(第4章-星を指標する剣),…23min

文字数 11,765文字

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13-都民避難大作戦

怪盗は赤ちゃんが無事にギャラリー夫婦の元に帰った事を確認すると1日後には再びソードボール島へ上陸していた。

妃の城へ行く前に、ちょっと気まぐれで「黒い灯台」の居間に立ち寄ってみた。長い螺旋階段をしばらくのぼると広い廊下にたどり着き寝室のドアが現れた。しかし部屋に入って見ると怪盗は驚いた。丸1日、来なかっただけなのに内装がガラリと変わっていたのだ。
寝室のあった場所には大きな箱の機器がいくつか運び込まれていた。ほとんどは初めて見るものばかりで何に使うのか分からない。ただ1つ、部屋の中心にはマイクが据え置かれていた。そこへダリアとブレッセルがやって来た。

「あら、モントスティル。あなたもう戻って来たの…?もう少し準備があるから、ゆっくりでも良かったのに」

「そりゃー大事な妻が人質なんだからフルスピードで既に要件は片づけた。それにしてもこれは一体…何をしようと考えてるんだ…?」

「ここはね、放送室に改修したの。今日からダリアさんはソードボール島の歌手としてデビューするのよ☆」

「えぇ!?ダリア、音楽教師からシンガーソングライターに転身かい…!?」怪盗は驚いた。

「私もよく分からないけど…彼女が言うには私の歌が“イルミネ市の妨害電波”になるそうよ…」ダリアもまだ戸惑って、今ひとつのみ込めてないようだった。



ブレッセルの作戦は「ダリアの歌を利用した都民誘導作戦」というものだった。ブレッセルがダリアの歌を分析したところ、彼女の歌は周波数を変える事で子守歌の対象を“人間などの生き物”から“デジタル機器などの物質的な物”へと変えられるという。
「つまり…ブレッセルはダリアを“人柱”としてここに閉じ込めようとしてるのか。そんな事…僕は、ゆるさないよ…!」ダリアの肩を抱き寄せ怪盗はブレッセルを睨みつける。

「待って、モントスティル。私だってダリアさんを、“地震日”まで閉じ込めるつもりなんてないわ。そうね1か月…いいえ3週間でいいわ、時間を頂戴。その間に出来るだけ彼女の歌を“録音”したいの。ダリアさんだって生身の人間だもの。ずっと歌い続けるなんて不可能よ。それに子守歌の効力も当人の疲労と比例して、疲れると効力を失ってしまうのよ。だから私は彼女の歌をあらかじめ録音しておいて地震日のギリギリまでこの灯台から自動的に電波を飛ばす方法を取るつもりよ。ダリアさんを避難させる時間も必要だもの。お願い、モントスティル。少しでいいの、ダリアさんの力を私に貸して…!」

確かに…ダリアの歌の効力は誰もが認めるところだった。しかしどれくらいの効果が期待できるかは未知数だった。それで大して効果が得られなかったら…?姉の予測が、ある日大幅に外れて地震に襲われ逃げ遅れたら…?自分の大事な妻ばかりが何かしら犠牲を伴うのは、彼は今ひとつ納得できないでいた。怪盗が答えを渋ってると、ダリアが話しかけた。

「あなた、私にやらせてくれる…?もしも、この作戦で…歌で…ひとつの街が救われるのならば私も協力したいわ…!」ダリアから強い使命感を感じた怪盗は、ようやく答えた。
「…わかった、ダリアが一応納得してるならば僕も認める。その代わり、彼女に何かしら危機が迫った時は問答無用で僕はダリアをこの灯台から連れ出すから…そのつもりでいてくれ…!」

「えぇ、もちろん。ダリアさんの身の安全は私の方でも全力で保護するわ。本当にありがとう…ダリアさん…!」
ブレッセルは顔をほころばせた。怪盗とダリアは彼女が心から微笑むところを見たのは、この時が初めてだった…。



