( 第1章-大地の皿 )…28min

文字数 13,902文字

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プロローグ

………暗闇の中で、女の子と小さな男の子が身を潜めている。そこは、町によくある小さな一軒の民家の地下室だった。この家の住人たちは、とうにどこかへ逃げてしまったらしく、誰かのとがめを受ける事なくこの2人の子供たちは地下室へ入り込んだ。男の子は女の子の弟で怖がりだった。真っ暗な地下に入るのをためらうのでちょっと強引に押し込み、自分も一緒に隠れた。
その小さな男の子は姉に抱き寄せられ、彼女のかすかな声の子守歌を聞いている。外のはるか遠く地上の方では、まだ人々が叫んだり、悲鳴がかすかに聞こえる。時々、遠くで地響きが聞こえる。それは飛んできた爆弾が落下する音だった
「お姉ちゃん、お腹すいた…」
「もう少し待ってて…もう少し静かになったら外に行けるから…」

一体…あの爆弾の雨は、どのくらいの量、この世に存在するのだろう…毎日あんなに降っていればどんな大雨だって、いつかは止むのに…爆弾の雨は数か月前始まった北側にある隣国との紛争が始まってから一向に弱まる気配がない。ちょっと静かになったかと思えば、また降り出す。
暗闇だったのでやがて姉と弟は眠り込んでしまった。女の子が先に目が覚め、外の様子を覗きに行くと、日が暮れかかっていてもうすぐ夜になりそうだった。通りには人の気配がなく、時々ずっと向こうで大人たちが爆撃後の自宅前を片付けてるようだった。弟も起きて来た。

「あたし、これから夕ご飯になるもの探してくるから、あんたはここで隠れてな」
そう言って女の子は暗闇へ駆け出した。女の子は他の子よりちょっと視力が優れている。人や物の動きを素早く察して機敏に動き回る。だから子供たちは鬼ごっこの時だけは彼女を誘わない。どうしても捕まえられないのだ。類まれなこの能力は、やがて自分と弟の毎日の糧を得るための手段となった。
親もお金もない女の子は、色々たくさん持ってる大人たちから自分と弟の食べる分を、毎日拝借していた。見つからないようこっそり盗むが時に見つかる事もある。弟は姉の行為を、危ないし盗みは悪いことだからやめて欲しいな…と思っていたが、姉のはたらきで自分は食いつないでるので逆らった事は言えない。それに1度も大人たちに捕まったことがない姉の事を尊敬もしていた。

しかし…その夜を境に、姉は弟の前から姿を消した。いつもなら、収穫がなくても夜明けには帰って来るが…弟も、空腹で待ち切れず、いてもたってもいられず、とうとう生まれて初めて姉の真似をした。
彼自身も大きくなるにつれて、姉と同じように自分の視力が他人と違い、ずば抜けて優れてる事に気づくのだった…
そんな生活をしていた彼は、その後…彼の故郷の島の南の対岸にある国の救援によって他の子どもたちと共に難民として亡命する事になる。姉の手がかりは全く掴めず、弟は姉が悪い大人に捕まったか、空爆で命を落としたのだろうと考えるようになった…



男の子が亡命後……しばらくして故郷の島の沿岸に1基の真っ黒な高い灯台が建てられた。
それは奇妙な灯台で、夜は全く光らず、昼間は頂上から黒い光が不気味に点滅していた。
越境して港近くに住んでいた男の子は、面倒を見てくれた漁師から、あの灯台はミサイル撃墜用の施設だと聞かされる。
灯台から発する黒い光は特殊な電波を発していて、それは攻撃用あらゆる飛行物体を空中大破させる効力があった。実際、あの灯台が稼働するようになってからは、島への空爆は停戦するようになった。
しかし、対岸の国の専門家たちは、この灯台の電波は人体に悪影響が出ると指摘した。島に平行して沿岸の地域に住む人々の間で、灯台が点灯されるようになった頃から偏頭痛を訴える原因不明の奇妙な病が広がった。男の子も例外ではなくその後、彼は内陸部の地方へ移り住んだ…
その後…南の国は島に対し、灯台の撤去を提案したが紛争がまだ継続してる事を理由に拒否されてしまう。
そこで南の国では、この灯台電波を防ぐパラボラアンテナ施設を沿岸に接地した。島からは案の定、他国に対する治安の妨害であると強く非難され、順調だった国交もこれが原因で停滞するようになってしまった…

