《 嘘とメガネと私。》

文字数 8,158文字

小学校時代、私には憧れた人物が二人いる。

一人は、
当時 アクション映画の大スター☆ジャッキー・チェン。

もう一人は
当時 小学3年生の 同級生女子☆菅原さん。

ジャッキー・チェンは、ブラウン管の向こうにいる夢の世界の人。

菅原さんは、同じクラスで近所にいる現実世界の人。

両者、性別も年齢もタイプも住む世界も 全く違うが、私が《尊敬していた》…と言う点では全く一緒だった。


ジャッキーの話は いつかまた触れるとして、今日は菅原さんについて綴ってみようと思う。



菅原さんは勉強が物凄く出来る上に、とても気さくで優しい少女だった✨


勉強はまるでチンプンカンプンで、テストで いつもトンチンカンな解答をする私にも、彼女は日々、笑顔で接してくれた。


菅原さんの家は、私の住む団地から道路を挟んですぐ目と鼻の先にある一軒家。

お互い近所だった為、3年生で同じクラスになってからは、学校が終わると二人で毎日一緒に帰った。


私は帰宅するや否やランドセルを置き、すぐさま宿題を持って菅原さん家に遊びに行くのが、今風に言えば “ルーティン” となっていた。


自宅で一人 宿題をやると 数時間かかるのに、菅原さん家だと どう言う訳か、ものの数十分で終わる。

もちろんこれは『家』の違いではなく、私と菅原さんの『出来』の違いだ。


菅原さんは、毎回私に解りやすく問題を解説してくれる。

でも何故か解答を間違える残念な私なので、そんな時は菅原さんの✨魔法の力✨で 全て『解決』してくれた。

答えを教えてくれるのだ。


まるでドラえもんに出てくる“しずかちゃんとのび太くん”のような関係だが、しずかちゃんはのび太くんと宿題をしていると、時折

『のび太さん!宿題は自分の力でやらなきゃダメなのよ!』

…などとお説教したりするが、菅原さんはそんな厳しい事は言わない。

とても寛大で優しい少女なのだ。

これが先に述べた

《自宅だと数時間、菅原家だと数十分》

のカラクリだ。

だから私は毎度足繁く菅原家へ通った。
でも決してそれだけが目的で通っていた訳ではない。

それまでの私は、下校後は同じ団地に住む子供達と野外でゴム段(ゴムを足や体に引っ掛けたり捻ったりして跳ぶ遊び)をしたり、缶蹴りやドロケイ(泥棒と警察)といった、むやみやたらに追いかけ 追いかけられる“忙しい遊び”しかしてこなかった。


なので私の周りにはあまり居ない〈落ち着いていて穏やかな雰囲気〉の菅原さんの人柄に惹かれたのと、
宿題の後におやつを食べながらする 知的な彼女のお喋りが、何だかとても新鮮で楽しかったのだ。

菅原さんはショートカットで色白、赤い縁のメガネを掛けていた。

目尻の下がった優しい瞳が、メガネを通すと とても大人びて見え、性格の良さと聡明さも相まって、当時 私の中で最も✨完璧✨な三年生女子であった。


私は菅原さんになりたかった。


でもそれは“羨ましい” という感情とは違う。

“羨ましい” には嫉妬や妬みなどの【負の感情】も少なからず含まれている様に感じるが、
彼女と同じ土俵に立ててもいない私には、そんな感情は微塵もなく、それらを超越した《菅原さんへのリスペクト✨》があった。


そして彼女の存在により、私の意識も少しずつ変わっていった。

それまでは、どんなに勉強が出来なくても、“頭が良くなりたい” とは特に思ったことも、感じたことも無かったが、

菅原さんと出会ってからは、“どうしたら彼女の様になれるのか ”…と日々考えを巡らせる様になったのだ。


そしてとうとう、一つの結論に辿り着いた。


『なりたくば 何はともあれ 模倣から!』


ちびまる子ちゃんの様な一句を詠んでみたが、きっと 当時、こんな心境だったに違いない私は、とにかく菅原さんとの共通点を一つでも多くしようと行動に移した。

1、髪型は同じショートカットだからよし!

2、色白な点も似ている!

3、服装は、出来るだけスカートを履くようにする!(あまり数はないが…)

4、ゆっくりとした話し方や仕草を真似る!

