《食育への反乱!》

文字数 4,029文字

前回の回顧録では、90%は〈冒険心〉、10%は〈罪の意識〉…を持った【悪事】のカミングアウトをした。
しかし今回は〈100%罪である〉という自覚を持ち、確信犯的に私が行った悪事について懺悔したいと思う。


私の母は 昔から、《食の好き嫌いは許さない》…と言った 少しばかり強引な食育思考があった。
だがそれも裏を返せば、栄養が偏らないようにと家族の健康を考え、身体を気遣ってくれていた証だ。
それは今でもずっと変わらず、私達が実家へ里帰りすれば、手間暇惜しまずバランスの良い食事を毎度用意してくれる。

 大人になってから、それはとても有り難い事なのだと心底 感謝の思いが湧き、今までの人生を健康丈夫で来られたのも、ひとえに母の愛情深い料理が土台となり、成長期の身体を支え続けてくれたからこそなのだと、しみじみ思う。

しかし、子供と言うのはまだまだ考えがそこまで及ばない。
時に親の愛情とは裏腹に、真逆の想いを抱いてしまう事がしばしばある。

例えば、
『私の事が好きなら、嫌がる物をこんなに食べさせようとするはずが無い!お母さんは私のことが嫌いなんだ!』
…と言った具合だ。

子の身体を思い、将来を案じ、何でも食べられる子に…と 厳しく育ててくれた母に、私はそんな罰当たりな事を思っていた時期があった。

あれは7、8歳くらいだったと思う。(いつも歳は曖昧…)
私の家では、自分の持ち分の食事は、どんなに嫌いな物が入っていても一つ残らず食べなくてはいけない…と言う暗黙のルールがあった。

その為、私は苦手だった しいたけや、子供には少しアクの強い春菊などの香味野菜も、鼻をつまみ我慢し、時には牛のように反芻しながら何とか食べていた。

そんな中、いつしか我が家の朝の食卓に突如【豆乳】が突如出現するようになった。

母が『健康に良い』と言って始めたのだと思うが、棚に保管してあったインスタントコーヒーの大きな空き瓶を、毎朝子供達の誰かしらに手渡し、私達は日替わりで 豆腐屋さんに朝早くから豆乳をもらいに行っていた。

40年前の豆乳は、現在のような大豆の青臭さをある程度消して、ジュース感覚で飲めるような調整豆乳ではなく、近所の豆腐屋から朝一で分けていただく 搾りたての正真正銘、大豆100%の無調整豆乳だ。しかも温かい…
これが、良く言えば

【大豆の風味が大変濃厚…】

だが、子供達にとってはとんでもなく大豆臭く、お世辞にも美味しいとは言えない代物だった。

ただでさえ濃い大豆の匂いに嗅覚がダウン寸前であるのに、温かさが更に青臭さを引き立てる。
私は豆乳が喉元を流れていく度に嘔吐寸前(いや、吐いたことも何度かある…)になり、登校前の清々しい朝であるはずの一時に、飲み込めない豆乳を目一杯口に含み、悶え苦しんでいた。

平和主義な姉や妹と違い、反骨精神旺盛な私は、

『飲みたくない!!』

と、何度か母に直談判したのだが、気の強さでは負けてない母も毎回、

『体に良いのだから飲みなさい!』

…の一点張り。

健康に全く興味のない子供が、健康知識豊富な母親の《豆乳信仰》を打ち崩すことなど、不可能であった。

姉や妹も私と同じように、搾りたて豆乳にはかなり苦戦していたように思うが、何せ私は自身の豆乳に向き合う事で精一杯だった為、姉妹の様子までは今一覚えていない。

それだけ私にとって【豆乳ライフ】は過酷なものだったのだ。

そんなある日、また私の【豆乳当番】がやってきた。
いつものように母から大きなコーヒーの空き瓶を手渡され、足取り重く豆腐屋へ向かう。。

豆腐屋に到着すると、おじさんに渋々 空瓶を渡し、大豆の湯気と香りが立ち込める店内から、少し離れた場所で待っていた。
もちろん匂いを嗅ぎたくなかったからだ。

豆腐屋のおじさんに全く罪はないが、私は彼が湯気の立った豆乳を瓶に入れている姿を見る度に、

『おじさんがそんな物を作るからいけないんだ!豆腐だけ作ればいいのに!!』

…とまぁ、働いている方に失礼極まりないことを心で毒づきながら、おじさんが少しでも豆乳を多く入れないよう、じっと睨みを利かせて立っていた。

しかしそんな“眼飛ばし少女” にはお構いなしに、おじさんは今日もたっぷりと温かい豆乳を注ぎ入れ、目つきの悪い少女を手招きすると、白濁一色になったコーヒーの瓶を

『はいよ!』

と手渡した。

少女はその重みにゾッとしながらも、一応礼儀として礼を述べ、再び足取り重く自宅へと引き返す。

帰る道々、瓶を抱えながら〈帰りたくない!〉…と言う強い感情が、トルネードの如く押し寄せてきた。
家に帰ればこの中身をまたもや飲まなければならない。。
少女は少しでも時間稼ぎをしようと、歩幅を短く短く、ゆっくりゆっくり歩いた。

しかし時は残酷なもので、やがて自分の住む団地が嫌でも見えてくる。

少女はまだ豆乳を飲んでもいないのに吐き気を模様し、

(駄目だ、、どうしたらコレを飲まずに済むのか…)

と、まだ活動してから数年目の未熟な思考をフル回転した。

すると突然少女に、とても良い考えが浮かんだ!

