第4話 体育祭中止による二次被害

文字数 1,862文字

 潜入捜査という響きに憧れがあった。私は自分がいてもいい場所に潜入していた。私のクラスの教室に今まさに潜入中なのだ。
 教室に隠れる場所など数える位しかない。
 カーテンの裏、掃除用具入れの中、教卓の内側、天井の骨組みの隙間。もう少し非現実的に考えていいのなら、自分の制服をペンキで塗って、壁と同化する方法もある。もしくは、見つかっても「いないよ」と言い張るという方法もある。「いないよ」と言い続ければ、ぎりぎり水掛け論で問題をうやむやにすることはできるだろう。しかし、このいずれの手段も選ばなかった。そして私は対象者が教室にいる間、その対象者に気づかれることなく隠れ切ることに成功したのだ。
 
 さて、その対象者というのは藤峰という男だ。彼は体育祭が中止になったことで、誰よりも気分を害していた。その気分の害し方は常軌を逸していた。今日の授業中、数学の教師から指名された人が問題に答えなければいけない場面があった。そこで藤峰は、問い7の答えを解答する使命を与えられたのだが、彼はそれを不燃ごみのようにポイと捨てた。ポイとである。彼は黙って前を向いたまま何もしようとはしなかった。数学教師は彼に注意をした。「そんなんじゃだめだぞ」と。そんなんではだめだった。
 藤峰は教師を軽蔑するかのように睨んだ。睨まれた教師はやれやれといった具合で、代わりに私を指名した。私は藤峰の第二の被害者と言っていい。だから、藤峰がどうしてここまで不機嫌になれるのか知る権利があると自分に言い聞かせている。
 体育祭が中止であることを担任がホームルームで知らせた日から十日が経っていた。いつまでも藤峰はくよくよしているべきではなかった。そろそろ前を向くときだ。
 
 藤峰は八橋と教室に入ってきた。八橋はドアを閉め、そのままドアに寄っかかり、扉の小窓から誰も教室に来る気配がないことを確認した。男たちの秘密の会話が始まりそうな雰囲気が醸し出されている。私は心臓の鼓動の音が彼らに聞こえてしまうのではないかと思うほどに緊張していた。
「いつまでイライラしてんだよ」
 八橋はニヤニヤしながら前置きなどなく早速仕掛けた。早すぎて私はヒヤヒヤした。天気の話とかしなくて良かったのだろうか。イライラニヤニヤヒヤヒヤとは正にこのことだった。
「おいおい、イライラはしてないだろ」
 藤峰は自分の感情に無自覚なようだった。客観的な視点も不燃ごみとしてボコッと捨てたのだろうか。
「周りも引いてるぞ。いくらなんでも引きずりすぎてるって」
 お、八橋よ。いいこと言ったぞ。やはり、ワンマン傾向のある人間には、だれかビシッと言う人が側近にいなければ。藤峰はムスッとして、うるせえな、などとブツブツとモスキート音を発していた。
「そこまで体育祭楽しみだったのかよ」
「楽しみとかじゃねえよ。でも、クラスが一つになる機会が奪われたんだぞ。お前も悔しくねえのかよ」
 おや、意外と熱いところがあるのか。意外などと言うほど藤峰のことを知らないから、藤峰像を勝手に決めつけていたことを反省した。
「お前、そんなタイプじゃねえだろ」
「まあそれは冗談として」
 冗談だった。事象が発生してから反省するまでのスピードが速すぎたことを反省した。
「そんなに体育祭に拘る理由はなんだよ。お前ちょっと異常だぞ」
「ああ、体育祭は最早どうでもいいんだよ」
 これは聞き捨てならない。体育祭がどうでもいい?
 この男は学生の風上にも置けない。
 非学生だ。
 間違えた。自分が体育祭推奨過激派だと思ってしまった。
 私は体育祭はやってもいいし、やらなくてもいいし、今までやっていたんだから止める理由はないし、1イベントとして特別な欠陥はないように思うから文句も言わずにやりますよ、というスタンスのポウが付くほどの穏健派だった。
 別のことを考えていたら、会話は進んでいたようだ。私が時間を止める能力を持っていないことを忘れていた。
「お前はクラスで一番影響力あるんだから、お前がそんなテンションだと周りも気を遣うし、お前ってイジりにくいし、っていうかイジっても返しが面白くないから、扱いに困るんだよ。だからそのダルい感じのテンション早く止めてくれよ」
 おや、これは言い過ぎではないか。それとも男同士の友情ってこんな感じなのかな?
「何、お前、そんな風に思ってたのかよ。不愉快だわ」
 そうだよね。そうなるよね。
 この後、藤峰と八橋の二人は絶交しちゃった。でも泣かない。
 そして、藤峰がなぜ体育祭の件を引きずっているのかは分からず終いになっちゃった。
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