第4話 16~19 「普通」とはささやかな違和感
文字数 2,077文字
16
教室の扉は、横の移動が不可能になっていた。
「仕方がないわ。そう仕方がないの」
一夜くるみは扉から「遮る」要素を無へと還した。
教室の中が見える。
「かみの...」
「違う!神崎さん...?」
ゆっくりと、それでいて優雅にページをめくっている。
国語の授業の進捗を無視して、好きな話を読んでいる神崎さんがいる。
...間違いない。この教室は、時が止まっている。
「こんにちは。一夜くるみさん」
一夜くるみは、教室内の様々なものが抜け落ちていることを確認した。
色彩が抜けているだけであったらどれほどよかっただろうか。
この教室は「規則性」が抜け落ちている。
タイルや机だけではなく、制服やチョーク一本にいたるまで規則性を激しく忌避していた。
規則性といっても「そういったイメージがあるもの」や「想起させるもの」など、人間なら偏見や誤用と言わせるような、宗教的で脅迫されているような嫌がり方をしている。
肌は始めに色彩による規則性を殺すため、細胞1つから色を替えだした。
一夜くるみは一瞬にして芸術作品のような様相となり激痛を感じている。
肌が肌であることすら否定し始めたのだ。
窒息から未発見の原子まで、不確定な現実から緻密な幻想まで。
ありとあらゆるものが一夜くるみに揃っている。
一夜くるみは必死に頭を働かせた。
何が起きているのか理解するためだけに、身体中の「協力してくれる部位」をかき集め総動員させなくてはならなかった。
しかし常に身体の全てが変質し、時に戻り、また波打つ。
どれほど小さい部位でも破壊と創造を、無限の変質を繰り返している。
一夜くるみは世界最高の芸術家や全国家予算をつぎ込んだ個人への洗脳でも、達成できないであろう恍惚状態になっていた。
彼女は我々が相対的に観測する世界に移行した。
我々が想像しようとしてブラックアウトするあの無という領域。
一夜くるみは人間の「最高」を最低値とした全ての感情に飲まれ無の領域へと溶け出していった。
17
始めはどんな力かわからなかった。
急に変質したり破壊したりと「現実の編集」でもやっているかのように見えた。
それは違った。
もっと人間臭くて親近感を覚える力だった。
人間が行う環境破壊に非常に近い。
現実改変を行うことはできるものの、その後何が起こるかやどんな影響があるかさっぱりわからない。
対象が持つ要素そのものをすっぽりと抜き取ってしまうのだ。
まあいいや。
それより仲間がいたようだ。話しかけてきたぞ。
「神崎さん。神崎さん」
「あなたは虚無に住まう虚無そのものね」
「そして私と同じ宇宙人」
神崎さんは自身が人間と呼ばれているのを忘れ始めていた。
18
ありとあらゆるものが規則性を忌避する中で「黒色」があった。
いや、間接的に存在を確認できるだけで黒ではないだろう。
「神崎さんはなんで自己が失われないの?」
「体も生物の分類も人間関係も全部奪われたのよ」
ああ、「黒色」から声が聞こえる。
一夜くるみの声だ。
「自分の心や意志が砕けて別の物になっていくのよ?」
「何故あなたは、自己が腐り落ちていくのをただ眺めていられるの?」
「...ねえ千歳」
「なーに?」
「やっぱり私が嘘をついていたのに気づいていたでしょ?」
「そうだね。だから神崎さんに教えたその力で殺そうとしたんだ」
「でも、もうしないよ」
一夜くるみだったものは少しずつ元に戻っていく。
髪の色が変わった。
明るめな赤色だったのに、血液から色を取ったせいで少し暗くなってしまった。
廊下ですれ違うたびに印象が変わっていたが自身を「変化」させ続けているのだろう。
「神崎さん?答えてよ?」
「一夜さん。その質問には残念だけど答えられない」
「だってどうしようもないことだと思わない?」
「ここに上野三咲は居ないのだから」
19
教室は元に戻そうとした形跡を残し、新たに生まれ変わった。
開いた穴を開く以前の状態にすることが不可能だからだ。
規則性が要素の大部分を占めるタイルの床は、すべて黒板から見て左斜めに引き延ばされたように歪んでいる。
素材も少しだけ足が沈む上に発泡スチロールのようなざらざらした感触に変わってしまった。
「答えになってない!」
「私は...私は心配して言ってるのよ!」
「問題になるようなことはないわ」
「自我の崩壊なんて無かったでしょう?」
「で、でももう別人どころの話じゃないし...」
「人間は食事をして体を作り替えているわ」
「一夜さんが人間なら、幼少期の体とは別物になっていない?」
一夜くるみは長い説得になると予想して、椅子と机を神崎さんの前に持ってきた。
椅子は中央に5本目の足が生えているし、机にはへこみのついた引き出しがある。
「認めるわ。私は人間じゃない」
「人間のことをよく知らないし、知りたいと思ってる」
「迷惑をかけないように私なりに気を付けて人間のふりをしている...」
化け物よ...。
絞り出すようにそう言った。
涙は流さなかった。本来は涙を流すシーンだ。
できないのではない、しないのだ。
一夜くるみは、人の感性や感情を持っていない。
人間にとって「人ではないこと」がどれほどの苦痛なのか?