5、声のトーンを少し下げ 言葉使いも丁寧に!

6、文字と筆箱の中身はキレイにする!

7、自分一人の部屋を持つ!

8、メガネを掛ける!


あまり詳しくは覚えていないが、確かこれくらいの項目はあったように思う。(当時ノートにも書き出していた)

6番までは何とか出来そうだったが、7番、8番は少し手強い。
子供の力だけでは容易にクリアする事は難しいだろう。

が、しかし、

真似をすれば本当に
《知的で素敵な菅原さん✨》
に自分もなれると信じて疑わなかった私は、ちょっとやそっとでは挫けなかった。


父母+三姉妹の 計五人家族の団地暮らしでは、自分一人の部屋を持つ✨…なんて事は、夢のまた夢に思えるが、
私は〈押し入れ〉を自分の部屋にする事で それを可能にした。


もちろん押し入れと言うのは本来、布団や物を入れる場所だ。
我が家の押入れも例に漏れず、ぎっしり布団が詰まっていた為、私が《部屋》に入る際にはイチイチ何枚か出さねばならない。


母に『何してるの〜!仕舞いなさい!』…と叱られる事もしばしばあったが、そんな事でめげる私ではないので、押し入れに 父から借りた簡易スタンドを持ち込み、明かりを灯し、無理やりそこで本を読んでみたり、お菓子を食べたりしていた。


しかし窮屈で薄暗く、布団をイチイチ出し入れするのも面倒だった為、その《小部屋》では、ほんの数日、数十分しか過ごさなかった。
いや、、過ごせなかった。

でもそんな事はどうでもいい。

菅原さんのように《自分の部屋を持った(確保した)》…と言う事実だけが、私にはとても重要だった。


そして残るはただ一つ、8番目のメガネだ。


しかし、私は昔から目だけはやたらいい。

もし心配性の母に、

『なんか最近よく見えない』

…などと言えば、母は驚き、私をすぐさま眼科に連れて行くだろう。

私はただ メガネが欲しいだけなので、病院に行くと言うリスクは避けたかった。


毎日あれこれ考えたが、メガネを手に入れる良い方法だけが結局見つからぬまま、私は悶々とした日々を送っていた。


そのうち、

〈これだけ真似をしてるのに、菅原さんみたいに頭が良くならないのは、やっぱりメガネが無いせいだ!早くメガネを掛けなくちゃ!!〉

…と言う根拠のない呪縛に取り憑かれ、焦りだけがどんどん膨らみ、罰当たりにも、視力の良すぎる自身の目を呪った。


その頃の私は、メガネは〈視力の悪い子が掛ける〉と言うよりも、〈頭の良い子が掛ける〉と言った思い込みがあった為、『メガネにはきっと、とてつもないパワーが秘められているんだ✨』…と、心の底から信じていた。


そんなある日、ついに学校で視力検査を行う日が訪れた。


私の心は物凄くタップした♫


病院に行かずとも、皆と一緒に検査を受けることができる!

