第3話 体育祭中止のお知らせ

文字数 2,258文字

 体育祭が3回の延期の末、中止になった。1回目から3回目の実施予定日は雨天のために延期となり、4回目は期末試験の時期と重なるのと、いつまでも延期を続けるわけにはいかないとする校長の判断だった。私は、どうせならどこまでも延期して、今年の体育祭と来年の体育祭が重なる瞬間を見て見たかったが、それなら皆既月食の方が見応えがあるだろうと、妄想をやめた。
 クラスメイトたちの落胆は、言葉で言い表せなかった。そして、文章を書く者であれば、難しくても苦しくても言葉で言い表してほしいという要求も容易に納得できた。
 言うなれば、クラスが1オクターブ下がった感覚だった。全員の元気が失われたのではない。私や松島含め、そんなに気にしていない連中が少なくとも10人以上いることは私も把握していた。けれど体育祭を待ち遠しく思うクラスメイトは、大抵普段から元気なメンバーであり、彼らの元気がなくなることで、クラス全体の元気の総量は大幅に落ち込んでしまっていた。特に男子のリーダー格の藤峰が不機嫌になったことで、この傾向は顕著になってしまっている。2回目の延期の時には、「もしかして一生延期する可能性あるんじゃね」などと男子は笑い合っていたが、いざそれが現実になると、とても笑ってはいられなかったようだ。
「藤峰のやつ、キレすぎだろ。子どもかよ」
 次の授業の教科書を準備するためにロッカーを漁っていた私に汲田が話しかけてきた。最近、汲田は私のことを買ってくれているようだが、私を信用しすぎることはあまりオススメできない。なんでも小説のネタにしてしまうぞ。ただ、こんなことを誰かに言える女子は汲田くらいだろう。クラスメイトの大半の女子は藤峰を怖がっている。
 私は藤峰をどう思っているのか。生物としては怖いが、人間としては怖くないといったところだろうか。
「体育祭がなくなって、嫌な気持ちなのはお前だけじゃねえんだよ。それを皆抑えてんのに、あからさまに不機嫌になってんじゃねえよ、って思うわ」
 なるほど。汲田のような体育祭楽しみ系女子はそう思うのかと勉強になった。そこで、ふとクラスメイトの皆が今どのような心中なのか知りたいと思った。授業が始まっても、そのことばかり考えてしまって、体が固まっていた。
 
 掃除の当番が同じだった丸井と話す機会ができたので、私たちは箒を片手におしゃべりを始めた。丸井は体育祭について関心がこれっぽっちもなかった。私がスペースデブリに関心がないように。
「強者の遊びだもんね、体育祭って」
 丸井は私の顔を見ずに行った。
「強者?」
「藤峰とか、汲田とかみたいな運動神経よくて、声の大きい人のためのものじゃん」
 そういう考え方もあるかもしれないが、体育祭自体を否定する気にはならず、私は話を聞くことに徹した。
「毎年やってるんだから一回くらいやらなくてもいいじゃんね。それよりも学校じゃ零れ落ちる才能が多すぎるんだから」
「それはそうだね。味覚の話?」
 丸井は自分の味覚に絶対の自信を持っている。いくら味を隠そうとしても、たちまち見つけてしまうらしい。彼女の前では、全ての料理は無力だった。
「味覚は、うん。そうね」
 いつもの勢いがなかったので、違和感があったが、これはどう反応するべきか。
「いや、最近は、味覚が優れていても意味ない気がしてきて」
 意味がない? 
 そんなことはないだろう。味覚が優れていれば、美味しいものを美味しい以外の言葉で表現でき、より繊細に認識できるのだろう。私にはない感覚だから羨ましいと思う。そういう旨を伝えようとして遮られた。
「味の詳細な違いを判断できる能力より、大雑把にあらゆる料理を美味しいと括れた方が食事って楽しいような気がして。料理人を目指すなら、細やかな味の違いが分かることは長所になるけど、私、料理を作ることには興味がないから、味の違いが分かっても、それってただ分かるってだけなんだよ」
 私は自分の舌が低性能であることを自覚している。たしかに私は嫌いな食べ物がほとんどないし、大抵の物は美味しいと感じる。でもそれは自虐する性質であり、他者に羨ましく思われることなどないと思っていた。私は、丸井の発言を否定したかった。そんなことないと言いたかった。けれど、味覚が優れている人について考えたことのない私からは、言葉が出てこなかった。
「私は、グミとか目つぶって食べたら、コーラ味とソーダ味がどっちか分からないし、ひどいときはグレープ味もコーラ味だと思って食べてるときあるし、こんな舌より、絶対に丸井の方がいいに決まってる。そうだぞ。ああ、ソーダとのシャレみたいになっちゃった」
 私から出てきた言葉は、あまりにも粗末で、即席では誰も救えやしなかった。丸井は箒を掃除用具入れにしまいながら、笑ってはくれた。
「みいこは、いい人だな」

「ということがありまして」
 後日、松島とこの話題について話した。
「松島はどう思う?」
 松島は、特に迷った様子もなく口を開いた。
「普通に、料理を作った人から見たら、味覚が優れている人から褒められた時の方が嬉しいだろ。隠し味だって本当に隠しきりたいんじゃないんだから、それに気づいてくれた方が凝った甲斐があるだろうし。味覚が鈍い人も、優れている人も、一長一短あるのは確かだけど、意味がないってのはちょっと無理あるって、私は思うけどね」
 あの場にいるべきは松島だった。と私は強く思った。
「ってか、その日掃除当番サボってごめんね」
 松島はあの場にいるべきだった。丸井の問題とは無関係に。
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