一夜くるみは永遠に理解できない。
教室の扉は、横の移動が不可能になっていた。
「仕方がないわ。そう仕方がないの」
一夜くるみは扉から「遮る」要素を無へと還した。
教室の中が見える。
「かみの...」
「違う!神崎さん...?」
ゆっくりと、それでいて優雅にページをめくっている。
国語の授業の進捗を無視して、好きな話を読んでいる神崎さんがいる。
...間違いない。この教室は、時が止まっている。
「こんにちは。一夜くるみさん」
一夜くるみは、教室内の様々なものが抜け落ちていることを確認した。
色彩が抜けているだけであったらどれほどよかっただろうか。
この教室は「規則性」が抜け落ちている。
タイルや机だけではなく、制服やチョーク一本にいたるまで規則性を激しく忌避していた。
規則性といっても「そういったイメージがあるもの」や「想起させるもの」など、人間なら偏見や誤用と言わせるような、宗教的で脅迫されているような嫌がり方をしている。
肌は始めに色彩による規則性を殺すため、細胞1つから色を替えだした。
一夜くるみは一瞬にして芸術作品のような様相となり激痛を感じている。
肌が肌であることすら否定し始めたのだ。
窒息から未発見の原子まで、不確定な現実から緻密な幻想まで。
ありとあらゆるものが一夜くるみに揃っている。
一夜くるみは必死に頭を働かせた。
何が起きているのか理解するためだけに、身体中の「協力してくれる部位」をかき集め総動員させなくてはならなかった。
しかし常に身体の全てが変質し、時に戻り、また波打つ。
どれほど小さい部位でも破壊と創造を、無限の変質を繰り返している。
一夜くるみは世界最高の芸術家や全国家予算をつぎ込んだ個人への洗脳でも、達成できないであろう恍惚状態になっていた。
彼女は我々が相対的に観測する世界に移行した。
我々が想像しようとしてブラックアウトするあの無という領域。
一夜くるみは人間の「最高」を最低値とした全ての感情に飲まれ無の領域へと溶け出していった。
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始めはどんな力かわからなかった。
急に変質したり破壊したりと「現実の編集」でもやっているかのように見えた。
それは違った。
もっと人間臭くて親近感を覚える力だった。
人間が行う環境破壊に非常に近い。
現実改変を行うことはできるものの、その後何が起こるかやどんな影響があるかさっぱりわからない。
対象が持つ要素そのものをすっぽりと抜き取ってしまうのだ。
まあいいや。
それより仲間がいたようだ。話しかけてきたぞ。
「神崎さん。神崎さん」
「あなたは虚無に住まう虚無そのものね」
「そして私と同じ宇宙人」
神崎さんは自身が人間と呼ばれているのを忘れ始めていた。
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ありとあらゆるものが規則性を忌避する中で「黒色」があった。
いや、間接的に存在を確認できるだけで黒ではないだろう。
「神崎さんはなんで自己が失われないの?」
「体も生物の分類も人間関係も全部奪われたのよ」
ああ、「黒色」から声が聞こえる。
一夜くるみの声だ。
「自分の心や意志が砕けて別の物になっていくのよ?」
「何故あなたは、自己が腐り落ちていくのをただ眺めていられるの?」
「...ねえ千歳」
「なーに?」
「やっぱり私が嘘をついていたのに気づいていたでしょ?」
「そうだね。だから神崎さんに教えたその力で殺そうとしたんだ」
「でも、もうしないよ」
一夜くるみだったものは少しずつ元に戻っていく。
髪の色が変わった。
明るめな赤色だったのに、血液から色を取ったせいで少し暗くなってしまった。
廊下ですれ違うたびに印象が変わっていたが自身を「変化」させ続けているのだろう。
「神崎さん?答えてよ?」
「一夜さん。その質問には残念だけど答えられない」
「だってどうしようもないことだと思わない?」
「ここに上野三咲は居ないのだから」
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教室は元に戻そうとした形跡を残し、新たに生まれ変わった。
開いた穴を開く以前の状態にすることが不可能だからだ。
規則性が要素の大部分を占めるタイルの床は、すべて黒板から見て左斜めに引き延ばされたように歪んでいる。
素材も少しだけ足が沈む上に発泡スチロールのようなざらざらした感触に変わってしまった。
「答えになってない!」
「私は...私は心配して言ってるのよ!」
「問題になるようなことはないわ」
「自我の崩壊なんて無かったでしょう?」
「で、でももう別人どころの話じゃないし...」
「人間は食事をして体を作り替えているわ」
「一夜さんが人間なら、幼少期の体とは別物になっていない?」
一夜くるみは長い説得になると予想して、椅子と机を神崎さんの前に持ってきた。
椅子は中央に5本目の足が生えているし、机にはへこみのついた引き出しがある。
「認めるわ。私は人間じゃない」
「人間のことをよく知らないし、知りたいと思ってる」
「迷惑をかけないように私なりに気を付けて人間のふりをしている...」
化け物よ...。
絞り出すようにそう言った。
涙は流さなかった。本来は涙を流すシーンだ。
できないのではない、しないのだ。
一夜くるみは、人の感性や感情を持っていない。
人間にとって「人ではないこと」がどれほどの苦痛なのか?
一夜くるみは永遠に理解できない。