ついにメガネへの扉が開かれたのだ✨


クラス毎に検査をする部屋へ向かい、自分の順番が来るのをドキドキしながら廊下で待った。

私は待っている間、
〈検査が始まったら適当な所で『見えません』…と言おう〉…などと、あれこれシュミレーションしていた。

嘘をつくのは心苦しいが、どうしてもメガネを手に入れなければならない。

お父さんもお母さんも頭のイイ私の方が、絶対良いに決まってる。

嘘をつく時は何故だか一旦、親の顔が脳裏に浮かぶ…

そしていよいよ私の番になり、促されるがままに片方ずつ目を押さえ、

最初は先生の指すマークが、上下左右どちらへ向いているかを幾つか答えていき、途中、左右共に同じ大きさのマークの所で

『見えません』

と答えた。 

もちろん見えている。

先生は私が『見えない』と言った大きさのマークを、また何度か棒で指し、もう一度分かるかと聞いてきたが、私は負けじと

『分かりません。見えません。』

と言った。

『0.7ね! はい、いいですよ〜』

先生がそう言うと、もう一人の助手の先生が用紙に手早く何か(おそらく視力)を書き、私の“偽り検査”は無事に終わった。

後日、担任の先生から視力検査の結果が封筒で皆に配られ、帰ったら親に見せるように言われたので急いで帰宅し、早速ドキドキしながら母に手紙を渡した。

封を開けて検査結果を見た母は、

『え〜!0.7 !? ずっと2.0だったのに…』

と驚きの声をあげ、そのまま手紙を読み続け

『また病院で検査だって!』

と言った。

最初は心で万歳をした私だったが、後半の一言で一気にその手を下ろした。

『え?!…また検査するの…??…』

この手紙で直ぐにでもメガネが手に入ると思っていた私は、天国から一瞬で地獄へと突き落とされた。

また検査、、しかも病院で、、、

私は落胆した。

結局 病院に行くハメになるのなら、とっとと最初から行けば良かったのだ。

そうすれば、もう今頃はメガネを掛けて【第二の菅原さん✨】になっていたかも知れないのに…。

私は心底後悔したが、ここで落ち込んでいても仕方がない。

ここまで来たら、最後の大きな“仕事”もきちんと成し遂げ、今度こそ魔法のメガネを手に入れよう!!

こうして我が身を鼓舞し、私は再び病院でも、同じ“嘘·をつく決心をする。

それにしても、メガネへの道程はとてつもなく遠い、、


次の日、母と二人で眼科に行き、そこでの検査でも安定の嘘をつき、やはり《0.7の遠視》と診断され、医者から眼鏡をつくるよう言われた。

やっと念願のメガネだ✨!!

こうして病院の帰りにそのまま二人でメガネ屋さんに向かい、店に入ると店員さんに今までの経緯を話し、視力を伝え、いくつかオススメの眼鏡を出してもらった。

私はその中に、菅原さんと同じ赤い縁のメガネを見つけると、『これがいい!』と二人に迷わず伝え、試着させてもらう事にした。

さっそく赤縁メガネを掛け、ウキウキしてお店の鏡を覗くと、そこには、またしてもドラえもんに出てくる、語尾に『〜ざます!』

…と付けて喋る“スネ夫の母”のような おば様顔の少女が映っていた。
しかも視界が随分ぼやけている。。

当たり前だ。2.0の視力に、0.7のレンズをあてているのだから。。

(なんだか菅原さんと違う…)

イメージしていた自分の“メガネ顔”とはだいぶ違い、私はかなりがっかりしたが、菅原さんに少しでも近づくには、やはり同じ色のメガネに越したことはない。

そう信じ込んでいた私は

「これでいい…」

と、母と店員さんに伝え、その 【ざ〜ますメガネ】を購入する事となった。

そしてレジで母が会計をしている間、暇つぶしに店内をウロウロしていた私の耳に

『2万…』

と言う店員さんの声がひょいと飛び込んできた。

私はビックリして固まった。

あんな小さなメガネが、2、、2万!?、、

小学生から見た2万円は、大人の20万に等しい。


ウチはお金持ちではない。
3人の子供がいる団地住まいの5人家族が、お金持ちのはずがない。
それは子供の私でもわかる。
なのに、メガネ欲しさに嘘をつき、母にこんな大金を払わせてしまった…。

メガネが高価な物だと知らなかったとは言え、私は母にとても申し訳なく、その場で泣きそうになった。

でももう手遅れだ。。

病院まで行っておいて、今更『ウソでした』とはさすがに言えない。。親は泣くか往復ビンタのどちらかだ…

こうなったら私の行く道はただ一つ、、
この『ざ〜ますメガネ』を掛け、テストで良い点をとり、将来偉いお金持ちになって、父母に恩返しをすることだけだ。

帰宅後、早速 姉妹たちにも見せようとメガネを掛けてみた。
が、、やっぱり ぼやけてよく見えない。。
しかも “ざ〜ます顔” の私を見て、姉妹達もどことなく笑っている…

でもせっかく母が大金を出して買ってくれたメガネだ。なるべく掛けたいし、掛けねばならない。


最初の頃は、菅原さんと似たメガネを掛けて彼女の横に並んでいた事が嬉しく、誇らしくもあったが、
なにせ度が合っていない為、掛けるとクラクラして気分が悪くなり すぐに外す。


家でも気を抜くと掛けるのを忘れるので、その度に『掛けなさい!』と母に注意されたが、
そもそもメガネと言うのは、見えないと不自由だからこそ、探してでも掛けたくなるものだ。

