第6節 金と紙幣

文字数 3,380文字

第6節 金と紙幣
 金が世界を変えたけれども、金本位制下、通貨の主流は紙幣である。金貨や銀貨は貴重金属としての価値を持っていたのに対して、紙幣はそれ自身は無根拠で、中央銀行の金準備高に保障されているにすぎず、兌換紙幣は神の死にふさわしい。蔡倫を輩出した国で、商業の宗教とも言えるイスラム教の信者が権力中枢に近い立場を得たときに、紙幣が生まれたとしても、不思議ではない。元のフビライ・ハーンは交鈔と呼ばれる紙幣を唯一の通貨として発行させている。この史上初の試みは、後に、乱発され、水とダイヤモンドの逆説の提唱者ジョン・ローの体制同様、経済が混乱に陥っている。近代はコインではなく、紙幣が主要貨幣になる。紙幣は印刷術が発達して普及するのであり、経済におけるグーテンベルク革命の顕在化である。「書き言葉と貨幣は、ともにホット・メディアであり、前者は話し言葉を強化し、後者は社会的諸機能から仕事を切り離す」(マーシャル・マクルーハン『メディアの理解』)。

 今日の金融の世界は神の死の決定不能にふさわしい。不換紙幣は神の死の決定不能そのものだろう。発行している中央銀行を抱える国ならびに地域の統治機構への国際的な信用度が規定する。信用が失われれば、預金者が預金を払い戻し、コール市場でも資金を調達できなくなる。クレジット・カードはさらに生産や消費といった実体経済が景気を引っ張っていない時代を表象している。マーシャル・マクルーハンは、ジョン・メイヤード・ケインズを「貨幣のハードウェア(金準備)から貨幣のソフト・ウェア(クレジット)への転換を考慮し損ねた偉大な経済学者」と定義しているが、これはまったく正しい。「古典的なお金の時代は、借金をできる人はそれなりの信用があってのことだし、仕事に失敗して破産してもいくらか尊敬されるようなところがあった.今ではだれでも、簡単にカードで借金ができて、それで破産しかねない。これも一種の信用の大衆化かもしれぬが、昔人間からすれば、借金や破産するだけの器量のない人間が借金や破産しているような気がする」(森毅『カード社会のその先』)。外国為替市場が固定相場制から変動相場制に移行した相対主義は生きられたチャールズ・サンダース・パースの記号論である。表象は対象との関係を持ち、それはまた解釈項との関係を伴う。すべては無でさえない。

 ぼくは、倍率が一目でわかる対数目盛をもっと普及してほしいとつねづね思っている。加減だけでお金を扱うのはある意味で物の意識である。一〇円なら一〇円として、物としての価値を認めているから、差額を重視する。
 ところが、現実には、一定の金額に絶対的価値があるわけではない。為替変動を例にとれば、一ドルイコール二20円が20〇円になったのと、一20円が一〇〇円になったのでは、同じ20円の円高でも日本経済に与える打撃は大きく異なる。(略)為替変動にしても、物価の上昇にしても、関係性のなかでとらえて初めて実態が把握できる。

 20円には20円の価値があるというのはフィクションではないか。このフィクションによって日本人の平等幻想も支えられているような気がしている。

 ぼくは、物質的なお金のとらえ方はもう時代に適合していないと思う。対数目盛を普及させたい。
(森毅『万人が騙される近似値のトリック』)

 第一次世界大戦後から金本位制は解体し、アメリカ合衆国の通貨にすぎないドルが基軸通貨になっていく。第一次世界大戦の勃発によって、関係国の間で金本位制の機能が一時期停止し、戦争中、債務国だったアメリカは、ヨーロッパ経済の破綻により、世界最大の債権国へと伸し上がる。必要な物資や娯楽を生産する能力が欧州にはない。ヨーロッパで行き場を失った資本にとって、アメリカ市場は格好の投資先である。戦後、制度の内容は変化したものの、ドイツを除いて各国が金本位制に復帰し、この再建された金本位制は大恐慌後もしばらく継続する。

 金本位制の利点は、それが維持できないと政府が判断した場合、回復できるまでの間、世界的な金本位制のネットワークから離脱できることである。だが、イギリスと日本は1931年、アメリカは33年に、最後にフランスが37年にこの制度を停止する。この間、各国は平価の切り下げによる輸出促進政策を展開したが、結局、その効果は他国の金本位制離脱によって相殺されてしまう。フランクリン・ルーズベルトは、平価の切り下げを最初に実施し、33年4月、彼の大統領就任直後に修正金地金本位制へと移行する。この制度下、法律により金貨流通は禁止されたものの、金は依然としてドル価値を表示するのに用いられ、1ドルは35分の1オンスの金量と等価であると規定されている。ドルを意味する$は紀元前2世紀頃から地中海で広く流通した金貨ソリドゥス(Solidus)に由来する以上、ドル本位がヴァーチャルな金本位と言えなくもない。

[Lover:]
I've got a feeling twenty one
Is going to be a good year.
Especially if you and me
See it in together.

[Father:]
So you think 21 is going to be a good year.
It could be for me and her,
But you and her-no never!
I had no reason to be over optimistic,
But somehow when you smiled
I could brave bad weather

[Mother:]
What about the boy?
What about the boy?
What about the boy?
He saw it all!

[Mother and Father:]
You didn't hear it
You didn't see it.
You won't say nothing to no one
ever in your life.
You never heard it
Oh how absurd it
All seems without any proof.
You didn't hear it
You didn't see it
You never heard it not a word of it.
You won't say nothing to no one
Never tell a soul
What you know is the Truth.
(The Who "1921")

 第二次世界大戦後は豊富な金準備に裏づけられたアメリカだけが固定相場で金とドルの交換性を保証する。国際通貨基金(IMF)体制が創設され、その意味では戦後の新しい制度は基軸通貨として機能するドル中心の金為替本位制である。この体制も、やがてアメリカの慢性的な国際収支の悪化からドル危機に及ぶと、68年には金の二重価格制、71年にはリチャード・ニクソンの声明によって金とドルの交換停止に至り、崩壊する。戦後一貫して続いてきたIMF体制の終焉である。

 73年、1ドルは38分の1オンスの金量から42.22分の1オンスの金量に切り下げられ、これに対抗して各国は変動為替相場制に移行する。国際通貨制度における金の役割は、75年、合衆国政府が金を国際通貨ではなく、商品と見なし、その保有額の一部を市場で売却したことでさらに減少する。78年には合衆国議会は、IMFと共同で国際通貨制度において金本位から正式に離脱することを承認している。

 金本位制の崩壊は合衆国の愚策の帰結と見るべきではない。金本位にとどまっていては、資本主義の拡張は望めない。1,875年に結成されたアメリカのグリーンバック党は、不換紙幣の発行を主張し、インフレーションを希望している。1,880年代に消滅した彼らの夢は一世紀を経て実現したというわけだ。事実上、1920年代以降、世界経済はドル本位であったが、名目上、金本位が守られていたにすぎない。今日、記念金貨は発行されるものの、主要国の通貨も金とは兌換されず、金の通貨としての機能は停止したままである。
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