《悪事 VS 冒険》

文字数 6,269文字

大人にとっては“悪事”とされる事も、子供にとっては そうでない事が多い。

だからこそ、子供達は叱られながら学ぶのだし、学校でも わざわざ〈道徳〉と言う時間がある。

でもまだ道徳を完全に学びきっていない児童達は、時折 悪気なく悪いことをするものだ。

私も小学校低学年の頃 は “そのクチ” だった。

住んでいた荒川区には、当時、古くて小さな駄菓子屋さんがあちこちにあり、私の家のすぐそばにもあったし、学校の近くにもあったし、公園の目の前にもあった。

どの駄菓子屋の店内も、小銭を握りしめた子供達でいつも賑わっており、店によっては、鉄板のついた小さな机が1〜2台設置されている所もあった。
そこで子供達は皆、ひしめき合って もんじゃを食べる。

もんじゃと言っても、現在ある様な様々な具材の入った 一杯700〜800円もする様な“高級もんじゃ” ではなく、水で溶いた それはそれは薄い小麦粉と、少しのキャベツと醤油とソースのみで作られた質素なもんじゃだ。

そこへ数十円で売っているベビースターや切りイカ等をトッピングし、自分好みのもんじゃを各々で作る。
値段はトッピングにもよるが、確か 150円〜250円位だったと思う。

…にしても、小学生(特に低学年)達にとっては決して安い金額ではない。
何しろこちらは一週間200円程度のお小遣いで生計を立てているのだ。
日割りにしたら30円弱。
日々10円のあんこ玉か、よっちゃんイカを買って食べるのが関の山だ。

よって、もんじゃのテーブルは大抵、4年生以上の少年少女達にいつも占領されていた。


そんな平和な日常の駄菓子屋で、ある日、悪夢のような出来事が起こる。

当時 小学2年生だった私は、その日 学校から帰宅後、クラスの友人二人に誘われ、いつもは あまり行かない地区にある 自宅から少し離れた公園で遊ぶこととなった。

なにせ、私にはあまり馴染みのない公園だった為、どんな遊具があり、その日どんな遊びをしていたのかは 殆ど覚えていないが、遊びの途中で休憩を兼ね、駄菓子屋に3人で向かったところからは、鮮明に覚えている。

低学年の3人女子は、当然、駄菓子屋のもんじゃコーナーにはまだ入れず、楽しそうにもんじゃを焼いている高学年達を横目に、店頭に並ぶ駄菓子を物色していた。

店のおばさん主人は、もんじゃの少年達が好き勝手にオプション具材を次から次へと注文するので、それらをメモしたり、用意したり、代金の受け渡しをしたりと、メインの駄菓子より、もんじゃの方に手が掛かり とても忙しそうだった。
その為、私達が店先で

『あんこ玉くださ〜い!ソースせんべいくださ〜い!』

…などと大きな声で言ったところで、聞こえやしない。

もしくは忙しすぎて聞こえない振りをしていただけかもしれないが、とにかく、全くこちらへ来てくれる様子がなかった。

すると 友人の一人が
『そうだ✨面白いこと考えた!』
…と言って、私ともう一人の友人の手をグイグイ引っ張り、また目の前の公園まで誘導すると、少しだけ声を低くし、その『面白い考え』を私達に共有した。

友人が思いついた『面白いこと』とは 次の様なことだ↓

駄菓子屋のおばさんは忙しく、こちら(店先)を見ていない。

だからその隙に、店頭に 駄菓子と一緒に並んで置かれている〈シャボン玉〉を、おばさんに気づかれずに 手に取り、この公園まで持ってくる。 

一度に数多く持ってこられた人が勝ち!

そして今度はまたおばさんに見つからない様、そっと元の場所へ戻しに行く。

戻すまでが勝負!