それから…毎日、ダリアは1日1曲ずつ歌を録音する作業が日課となった。録音担当は、おのずと歌を聞いても眠らないクレセントが担うことになった(当初、クレセントたちは城から灯台へ毎日通う予定だったが、住み慣れたので引き続き灯台で寝泊まりしてる)彼女の歌は灯台からイルミネ市に向けて送信されてるらしいが人間の聞こえる領域から外れた範囲で飛ばすため、クレセントやダリアには何も変わっていないように思えた。しかしブレッセルから教えてもらった計測器で測ると、ちゃんと針が触れてるのだった。

ブレッセルの指摘した通り、ダリアの子守歌の効力は1日1曲が限度だった。それ以上歌っても電波の質が落ちてしまい、“ただの歌”になってしまうのだ。疲労が重なっても、やはり質が落ちるため録音は練習をほとんどしないまま1回きりだった…
ダリアは彼女の音楽教師としての性分から、時間が余る午後は、練習してから歌を録音するようにクレセントにお願いした。この音楽の編曲作業はクレセントも楽しく、旅行から帰った後に彼はダリアに内緒でこっそりSNSで動画配信したほどだった。
ネット上でひっそりと配信され続けた、この歌手が不明の音声データは、子守歌の効力こそないが「寝つきが良くなる」「ぐっすり眠れる」…と、たいそう評判になったそうだ…。



さて、約束の3週間が経った。イルミネ市では次第に歌の効力が現れていった。その効力は様々だったが、クレセントが毎日、新聞で報じられた内容を読むと、おおよそこんな感じだった…。

【歌が始まって数日後…電子機器の異常が現れ始め…1週間経つ頃には都内では業務などに支障が出始めた。灯台からの「新たな電波」が原因である事はすぐに判明するが、この電波は周波数が不規則で毎日変動するため、今までのデータからでは、もう防御電波を自動生成する事はできなかった…10日経つ頃には、街中で業務停止が相次いでいき、仕事にならないため都内への通勤者も激減した。また都内に居住する人々も体調に変化が現れる。昼間でも眠くてたまらなくなり意識が朦朧(もうろう)状態になってしまうのだった。特に行政は、これは新たな病気としてこの症状が出た患者たちは市内への立ち入りを制限した。この病気(…?)で1番打撃を受けたのは運送業と建設業だった。物流と作業が止まることは“社会の循環”も止まる事を意味していた…2週間後にはイルミネ市はほぼ機能停止状態になった。そして最期の1週間は…パラボラアンテナ本体からの電波が干渉された事によって、イルミネ市とソードボール島の海域の空には何十年振りかの青い空が垣間見えるまでになったのだった……】



イルミネ市は向こう2か月間は「都市封鎖」宣言し、まだ残されてる住人たちは周辺の街へ分かれて大移動をすることになった。イルミネ市が封鎖される前に街を出なければならないため、クレセントたちもソードボール島を去る事にした。
立ち入りを制限されて、今は誰もいなくなった黒い灯台の近くの港で、妃と姉が見送りに来てくれた。

「えー、帰っちゃうの?ずっとこの島に住んでてもいいのよ。私の権限なら、あなたたちに無条件で住民権だって与えられるわ」ブレッセルは言った。

「ありがとう。でも僕らは学校の仕事もあるし、子どもたちが待ってるから。それから…ダリアとも、“これからの事”を話し合いたいから」

「元気でね、クレセント。この“地震日”が過ぎ去って落ち着いたら、また遊びに来て。待ってるから」

「もちろんさ…!姉さんも、元気で…」



しかし…クレセントはこの時、軽い感じで姉たちと別れた事を後悔することになる…。

“地震後”…イルミネ市とソードボール島の2つの電波の影響が消滅した海域は、「水を通過しない電波」が海面上に環境汚染として残ってしまう。
これは水中の魚や空中の海鳥に影響はないが、レーダーを利用する人工物の船舶や航空機の類は全て、海を渡る事を不可能にしてしまうものだった。そのため、ソードボール島へ渡るためには地球の自転と真逆方面から回り込まなくては辿り着くことができない土地となってしまう。この海域は、俗に“世界の果て”と呼ばれるようになる。

あの“地震日”以降…クレセントは、姉や妃と直接対面できる手段を、長い間…絶たれてしまう事になるのだった…。

将来的に、世界の通信手段は驚くべき発展を遂げていく事になる。例えば、地球の裏側まで離れていようとも、いつでも相手の顔を見て気軽に話せるような…そんな時代には、なっていくのだが…それでも…

