( 第3章-月の皿 )…17min

文字数 10,872文字

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09-子守歌は平和のために

翌朝、クレセントが目を覚ますとダリアは既に起きていた。隣のキッチンで朝食を準備しているようだった。脇のベビーベッドの赤ちゃんが泣き始めた。おむつかな…と思い、替えようと思ったがクレセントは自分が目隠しされていた事を思い出した。ベッドの端から腕を伸ばして周辺を探る。そこへダリアが隣のキッチンからやって来た。

「いいのよ…あなた、無理しないで。変につまづいてケガされる方が心配だわ」そう言うと、赤ちゃんのおむつを替える動作が聞こえてきた。目隠しがなければ、自分だってそれぐらいはできるのになぁ…ダリアばかり負担になっていてクレセントは、もどかしい気持ちになった…。

一体…ブレッセルは、どういうつもりなのだろう。なぜ自分だけでなく、ダリアまでこの島に留めようとするのか…。この部屋は生活するには、とりあえず困らないのだが3人とも監禁状態で外部との連絡を取る手段の類のものが全く無かった。ただ1つ…居間のパソコンの隣にコードレスホンが置いてあるが、いくらボタンを押しても通じなかった。またパソコンのメールなどの機能も、いつ見ても接続が切れた状態だった。

クレセントがシャワーを浴びて居間に来ると、ダリアから手渡された朝食はサンドイッチだった。これなら自分で食べられるし、わずらわしくない。ダリアも赤ちゃんにミルクを与えながら食べられるだろう。

卵やレタスの生鮮食品は、居間の開かないドアに小さな窓があって、毎朝、そこへドローンで届けられていた。逃げられそうな場所はその窓だけなので1度だけ、目が見えるダリアが外を覗いた事があったが、その可能性は低かった。

窓の外には海が広がっていた…沖のはるか向こうには星を散りばめたようなイルミネ市のネオンの輝きと、立てて飾られた絵皿のようなパラボラアンテナが薄っすらと見える。
クレセントたちが今いるこの部屋は、地上から50Mほどある大きな塔の一室だった。窓の上の方へ目を向けると屋上になっていて、柵がついた通路が周りを取り囲んでいる円柱形のガラス張りの部屋があった。その中には黒い巨大なライトがゆっくりと回転している。
そこでクレセントは思い至った。ここは「黒い灯台」の内部なのだと…。

朝食を済ませた後、クレセントはダリアの手をかりて、部屋の中を把握するためにゆっくり時間をかけて歩き回った。自由がない今、どのくらいここに閉じ込められるかまだ分からないため部屋全体を把握しておこうと思ったのだ。
ゆっくりと歩いていたクレセントは、ふと耳をすました…どこからかオルゴールのような音色が聞こえてきた。最初は何の音か分からなかったが、クレセントはパソコンの近くから聞こえると指摘した。

ダリアが見に行くと、それは電話の呼び出し音が鳴っている音だった。今まで全く通じなかったあのコードレスホンがその時、初めて音を鳴らしていた。



電話に出ると、相手はブレッセルだった。
「はぁい〜、おはようクレセント。どう?ダリアさんと“甘くてイチャラブ♡”な新婚生活を楽しんでるぅ〜?」
「どういうつもりだ、ブレッセル。こんな所にダリアと赤ちゃんまで閉じ込めて。お願いがある。僕はここに残るからダリアたちはイルミネ市に帰してあげてほしい…!」

するとブレッセルは思いがけない事を言った。
「あら、ダメよ。だってダリアさんも“特殊な感性”の持ち主だもの。クレセント、あなたを仲間に誘うだけのつもりだったけど思いがけずこんな貴重な人材を手に入れたんだもの。そんな簡単に帰せないわ」
「彼女の子守歌の事か…?でもこの力は眠らせるだけ…ブレッセルの役に立つ事は何も…」

