第1話 穴が開いたドーナツ
文字数 1,506文字
「鏡よ鏡、世界で一番美しいものは何?」
「それはドーナツです」
そうだ。それは正しい。
学校の正門をくぐり抜けて、坂を50メートルほど下った先で右折すると、ドーナツ屋が大黒柱の如くどしんと構えている。それを見た池添が将来の夢を大黒柱に設定したのは有名な話。ちなみに坂を降りた先で左折すると、法律事務所があるが、そのことを理解するには私たちは無垢すぎた。
私はこのドーナツ屋に月3で通っている。村井由羽はこのドーナツ屋に年19で通っている。さて、二人の平均を求めてみよう。ちなみに私は求めない。
そんな私であるが、月末に思わぬことが起きた。今月は月3の内の3を既に消費していたにもかかわらず、村井に誘われてしまったのだ。私は自らに課した2つのルールに縛られて身動きが取れなくなった。譬えるなら、総合ディスカウントストアにある、レジにて取り外してもらう防犯のためのスパイダーラップに縛られた商品のように。
2つのルールの1つ目は、もちろんこのドーナツ屋には月3でしか行かないというルールだ。2つ目が基本的に友人からの誘いは先約がない限り断らないというルール。
しかし、ルールはトマトと同じ文字数だったから、トマトと同じくらい潰れやすかった。
私は村井と共にドーナツ屋に入店した。いつ見てもドーナツ屋のショーケースは私を興奮の渦へといざなった。雨の日も風の日も。風の日ってなんだろう?
「みいこは、普段何頼むの?」
村井に試されてる気がした。私は平静を装って、一旦自分を殺した。
「結構万遍なく頼むかな、ホントその日の気分って感じ? そっちは?」
「私は穴が空いてるドーナツ」
村井は一息で言い切った。一息で言い切ったとわざわざ言うにしては短い言葉だった。
ショーケースに並ぶドーナツのほとんどは真ん中に穴が空いていた。穴のないドーナツは少数派で、私から見て右側に押し込まれていたから、なんだか不憫な感じがした。少数派だからって不憫というのは多数派の驕りだとしても、感じたものは取り消せなかった。とにかく、穴が空いてるドーナツが基本なのだから、それを強調する理由が私には分からなかった。
私たちは、暖かな店内で向かい合って座った。テーブルには、私が注文したプレーンとチョコのドーナツ、村井の注文したハチミツ味のドーナツとアップルパイが楽しそうに並んでいた。楽しそうなのは私たちだった。
読者よ。そんなに慌てないでくれ。その気持ちは痛いほどよく分かる。アップルパイが気になるのだろう?
「これは、ドーナツじゃないよね?」
村井はアップルパイを指差して不安そうに言った。人差し指じゃなかった小指だった。そうだったら良いのにと私が思っただけだった。
「これは、アップルパイだよ。店員さんもそう言ってた」
「非常に良かった。じゃあドーナツ食べよ」
口語で非常にと言ってはいけないルールはなかった。村井はナプキンを使って、上品にドーナツを食べ始めた。
私は分かった。彼女の恐怖を。
なぜ、穴が空いたドーナツに執着するのかを。
穴が空いていないドーナツを認めてしまったら、彼女はもうどこまでがドーナツで、どこからがそれ以外なのか分からなくなってしまうのだろう。美味しそうにドーナツを食べるその姿が、私の胸を締め付けた。
ドーナツかそうでないかってそんなに重要だろうか。美味しければそれでいいと私は思う。
けれど、たしかに私はドーナツに対する興味が薄かったと言わざるをえない。誰かにこれはドーナツですと言われたら、私はそれを素直に認めてしまうのか、今の自分に自信は持てなかった。
私はアップルパイを見ないで、ドーナツではないものを見ようとした。
「それはドーナツです」
そうだ。それは正しい。
学校の正門をくぐり抜けて、坂を50メートルほど下った先で右折すると、ドーナツ屋が大黒柱の如くどしんと構えている。それを見た池添が将来の夢を大黒柱に設定したのは有名な話。ちなみに坂を降りた先で左折すると、法律事務所があるが、そのことを理解するには私たちは無垢すぎた。
私はこのドーナツ屋に月3で通っている。村井由羽はこのドーナツ屋に年19で通っている。さて、二人の平均を求めてみよう。ちなみに私は求めない。
そんな私であるが、月末に思わぬことが起きた。今月は月3の内の3を既に消費していたにもかかわらず、村井に誘われてしまったのだ。私は自らに課した2つのルールに縛られて身動きが取れなくなった。譬えるなら、総合ディスカウントストアにある、レジにて取り外してもらう防犯のためのスパイダーラップに縛られた商品のように。
2つのルールの1つ目は、もちろんこのドーナツ屋には月3でしか行かないというルールだ。2つ目が基本的に友人からの誘いは先約がない限り断らないというルール。
しかし、ルールはトマトと同じ文字数だったから、トマトと同じくらい潰れやすかった。
私は村井と共にドーナツ屋に入店した。いつ見てもドーナツ屋のショーケースは私を興奮の渦へといざなった。雨の日も風の日も。風の日ってなんだろう?
「みいこは、普段何頼むの?」
村井に試されてる気がした。私は平静を装って、一旦自分を殺した。
「結構万遍なく頼むかな、ホントその日の気分って感じ? そっちは?」
「私は穴が空いてるドーナツ」
村井は一息で言い切った。一息で言い切ったとわざわざ言うにしては短い言葉だった。
ショーケースに並ぶドーナツのほとんどは真ん中に穴が空いていた。穴のないドーナツは少数派で、私から見て右側に押し込まれていたから、なんだか不憫な感じがした。少数派だからって不憫というのは多数派の驕りだとしても、感じたものは取り消せなかった。とにかく、穴が空いてるドーナツが基本なのだから、それを強調する理由が私には分からなかった。
私たちは、暖かな店内で向かい合って座った。テーブルには、私が注文したプレーンとチョコのドーナツ、村井の注文したハチミツ味のドーナツとアップルパイが楽しそうに並んでいた。楽しそうなのは私たちだった。
読者よ。そんなに慌てないでくれ。その気持ちは痛いほどよく分かる。アップルパイが気になるのだろう?
「これは、ドーナツじゃないよね?」
村井はアップルパイを指差して不安そうに言った。人差し指じゃなかった小指だった。そうだったら良いのにと私が思っただけだった。
「これは、アップルパイだよ。店員さんもそう言ってた」
「非常に良かった。じゃあドーナツ食べよ」
口語で非常にと言ってはいけないルールはなかった。村井はナプキンを使って、上品にドーナツを食べ始めた。
私は分かった。彼女の恐怖を。
なぜ、穴が空いたドーナツに執着するのかを。
穴が空いていないドーナツを認めてしまったら、彼女はもうどこまでがドーナツで、どこからがそれ以外なのか分からなくなってしまうのだろう。美味しそうにドーナツを食べるその姿が、私の胸を締め付けた。
ドーナツかそうでないかってそんなに重要だろうか。美味しければそれでいいと私は思う。
けれど、たしかに私はドーナツに対する興味が薄かったと言わざるをえない。誰かにこれはドーナツですと言われたら、私はそれを素直に認めてしまうのか、今の自分に自信は持てなかった。
私はアップルパイを見ないで、ドーナツではないものを見ようとした。