第9節 コモンウェルスのフラクタル性

文字数 5,079文字

第9節 コモンウェルスのフラクタル性
 ネグリ=ハートは中心なき世界的ネットワークを「帝国」と命名している。けれども、中心のなさや多様な組織・集団による世界秩序では不十分である。コモンウェルスは内部と外部が曖昧で、フラクタル性を体現したネットワークである。ネグリ=ハートの帝国がアナーキーなネットワークだとすれば、コモンウェルスはフラクタルなネットワークだ。べノワ・マンデルブローは、『自然のフラクタル幾何学』において、海岸線の長さは厳密に計ろうとすればするほど、岩や砂があるため、長くなってしまい、「観察者が不可不適にそこに介入する」と言っている。フラクタルは1次元と2次元の中間のような次元であり、その典型例である海岸線には長さはない。中心があるともないとも言えない。それがコモンウェルスである。「マグナ」と「ミニマ」が相似している。

 20世紀、人々は政治体制として、同時に、「大政治(magna politica)」と「小政治(minima politica)」の二つの方向に拡散している。前者はハイパー・パワー志向であり、後者は独立・自治を目指し、最終的には、「シングル・メンバー・システム(single-member system)」の政治体制に到達するのではないかという傾向である。もはや「メガ政治(Megapolitics)」と「ナノ政治(Nanipolitics)」にさえ見えるほどだ。コモンウェルスは両者を含んでいる。この体制は国家を相対化するのであり、国家間のみならず、企業間や組織間、個人間でもありうる。国民国家はモンテスキューに倣って中規模国家、すなわち擬似的な「中政治(mesa politica)」だったが、その無効と共に、その分裂が進み、20世紀は、止揚させないまま、両者の弁証法によって形成されている。

 「国際連盟(League of Nations)」といったコモンウェルスが登場したのも、20世紀を表象する20年代である。1,945年から、本格的に、コモンウェルスが浸透する。「国際連合(United Nations)」や「ヨーロッパ連合(Europe Union)」、「東南アジア諸国連合(Association of South-East Asian Nations)」、「アラブ連盟(League of Arab States)」、「イスラム会議機構(Organization of the Islamic Conference)」もコモンウェルスである。「国際サッカー連盟(Federation International Football Association)」や「国際オリンピック委員会(International Olympic Committee)」、「赤十字社(Red Cross Society)」、「アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)」も、また、「アルカイダ(Al- Qaida)」のようなダウンサイジングされ、フランチャイズ化した組織もこのキメラに含まれる。さらに、CNNや「アル・ジャジーラ(Al-Jazeera)」、Windowsも、Linuxも、コカコーラも、ペプシコーラも、マクドナルドも、ディズニー・ランドも、スティーヴン・スピルバーグも、リュック・ベッソンもコモンウェルスである。要するに、コモンウェルスはソフト・パワーに基づいており、フラクタルな組織的事業であり、隙間だらけのクラスターを指す概念である。

 WindowsとLinuxは誕生・普及の経緯は大きく異なり、その意義は違っていたとしても、wealthを共有しているという点において、共通である。特定企業が営利目的に販売して、世界的な独占を強化してきたWindowsとまったくのお遊びとしてある個人が無料でカーネルだけを開発・公開し、その後、NPO的に発展したLinuxは、利益団体に立脚する既成政党と自然発生的にと同じくらい、別物である。けれども、研究用や並列処理に適したソフトは後者の方に多く、それを通じて、予算が乏しい学術研究・小規模事業の認識共有のネットワークを形成している。コモンウェルスは、意図や目的ではなく、あくまでもフラクタル姓を持ったネットワーク形態を意味する。マルクス=エンゲルスが『ドイツ・イデオロギー』でまさに指摘しているように、あるネットワーク形態が支配的であるほど、発生原理は別にして、その対抗勢力も同様の構造を帯びてしまう。

 このプロトコルの体制はいくつかの観点から分類できる。第一に、目的の観点があげられる。それには政治的・軍事的・経済的・宗教的・文化的の五種類がある。第二に、主体から規定され、国家・エスニック・団体・個人のレベルがある。第三に、成文的であるか非成文的であるかという形態である。EUという「共和国」のように、条約など成文的な連合体が成立しているのに対し、非成文的なパックス・アメリカーナが影響力を持っている。これらの複合体もある。「帝国」も「共和国」も大きな流れのコモンウェルスの中にある。つまり、コモンウェルスは集団的匿名性を持った「ヴァーチャルな共同体(Virtual Community)」である。

 「ヴァーチャル(virtual)」の反対語は「リアル(real)」ではなく、「名目(nominal)」が相当する。「虚(imaginary)」が、「実数(Real Number)」と「虚数(Imaginary Number)」の関係が示している通り、リアルの反意語である。名目の類義語は「仮想(supposed)」や「擬似(pseudo)」である。前者は仮に想定したものであり、後者は外見は似ているが、本質的には異なるものを指す。

 20世紀は地球環境を経済学的外部として資本主義は扱ってきた現状があり、コモンウェルスは雲と呼ぶ意義はそこにもある。21世紀の体制では、宇宙物理学的なアナロジーが必要となるかもしれないとしても、20世紀はそれでかまわない。コモンウェルス雲が他のコモンウェルス雲とオーバーラップすると、強い引力が生じる。斥力によって反発することはない。結びつく。また、コモンウェルス雲には中心があるけれども、それは積極的ではない。ただコモンウェルス雲は中心にいくほど密度が濃く、離れると薄くなり、僅かな変化によって中心も全体も大きく変動する。