すると、ブレッセルは急に真剣になって答えた。
「あるわよ!彼女の歌声をちょっとした調べさせてもらったけど、その声はね、今あなたがいる「黒い灯台」の電波の防御力を増幅させる効力があるのよ。もしかすると、クレセントよりも良い仕事をしてくれるかもしれないわね〜。だからダリアさんはダメよ。あなたを帰しても、彼女はここに残すつもり。もう決めたから…!」
「そんな勝手な理屈を…!!」クレセントは怒鳴った。
「ここにいれば愛する妻と、ずーっと暮らせるのよ。どう?クレセントも住み続けたくなったでしょ。ここに残って“私の手伝いをしても良い”って言う気になったら、天井に向かって話しかけて。この部屋は、いつでも監視してるから。じゃあまたね♡」そう言うと電話は、一方的に切られてしまった。

「っ……!!」クレセントは頭を抱え、うずくまる……
「あなた…」ダリアはクレセントの肩にそっと手を乗せた…。



ダリアは提案した。「あなた…私はここに残るから、あなたが島を出て、赤ちゃんをギャラリー夫婦の元に返してあげて。私は大丈夫よ。ブレッセルは私に危害を加える気はなさそうだし…あんなに仲の良い家族から赤ちゃんを取り上げてしまうなんて、そんなの…あんまりだわ…!」

クレセントは途方に暮れた…1度ブレッセルの要求をのんで、自分が自由に動けるようになったら隙を見て3人でこの島を脱出すればいい…と考えていたが、今となってはブレッセルが利用価値を置いてるのは、自分ではなくダリアの方なのだ。下手をすれば、1度島を離れたら、2度目は上陸さえ出来なくなるかもしれない…そうなれば、ダリアとは生き別れ同然である。それはクレセントにとっては、ありえない事だった。

それと、ダリアの特殊な感性…そもそも、その理由を探るためにイルミネ市へ旅行に来たのだが…しかしクレセントは、なぜ彼女が急にこんな力に目覚めたのか…その理由に薄々、気づき始めていた。でも、それ確かめるために話を切り出すには、まだクレセント自身も勇気がなかった…しかも原因が自分にあるという事も…そう考えると、やるせない気持ちになった。だが、今の状況ではダリアの提案通りにするしか打開策がなかった。クレセントは決断した。
「ブレッセルと、話をしてみよう…!」



クレセントは居間の天井に向かって声を出した。
「ブレッセル、聞いているなら答えてくれ。赤ちゃんは、もう関係ないから夫婦の元へ返す。だから僕をこの塔から出してくれ。ダリアは島に残ると言っている。僕は必ずこの島に戻って来る。約束するから。だから彼女の監禁も解いてくれ…!頼む…!!」

だが…それから、数時間経っても何も起きなかった。ひょっとしたらブレッセルに、からかわれたのだろうか…と思った。クレセントはガッカリしたが内心ではホッとしていた。少なくともダリアを置いて島を離れなくて良いのだから…。窓から地平線の夕陽の光が居間に差し込んでいるようで、太陽の温もりを感じた。この塔に来て3日目の夜を向かえようとしていた…。



その日の夜…
寝室でクレセントとダリアがベッドに寝ていると、あの全身鏡がはめ込まれたドアがゴトゴトと音を立てた。クレセントは、目覚めると素早く隣のダリアを抱きしめた。自分は今、目が見えない。彼女を守りきれず、連れ去られてしまうのではないかと恐ろしくなった。

ダリアが見ると、ドアの隙間からそっと部屋へ入って来たのはライダースーツ姿の女性だった。
「怖がらないで…私は…ブレッセルじゃないわ…」そう言って慌てて覆面を外す。