彼が生涯で姉たちと、直接対面する形で再会することができたのはそれから何十年も経った後なのだった……。


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14-割れた皿と砕けた星

【クロワッサンが予測した通り、100日後に大地震が起きた……イルミネ市の華やかな百塔の都は崩れ去ってしまった……また都市のシンボルだったパラボラアンテナは地震によって軸から切り離され、盤の部分は大きく大破してしまった……ソードボール島も例外ではなかった。妃が「最後の砦」と自負していた黒い灯台は、老朽化も要因だったのか最初に来た地震の揺れの際にあっさりと崩れて全壊してしまったのだった……のちにソードボール島との通信手段が整った後で、クレセントは妃から、実は灯台の検査をした時点で既に長く保たない事を知っていたと言い、“あの時は大変な時期で皆に不安を与えたくなかったのだ…”と、彼女から打ち明けられたのだった……】


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15-帰るための道しるべ

………ここは未来の図書館。その図書館の「世界史」をまとめた棚の中に、国々の歴史全集があった。下記の文章はその中の1冊『ソードボール島とイルミネ市の外交』より抜粋したものである。

【……この年、イルミネ市とソードボール島の間にある海底プレートがずれたことにより大地震が発生した。

ソードボール島は自国防衛施設「黒い灯台」(※こちらの詳細は『ソードボール島史』を参照)から、当時の国の最高機密とされていた「子守歌電波」(※都市をロックダウンさせる電波。現在は国際法で送受信が禁止)によって、イルミネ市に向けて電波を送信する作戦により、イルミネ市民を一時的に都心から避難させる事で人命を震災から保護した。この地震によってイルミネ市のパラボラアンテナ(※こちらの詳細は『イルミネ市史』を参照)とソードボール島の黒い灯台は全壊した。

この2つの施設が同時に消滅したことでそれぞれの国から発信された電波が海面に残留した。この電波は水面透過しない性質があり地震から約33年間、海域で船舶、航空機類の横断を一切不可能にした。ソードボール島は、この海域環境汚染の改善にいち早く取りかかる。地震以前より、ソードボール島とその周辺海域の領土を主張していた大国の国々は、これを機に早急に環境汚染を解決する事で領土を獲得しようと画策した。しかしソードボール島の科学技術は世界でもトップクラスをリードしていて、領有権を主張していた国々は汚染改善費だけでは到底、賄(まかな)う事が出来ず、世界の各地で行っていた軍備拡大費や兵器研究費の削減を余儀なくされる事になる。結果的に地震後は、世界的に軍縮の動きがひろがることになった。そのため、この地震が起きた年は「世界軍備・兵器縮小元年」とも言われている。

また国連でも安全が保障されない点から、いかなる国もこの海域の領有と立入を禁止にした。例外として、水面下においては自国の自衛と責任において立ち入りが許可されてた。その理由は、空爆が行われた際の不発弾が海中に大量に残っていたためである。ソードボール島も電波汚染の他に海中不発弾除去にも率先して取り組んだ。特にこの作業では、■■博士(ブレッセル物理女子大学出身)によって考案された「無人不発弾偵察機」の活躍が大きい(※なお、博士の氏名は彼女の国籍の宗教上の理由から現在も非公開である)。この不発弾除去においては協力する国に特別な優遇措置があったため、多くの国々が協力した。この作業は意外にも、かつて空爆を大々的に行っていた大国の国々によってほとんど回収がなされた。不発弾が回収される事で自国の防衛機密をソードボール島側に知られる事を懸念(けねん)したのだ。今、聞かされるとなんとも皮肉な話である……



