第13話

文字数 8,256文字

 六月二十七日、土曜日。午後一時四十五分にユミちゃんが本社にやってきた。
 電話口で取り乱した無様な印象はすっかり消えていた。こざっぱりとした紺のスーツと自信たっぷりの表情。原田は警戒した。これは人生を失って失意の底にいる顔ではない。何があった。そうか。
 ――独り占めする気だ――
 彼女は四等分するつもりなんかないのだ。代表受取人として一億を受け取った途端に姿をくらましてしまう。あるいはいつまで経っても分け前を与えない。三人がだまされたと思っても、両親は当面何もできないし、弟はどうとでも言いくるめられる。詐欺だと言って騒がれても、払わないとは言ってないじゃない、ほんの少し待ってもらってるだけ、そう言い張れば少なくとも刑事にはならない。
 先日と同じ来客用会議室の楕円形のデスク。ユミちゃんは席についた。
 ――どうする――
 三人に忠告してやるか。両親は興奮して病状が悪化するかもしれない。悪化しなくても仁義なき終わりなき泥仕合に逆戻りだ。それは勘弁してほしい。それに……万々が一、ユミちゃんがそんなことを企んでいなかったら? せっかくまとまった話をおれがぶち壊すことになる。最悪だ。荒川はともかく、あの課長に貶されるのは我慢できない。そもそもこれは一秒でも早く終わらせてしまいたい案件だ。
 よし、決めた。黙っておく。
 ――けんかは店の外でやってもらおう――
 支払ってしまえば会社は一切関係なくなる。どうせおれはもうすぐ辞めてしまうのだからどうなろうが知ったことではないが、これだけ奇妙な案件の顛末は、同業社間の勉強会か何かで情報共有されるかもしれない。それが転職先にまで聞こえてこないとも限らない。鮮やかに片づけた担当者が誰だったのかという情報と一緒に。
 ――事務にも強いトップセールスか。悪くないんじゃねえの――
 荒川はユミちゃんの変化に気づいているだろうか。視線をやるといつもの無表情だ。外見からは何も読み取れない。
 ダイちゃんも到着した。今日はどうしたことか、最初からばつが悪そうな猫背姿勢での登場だ。白いシャツにジーンズという普段着姿は、吊るしのスーツよりは似合っているが、染めムラのある金髪とあいまって、まるで田舎の高校生みたいだ。
 やがて車椅子の両親が別々のタクシーで到着した。それぞれに看護師がついてきた。父親は、主治医が言っていたようにすっかり痩せ、目から生気が消えていた。
 最初に聞いた話では、ケンちゃんの手形の期日は先月末だったはずだ。工場がまだ生きているのだからそこは乗り切ったのだろう。ということはどこかで金を調達したのだろうが、まともな先であるはずがない。限りなく黒い借金と重い病を背負った哀れな零細経営者……。
 母親は、女性には残酷な単語でしか表現できないような――皺と白髪が一気に増え、肌はくすみ、目は落ちくぼんで、ゆがんだ唇の右端から垂れるよだれを看護師が拭いてやっている――様子だった。二十歳も老け込んだ。金まみれの色恋でも失えば失恋。当人には夢だったのだ。
 病身のお二人にそこまでしてお越しいただいて、もし会社で何かあったら大迷わ――大ごとだが、手続きがいっぺんに済むのは助かる。それに同席したいというのはご本人たちの強いご希望だ。彼らのことだからきっと娘のことを信用できず、出席させろと医師を恫喝したのだろう。いずれにせよ外出許可を出したのは医師であって会社じゃない。
 小笠原弁護士は直前のアポが長引いて少し遅れると連絡が入った。隅っこの薄暗いスペースにカクカク揺れるパイプ椅子を用意してやった。
 この日は手続きだけなので、会社側は荒川と原田の二人である。
 弁護士を除いて全員が揃い、看護師による二つの車椅子の固定も済んだ。今日は休日で受付が閉まっているので、あらかじめ各席にはペットボトルのお茶が置いてある。ダイちゃんだけがそれを手に取り、一口飲んだ。
 部屋に入ってから誰も口を開かない。張りつめたような、それでいて諦めたような気だるい緊張感で室内が満たされている。病人特有の匂いも漂っている。