「あなた…ホテルの隣の部屋の…?」
覆面の下から見せた顔は、イルミネ市の初日にホテルの隣の部屋から出てきた、あの女性だった…。


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10-妃の秘密

ドアを閉じると、その女性は話しかけて来た。
「…こんな夜更けに、ごめんなさい…昼間は私も執務があるから夜しか動けないの。あぁ、どうか警戒しないで…と、言っても無理よね。私は、あなた方の味方よ。その証拠に、ほら、これを持ってきたわ。目隠しを外せる鍵よ。さあ、このテーブルに置いたわ。私は離れて見てるから、この鍵で彼の目隠しを取ってあげて…」
そう言うと、寝室の真ん中の円形テーブルに小さく細いプラスチックのようなものを置いた。女性はテーブルから離れてドアの近くに戻った。
ダリアは、慎重にテーブルに近づいてプラスチックを手に取った。ベッドに戻ると女性は説明した。
「目隠しの鍵の部分に、そのキーを数秒ほど近づけて…」
言う通りにすると、ピピッ…という電子音と共にスルリと、目隠しが落ちた…。

次の瞬間!クレセントはベッドから凄まじい勢い早さで女性に近づき、ドアへ押さえつけた!
「やめて、あなた!」ダリアが叫ぶ!

「怖がらないで…」女性は動じる事なく、やさしくクレセントに話しかける。
なるほど、確かにその女性はブレッセルよりは背が少し高く、目つきも雰囲気も違っていた。まだ油断できないクレセントは尋ねた。
「お前は誰だ。僕たちを助けた理由は…?」
「私はクロワッサン…あなたにお願いがあって来たの…」
「おかしいな…僕が新聞で見たクロワッサン妃は、ショートヘアの女性で明らかにあなたではなかったが…?」
「私は妃殿下の影武者なの。“あの方”が宮廷内の仕事ができない時は、私が代理で執務を行うの。“あの方”は本当に大切な仕事は、自ら率先して行わないと気が済まない性格だから…ゆるしてあげて…“彼女”もこの国を守るために必死なの…」
「…つまり、あなたとブレッセルは、入れ替わってると…?」
「そう…イルミネ市を騒がしてる女怪盗ブレッセルこそ、このソードボール島の本当のリーダーなのよ…」



ようやくクレセントは、クロワッサンを離した。3人は居間に集まり、ダリアは温かいお茶を用意した。クロワッサンは話し出した。

「私は昔、大怪我を負った際、ブレッセルに命を救われて…年や背恰好が似てたから、それからは妃の影武者として一緒に生きてきたの…ある時、今度はブレッセルが大怪我をして輸血が必要になったわ。今度は私が妃を助けるために自分の血を分けたの。お互いに血を分け合って、もう姉妹みたいな存在になっていたわ…そして私の血はブレッセルに思いがけない能力を与えたわ。クレセント、あなたと同じ“特殊な感性”を…けれど人の性格が違ってるように感性の現れ方はその人によって変わるの。ブレッセルは「触覚」が優れているわ。クレセント、あなたの「視覚」も優れているけど、彼女は空間の波動や気配を察知してるから相手の動きが全て、お見通しなのよ」

「ええ、本当に彼女は手強かった…しかしそうなると、あなたも何かしら、特殊な感性があるのでは…?」クレセントは尋ねた。

「私の最初の感性は…失ってしまったの。昔、大怪我をしたと話したけど…不発弾のせいよ。不発弾の暴発を避けきれなくて…まともにその威力をくらって大怪我を負ったわ。クレセントなら分かると思うけど…“ありえないと思い込んでる”ものは、避けられないでしょう…?」
「あ~、それなら心当たりがある。例えば妻の平手打ち…とかね」
「もう、あなたってばー…」ダリアが隣から、たしなめる。

するとクロワッサンは子守歌を歌い始めた。その子守歌は、クレセントが長年封じ込めてた記憶を呼び起こすのに充分だった。それは、あの暗く狭い地下室で、怖がる自分をなぐさめるために歌ってくれた子守歌だった…。