……不発弾除去の時代が終わった後は、イルミネ市とソードボール島の間では海底を利用した交通、通信手段が発展した。海面近くでも動作する「不発弾回収装置」を考案した■■博士の研究により、海面を汚染してる電波を除去する新たな電波が考案された。これは現在、送受信が禁止されてる「子守歌電波」を変換させたもので俗称「覚醒電波」と呼ばれる(※国家機密により正式名称は伏せられてる)。ただし、覚醒電波は単独では使用できず効果もないため、白、黄、橙、赤、緑の5色の覚醒電波を組み合わせる必要があった。
ソードボール島はイルミネ市との国交を再開する事を条件に海域に「覚醒電波灯台」を建設することを提案し、イルミネ市も合意する。
…それから約14年の歳月を経て、イルミネ市とソードボール島の間の海域には5基の灯台が建てられた。灯台を1基建てる毎に電波の影響は弱まり、5基目が稼働した年は海域に残留していた電波を99%除去することに成功したのだった……

◆補足……なお、この歴史全集が発行される年にイルミネ市の沿岸には新たなテーマパークが開園予定である。これは津波で沖合に流されて33年間、海域が開発ができないため放置され続けたパラボラアンテナの皿を埋め立てた人工島である。埋め立てた人工島を拡張し、覚醒電波灯台のある5つの島を橋でつないだ遊園地で、ソードボール島との国交再開を記念して建設されたものである。ソードボール島の科学技術とも融合しており、イルミネ市の新たな観光資源として世界中から期待されている……】


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16-やがて平穏

さて、約1か月の長い新婚旅行(…?)から帰宅したクレセントとダリア。
それから2か月後の…ある日曜の朝のこと。

クレセントは起きると、いつもようにシャワーを浴びてヒゲを剃り、小さなキッチンで朝食用のサンドイッチを用意した。人数は1人分である…彼は今、理由あってダリアと5年ほど仲睦まじく暮らしてたアパートでひとり暮らしをしていた。

日曜日の朝は近所の集会所に行くのが日課だが、クレセントは今日の出席をさぼった…日曜日はシスターが訪れた人に「奉公」をする日だ。先々週の日曜日に“シスター”になってしまったダリアも当然、顔を出すだろう。気まずい雰囲気になるのは目に見えていた。

外は、しとしと雨が降っていた。出かける用事もなく、他にする事もないので、とりあえずキャンバスに向かって絵を描き始める。あまりそんな気分ではなかったのだが…しかしギャラリーの夫人から、個展用の絵を描くペースを少し上げて欲しいと催促が来てしまったので、仕上げなくてはならない。
少し調子が出てきたところで電話が鳴った。相手が誰なのか分かっていたのでクレセントは最初、無視していた。しかし3分以上もコールを鳴らされ続け、気が散ったクレセントは乱暴に受話器を取った。

「あなたは、よっぽど暇な人のようだね…!」
せっかく絵を描く調子が出てきたところを邪魔されたので、クレセントはあからさまにイライラの感情を受話器の相手にぶつけた。

「あーら、八つ当たり?愛する妻が家を出てっちゃって、欲求不満が溜まってるようねー。その様子だと、まだ仲直りできてないみたいね」電話の相手はブレッセルだった。

「あなたと違って、僕ら庶民は忙しいんだよ!通信料だって、こんな長距離電話じゃ受話器を取ったら半分はこっち持ちで請求が来るんだからさー、頼むから“めったな事”以外で電話しないでくれよ!」

「あら、“めった”なことよ!」ブレッセルは急に怒った調子の声で言った。
「せっかくソードボール島の通信手段が復旧したから、クロワッサンに1番に回線を使わせる許可を出したのに、その最初の会話内容が「弟くんの離婚危機」だなんて!そんなショックな事をクロワッサンが知ってしまったものだから、彼女は今、仕事が上の空で執務は滞ってるのよ。まったくもう!こっちは地震後の復興でメチャクチャ忙しいっていうのに、どうしてくれるのよ!?」

それを言われると、クレセントのイライラも急激に、しぼんでしまったのだった…。こっちは絵を描いていられるような余裕のある生活が相変わらず続いてるが、ブレッセルたちのソードボール島では人命こそ助かったものの被災者なのだ。命以外の物はこれからまた、時間をかけ培っていかなくてはならない。クレセントは冷静になった。

「…怒鳴って悪かったよ。でも僕らはまだ離婚してないし、近い内にダリアとはきちんと話し合って仲直りするからさ…姉さんには、まず自分や島の事を考えて、あまり心配しないでって伝えておいておくれよ…」
そう言うとブレッセルも納得して、今日のところは引き揚げていったのだった。