本来は何でもよく見えてしまう私は、裸眼で不自由さを感じない為、メガネの事など日頃から頭にない。

そ!でも 一応先生の手前、授業中もメガネをしていたが、掛けると黒板が歪み、視界も頭もボ〜ッとするので、益々授業に身が入らない。

これでは菅原さんになるどころか、今までの自分の更に下を行く。。

危機感を感じた私は、早々にメガネを掛けるのをやめた。

しばらくは『掛けなさい!』とうるさく言っていた母も、あまりにも私が日々掛けないので、そのうち、メガネを掛けていた子供など最初から居なかったかのように、忘れて言わなくなった。

結局私は、またしても浅はかな考えで嘘を付き、親に高いメガネを買わせ、頭も全く良くならず、親孝行どころか不幸だけを残してしまった。。

でもそんな中でも、一つだけ親孝行があった!

全国作文コンクールで、菅原さんと共に3位入賞を果たしたのだ。

これは菅原さんには一切頼らず、正真正銘、自分一人の力で成し遂げた功績だ✨

算数・理科・社会は絶望的だった私だが、なぜか国語だけは得意だったのだ。

授賞式がホテルニューオータニで開催される事となり、ウチの学校からは教頭先生と、入賞した菅原さんと私の3人が行くことになった。
授賞式の後に、何やら豪華な立食パーティーもあるという。


しかし授賞者の親は、父母のうちどちらか一人しか参加出来ないと言う規定があった為、我が家は父と母の話し合いで、父が授賞式に行く事となった。

菅原さん家はお母さんが行くと言うし、学校関係はいつも母に任せきりの父が、どうして今回だけ行く事になったのか私は不思議だった。が、、

『お父さんはホテルの会食がしたいだけなのよ!まったく!、、お母さんだって行きたかったのに!』

…と母が少し憤慨して私に話していたので、 腑に落ちた。



そして授賞式当日、全国から集まった大勢の小学生や、スーツやフォーマルを着こなした大人達が、ニューオータニの大きなホールへ一堂に会し、粛々と授賞式は進められ、次はいよいよ父お待ちかねの立食パーティーの時間となった✨

全員別のホールに移動すると、お洒落なオードブルやサンドウィッチ、肉料理、スパゲティやフルーツの盛り合わせ…などの皿が沢山載った円卓が、ホールのあちらこちらに置いてあった。

どの子供達もテンションが一気に上がり、ワ〜ッ…と一斉にテーブルに駆け寄った。

私と菅原さんも目をキラキラさせて、他の子供達に負けぬよう、次々と自分の好きなものを皿に取り分けた。
授賞式の緊張が解れ、お腹が空いていたのだ。

父も嬉しそうに皿を持ってテーブルを各所回り、

『おーい!こっちにキャビアがあるぞ〜!』

と、大きな声で私を手招きすると、人の皿にも勝手にキャビアを載せたりした。

父は、

『お父さんキャビアなんて食べるの初めてだよ!お前のお陰で良い思いができちゃったな〜✨』

…と満面の笑みを浮かべ、キャビアの載ったクラッカーを頬張る父の姿が、今でも鮮明に思い出される。

パーティーの最中、教頭先生との立ち話で、子を褒められ まんざらでも無さそうな父の表情を見て、
これまで勉強の事で褒められた事などなかった私は、初めて自分が誇らしく思えた。


帰宅後、父は授賞式やキャビアの話を自慢気に話し、また母の気を逆なでしていたが、そんな父の話を聞く母も、何だか少し嬉しそうだった。


でも今あの頃の事を振り返ると、やはり私が作文コンクールで入賞出来たのは、菅原さんのお陰だったと思う。

日頃 彼女と一緒にいた事で、何かに取り組む姿勢や意識が、私の中で少しだけ上がったのだ。

そう考えると、全く見当違いではあったが、メガネを掛けたい!と思ったのも〈頭が良くなりたい✨〉という向上心の現れであり、嘘は褒められたことではないが、その子供の『純粋な心』は褒められてもよかろう…と思う。