 荒川が立ちあがった。
「みなさま、本日はお集まりいただきありがとうございます。とくに健吾さま、美佐絵さまには、お体の調子が万全ではない中ですので、なるべくスムーズに、お体にご負担をかけないよう進めたいと思います。ご協力をよろしくお願――」
「いいから早く書類をちょうだい」
 ユミちゃんが荒川を遮った。
「かしこまりました。ではみなさま、今からお配りする書面をよくお読みになり、日付記入とご署名、実印の押印をお願いします」
 ――おお、二か月の長きにわたり前王の財宝を争った四人の勇者たちよ、今こそ秘められた黄金がその姿を現すとき。さあ、みなで分かち合うのじゃ――って感じかね。そんな冗談を胸の内でつぶやきながら、原田が同意書を配って回った。車椅子の二人も署名は問題なくできると確認してある。
 四人が同時にペンをとる。
 父親はぶすっとしたまま、弟は不貞腐れた顔で、署名と押印をした。母親は、流れるよだれを看護師に拭き取らせつつ、呂律の回らない小声でぶつぶつと悪態を突きながら、向かいの席に座っている原田から見てもわかるほど強い筆圧で、下手くそな名前を書き、のろのろとした動作で押印した。妹は頬を上気させ、期待を込めた手つきで、たったいま押印した自らの勝利宣言書を手に取って見つめていた。
 ――終わった――
 原田はふう、と息を吐いた。今後、妹の企みによってどんな騒動が起ころうと、おれの知ったこっちゃない。
「それでは、これから回しゅ……」
 荒川が言いかけたとき、ドアが開いた。
 遅くなってすみませんと言いながら、黒いアタッシェケースを抱えた小笠原弁護士が入ってきた。ドアのすぐ内側で深々と一礼し、こう言った。
「弁護士の小笠原です。間に合ってよかった。本日はみなさんにあることをお伝えするために参りました。非常に重要なことです」
「あ」と声を上げたのはユミちゃんだった。「あなたは……」
 他の三人も驚いたような顔をした。特に両親は目を丸くして何か言いたげな素振りを見せたが、弁護士はそれらを無視して会議机まで進んだ。
「小笠原さん、ちょうど今、みなさんが同意書に署名と押印を終えたところです。あなたには保険金支払いの許可をお願いします」
 そう荒川が言うと、弁護士は、
「ご家族のみなさんは様々な思いがあると思いますし、ご両親におかれては一日も早い回復をお祈りいたします。また、東西生命のお二人は今日までのご対応、誠にお疲れさまでした。御社の結論、代表受取人を決めて支払い、一億円は四人で均等に分け合うとの結論については、確かに報告を受領いたしました。そこで――ようやく私の出番です」
 と言ってアタッシェケースを机の上に置き、パチンパチンと開けると、中から一枚の書類を取り出した。
 四枚目の名義変更請求書であった。
「ご家族の間で合意がなされたら提出するようにと故人から預かっていたものです。日付はあの三枚の翌日なので、これが一番新しい請求書ということになります。これに書かれている人物こそ本当の受取人です」
 室内がにわかに殺気立った。書かれている名前は、
 ――青木エリカ――
 みな顔を見合わせた。誰だ。弁護士は続柄の欄を指した。
 ――妻――
 は?「兄は独身」「間違いだ」「謄本で確認したじゃないか」、四人の怒気を含んだ声が部屋にあふれた。小笠原弁護士はさらに二通の書類を取り出した。死亡保険金請求書と何やら戸籍の書類だ。請求書には青木エリカの署名があった。弁護士はこう説明した。
「故人は死の直前にアメリカ人女性と婚姻したのです。死亡直後の戸籍謄本に記載がなかったのは、アメリカでの結婚を日本の戸籍に反映するのに時間がかかったからです。ここにお二人の婚姻が日本でも証明されました。名義変更請求書も故人が生前に作成したものですから有効のはずです。したがって保険金は全額、アメリカにいる奥様にお支払いいただくことになります。故人の指示に従って、奥様への支払いを許可いたします。以上です。それでは失礼します」