少し経ってからまた電話が鳴った。ブレッセルは1日1回しか電話してこない。誰からだろう…?クレセントは電話に出た。
「はい、もしもし…?」
「…私だけど…」ダリアの声だった…。
クレセントの心に重苦しい空気がのしかかる…先々週の…ダリアとの“大ゲンカ”を思い出していた……



旅行から帰宅後して、しばらく経ったある日曜日。日課の集会所から帰宅した後でダリアはクレセントに言った。
「あなた……あのね、大事な話があるの…」

テーブルに向かい合って座った2人だがダリアはなかなか話を切り出さなかった。クレセントはこれからの仕事の事を悩んでるのかい…?、画材を予算オーバーして購入したことを怒ってるのかい…?など話を振るがそれでもダリアは黙ったままだった。時間ばかりが過ぎて行き、画家の本業があるクレセントは仕切り直すことにした。
「…じゃあさ、話ができるようになったら、またね…」と席を立った。
本当は……ダリアが何を言いたいのか、クレセントには分かっていた。しかし、自分にはまるで見当がつかない“彼女の体に起きてる事”なので、ダリアが自分から話してくれない事には会話が進められないのだ。

「あなた…!私ね…」
突然、ダリアは立ち上がると両腕を前に振るような仕草をした。お腹がふくらむような表現をしてる。学校で手話を教えている彼女らしい表現だとクレセントは思った…。
「…子どもが…できたんだね……」
クレセントはうつむいた。哀しそうな目を隠すように両手でゆっくり顔を覆った…
ダリアも、うつむいたまま、うなずいた…。



……よくドラマで、妻が妊娠したのを感激して喜ぶ夫がいるが、やっぱりあれはドラマだな…とクレセントは思った…。

子どもが…
自分の血を分けた新しい命が“存在する”なんて……
そんなこと…とんでもない…!!

喜ぶ気持ちよりも、新しい命をこの世に作り出してしまった自分の行いが恐ろしくてたまらなかった。「死」は確かに恐ろしい…もうこの世に戻って来る事が出来ないのだから。しかし「生」もまた同じくらい恐ろしい事なのだとクレセントは初めて知った。お腹の子は何も知らないで、この世に生まれて来る…自分の育て方次第でこの子の世界を見る目は、ガラリと変わってしまうのだ。そんな恐ろしい責任を突きつけられ、たまらなくなった…!

「…ひとつ教えてよ、僕はいつ失敗したの…?」クレセントはダリアに聞いた。
「…ギャラリーの、パーティがあった夜…」ダリアはうつむいたまま、ポツリ…と言った。
泥酔して帰宅した夜の事は、ダリアが傘をさして迎えに来てくれた事以外、ほとんど覚えてなかった。ただ…あの夜はダリアがパーティ会場で来客たちのちょっとした注目を浴びていて(絵のモデルだった事が理由だ…)クレセントも自分の妻が、やたら輝いて見えていたのは確かだった…それと同時にダリアを見つめる男性客たちの視線が、たまらなく嫌だった事も…。

「…拒否できなかったのかい!?」つい責めるような口調になってしまう。
「…だって、あなたの方が力が強いし…私が“待って”言っても無視して続けて……それに…覚えてないかもしれないけど、あなたが“本当は君との子どもが欲しいって思ってるんだ…!”とか、“頼むから僕を受け入れてくれよ…!”とか…言うから…あなたが心の中では、本当はそんな風に思っていたんだって、聞かされたら…拒否なんて…できないわよ…!」

「パーティの夜に…まさか他の男性客からの“お誘い”に乗ったりしてないよね…!?」…落ち着いていれば、こんな言葉は全く無意味だと気づくのだが。しかしこの時、クレセントは感情が抑えられなかった。
案の定、ダリアは激怒した!

