ある1行

文字数 4,039文字


ここは地上の人間たちが天国と呼ぶ世界。

その天国に、『プログラミングセンター』という巨大施設がありました。

今日も地上に生まれ出る予定の魂が、プログラミングセンターを次々におとずれます。

来世でどのような人間として生きるかを、『初期プログラム』で自分好みに設定してもらうためです。

そしてプログラミングセンターには、スタッフとして働く魂もたくさんいるのでした。



   ※   ※   ※



「前世ではモテすぎて大変だったんですよ。今度はひとり静かに生きてみたいですね」

プログラミングセンターの1室。

オレンジ色をした球体の魂が、ふわふわと浮きながら男性スタッフに言いました。

「では、『孤独を愛する』とプログラミングしますね」

キーを叩く、カタカタという音が部屋に響きます。


「あ、キーボードだ。どうしてわざわざ古い時代のものを?

天国なら、どんな機材も思いのままに手に入れられるのに」

「これがいちばん使いやすいんですよ。地上にいたころ、これで仕事してたので」


男性スタッフの名前はマナブ。

彼は生前、プログラマーとしてIT企業に勤めていた魂です。

96歳で亡くなり天国に来ましたが、仕事がやりやすいよう、20代の頃の姿になっています。

マナブは生まれ変わる気もないので、地上の時間でおよそ1000年ばかり、スタッフとしてここで働いています。


「スタッフさん、ちょっとおたずねしますが。その初期プログラム、生まれたあとでも変えられるんですよね?」

オレンジ色の魂の質問に、マナブはうなずきます。

「はい。あくまでも『初期』ですから。しかし……変えるのは簡単ではないと思いますよ」

「と、おっしゃると?」


「生きているうちに、初期プログラムを支えるサブプログラムが無数に発生しますからね。

サブプログラムにまぎれて、初期プログラムを見つけることさえむずかしくなるんです。

でもまあ、少なくとも変更はできるわけですし。気楽に考えてください」


「うーん……なんだか少し心配になってきました」

「では、やはり最初からモテ設定にしておきますか?」

「いやいや、それはナシで。途中で飽きないかな、と思っただけです。あとから変えられるんなら、別にかまいません」

「わかりました。では、このままで」

マナブはさらに500ほどのリクエストを入力し、プログラムを完成させました。



   ※   ※   ※




「お世話になりました。じゃあ、これから地上に生まれてきます」

「はい、よい人生を」

ごきげんなようすで部屋を出る魂を見送りながら、マナブは思います。

(それにしても、みんなどうしてまた生まれようとするんだろう。

どんな設定をしたところで、地球で生きるのって意味ないよな。

結局めんどくさかったり、つらいだけだったんじゃなかったっけ……)

マナブには何度も生まれ変わりたがる魂の気持ちが、まったく理解できないのでした。



   ※   ※   ※



次にプログラミングルームへやって来たのは、紫色の魂です。

「では、最初に転生データを確認いたしますね」

マナブはキーボードを叩きデータを出しました。

これまで紫色の魂が何回生まれ変わり、どんな人生を送ってきたかが、モニターにずらりと表示されます。

(えっ、こ……これは……)

マナブは思わず目を見はりました。

生まれ変わりの回数がケタちがいに多かったからです。


(おどろいた。30000回こえてるじゃないか。

しかも地球じゃあきたらず、他の星にも生まれ変わってるし……)

「すごい転生回数ですね……今回はどの星がご希望ですか?」

戸惑いつつもたずねると、紫色の魂はすぐに答えました。


「また地球がいいです。

これまでいろんなところに生まれてみました。

でも……やっぱり地球がいちばん面白いんですよ」

「面白い……? そうですか?

わたしはいちど地球に生まれただけですが、

それほどのところだとは思えませんでした」


「他の星に行ったことがなければ、そうかもしれませんね。

まだ地球で見てないものも多いでしょうし」

「見てないもの……ですか?」

「たとえば夜空にひるがえるオーロラだとか、

飲み込まれてしまいそうなほど巨大な滝つぼだとか……

そういったものは、ごらんになりましたか?」

「いえ。生きているあいだ、観光旅行はほとんどしませんでした。

でも写真や映像では見てましたし、だいたいわかります」

すると紫色の魂は、ちょっと気の毒そうに言いました。

「それは……見たとは言えませんね」


「え?」

「体験がともなってない」

「は、はあ……」

(いくら転生回数が多いからって。なんか、偉そうな魂だな)