「…僕の事が…足手まといだったの…?」微かに震える声でクレセントは尋ねた…

クロワッサンは首を振った。
「…視力こそ失わなかったけど、私は普通の人より視力が落ちてしまったわ…だからあの“特殊な感性”を失った時、自分だけでなくあなたの事も養っていくのは無理だと悟ったわ。ブレッセルは、その時に弟のあなたの事も受け入れると言ってくれたんだけど…王室関係者になってしまうと、イルミネ市の援助が受けられなくなって亡命もできなくなってしまうの。それに、妃の元で庇護(ひご)を受ける生活は、あなたはいずれ窮屈(きゅうくつ)になるだろうと思ったわ。やがて持ち合わせた、その“優れた視力”できっと独り立ちして生きて行く事ができると思ったから……だから、私はあなたを見捨てたの……本当にごめんなさい…ゆるして…クレセント…」クロワッサンは、揺れる瞳でクレセントを見つめた。

「やっぱり…あなたは優しい人だね…」クレセントは立ち上がると、向かいのソファに座っていたクロワッサンの隣に寄り添って座った。

「大きくなったのね…モントスティル…無事でいてくれて…良かったわ…!」クロワッサンは、そっとクレセントの広い肩に腕を回した。

「姉さんこそ…」クレセントもクロワッサンの背中にやさしく触れて抱きしめたのだった……。


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11-迫る紛争

クレセントを抱きしめたクロワッサンはつぶやいた
「…少し、陰りのある香りね…あなたとダリアさんは、駆け落ち…かしら…?」

クレセントは、姉にまだ話してない事を言い当てられて驚いた…!
「姉さん、読心術でも身についたのかい…!?

「いいえ…あなたの“香り”からそんな気がしたの。不思議ね、視力は凡人並みになってしまったけれど、代わりに相手の雰囲気を嗅ぎ分けられるようになったの…嗅覚が鋭くなったっていえば良いのかしら…ブレッセルには分からないけれど、私には城内の範囲ならばスパイや敵が見た目をごまかしても見破れるのよ」

クロワッサンから腕をほどきながらクレセントは言った。
「なるほど。ブレッセルが姉さんを側近として置きたがるわけだ。ところで…ブレッセルは…?昼間から音信不通だけど…」

「彼女は、全部ご存知よ…今、疲れてしまって部屋で寝てるわ。ごめんなさいね、悪い子じゃないんだけど…クレセントの居場所が分かってから、あなたと私を何とか引き合わせようと色々、手を打ってくれたのも彼女よ。でも私はクレセントを、ひと目見れればそれで充分だったの…だから、1度だけあのホテルの隣の部屋を予約して、あなたの事を見に行ったの…弟と生き別れになった私を不憫(ふびん)に思ったんでしょうね。ブレッセルは、あなたたちをソードボール島に引き留めようと、こんな事を……私から謝るわ。本当にごめんなさい」

「いいんだよ、ちょっとお節介だけどね。でもそのおかげで僕も姉さんに会う事ができた。でもそうなると…最初に言ってた“頼みたいこと”って…?」

「…さっき私は、嗅覚が鋭くなったって言ったでしょ…?この能力はね、別の側面もあるの。…クレセントは最近、このソードボール島を貫いてる地盤が活発になってる事は知ってるかしら…?」
クレセントは、昨日のラジオで確かそんなニュースを報じてたなぁと思った。クロワッサンは話を続けた。

「もう…数か月前から“ある匂い”が鼻につくようになったの。最初は…私の感覚がおかしいと思ったけど…この匂いが強くなった1日後は必ず地震が起きるの。だからこれは地震の予知してるのだと確信したわ。そしてね…私の嗅覚は今、感じた事のない危険を感じてる…この島は、あと100日後に大地震に襲われるわ……」



言葉を切ると、クロワッサンは落ち着くためにカップのお茶を一口飲んだ。
「…今度のは、今までの弱い地震の匂いとは、まるで違うの。建物は倒壊してしまうし、津波も起きるわ。イルミネ市は海に直接面してる低い土地柄だから被害は避けられないわ。ソードボール島も…海辺は津波に襲われでしょう…でもね、私が1番恐れてるのは、この地震で「黒い灯台」が倒壊して、停止していた空爆がまた始まることよ。地震で大きな被害を受けたところに昔のあんな攻撃が再び始まったりすれば、ソードボール島は復興もできないまま間違いなく滅んでしまうわ…!お願い、クレセント。そうなる前にあなたに、この島とイルミネ市を地震から守って欲しいの…!」