…というスリリングな遊びだった。

私と もう一人の友人は、
『それは泥棒だよ!』
と最初は反対したのだが、
言い出しっぺの友人が
『泥棒じゃないよ!泥棒は盗むでしょ?私達はちゃんと返すんだから!』

…と悪びれもせずそう言ってのけたので、私ともう一人の友人も

『そうか、、じゃぁ泥棒にはならないか…?』

と首を傾げながらも妙に納得をし、そのスリリングな遊びに賛同・参加する事となった。

先ずは言い出しっぺの友人が行く。

店先の横まで少しばかり大袈裟な忍び足で歩いて行くと、駄菓子や玩具が置かれた台と 同じ高さまで素早くしゃがみ込み、公園で見守っている私達の方に顔を向け、ニヤリと笑った。

ここで私は気づくべきだったのだ。

言い出しっぺの友人の顔は、“ニコリ” ではなく、明らかに “ニヤリ”だった。

『今から私、いけないことをしますよ〜!』

…と言うニュアンスを たっぷり含んだ “ニヤリ”だ。

いや、、もしかしたら私は、友人の“ニヤリ顔” を見る前から 薄々気づいていたのかも知れない。
いくら盗む訳ではないとは言え、やはり店の品物を無断で勝手に持ってくる…と言う行為は、悪い事ではないのか。。

しかし、その考えを打ち消すほどの “冒険的な未知の遊び”に、おそらく脳も心も惹かれてしまったのだと思う。

私の隣にいたもう一人の友人も、きっと同じ心境だったに違いない。

でももう遅い。冒険へのスタートは切られた!

“言い出しっぺ ” は 店頭の台の前下を、順調に四つん這いでズリズリと移動し、シャボン玉の入った箱の下まで到着した。

そこから少しずつ身体の状態を起こし、しゃがんだまま 店内のおばさんを注意深く確認し、シャボン玉に手を伸ばす。

『あ!取った!』

私はまるで、自分が正にその行為をおこなっているかの如く、ドキドキハラハラしながら手に汗握り、その勇気ある友人の行動を、一部始終見守っていた。そして

『どうかおばさんに見つかりませんように!!…』

と、心の中で マリアとイエスに手を合わせ、友人がこちらに無事 戻ってくるのを待った。

友人はシャボン玉を手にした後も、まだ中腰のまま注意深くおばさんの動向を目で追い、安全だと確信した直後、振り向きざまダッシュでこちらへ駆けてきた。

『やった〜!気づかれなかったー!!でも一個しか取れなかったなぁ〜。』

…と少し残念そうに私達にシャボン玉を見せびらかすと、今度はすぐさま

“返しに行く冒険”  へと旅立って行った。

たった今、ハラハラする冒険から帰還したばかりなのに、またすぐ困難なミッションに果敢に挑みに行く彼女を見て、私は只々 純粋に『格好イイ✨』と思った。

今度は先程のように 店の横から忍び足ではなく、真正面から堂々と店へ向かい、店先に並ぶ駄菓子をどれにしようかと選ぶ振り始めた。

そして、手に隠し持っていたシャボン玉をひょいと箱の中に戻し、彼女は、

『これくださ〜い!』

と、チロルチョコを手に取り、おばさんへ10円(当時は5円だったかも知れない…)を渡すと、

『はい、ありがとう!』

と、にこやかにお礼を言われ、今度は余裕綽々で私達の元へと帰ってきた。

『○○ちゃんすごーーい!!✨』

私ともう一人の友人は、その若き“冒険者”を羨望の眼差しと拍手で迎えた。

『はい!じゃ〜次はマーちゃんね!』

私はもう、最初の頃 僅かによぎった罪悪感はすっかり無くなり、自分の番がやって来たことにワクワク♪ドキドキ♪胸が高鳴っていた✨

何故なら友人は、シャボン玉を無断で持ってきたにも関わらず、結果、ちゃんと箱へ戻し、その上、自らお金を支払い駄菓子を買って、最後はおばさんにお礼まで言われている✨

誰にも迷惑を掛けず、傷つけず、こんなに刺激的で楽しい遊びを考えた友人を、素晴らしい✨とさえ思っていた。

『よーし!じゃぁ行ってくるね!』

私は意気揚々と駄菓子屋へ向かい、今ではすっかり私の中で“英雄”と化した友人と 同じ手口(手口と言っている時点で、もはや悪事だが…)で、シャボン玉の下まで到達すると、すぐさま手を伸ばした。

この時私は大きなミスをおかしていた!