 弁護士は軽く一礼すると、そのまま部屋を出て行ってしまった。
 一瞬の沈黙。
「ふ」最初に叫んだのは母親だった。「――ふらけるんやないわよ」、顔を真っ赤にして、よだれを周囲にまき散らし、車椅子から転げ落ちた。看護師があわてて助け起こした。
 それを合図に、妹は激しく取り乱し、原田の襟元を掴んで何の冗談よ、あんなの認められるわけないでしょうと喚いた。弟は何が起こったのかわからないという顔で固まっている。騒ぎを聞いて飛び込んできた警備員が倒れた車椅子につまづいて、父親を支えようとする看護師に覆いかぶさった。「痛っ」「す、すみません」――騒ぎはしばらく収まらなかった。窓ガラスの一部が破損したが、幸い怪我人は出なかった。

 原田と荒川が小笠原弁護士のいる事務所を訪ねたのは、翌週のことだった。
「あなたは省吾さんのご家族と面識があったのですね」
 荒川が訊くと小笠原弁護士は、はい、と答えた。
「省吾とぼくは幼馴染で、高校までずっと一緒でした。彼は人づきあいができませんから、友人と言えるのはぼくくらいでした。最初にそのことをお話ししなかったのは、彼に止められていたからです。申し訳ありませんでした」
 弁護士はいきさつをこう語った。
「彼女、エリカは、省吾がアメリカで所属していたノース・ヴァレイ・システム・ソリューション社が悪どい手口で買収した会社の社長の未亡人です。ノース社は数年で急成長したベンチャーですが、その経営手法は相当に強引なもので、訴訟を負けたときは、社長をはじめ多くの役員が逮捕されました。省吾は不正には関わっていなかったので、罪に問われることはありませんでしたが、財産は裁判で没収されたのか、あるいは被害者に渡したのか、帰国したときは無一文に近い状態でした」
 金には無頓着なやつでしたからね、と弁護士はつけ加えた。
「詐欺まがいの手口で会社を失ったエリカの夫は絶望のあまり自死し、妻と子には大きな悲しみと金銭的な苦境が残りました。省吾はそれをだいぶ後になって、自分の死の床で知ったのです。ネットで偶然に。そして――対象が何であれ感情的な反応を見せるのはめずらしいのですが――彼はひどく責任を感じたのです。
 彼女の苦境について自分も無関係ではない、何とかして救いたいと考え、彼女にまとまった金を渡すことにしたのです。かつての財産はもうないが、余命わずかの自分には生命保険がある。これだ。
 それには乗り越えるべき障害がありました。あなたがたに説明の必要はないでしょうが、日本の保険会社はモラルリスク排除の観点から、家族以外の第三者を受取人にすることを認めていません」
 彼はエリカに連絡をとった。最初は当然、強い不信と反発を示された。夫の仇、悪魔の一味が今さら何の用か。人殺し、恥を知れと罵倒された。彼はそれでもひるまず連絡をとり続けた。やがて彼女は彼の思いを理解し、謝罪を受け入れた。思いと計画を聞かされ、結婚に応じることを決めた。配偶者なら受取人となることに何ら問題はない。
「結婚の方法は三つ考えられました。一つ目は、彼女が日本に来て日本の役所に婚姻届を出す方法です。これならすぐに戸籍に反映される。保険会社が問題とするのは戸籍上の続柄ですから、この方法が一番早くて確実です。しかし彼女は、子どもの入院が予定されていて、すぐにはアメリカを離れられませんでした。二つ目は、彼女に日本での結婚に必要な書類を送ってもらい、区役所に婚姻届を出す方法です。しかしこれも必要書類をそろえるのにかなりの時間を要することがわかりました。そこで彼は三つ目の方法をとることにしたのです。自分がアメリカへ行って結婚し、それを戸籍に反映させる方法です」
「本当ですか。ステージⅣで」原田が訊く。
「ぼくが付き添いました。今どき、末期患者の旅行は珍しいことではありませんよ」
「国際結婚ってそんなに簡単にできるのですか」荒川が問う。
「簡単ではありません。特にアメリカの移民法は厳しくて、外国人が結婚目的で入国するには専用のビザが必要です。専用ビザの取得には通常、厳しい審査と数か月の時間がかかるのですが、彼は過去に永住許可を取得し、帰国後も維持していましたから、そこはクリアできました」
