骨になった父

文字数 2,666文字

未曾有の4連休が明けた7月27日、
父の葬儀が行われた。

父は生前、自分の葬式にお金なんてかける必要ないと言っていた。
その言葉通り、近い親族のみで簡単な葬儀にすることにした。
どちらにせよ、コロナ禍で壮大な葬式なんてできるはずもなかったが。

たった数名に見守られた中で、父の告別式が行われた。
私は夏用の喪服を持っていなかったため、
勝手に父の喪服を拝借させていただいた。
ちょうど最近新調したみたいだ。
まさか、自分の葬儀にこの喪服が使われるなんて、
夢にも思わなかっただろう。

私から見て甥、父から見て孫たちも列席した。
まだ小3と小1で幼い。
突然のおじいちゃんの死を、彼らはどのように受け止めているのだろうか。
式中は、終始困惑した表情をしていた。

父の眠る顔が見えた。
化粧をしているからかもしれないが、
この日も綺麗な顔をしていた。

兄の奥さんが、父の顔を見て、泣き崩れた。
義姉が父の死に顔を見たのは、これが初めてだった。
それを見て、私ももらい泣きしそうになる。

父の旅支度が始まった。
あまりにも似合わない、全身真っ白の装束を身にまとい、足袋などを親族の手で履かせる。

発達したふくらはぎが目に入る。
この足で、一体何kmの道のりを走ってきたのだろう。
マスターズを目指して、日の丸を背負うことを目指していた肉体は、
もはや、死体とは呼べない代物だった。

父を慎重に棺の中に入れる。
葬式にお金をかけなくて良いと言っていたが、
母の要望で、棺のサイズにはゆとりを持たせて、
グレードアップしていた。
確かに、父の肩幅では、もう一つ小さいサイズだったら窮屈になってしまっていただろう。

棺の中には、沢山の花と、沢山の記録証を入れた。
父は今まで自分が出場したレース、全ての記録証を大切に保管していた。
その走ってきた証と一緒に旅立つ。
きっと、本望だろう。

告別式が終わり、次の行程は火葬だ。
火葬場は少し離れていて、それぞれ車で向かうことになった。
私は、父が乗る車のすぐ後ろについて行った。
車は河川敷のすぐ脇の道路を走っている。
目の前のサイクリングロードは、父がよく走っていた道だ。

車に運ばれてはいるが、
最期にこの河川敷を走ることができ、
父らしいラストランだな…なんて思った。

火葬場に着き、いよいよ父の肉体とも別れの時が来た。
少し大きめのカプセルホテルのような空間に、
父を棺ごと入れる。
最後に、もう一度だけ顔を覗いてみた。
相変わらず、穏やかな顔をしている。
今から燃やされるとも知らずに。

ボタンを押した瞬間、中でゴォーっと音が聞こえた。
今、父が燃えている。
あの、発達した筋肉、
鍛えられた肉体が燃えている。

もうとっくに悲しみのピークは過ぎていたが、
やはり、この瞬間は…悲しい。

1時間ぐらいで、父の肉体は燃え切った。
残されたのは、沢山の灰と、燃え残った骨たち。

こうして、私の父は、
文字通り、骨になった。



本日、9月12日。
父の納骨を行った。

父の骨は、母方の先祖が眠る墓と、父方の先祖が眠る墓、二つに分けて入れることにした。
いわゆる、分骨というやり方だ。

母方の先祖の墓は、富士山がとても綺麗に見える場所にある。
生前、父は自分が死んだらこの墓に入りたいと言っていたそうだ。
富士登山競争などで、父がよく登り、よく走った、日本一の山。
ここなら、思い出の山をいつでも眺められる。
だから、望んだのかもしれない。

父の骨壺を私が抱え、墓地へ向かう。
ふと、父に肩車をしてもらった幼い頃を思い出した。
肩車をしてもらいながら、父の目を隠して遊んでいた、あの頃。
その時のアングルと、父の骨壺を抱えている今のアングルが一致する。
あの頃と違うのは、私が大きくなったことと、
父が骨になってしまったことだ。

父の骨は太かった。
歯だと分かる部分も見つかった。
大事にしていた肉体は燃えたが、
大事にしていた骨や歯はある程度残った。

最後はまるで、黒板のチョーク置き場を掃除するかのように、
小ぼうきでかき集められ、
綺麗に骨壺に収められた、父の骨。

その骨を、母方の祖父母たちが眠る墓に納めた。
手を合わせ、安眠を願い、墓石を水で洗い流した。
残念ながら、天候が悪く、富士山を眺めることはできなかった。
それでも、納骨をしている時間だけ雨が止んでくれたことが救いだった。
父が止ませてくれたのだろうか。

小一の甥が
「おじいちゃん、天国で何してるのかな?」
と言った。
私が
「お酒でも飲んでるんじゃない?」
と答えた。
母は
「きっと、泣いて喜んでるよ。」
と言った。

徳島の祖母の家に兄の車で向かう。
本土と淡路島を結ぶ明石海峡大橋を通る時、
雲間から太陽の光が幻想的に降り注いだ。

ずっと雨模様だった空から、
待ちきれんばかりに、降り注いだ光。
「天使の梯子(はしご)」と言うらしい。
日本の神話上、最初に誕生したとされる淡路島。
そこから降り注ぐ、天使の梯子。

まるで、父がこれからの私たちのことを
応援してくれているような気がした。

祖母の家に着き、祖母は息子の骨を涙ながらに受け取った。
「ついこの前、元気にもどってくれたのに、こんなんなってしまって…。」
悲しみのピークはとっくに過ぎていたはずだが、
こればかりは、私も母も涙を我慢することが出来なかった。

父を亡くす辛さは、私と兄が味わった。
夫を亡くす辛さは、母が味わった。
そして、息子を亡くす辛さは、祖母が味わった。

辛さ悲しみは、避けようがなく襲いかかる。
でも、私たちは前を向かなくちゃいけない。

祖母の家で、父が買っていたと思われるビールとハイボールを飲む。
次に帰る時を考えて、準備をしていたのだろう。
猫の「キキ」も私たちを出迎えてくれた。
「ジジ」の間違いかと思っていたが、
ちゃんと「キキ」という名前で合っていたようだ。

父は私たちに沢山のことをのこしてくれた。
私自身はもちろんだが、
今も、隣で無邪気にはしゃいでいる、父にとっての孫もその一人だ。

物理的、生物学的に、父は骨になった。
でも、私たちの記憶の中で、
父は生き続ける。

「ずっとこの幸せが続けば良いのに…」
母がしばしば言っていた言葉。
「こんなに幸せでいいのだろうか。」
父がいつか言っていた言葉。

命ある者、いつかは必ず死が訪れる。
もちろん、父も例外ではない。
ただ、思っていたよりもかなり早く
その時が訪れてしまった。
それでも、父は多くの幸せを、
私たちにのこしてくれた。

私たちにできること。
それは、父の死を悲観し続けることではない。
前を向いて、幸せに生きることだ。

「頑張って生きるんだぞ!」
淡路島で差し込んだ光。
父の思いが作り出した、
私たちに対する
激励の光だったのかもしれない。

(完)

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み