地震の的確な予知方法は、まだ世界のどこにも確立されてはいない…クレセントはなんだかSF映画のあらすじでも聞いてる気分だった。
「で、でも…僕は視力が優れてるだけだ。地震を止めるなんて不可能だよ…ネットでその予知を公開して危険を知らせるほうがまだ効果的かも…僕は姉さんが嘘を言ってるとは思ってないよ。でも…こんな話を純粋に信じる人は、まずいないだろうな…」クレセントは自信のなさから段々と声が小さくなった…

「えぇ…こんな情報はデマと判断されて、すぐにネット上からも消去されてしまうでしょうね。ひょっとしたら、この情報を受けた敵国が用意周到に準備して、地震後を狙って奇襲を仕掛けてくるかもしれないわ…そうなったらこの島は、ひとたまりもないわ…」

「なるほど…そう考えるとうかつに情報も公開できない、というわけだね…。ブレッセルは…この事を知ってるのかい…?」

「えぇ…最近、打ち明けたわ。だから急きょ、灯台の老朽化を調べるために専門家を呼んだの。けれど…うかつだったわ。その専門家の中にスパイが紛れていたの。報告書のデータ改竄(かいざん)はされてなかったけど、たまたま専門家たちを夕食に招待した際に、私が“裏切り”の香りに気づいたの。敵の国々に灯台の老朽化が進んでる事が知られてるのは間違いないでしょうね…」

「僕らにできる事は何もない…か」クレセントは急に力が抜けてソファに寄りかかった。
「自然が相手ではどうしようもないよな…」

「…本当にそうね。いっそうの事、“地震”を眠らせる事ができたら良いのに…」ダリアがポツリと言った…。
そういえば…ブレッセルは、ダリアの特殊な感性である「彼女の子守歌」には、この灯台の電波を増幅させる…と言っていた。どういう事だろう…?「ブレッセルもこの灯台の建設に関わったのかい。灯台の構造にもかなり詳しいようだけど…?」クレセントは尋ねた。

「ええ、彼女は学生時代に物理学を専攻していて、ソードボール島で初の物理学女子大学の創設者でもあるの。黒い灯台の設計にも加わっていたわ。彼女はダリアさんの歌声にかなり興味を思っていたわ…私は灯台の専門的な事は分からないけど、ブレッセルには何か考えがあってダリアさんを連れてきたみたいね…」

「そうよ。ダリアさんは、この島の救世主なんだから…!」
3人が驚いて寝室の入口の方を振り向く。またもやライダースーツの女性が立っていた。だが覆面はしていない。その女性はクレセントが新聞でみた写真の、あのショートヘアの女性…ソードボール島のリーダー、ブレッセルだった。


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12-再会の約束

「ブレッセル、起きていいの…?もう少し休んだほうが…」
「平気よ。もう…!クロワッサンってば、ネタばらしが早いわよ〜、もう少しクレセントたちをこの灯台に留めておいても良かったのに。クレセントだってダリアさんとの甘〜い夜の途中だったんじゃない…?」ブレッセルは居間のテーブルに近づくとクロワッサンの隣に優雅な仕草で座った。