 原田には別世界の話のようだ。ジョークも思いつかない。
「問題は時間でした。戸籍法によれば海外での結婚はその時点で成立します。ただしそれを日本の戸籍に反映させるには、その国の在外公館を通して日本の役所に婚姻届を提出しなければならず、長ければ数か月もかかるのです。それまで受取人は変更できません」
 確かに、受取人を妻にするという請求書が提出されても、戸籍がそうなっていなければ請求は無効と言える。そんな人物はいないのだから。
「自分が死んだら家族はすぐに保険金を請求するだろう。保険会社は元の受取人、父親に払ってしまうだろう。それでは意味がない。しかし間もなく戸籍が変わるから支払いを待てなどと保険会社に伝えたら、きっと家族にも知られてしまう。横取りされる。結婚のことを保険会社にも家族にも知られずに、保険金の請求だけをしばらく止めておかなくてはならない。三通の名義変更請求書はそのための手段だったのです。ああしておけば家族が揉めて手続きが進まないことを、彼は見抜いていたのです」
 ――ようするに、時間稼ぎだったってことか――
 ショーちゃんの手のひらで転がされていたのだとわかっても不思議と腹は立たない。見事な手品を見せられたような感覚。
「ぼくは彼の体調を考えて、あと数か月待ってエリカが来日できるようになってから日本で手続きする方法を勧めましたが、彼はすぐに渡米すると言って聞きませんでした。そして帰国の直後に容体が悪化して、起き上がれなくなりました。今から思えば、エリカの来日を待っていたら間に合わなかったでしょう。それからは時間との闘いでした。青木エリカの名前がようやく戸籍に反映されたのは、私が原田さんにお電話した日です」
「状況を探ってきたというわけですか」
「その通りです。お二人はさぞ不愉快な思いをされたことでしょう。改めてお詫びします。どうかご容赦ください」
 まあ、弁護士なのだから依頼人の指示には逆らえないだろう。
 荒川はじっと考えるような素振りの後、口を開いた。
「私にはわかりません」
「何がです」
「実家の工場はつぶれ、父親は闇金からの借金を負ったまま入院生活を続けている。母親は脳梗塞に鬱を発症して退院の目途が立たない。妹は生きがいと金の両方を失い、共同経営者に無断で店の預金を担保に融資を受けたことについて訴えられている。弟の家庭は子が生まれた瞬間から金銭的な辛酸をなめることが確実になった。家族全員が不幸に落ちたんです。それがわかっていたはずなのに、他人の幸福を優先した故人の気持ちが合理的とは思えないのです。トラブル案件はたいてい不合理なものですが、この件はその度合いが異常なほど大きい。故人は自分の家族のことは考えなかったのでしょうか」
 弁護士はさわやかに笑った。
「古い友人からすれば全然不思議じゃありません。彼はむかしから、興味をもったことに全力で取り組んで素晴らしい結果を残し、気が済むとすぐに次の目標に向かうということを繰り返していました。そうやって短い人生で多くのことを成し遂げたのです。きっと今回も同じだったんですよ。ご家族のことを考えなかったのではなく、エリカに金を渡すことに全力を傾けたんです」
 本件への対応方針については社内で慎重論も出た。判例があるのかもよくわからない状態で外国の妻に支払ってしまって本当によいのかという意見だ。結論はわりとすぐに出た。顛末を聞いた法務部の江川審議役が発した「そいつぁ痛快だな」というひと言が決め手となった。
 ほどなく一億円はしかるべき手続きを踏み、しかるべきレートで現地通貨に転換されたうえ、電子の信号となって太平洋を越えて行った。

 久しぶりの帰省の日は、あいにくの雨だった。六月の末、気温はそれほど高くないが、湿度が高く、空気が重い。駅からの道で吹き出した汗をタオルハンカチで何度も拭いた。