「自分の責任を棚に上げておいて、何よそれ!あなた以外に誰がいるのよ!…こんな…こんな…私の歌が“人を眠らせてしまう歌”になってしまったのは、誰のせいよ…!あなたが赤ちゃんをイルミネ市に返しに行ってる時に、あなたのお姉さんが教えてくれたわ「自分たちの血の影響を受けると、同じように相手にも“特殊な感性”が宿るって。だからあなたの歌が子守歌になってしまったのは、モントスティルとの子どもを妊娠したからよ…」って…!もういいわ!あなたは、自分の“お相手をしてくれる”女性ならば誰でもいいのね。あなたも無関係じゃないから思い切って打ち明けたのに…!話さなきゃ良かった!!」

その後…ダリアは片づけたばかりの旅行カバンを再度引っ張り出して荷物をまとめると、アパート出て行ってしまったのだった……。



「…日曜なのに集会所に来なかったから…昨日から雨が降っていたし、風邪でもひいてるんじゃないかと思って…でも、大丈夫そうね…」
「…ああ、大丈夫…」
ケンカ中だったが…自分を心配してくれたダリアにクレセントは胸がじんわり熱くなった…。

以前も1度、彼女がアパートを出ていってしまった事があった。その時は集会所に身を寄せていたが、今度もまた集会場に駆け込んだのだろう…来週こそ、集会所へ行って謝ろう。ダリアに“もう1度ゆっくり話し合おう”とお願いしてみよう。クレセントがそう心に決めた時だった。ダリアは思いがけない事を口にした。

「…あのね、今日電話したのは…実はね…パーティの時に知り合ったレコード会社のプロデューサーの方がいて、その人から“歌手としてデビューしませんか?”って誘われてたの。その時は断ったけど気が向いたら連絡を下さいって言ってくれて。今日の集会でね、私の音楽演奏の時にその人も偶然、会場にいて“次の新人デビューにぜひあなたを推薦(すいせん)したい!”って。だから私、思い切って引き受けようと思うの。私、今まであなたに甘えてばかりいたから、これからは自立できるように努力するわ。子どもは、私が責任を持って育てるから心配しないで。もうこれからは、あなたに迷惑かけないから。急な話だけど、今日の午後には町を出発する事になったの。最後に、あなたにお礼を言いたくて…話はそれだけ。今までありがとう。じゃあね、元気でね…!」

そう言うと、電話は静かに切れた…クレセントは呆然として、しばらく動けなかった……。



外はまだ雨が降っていた…そのせいで、まだ午前中なのに夕方のように薄暗い…
ふと、クレセントは幼い頃、ソードボール島からイルミネ市に亡命したばかりの時に住んでいた港町を思い出した…雨で海が湿気ると視界が悪くなる。そんな時、港の“灯台の明かり”が漁師たちが帰るための大切な道しるべになるのだと…

クレセントにとってダリアは…最初は宝石箱の1番高価なダイヤモンドで自分が所有していれば満足な存在だった…
しかし華やかではないが、一緒に楽しく暮らしてきた日々…記憶の奥に忘れかけてた故郷ソードボール島でブレッセルやクロワッサンと対面し、自分の過去を彼女と共有できた事で、クレセントにとってダリアは、もはや灯台のような存在だった。彼女なしで人生の海を渡っていく事など、もうできなかった…

クレセントは上着を羽織ると、わずらわしくて傘もささずに雨の中へ駆け出した…!



「…どうしよう…私、彼にひどいことを言ってしまったの…きっともう許してくれないわ…!」泣きながら話すダリアの電話をクロワッサンが受け取ったのは今から2週間前だった。
集会場に駆け込んだダリアは、ソードボール島を離れる前に教えてもらったクロワッサン専用の番号に電話をかけて相談したのだった。
「大丈夫、すぐに仲直りできるわよ。ブレッセルがクレセントのところに電話を入れたけど、すご〜く寂しがってるって言っていたから…」
しかし…2週間経っても仲直りに進展が見られなかった…

業を煮やしたブレッセルは一計を案じる。黒い灯台で録音した子守歌の音声データを利用してブレッセルは、あるケンカ別れした夫婦が復縁する筋書きの恋愛映画のセリフをダリアの声でAI生成したのだった…。
「待ってて、ダリアさん。私が今から1本の電話をクレセントにかけるから。30分もしないうちに、彼は血相をかえてあなたの元へ駆けつけるはずよ♡」
そしてブレッセルが予告した通りになった。ダリアがその電話を受けた10分後…集会場のドアを慌てて叩くクレセント姿があったのだった…。