店のおばさんの動向を全く確認せずに、ターゲットの品物に手を伸ばしてしまったのだ。

案の定、私がシャボン玉に手を掛けた瞬間、その手首を 大きな手のひらで ムンズ…と鷲掴みされた!

『あんた何してんの!!』

おばさんの 少ししゃがれた野太い声が、一瞬にして私を凍りつかせる。

『今コレ 盗もうとしたね!!』

私はすぐさま
『違います!違います!』
…と、血の気の引いた顔つきで慌てて立ち上がり、恐る恐るおばさんの顔を見つめた。

ものすごい形相だった。。

『最近、品物がなくなってると思ったら、あんただったの!?』

心当りのまるでない盗みの罪まで着せられそうになった私は、半べそをかきながら

『違う!!私じゃない!!』

そう言って必死におばさんの手を振りほどこうとした。
が、、怒りに満ちたおばさんの力をなめてはいけない。 
全く外れる気配はなかった。

〈このままでは、犯人にされる!〉

幼い頭の中は一瞬にしてパニックになり、事の起こりが自分でもよく分からなくなっていたが、とにかく
[何だか物凄く大変な事になった!!]
…と言う一大事を知らせる警報音だけが、脳内に鳴り響いていた。

『なんでこんなことしたの!?お金がないの!? まったく どこの子だい!?お母さんに言うよ!!!』

おばさんは畳み掛けるように戒めの言葉を私に浴びせ、
『なんでこんな事をしたの!?』
…という最初の問に必死に答えようとしていた私の話など、全く聞く耳を持たなかった。

〈もう何を言っても無駄だ…私は犯人にされる…お巡りさんに捕まる…親にも叱られる…学校にも行けない…〉

頭の中で絶望的な言葉だけがグルグルと駆け巡っていたその瞬間、、
私の細い手首が おばさんの手のひらからスルリと抜けた!

おばさんは『あ!』…と言う顔をしてまた私をすぐに捕らえようとしたが、すばしっこかった私は 咄嗟におばさんから身を離し、

『ごめんなさい!ごめんなさい!でも本当に盗ろうとしてません!本当です!!!』

と、涙目でおばさんを見つめたまま後退りし、この光景を公園から一部始終見ていた二人の友人の元へ走り寄り、そのまま三人で一目散に逃げ出した。


とにかく私達は必死にどこまでも走り続け、気がつけば、自分達の通う小学校の門前まで来ていた。
全速力で駆けてきた三人は『ハァハァ…』と息使い荒く、倒れ込むようにして地べたに座った。

『びっくりしたねー!!…マーちゃん大丈夫…!?』

唯一 “冒険” をまだしていなかった友人が、未だ青ざめている私の顔を見て、心配そうに声を掛けてくれた。

『大丈夫じゃないよぉ〜…もう死ぬかと思った。。』

子供というのは、自身に起きたピンチの大きさを、大抵『死ぬ』と言う一言で表現する。

すると次に、“言い出しっぺ”の友人が、信じられない一言を言い放った。

『でもさ!すごく面白かったよねー✨!!』

私は “言い出しっぺ”に 驚きの目を向けた。

これの一体どこが面白いというのだ?!
私は1ミリも面白くない。
ただただ恐怖を味わっただけだ。

でも彼女は楽しそうに笑っている。

その瞬間、私はやっと悟った。
彼女はこうなることを、ある程度想定していたのだ。
そして悪い事だと重々承知の上で、この“遊び”を私達に提案したのだ。

かと言って、私がこうなったのは彼女のせいではない。
遊びを提案したのは彼女だが、面白そうだと思い遊びに乗ったのは自分だ。

たとえ盗む〈気〉はなくとも、取る〈行為〉をした時点で 、それは〈盗んだ事〉と同じであり、非常に罪深きこと。。

そんな当たり前の事にも気づかず、軽率に実行してしまった浅はかな自分がいけないのだ。

しかし、この遊びを言い出した張本人にも関わらず、人の最大のピンチを笑って『面白い』などと言って楽しんでいる彼女に、私はとてつもなく腹が立った。

〈もうこの子にはついて行けない。。〉


そしてもう一人、、私はあの駄菓子屋のおばさんにも怒りが湧いていた。
『おい!それはお門違いだよ!』
…と言われようともだ。。

確かにあの現場を見たら、誰だってシャボン玉を盗むつもりだと思われても仕方が無い。
しかし、だからと言って、少しくらいこちらの話を聞いてくれても良いではないか?
叱るのは、こちらの答えを待ってからでも遅くはないはずだ。