マナブはちょっとムッとしました。


「まあ、確かに体験はともなってないかもしれませんが。なんとなくなら想像はつきますよ。

エベレストって、びっくりするくらい高いんだろうなあとか。

南極って相当寒いんだろうなあ……と……か」


急に自信がなくなり、声が小さくなりました。

口から出た言葉のあいまいさに、紫の魂の言う、『見たとは言えない』を、自ら証明してしまったと思ったのです。

マナブがだまっていると、紫色の魂はほがらかに笑います。

「別に特別な景色を見に行くことだけが体験ではないですよ。

地球で過ごした時間に出会った、忘れられない感覚。

あなたにもいろいろあるでしょう」

「忘れられない感覚……?」


そのとき、通知音が鳴り、部屋に音声が流れました。

『プログラム異常なし。PFー265、転生完了』

どうやら先ほどのオレンジ色の魂が地上に生まれたようです。

「おや、どなたか転生されたのですね」

「ええ、わざわざモテない設定にした方で。ほかにも500項目ほど設定させていただきました」


「500ですか。それはプログラミングも大変でしたね」

「いえいえ、みなさんそのくらいですよ。もっと多い方もいるくらいで。

では、そろそろ初期プログラムを入力しましょうか。どのような設定がご希望ですか?」

マナブはキーボードに手を置きました。

すると……


「わたしはそんなに望むものはありません。

プログラム、1行だけ書いていただけますか?」

「1行……」

そんなことを言う魂ははじめてでした。

「本当に……それだけでいいんですか?」

「はい。毎回そうしてるんです」


(ウソだろ……? たった1行だけじゃ、人生をひとつもコントロールできないんじゃあ……?)

冗談かなにかかと思いましたが、紫色の魂に迷いはないようです。

「わ……わかりました。で、その……1行は、いったいどんな……」

面食らったままのマナブに、紫色の魂は嬉しそうに言いました。


「『すべてを楽しむ』

それだけ設定してください」



   ※   ※   ※



仕事が終わり、マナブはプログラミングセンターを出ました。

(なにがそんなに望むことはない、だ。強欲そのもの。無敵の1行じゃないか)


紫色の魂の言葉を思い出し、つい笑ってしまいます。


(すべてを楽しむ……それが初期プログラムだったら、地球で起こるつらい出来事も、ぜんぶひっくりかえっちまうな)

マナブはひざをつき、天国の雲の隙間からのぞきこみ、地球を探しました。

(久しぶりに、ながめてみたいな)

そんなふうに思ったのは、天国に来てからはじめてです。

地球はすぐ見つかり、マナブは1000年ぶりにその青い星を目にしました。


(1000年前……生きていたあいだ、いろんなことを感じて、いろんなことを思ったっけ……)

忘れかけていた地上での思い出が、地球をながめるうち、鮮やかによみがえってきます。

会社からの帰り道、なにもかもうまくいかず、うちひしがれるほど自分が情けなく思えたこと。

雨の日の駅前で、先が見えない不安に、ふるえるような心細さを感じながら濡れそぼっていたこと。

暗闇の中、苦しさでめざめるのがこわくて、幾晩も眠れなかったこと──


(今思えば、ぜんぶ地球でしか味わえない体験だったんだ。

それに……つらい経験ばかりだったわけじゃない──)

ふと見上げた夕焼け空の茜色が鮮やかで、思わず見入ってしまったこと。

親友といっしょに食べたラーメンが、塩辛くて……だけど最高に美味しかったこと。

恋人の髪から、甘い花の香りがしたこと。


それから……

あれは生まれて1年もたたない頃。

母親のひざの上で、ひなたぼっこをしていたとき感じたあたたかさ──

いろとりどりの懐かしい感覚。

そのすべては、もう手の届かないものばかりです。


(天国の生活に不満はない。でも……)

見下ろす地球は、澄みきった青い輝きをはなっています。

(ここにはないものが、あそこにはあったんだ……)


同じように見えて、本当はすべてちがっていた一瞬一瞬を、マナブは懐かしく思いかえしました。

地球いるときは、そのかけがえのなさに気づかず、ただやり過ごしてしまったという、かすかな後悔とともに……。

そして、後悔は心の中でしだいに来世へのあこがれになり……

マナブは久しぶりに生まれ変わる決心をしました。


(ちょっと仕事を休んで地球に行ってみよう。

『すべてを楽しむ』の1行だけをプログラムして。

今度はさまざまな出会いを大切に慈しむために──)

1000年ぶりの転生。

それはマナブにとって、とびきり面白くなりそうな予感がするのでした。
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