「あなたが休んでる間に彼らに、この島の事情を話しておこうと思って…あなただって、あまり時間がないって事は承知でしょう…?」

「大丈夫よ〜、確かにこの灯台は老朽化が進んでるけど…ソードボール島が、当時の最先端技術と威信をかけて作った大きな塔なのよ。そう簡単に倒れるわけがないでしょ。いざとなったら宮殿の最後の砦(とりで)になるかもね。クロワッサンは心配症ね、あなたこそせっかく“弟くん”に会えたのよ。こんな陰気臭い話じゃなくて、もっと聞きたい事が色々あるでしょうに。そっちの話をしなさいよ〜」ブレッセルは明るく言い放つ。そのせいか、何となく重かった場が温かく和やかに感じられるようになった。
さすがに妃だけあって、その場にいる者たちを惹きつけて和ませてしまう。“統治者”と呼ばれる者が生まれながら持つ素質だろうか…クレセントは感心してしまった。それにしても彼女の満ち溢れたこの自信は一体どこから生まれるのやら…。ある日突然、“特殊な感性”を手に入れた事で生まれる自信かもしれないなぁ…と、クレセントは思った。

「さあ、今夜のところはこれでお開きにしましょう。クレセントにダリアさん、明日は私の城へ正式に招待するわ。これからのことは、また明日話しましょう」

「あら、せっかく来たのにもう帰ってしまうの…?」ブレッセルの分のお茶を淹れてキッチンからやって来たダリアは残念そうに言う。

重力を感じさせないような軽やさで立ち上がるとブレッセルは言った。
「ええ、また明日たくさんお話しましょうね。ごめんなさいね…こんなところへ閉じ込めて。おわびに明日は、ここに置いてあるものよりもっと美味しいお茶をご馳走するから。でもね…私は、あなたの“才能”に期待しているのよ。これは本心だから…」

「才能に期待しているって…?」クレセントは尋ねかけたが、彼女の滑舌に遮られてしまう。

「あっ、そうそう!ダリアさんには大事な事を言い忘れてたわ」そう言うと、彼女はダリアの顔の前に小さくて細長いものを差し出す。1本の口紅だった。
「この灯台は明日から外からの出入りも自由になるから。護身用よ、あなたにあげるわ」
ダリアが口紅を繰り出すと、バチバチっと電気が発した。それは口紅型スタンガンだった。
「ひょっとして、これで私たちを気絶させたの…?」ダリアはクレセントが間接キスされたわけではないと知って、ちょっと驚く。

「ダリアさん、自分の身体を大事にね。いつかの、飲み過ぎちゃって“節制がなくなった”旦那様にも使っていいから♡」

「なんで…なんで…お前がそんなことまで知ってるんだ…!?」クレセントは顔が赤くなる。

「だって私は女の子の味方だも〜ん♪おやすみ〜」
そう言うと素早く寝室のドアへ駆け出した。クレセントも後を追って寝室の全面鏡のドアを開けてみた。目の前は白くキレイな広い廊下と螺旋階段があり、地上へと続いている。だがブレッセルの姿はもう、どこにもなかった…。



翌日。午前中にブレッセルから電話があり(相変わらず、こちらからの連絡はできない…)午後1時に迎えが行くと連絡が来た。クレセントとダリアが支度をして待ってると寝室の鏡ドアから運転手らしき人がやって来て2人は車で山の頂上のクロワッサン妃の城へ行った。

クロワッサン妃の城はソードボール島に来た初日に敷地の外から1度見たきりだった。城は五芒星型の堀に囲まれた内側の土地に建っていて、頂上の平らな土地の横に何百メートルも広がった西洋の城だった。

いくつかある門の1つから車で敷地に入り、館の玄関前に止まった。車から降りると管理人らしい執事に館内へ案内された。いくつもある部屋の1つに通された。部屋の中は、あの灯台の居間と似た作りの内装だった。やがてブレッセルとクロワッサンが現れた。今日の2人はベージュとパステルブルーのスカートスーツ姿だった。

昨日約束した通りブレッセルは全員のお茶を淹れてくれた。皆がお茶を飲み始めたところでクロワッサンが切り出した。


計画はこんな感じだった…
まず赤ちゃんをあの夫婦の元へ帰し、彼らにすぐイルミネ市を離れるように伝えて絶対に戻らないよう言い聞かせること。

それから、ブレッセルは近い内にイルミネ市に向けて新たな妨害電波を灯台から発生させるという。これによって都市機能を麻痺させる事で都民を一時的に周辺の町へ散り散りにさせて都心から遠ざける(結果的に避難させる)という。
「地震はどうしても止めようがないから…街の倒壊は避けられないわ。だから都民を避難させる事に重点を置くわ」ソードボール島では、海岸線一帯を灯台の大改修を理由に立ち入りを禁止するという…。