この駄菓子屋のおばさんに限らず、大人の疑問文は『?』ではなく『!』の場合が多い。

『なんで〜なの?』ではなく、
『なんで〜なの!!』なのだ。

言葉こそ疑問文だが、これは疑問でも質問でもなく、決めつけだ。

これでは子供は 何も話せなくなる。

盗むつもりなどなかったのに、何故 犯人呼ばわりされなければならなかったのか、、
当時の“マーちゃん”は それが悔しくてたまらなかった。。

もし、こちらの理由をちゃんと聞いてくれて

『そうだったのね。でもそんな遊びは絶対にしちゃだめなのよ!今度からはしないでね。』

…などと言われれば、
私もすぐに反省し、おばさんの手を振り払うこともなく、心から『ごめんなさい』と詫びることもできたはずなのに。。

持って行き場のない怒りと悲しみと罪悪感の狭間で、心が潰されそうになりながら

『私、帰るね…』

と、二人の友人を門前に残し、悔し涙を必死に堪えながら家まで帰ったあの道を、私は今でも鮮明に覚えている。

そして歩きながら、

“言い出しっぺの少女とは もう遊ばない”

…と心に誓い、

“あの公園と駄菓子屋には二度と行かない”

…と心に誓い、

“こんな事は二度としません”

…と、神様に誓い、

“今日の出来事は親にも話すまい”

…と自身に誓った。

最後の誓いについては 単純に、叱られるのが怖かったというのもあるが、

自分達の子供が犯人扱いされたと知ったら、とても悲しむだろうな…という思いと

話したところで、どうせあのおばさんのように、何を言っても信じてもらえないだろう…

という、大人に対しての“強烈な不信感”が芽生えた為、私は黙秘の道を選んだ。

今思えば、あの時 母にきちんと事情を話し、一緒に駄菓子屋のおばさんの所へ謝りに行くべきだったのかも知れない。
そうすれば叱られるのは一時で、すぐに気持ちも楽になり、一人で罪悪感を抱え込まず、苦しむことなく過ごせたのかも知れない。

けれど、あの時の私のメンタルでは、どうしてもまたあの駄菓子屋へ、あのおばさんの元へ、到底行く気にはなれなかったのだ。。

あの日からしばらくは、おばさんの形相と怒りに満ちた野太い声が、頭から離れなかった。

悪気なくやった行為とは言え、おばさんを怒らせ、その場から逃げ出す様に帰ってきてしまった罪の意識を背負い、ずっと一人で苦しんでいた“2年生のマーちゃん”…
私は出来る事ならタイムマシンで過去へ行き、ギュゥ…と抱きしめてやりたい。。

自身のこのような体験から、私は保育士として働き出した頃、例え子供達がどんなイタズラや悪さをしようとも、決して先入観を持たず、先ずは彼らの話をよく聞いてあげよう…と、未熟ながらも、それだけはずっと守ってきたつもりだ。
お陰で当時は どの子も心を開いて、私と話をしてくれた様に感じる✨

そう考えると、やはりこの世に無駄な経験は一つもない。
やっかいで手強かった己の感受性も、今となっては宝だ✨

あの日も、もし 三人の “冒険遊び”が成功してしまっていたら、私達はきっと、罪深い遊びだとは気づかず、別の場所でも同じ事を繰り返し、もしかしたら遊びもどんどんエスカレートして、本当に取り返しのつかない“何か ”を しでかしてしまっていたかも知れない。。

だからあの時、私はおばさんに見つかって良かったのだ!

おばさんに見つかり救われたのだ!

そうだ!おばさんはきっと神様だ✨

まるで話を聞いてくれない神様だったが(←ココは根深い 。)その事は水に流し、感謝しよう!

だからあの日のマーちゃん、大丈夫だよ!
もう震えてないで、布団の中から出ておいで。


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