 隅田川沿いから町田に行くだけだから何時間もかかるわけではない。通勤で電車を間違えればついてしまう程度の距離だ。駅から二十分ほど歩いた古い住宅街の一角に、築四十余年の実家がある。申しわけ程度の狭い庭には、母親が植えた季節の花が咲いている。トマトの鉢植えはどこに置いたのか、庭からは見えなかった。
 父親は自宅に戻っていた。母親が言った通り、切ったわけではないので回復も早いのだろう、もうふつうに歩いている。ざっと三年半振りの対面だった。
「ただいま」
「――おう、帰ったか」
 ぎこちない近況報告と、母親のボランティアにまつわる噂話で夕食までの時間を埋めた。メニューのハンバーグは息子の好みに合わせたつもりか。たしかに懐かしい味ではある。
「体調はどうなの」
「問題ない。歳相応だ」
「手術はどうだった」
「どうということはない。お母さんは大げさに言ったんだろうが、もともと心配するようなことじゃないんだ」
「そうか。じゃあ――よかった」
 父親は息子のグラスにビールを注ぐ。
「仕事はどうだ」
「まあ、ふつう」
「手を抜かずにやれよ。丁寧に。長い目でみればそれが一番だ」
「久しぶりだな、それ」
 教師時代からの口癖だった。原田は思い切って言ってみた。
「――また転職するかもしれない」
 父親は一瞬の沈黙の後、
「そうか。決めたのなら頑張れ」
「どこへだって聞かないのかよ」
「聞いたってどうせ行くんだろう」父親はそう言ってグラスを干した。「もう親がそんなことを訊く歳でもない。どこ行こうと頑張ればいい。ただし手を抜くな。絶対に」
 母親は黙って聞いていた。少し微笑んでいたかもしれない。
 
 翌週、九月一日付の組織改正が発表された。社内イントラの掲示板に貼りだされた通知を見て、原田は目を疑った。コンサルティング営業推進部が廃止されるという。
 ――何だと――
 理由は販売チャネル戦略の見直し。今後、直接営業は営業職員――従来のおばちゃん部隊――に回帰し、新しく代理店とネット販売に経営資源を投入していくという。大卒男性の高能率のセールス部隊は、欧米では広く普及している営業スタイルだが、日本への導入は時期尚早と確認できた。現在の部のメンバーは他部署に配置換えとなる……通知にはそう書いてあった。
 少しばかり早かっただけで撤退は想定通りという言い方だが、そんなのは表向きだ。実際の理由は人の減少と成績不振に違いない。営業組織の業績は毎日、社内イントラで見ることができる。コンサル営推の業績はこのところ不調を極めていた。
 ――エースを放り出したせいだ――
 などと言うつもりはない。そこまでうぬぼれてはいない。自分がいても同じことになったのではないか。営業部隊なのだから人が減れば売り上げも下がる。売り上げが下がれば給料が減り、人が辞めていく。コンサル営推は負のスパイラルに吞み込まれたのだ。
 原田の後任としてセールスの筆頭になった内田精二は自派閥を優遇する運営を推進しようとして若手の不興を買い、ほどなく総スカンに近い状態になったらしい。
 魅力の消えた職場は力のあるやつから抜けていく。内田は焦ったのだろう。派閥の手下に無茶をさせた。原田がくらったレベルの処分が多発したという未確認情報がある。原田のときのように人事がリークしないのは、件数が多すぎて洒落にならないからだという。そんな組織は上から見ればコンプライアンス上のリスクでしかない。畳んでしまえとなるのは当然だ。
 ざまあみろという気分ではない。自分は逃げ切ったという安堵もないし、三年間は無駄だったのかという徒労感もない。しいて言えば、
 ――時間が経ってお話がひとつ終わった――
 くらいか。そんなふうに感じるということは、やはり潮時なのだろう。
 内田も辞めるだろうなと思っていたら、案の定、次の日に発表された人事通知で自己都合退職となっていた。一方、コンサル営推を作った営業企画部の津田次長は、法人営業部の担当部長に昇進するという。彼は荒波をうまく泳ぎ切ったらしい。
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