その後…ダリアは無事に出産を終えたのだった。子守歌の効力は妊娠中だけだったようで、赤ちゃんを産んでしまうと消えてしまったのだった。ダリアは自分の子を寝かしつける時には歌の効力がなくなってしまい少し残念がっていたが、また音楽の教師に復帰する望みができたので喜んだのだった。
クレセントは、この頃から音楽を聞きながら絵を描くようになった。それは黒い灯台の、あの3週間という短い期間に録音したダリアの歌だった。彼はこの歌を生涯大切にしていたという…。


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エピローグ,

……ここは、ある町の小さな学校。
この町で暮らす画家のクレセントは、この学校で美術教師をしていた。午後の授業も終わり、生徒たちが帰宅した後で教室内にはクレセントだけが残っていた。
ふと見ると、机のひとつに歴史の教科書が置いてあった。どうやら生徒の誰かの忘れ物らしい。まだ帰るまでに少し時間があったクレセントは、何気なくその本をめくった…

【……6年前、イルミネ市に大きな地震がおそった。この街は海岸沿いだったため津波の被害も受けた。街は大きな波にのみこまれ、イルミネ市の観光名所で国内最大のパラボラアンテナも津波の被害を受けた。その際、パラボラアンテナは軸の制御が利かなくなり大きな盤の部分は大破して、津波の引き潮で、そのまま何十メートルか先の沖合にまで流されてしまった。
また、イルミネ市の海域を挟んだ北側に「ソードボール島」という独立自治区の島がある。この島には、かつておよそ30〜40年稼働したとされる「黒い灯台」と呼ばれる施設が建てられていた。その灯台は、小国家ながらも世界でトップクラスの技術を持ち、いくつもの大国の空爆から島を防御していた。しかし、津波の耐久性を備えていなかった事と、老朽化が原因で大きな地震の際に全壊してしまった。

◇「世界の果て」と呼ばれる海域……現在、このイルミネ市とソードボール島の間にある海域は国連によって管理され、いかなる国も領有権主張が認められず立ち入りも禁止されている。理由としては…
1.地震前にパラボラアンテナと灯台から発生していた電波のうち、水面を透過しない電波の残留による海面の環境汚染が確認されたこと
2.レーダーを使用する船舶、航空機(軍事訓練用機も含む)一切が、上記の理由1の要素によって海域を横断不可能にしており安全が保障できないため
3.かつて空爆が行われた際、海底に不発弾が多数残っておりソードボール島自治区によって考案された「無人不発弾偵察機」による長期の除去作業を円滑に行うため。※なお、海面下においては各国の自衛権と自国責任において立入を許可しており、特に不発弾除去に協力する国においては特別措置もある。
…以上の理由によってである。なお、この海域の環境汚染に関しては、地震前に領土を主張してきた各大国(図aを参照)が、その責務を負う事となっており、海域が地震前の段階に回復するまでは、おおよそ30年かかると推測されている………】

「おとうさ〜ん!」
そこまで読んだところで、クレセントは声をかけられた。廊下からひとりの子どもがやって来た。クレセントは仕方なさそうに笑って言った。
「こら、学校では“せんせい”って言わないとダメだぞ」
「だって今日の授業は終わったもん。だからもう、いいでしょ?」小さな子どもが無邪気に笑い、クレセントのひざの辺りに抱きついた。

「あなたー、お疲れ様」子どもの後ろから、ダリアもやって来た。
「さあ帰りましょう。夕食は何にしましょうか」
「サンドイッチがいい!」
「おいおいサンドイッチは、朝、食べただろう」
「だってー、好きなんだもん」

クレセントは歴史の教科書を閉じると、教卓の上にそっと置いた。

小さい子はクレセントの右手とダリアの左手をとって、真ん中になり、ふたりを引っ張った。

3人は手をつないで、教室をあとにした…………。




《終》


**
読んでくださりありがとうございました。
急須酌子 拝
[2023-r5.12.30]
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