40歳を過ぎてからあの頃の事を思い出し、母にメガネの嘘をカミングアウトしたら、

『え〜!!あのメガネ確か高かったのよ〜〜!!まったくアンタは。。』

…と呆れた表情はしていたものの、あの頃から随分時間が経ちすぎていたせいか、まったく怒る様子もなく、むしろ笑っていた。


私はこの他にも、母から すもものお菓子は添加物が多いから食べてはいけないよ!…と忠告を受けても、大好きなので毎日のように駄菓子屋で購入して食べ、舌を赤くしてはバレて叱られたり、

飛び降りてはいけないと再三言われていたが、面白いので何度も団地の二階から一階の焼却炉へ飛び移って捻挫したり、、と

とにかく自分のやりたい事は、怒られるリスクを背負ってでも やらねば気が済まない子供だった。

しかしある意味、親への忖度がなく、本能のままに生きていた正直で子供らしい “子供の中の子供✨” と言っても過言ではないだろう(←物は言いよう)


私が今になって色々な悪事を暴露しているのは、もちろん懺悔の意味も含まれているが、それよりも大きな理由が一つある。


大人は子供が嘘をついたり、全く言う事をきかないと、その場で叱るだけでなく、往々にして

『自分の育て方が悪かったのか…』

と自身を責めたり、

『この子は将来、どうなってしまうのか…何かとんでも無い事をやらかすのではないか…』

などと、子の行く末を案じたり、まだ発展途上の柔軟な性格を、勝手に決めつけたりする。

しかしそうではない。

育て方だけで子供の性格や性分、行動まで操れると思っていること自体、親のエゴと傲慢さであるし、
心配し過ぎることは、子供を信頼していない事にも繋がり、そのような親の不安な言動や態度は 子にもしっかりと伝わる。
その波動が、心配な未来を現実に引き寄せてしまうのだ。


子供は自分の欲しいものがあっても大人のように働いて稼ぐ術はない。
嫌な事、やりたくないことであっても、大人に従わねばならない事も多い。

よって、自分の願望を叶える為には、小さな身体と心を張って、嘘をついてしまう事も多々あるのだ。

それが子供だ。

大人になれば、悪事を反省し、それを肥やしに心も成長して、親に優しく出来たり、子供の気持ちが解ったり、今度は世の中に何か貢献したい✨…という思いが芽生えたりもする。


子供の頃の私は、ちょくちょく嘘をついて己の我を通し、
駄目だと言われた事でも興味が勝るとやってしまい、
自己防衛のための言い訳も沢山し、
喜怒哀楽の感情を爆発させることも度々あり、
数え切れないくらい親から叱られた。

親からすれば、大変扱いにくい子供であったことだろう。

でも父や母からは、一度たりとも偏見の目で見られたことはない。
もしあったとしても、私の記憶にないのだから、無いに等しい。

勉強面では叱られた事すらなかった。

たとえ算数で100点中〈8点〉と言う致命的な点数を取ってもだ。


母は後に、

『自分も出来なかったんだから、叱れないわよ〜』

と笑って話していたが、出来なかったからこそ、子供には自分の二の舞にはなって欲しくないと、自身の思いを子に投影し、しゃかりきになって教育圧を押し付ける親も多いはずだ。

けれど、その子の持つ能力(脳力)を尊重し、出来ないものは仕方が無い!と潔く諦め、何事も子に求めすぎなかった所が、母の偉大さであり、私が最も感謝すべきところである。

これは子供にとって、ものすごく有り難いことだ✨

子供は親の期待を背負っては、100%ありのままの自分では居られない。
いかなる時も、何処か自分の中に潜んでいる親の期待を探し、それに添うような行動を取ろうとする。
たとえ、それが自分の意に反していようとも、、だ。

そのうちに、一体自分は何がしたいのか、何が自身の本当の喜びなのかが解らなくなり、【他】を生きている為、何をしても楽しくなく、感情が凍結してくる。


話が少し膨らみすぎたが、、要するに、

子供の時こそ、100%の自分で生きる事が何より大切なのだ✨

…と言う事が言いたかった。



なかなかの長文になってしまったが、伝えたい事はかなりアウトプット出来たので、心はスッキリしている。

ただ、記憶を辿る作業はかなり体力を消耗する為、次回の回顧録はいつになるか分からないが、自らの記憶を整理するためにも、また気が向いたら つらつらと綴って行こうと思う。

《 嘘とメガネと私。・完 》
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