ダリアは歌の効力をより詳しく見定めるために数日ほど、この城に残る事になった。クレセントは、ダリアもイルミネ市へ帰らせて欲しいと再びお願いしたが、これからの計画にダリアの力はどうしても不可欠であるためそれは断られてしまった。
「もちろんモントスティル、あなたの力もよ…あなたは逃げたりはしないでしょうけど。悪いけどまだダリアさんが人質であることに変わりはないわ」ブレッセルは言った。

その日の夕方…クレセントは怪盗姿になると赤ちゃんをダリアからそっと受け取った。
「赤ちゃんをギャラリー夫婦の元へ届けたらすぐに戻るから…!」
「心配しないで。ダリアさんは私たちが保護してるから」クロワッサンは言う。
「あなた…気を付けて…!」ダリアは哀しそうに見送った…


怪盗はソードボール島に来た時に乗った水上バイクのある砂浜まで戻るとイルミネ市に向かった…。



日が沈んでから、怪盗はイルミネ市の海岸沿いから少し離れた人の気配がない場所に水上バイクを隠して上陸した。向こうの海岸には白くライトアップされたパラボラアンテナが浮かび上がって見える。あんな堂々たるものが、あと数か月後には崩れ去ってしまうなんて…ちょっと信じがたかったが、今はブレッセルたちを信じるしかない。

一方…ギャラリー夫婦は、もう3日間も怪盗から全く音沙汰がないために、心身ともに疲れ果ててしまっていた…あの怪盗モントスティルでも今度ばかりは、しくじったかもしれない…捕まってしまい一筋の希望は絶たれたのかもしれないと諦めかけていた。1日以上経ったら夫人は待ち切れずにイルミネ市警に電話を入れようとしたのを旦那さんが引き留め、2日以上経ったら今度は旦那さんが警察へ電話しようとするのを「赤ちゃんが人質になってるうちはやめて」と夫人が引き留めた…そして3日目、もうお互いに引き留める気力はなく旦那さんがまさに警察へ電話しようとした時だった…
ホテルの内線電話が鳴った…!

しかし、電話はすぐに切れてしまった。通話記録がクレセントの部屋だったのを見ると夫婦は急いでクレセントたちの部屋へ向かった。預かってた鍵で部屋の中に入ると、居間のソファに大きな籠があり、その中で赤ちゃんが元気そうに泣いていた。夫人は抱えあげて泣いた…だが怪盗の姿はどこにもなかった。籠の中にはメッセージカードがあった。

【お約束通り、赤ちゃんはあなた方の元へお返しする。私はダリアと共にもう少しソードボール島で新婚旅行を楽しむので貴殿たちは先に帰宅してくれ。そして…

“何があっても2度とイルミネ市には戻らないように!”

指示に従わない時は今度は“私が”赤子を拉致するからそのつもりでいてくれ。理由は、今はまだ言えない…。
ではまた…再会する日まで。
怪盗モントスティル】

夫婦は、なぜ怪盗が寝返るような真似をするのか、わけが分からなかったが…もう赤ちゃんが拉致される事は、まっぴらだったので、怪盗の指示に従った。次の日には数週間先まで取っていたホテルの予約もキャンセルして帰宅した。また、ギャラリーの主人も仕事で決まっていたイルミネ市への出張を拒否した。そのせいで彼の仕事の評価は一時的に下がり部署も異動になってしまった。しかしイルミネ市の“ある出来事”で再び元の部署に戻れたのだった。

怪盗がなぜ、あれほどまでにイルミネ市から離れるようこだわったのか…その理由を夫婦は数か月後に知ることになるのだった……。


(第3章-月の皿 -終-)

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