その灯台とパラボラアンテナが互いに出す電波の影響で、この2つの施設の周辺地域の上空だけ太陽光が一切遮断されるので、昼間でもまるで青い空に墨を流し込んだように真っ黒になった。
パラボラアンテナが接地されてからは原因不明の病も終息し、地平線の端から端まで埋め尽くす美しい満天の星空がいつでも見れる事と、国内最大のパラボラアンテナが名物となり、南の国の有数の観光地になって発展し現在に至るという…

それが、その男の子の覚えてる1番古い記憶だった。
…あれから、何年もの月日が流れた……


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01-あぁ、眠くてたまらない

ここは、ある町の小さな学校。教室の1つから軽やかなピアノの伴奏と女性の声が聞こえる。
「はい、みなさんもう1度…」
子どもたちの合唱があとへ続く。学校のもう1つの棟にある静かな美術室で、クレセントはかすかに聞こえるピアノと歌声に耳を澄ましながらキャンバスへ木炭を走らせていた。そこへ軽くドアをノックして校長先生がやって来た。
「クレセントさん、午後の授業はないので休みでしたね」
「はい、次回の個展用の作品の時間を取ろうと思いまして」
「いつもお忙しい中ありがとうございます。ダリアさんからの紹介でプロの画家の指導をして頂けるなんてうちの学校も光栄です」
「いえ、僕の方こそ。こんなやりがいある仕事をさせて頂き恐縮です」

クレセントは以前、ピザ屋のアルバイトをかけ持ちしながら副業で絵を描いていたが、彼の描いたある1枚の絵が話題になり、その絵を観ようとこの町のギャラリーの観覧客が増えた。それ以来、彼は町の貢献者となり、学校からも新設する美術学級の先生にぜひ、と声をかけられた。以前から音楽を指導していた妻のダリアの推薦もあって彼は今、美術の教師をしている。
授業は毎日はないので彼は時間を見つけては、本業である画家の仕事に精を出していた。
「妻は…いえ、ダリア先生は午後まで仕事なので、今日は僕が夕飯当番です。あっ、買い物も行かないと…」
「ふふ、仲のよろしい夫婦ですね」校長先生は微笑む。

さて、帰ろうとした時だった…ふと、ピアノの伴奏が途切れ、子どもたちのざわつく様子が聞こえた。クレセントは気になって音楽室へ立ち寄った。
音楽室へ行くとクラスメイトたちに囲まれた先に、子どもが数人、床に仰向けになって気絶している。他に先生が2人、異変に気づいて駆けつけたらしい。
ダリアは夫のクレセントの顔を見ると、ホッとしたと同時に慌てて説明した
「あ、あなた…!この子たち急に倒れて…貧血を起こしたみたいなの」
クレセントは、しゃがんで子どもに声をかけた。呼吸も意識もあるが、返事は曖昧で、貧血と言うよりまるで熟睡してるかのようだった
「頭は打ってないようだね…とりあえず保健室に運ぼう」

授業どころではなくなってしまったため、その日の音楽の授業はそれで終わってしまった。
貧血を起こした3人の子どもたちは保健室で休んでいたが、30分もしない内に皆すっかり回復して元気になった。下校時はまるで何もなかったかのようにいつも通り帰宅して行ったのだった。

ダリアは校長先生に呼ばれたのでクレセントも付き添った。校長先生は授業の様子を尋ねた
「ダリアさん、今日の授業は何か変わった事がありましたか…?」
「いえ、特に変わった事は何も…皆で立って歌うのはいつもの事ですし…倒れた子たちも、今まで貧血を起こした事がないそうで…ただ…」
「…どうかしたの…?」ためらうダリアにクレセントは優しく尋ねた。
「…最近、何人かの子どもたちに同じ様な事を言われたの…“ダリア先生の歌声を聞くと眠たくてたまらなくなる”って…私の授業が退屈なのかしらと思ったけど、そうじゃないの。あの子たちは、本当に言葉通りの意味で、そう言うの。つまりね、私の歌声は、どうやら子どもたちを眠らせてしまうみたいなのよ…!」


