に内部にへばりついてしまった身を引き剥がそうとすること、すなわちメタ認知だ。「活動写真」を夢見る啄木は自由である。「今、私にとっては、国家に就いて考える事は、同時に『日本に居るべきか、去るべきか』という事を考える事になって来た」(『きれぎれに心に浮んだ感じと回想』)。

 ドナルド・キーンは、『啄木・子規・虚子の文学』において、啄木は「明治人」でも、「日本人」でもないと次のように述べている。

 僕の受けた印象では、啄木は明治人でもないし、特別に日本人でもないような気がします。二十世紀の人間だと考えてもいいんじゃないかと思うんです。啄木に矛盾が多いとすれば、二十世紀の人間にも非常に多いんです。ほんとうに統一した人がいるとすれば、まったくつまらない人でしょう。

 日本の文学が欧米人のこころをとらえるのは、川端康成のノーベル文学賞受賞が示しているように、オリエンタリズムが理由である場合が多い。だが、ドナルド・キーンは啄木に同時代性を覚えている。近代に入って、日本人が欧米との同時代性が獲得されるのは、「ローリング・トゥエンティーズ」であるから、これは驚くべきことである。

 「エチオピア人は、自分たちの神々は獅子鼻で色黒だと言い、トラキア人は、青い目をして髪が赤いと言っている」(クセノパネス)。例外もある。ミズーリ州は州議会のペーパーワークを減らすために、1021頁、重さにして5ポンドもある法案を通過させている。役人仕事など結局、万国共通である。「二十世紀」の世界に啄木のような人間が近くにいたら、面倒臭いだろうが、面白いと思える。鴎外は、万国共通の存在、すなわち官僚の部下がくると不機嫌さをかくさなかったのに、啄木が訪ねてくると上機嫌になったそうである。

 啄木は具体的で緊張する関係の中にいて「即興」で書くことができるが、関係について書くことはできない。ファン・レター一通ですぐその気になるほど極めて女性に惚れやすく、「活動写真」に惹かれ、勢いにまかせて、長大な手紙を書いたり、ムラ気が激しく、ビールが大好き、カネを扱うのが下手、チャランポラン、対人関係もうまくやっていけない。妻の節子にも、とうとう愛想をつかされてしまう。

 節子と言えば、『TVチャンピオン』の「激辛大食選手権」の準優勝者で、「私は変人ではありません」が口癖のJASのCA由布節子は1回の食事でワサビやカラシのチューブを一本くらい使うと自由に発言したいところだが、とりあえず、今は、我慢しよう。はっきり言えば、この童顔の美少年は無頓着なのだ。ほんとうは「コツコツ」努力することは苦手で、啄木は、いわゆる「天才」だ。みんなあのしょうもない小男が大好きである。

 湯川秀樹は、『天才の世界』において、われわれが「天才」を好きになる理由を次のように説明している。

 そもそも私たちが天才に興味を持つのは、そこに何か共感するもの、共通するものがあると思うからである。というのは、自分の中に潜在的に持っているものを美事に表現してくれた、はっきり結実させてくれたという喜びを、そこに見出だすからである。

 啄木が周囲から好かれた理由はまさにこれである。啄木に「共感するもの、共通するもの」があると思う理由は小説的なものではない。この「天才」はすべての前に「石川啄木」だ。世間は、どんな色を持った人が入ってきても、かまわない。同じ性質であればどれだけ目立つ色をしていたとしても、世間に流され、混じり、そんな色は薄められて、最後には消えてしまう。世間が嫌うのは表面張力が大きい人間である。川は水なら浄化できるが、油に対してははじき続けたままだ。啄木は、世間という川にとって、疎水性の強い油である。

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