十九

文字数 1,539文字

 二階にある部屋で、リュウとハダケンゴが向き合って携帯端末を見ていた。美玲が船尾へと向かっているのがわかった。
「美玲は今、地下六階のエンジンルームに向かっている。確か船に三機あるエレベーターの船尾側からでしか行けないはずだ。今なら奴も無防備だ。行こう」
「リュウ、でもちょっと待て。今、俺たちが地下六階に行くには地下五階を通らねばならない。そこは奴らの船室だ。武装した奴らに出くわす可能性がある。作戦無しに飛び込むのは危険だ。それにエンジンルームにお前の兄貴がいるという確証はない」
「だが、美玲の身に何かあるかもしれないだろ」
 リュウが声を荒げる。
「落ち着け、リュウ」
「クソッ!」
 テーブルを拳で叩いた。
「大丈夫だ。あの娘は賢い。信じて待て」
 ハダケンゴが煙草に火をつけた。
「お前、オークションの時も感じたが、冷静なように見えて、意外と感情的な面があるんだな? もっと冷静な男かと思ったぜ。まあ、この状況で落ち着けって方が難しいがな」
 リュウが鼻を鳴らす。
「俺は兄貴とは違うんだ。頭にくればキレるし、悲しければ泣く」
 リュウはふと、子供の頃にショウと別れた日のことを思い出していた。あの日、親戚のサエキに引き取られる車中で、リュウは堪らず涙した。泣き叫んでもどうにもならないことはわかっていたが、それでも声を上げて泣かずにはいられなかった。しかし、車の中から見た兄、ショウの表情は落ち着いていた。少なくともリュウには落ち着いて見えた。二つ歳が上だったからだろうか? 初めはそう思うことで自分を納得させた。しかし、思い返せば思い返すほど、あの兄の何も映っていない瞳が恐くなった。兄は自分のために感情的になることがあるのだろうか? リュウはそれ以来、ずっと感情を隠して生きてきた。裏の社会に入ってからも、ずっと感情を抑えてきたつもりだ。だが、今、兄の存在が手の届くところにあり、最愛の美玲に危険が迫っている。抑制できない感情が、まだ自分の中にあったことに戸惑いを隠せない。こんな時でも兄は冷静でいられるのだろうか。

 美玲と趙建宏は無言のまま、地下六階へと降りた。フロアは薄暗く、エンジンの機械音だけがフロアに響き渡っていた。油の臭いが鼻をつく。赤や青のランプ、数値を示す計器、配管、様々なものが重なり合って先が見えない。時折、ゴゴゴッと地響きを立てて機械が作動する。気味が悪かった。一通り歩き回ったが何も見つけることができなかった。
「美玲サン、モウ充分デショウ?」
 趙建宏がエンジンルームを見渡して言った。
「待ッテ、奥ノ機械室ヲマダ見テナイワ」
 美玲が歩き出した。ドアノブに手をかける。カチャと音がして扉が開いた。けれども中には誰もいなかった。ここではないのかもしれない。けれども美玲がエンジンルームを見たいと言った時、確かに空気が変わった。まさか本当に美玲がエンジンルームまで見たがるとは思っていなかったのだろう。慌てて携帯電話で指示を出したのは、私に見られてはならないものがあったからだ。きっと、そうだ。でも、そのことをどうやってリュウに知らせよう。自分の携帯電話を地下六階のどこかに置いたままにすれば、その異変に気付いてくれるだろうか。けれど私は、このまま地下五階の彼の部屋に連れて行かれる。そうなったら、誰も私の居場所がわからなくなってしまう。しかし、美玲はそれ以上考えるのをやめた。最愛の人のために、最善を尽くすと決めたのだ。美玲は地下六階の去り際に、自分の携帯電話を配管の物陰にそっと置いた。エレベーターの扉が開く。趙建宏が美玲の手を取る。二人で乗り込んだエレベーターの扉が閉まる。全てがスローモーションのようだった。早く異変に気付いてほしい。できれば全てを奪われる前に。
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