【ここで瓶を落とし 割ってしまえ!】

…と言う悪魔の囁きだ。
いや、、神の助言かも知れぬ✨

母には『転んで落とした』と言えば良い。

転んだのなら仕方が無いと、きっと母も許してくれるはずだ!

100%悪いと解っている為 かなり罪悪感はあるが、嘘がバレなければ きっと誰も傷つけない。

家で豆乳の到着を怯えながら待つ(←大袈裟)姉や妹にも、きっと救いとなることだろう✨…

頭の中で【嘘】を正当化しながら、私はこの神か悪魔か判らぬ『囁き』を、実行することにした。

『バリーーン!!』

日頃の鬱憤を晴らすかのように、豆乳の瓶を思い切りコンクリートの地面に叩きつけ、地上を流れゆく白濁の液体の行方を しばらくじっと見送った。

〈やったー……やったぞ!!これでもう今朝飲む豆乳はどこにもない!✨〉

罪悪感はあったものの、安堵感と歓びの方が遥かに勝り、少女は湧き起こるそれらの感情をじわじわと噛み締めていた。

そして幾つか瓶の破片を手に取ると、そのまま急いで家に向かった。

もう私を悩ませるアイツ(豆乳)はいない。

足取りも軽い✨!!

家の玄関の前まで来ると、喜びの表情は一旦奥へと仕舞い込み、ひと呼吸おいてからゆっくりドアを開けた。

さぁ!ここからは私の演技の見せどころだ。

少女は玄関先から、キッチンに向かって朝食準備をしている母を、大きな声で呼んだ。

『あら、お帰り!』

母は濡れた手をタオルで拭きながら私の方へ近づいて来ると、娘が瓶を持っていない事に気がついた。

『あれ?豆乳は??』

〈待ってました!〉

緊張で高鳴る心臓の音をかき消すかの様に、私は矢継ぎ早に喋りだす。

『あのね!走って帰ってきたら、つまずいて瓶を落とちゃって割っちゃったの!…ごめんなさい。。』

私はいかにも残念そうに瓶の欠片を差し出して、しおらしく母に謝った。

すると母は

『そうだったの〜。。でも大丈夫よ!』

と言って、叱る様子も がっかりした様子もなく、台所の雑貨等が保管されている大きな棚の扉を開けると、中から何かを取り出した。『はい、コレ!』

私は一瞬、目を疑った。

先程地面に叩きつけたはずのあの瓶が、今、母の手の中にある。。
形も大きさも銘柄も同じだ…。

そして〈まさか…〉とは思ったが、、
その〈まさか〉は的中した。

母は私にその瓶を差し出すと、

『もう一回お豆腐屋さんに行ってきて〜! また新しい豆乳くれるから!』

…とケロリと言った。

私はこの展開があまりにも衝撃的過ぎたのか、この後の事は何ひとつ覚えていない。。

だが、もう一度空の瓶を抱え、再び豆腐屋のおじさんの元へ向かった事だけは確かだろう…

あれはやはり神の助言ではなく、悪魔の囁きだったのだ。

もし神であれば、私は豆乳を飲まずに済む パラレルワールドへと導かれたはずだ…。

嘘は真実としてあっさり受け入れられたのに、しっかりと負けた。
私の嘘より、母の方が無意識化で ひとつ上手だった。
豆乳一本勝負は私の惨敗だ。
コーヒーの空き瓶がこの家にある限り、豆乳も我が家にあり続けるだろう。。

しかしながら、食の好き嫌いに関して、子供心に私は合点がいかないことがあった。

私は今でこそマグロやウニなど美味しく食べられるようになったが、幼い頃は生物が大の苦手で、年に数回家族で出掛けたお寿司屋さん(当時は回転寿司は無くカウンター式)でも、食べられるネタはほとんど無かった。

毎回、玉子と蒸し海老の握りを数貫注文するだけなので、ちっともお腹は満たされずに帰ることとなるのだが、この『寿司ネタ』の好き嫌いに関しては、何故か母から 一切お咎め無しだったのだ。

叱られないので 私としては有り難かったが、同時にとても不思議でならなかった。

しかし、大人になり合点がいった。
子供に高いネタをバクバクと食べられては、懐が痛んでかなわない。
姉や妹は案外生物が平気だったので、唯一 親の懐を痛ませない私は、きっと有り難い子だったのだろう。

寿司屋の帰り道、

『あんたは安い子だね〜!』

…とニコニコして父母が言うので、当時の私はまるで褒められたかのような錯覚を起こし、とても鼻が高かった。

冷静に考えると別に褒め言葉でも何でもないのだが、、本当におめでたい子だ。

兎にも角にも、食育に関しては色々な思いがあったが、現在自分が母となり、息子達に野菜を盛り沢山 出しているところを見ると、私も紛れもなく母の想いを受け継いでいるのだろう。

そして、当時の母の厳しいかった食育も、やはり子供に対する深い愛情だったのだな〜…と、今になって心に染みる。

しかし私は、母の料理の腕は見事に受け継がなかった為、夫や息子達は、硬いブロッコリーや毎回味の違う塩おむすびを、時折文句を言いながら食べている…

『感謝どころか文句かよ!』

…と言いたくなるが、これもきっと因果応報、自業自得なのだ。

もうとっくに時効だと思うが、母と豆腐屋のおじさんには、今更ながら深く深く陳謝したい。。

《食育への反乱!・完》
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