 90年代に入って顕在化したコモンウェルス体制は古典世界と言うよりも、本格的な中世の再現である。アメリカの覇権による世界秩序は四つのハーン国のコモンウェルスと類似している。中途半端にしか経験できなかった中世を西洋は改めてやり直している。

 戦後、世界を支配してきた東西冷戦構造もコモンウェルスをめぐる争いだったと後から思えるが、それは19世紀と20世紀の戦いである。G77こと第三世界も、事実上、これに吸収されている。いわゆる社会主義体制はオットー・フォン・ビスマルク流の行政国家のヴァリエーションである。”Nach Kanossa gehen wir nicht ...”「社会主義というのは、十九世紀に作られ、二十世紀にイデオロギーとして栄えたのだと思うが、その背景には、産業社会の成立があったように思う。一八世紀から萌芽があったろうが、そのころにはシステムとしての会社のほかに、ネットワークとしてのサロンがあった.当時のことだから、宮廷に近い上層部にかぎられていたかもしれないが」(森毅『社会主義から社交主義へ』)。

 フィリピンやインドネシアのように、共産主義の拡大を防ぐために、西側諸国が黙認どころか、積極的に支援してきた開発独裁国家も同様である。「豊穣なる人生の証であり、知性と感性の進歩の源泉である多様な人間性、嗜好と能力の差異、見解の相違等を、共産主義体制が容認しえるか否かは、今後の審判に委ねなければならない」(J・S・ミル『経済学原理』)。また、シンガポールやマレーシアのように、独裁と言えないまでも、経済的自由を保障しながらも、政治的自由には当局が眼を光らせている国家も大同小異であろう。一九世紀が神の死の同一性を推し進めたのに対し、20世紀はその生死の決定不能という差異性を重視している。

 20世紀には、こうした19世紀のみならず、それ以前の過去が混在している。過激な民族主義や原理主義といった反動的な動きが巻き起こるのはそのためである。「イズムは既に経過せる事実を土台として成立するものである。過去を総束(そうそく)するものである。経験の歴史を簡略にするものである。与えられたる事実の輪廓である。型である。この型を以て未来に臨むのは、天の展開する未来の内容を、人の頭で拵(こしら)えた器に盛(もり)終(おお)せようと、あらかじめ待ち設けると一般である」(夏目漱石『イズムの功過』)。20世紀は過去を都合よく再構成して利用しつつも、こうした過去が挑むゲリラ戦に苦しめられている。東西冷戦は、モンタギュー家とキャピュレット家の対立と違い、和解することはなかったけれども、20世紀がアメリカの世紀である以上、結果は見えている。二項対立は最終的には結論の決まった躊躇にすぎない。20世紀的なコモンウェルスを引き立てただけである。

"Here we are at the threshold.
This is the most important moment of your lives.
You have to know that here your most cherished wish will come true.
The most sincere one.
The one reached through suffering".
(Andrei Arsenevich Tarkovsky “Stalker”)

 1,990年以降の自由貿易体制が拡散していく世界情勢では、日本経済の長期低迷、韓国のIMFによる管理、東南アジアや南米の新興市場の暴落による経済危機があった一方で、ITに支えられたアメリカの好景気、中国の驚異的な経済成長など経済的な明暗がはっきりと表れている。2,000年に入って、アメリカの大手銀行はリスクをヘッジするために、預金業務から金融デリバティブ取引にシフトしたはずだったが、逆に、リスクが高まり、おまけに、エンロン疑惑の発覚により「グローバル・スタンダード」の信頼は失墜する。このスキャンダルが告げているのは、合衆国の資本主義も独裁国家のクローニー・キャピタリズムと同じ面を持っている事実である。「我はローマ市民である(Civis Romanus sum)」 にもかかわらず、「温情ある振舞いの獲得(captatio benevolentiae)」もなく、「尊厳の低下(capitis deminutio)」ばかりだ。「経済学を学ぶのは経済学者にだまされないためである」(ジョーン・ロビンソン)。

 その上、9・11以降、宗教右派的なるものに加え、ブッシュ政権のパッチワーク政策は世界の政治・経済を不安と混乱に陥れている。「豊かになると同時に心配事も増える(crescentem sequitur cura pecuniam)」(クイントゥス・ホラティウス・フラックス)。各国とも、為替レートの浮動性を避けるといった経済的防衛、あるいは市場の確保による成長の享受を目的としたコモンウェルス化の傾向を強めている。貿易の縮小は市場の縮小を呼び、需要不足からデフレを招きかねないからだ。金は、市場経済では、投資されるためにある。「企業買収のコツは、相手の金で買うことだ」(コールマン・デュポン)。「買い手は用心せよ(caveat emptor)」。1,930年代、世界不況からの防衛のために、経済のブロック化が起きているが、今回の流れは、グローバリゼーションを利用するという点で、異なっている。ブロック経済は自国の製品の販売や原料・食糧を確保し,植民地や従属国への支配と結合を強めたものである。他方、EUやNAFTA、ASEAN+3といった今日の地域経済統合、すなわちコモンウェルスが促進されている原因は為替レートの浮動性を避けるためである。「共通の危機は和を生み出す(commune periculum concordiam parit)」。
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