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02-ダリアの子守歌

昼間のダリアの話を聞いてから、実際に確かめるため午後はダリアの歌声を試聴する時間となった。音楽室には、ダリア、クレセントの他に、校長先生、大人2人(丁度、授業が入ってない先生たち)、そして午後に音楽の授業予定だった子どもたちが10人ほど集まった。
「皆さん、今日は音楽鑑賞の時間をとることになりました。ではダリア先生、お願いします」校長先生が司会を務める。
ちょっと緊張した面持ちでダリアは歌い始めた。最初は…子どもたちは普通に机に座り、校長先生も他の先生も立って聞いていたが、少しすると誰もが船をこぎ始め、先生たちは立っていられず椅子によりかかり、数分経つ頃には子どもたちは机に伏せて寝入ってしまい、先生たちも椅子に座ったまま眠り込んでしまっていた。

ただ1人…クレセントだけは全く眠くならず、彼だけがこの奇妙な現象の一部始終を見届けたのだった。
音楽の授業で気絶した子どもたちと同様、しばらくすると皆、目を覚まし、何もなかったように元通り元気になった。お互いに居眠りをしていた事に気づき、子どもたちは笑い合って、大人たちは不思議がるのだった。
後に、校長先生だけは実はこっそり耳栓をしていたそうだが、全く効果がなく自分も眠ってしまった事に驚いたとクレセントは聞かされたのだった。

歌の試聴が終わってダリアは言った
「…今まで、こんな事なかったのに。どうしよう…私、これからも音楽の教師を続けられるのかしら…歌わなければいいけれど、歌わない音楽の先生なんて…」哀しそうに落ち込んだ。
とりあえずクレセントは彼女を早退させて一緒に帰宅した。自宅で再度、歌声を聴いてみたが、やはりクレセントは眠くならなかった。この「子守歌」(ダリアが歌ったのは子守歌ではなかったが、あの歌を聞いた子どもたちがそう名付けてしまった…)なぜか不明だが、どうやらクレセントには効果がない事だけは確かだった。



その日の夕方…クレセントとダリアは、町でギャラリーを営む夫婦の家を訪れた。彼らはクレセントのパトロンであった。この夫婦には最近子どもが生まれ、夜泣きがひどいと聞いていたので、ダリアの歌声を聞かせてみようと言う事になった。
「まぁいらっしゃい、クレセントさんに奥様。主人ももうすぐ帰りますから寄ってらっしゃって」
2人は居間に通され、ギャラリーの夫人はお茶を用意するためキッチンへと入っていった。広い居間でソファとテーブル、夫人用の椅子の隣には揺り籠があって、覗き込むとかわいらしい赤ちゃんがすやすや眠っていた。
「…気持ちよさそうに眠ってるわ…子守歌は、いらないみたいね…」かすかな声でダリアは隣のクレセントに声をかけて微笑んだ。お茶の一式を抱えて夫人が戻って来た。
「今は大人しそうでしょ…?でもね、起きて泣き出すと、もう大騒ぎよ。特にお父さんが帰って来ると玄関の音で分かるみたい…そっとドアを開けて帰って来るのに。この子、耳が良いみたいなの」
そう話してると、赤ちゃんが急にむずがって起きて泣き出した。夫人が抱えあげてあやす。するとそこへ、夫人が話した通りに居間の入口に夫人の旦那さんが帰宅した。
「ただいま。おや、クレセントと奥様じゃないか。こんな時間に珍しいな。どうかしたのかい?」



3人はお茶を飲みながら、昼間の出来事を話した(夫人は赤ちゃんを抱え授乳室へ行った)
「…それで、校長先生は引き続きダリアに音楽の教師を続けてもらいたいと言ってくれたが、ダリアが今のところ自分の歌声に戸惑ってしまって…心の整理がつくまで休職する事になったんだ。その間に僕はこの子守歌の事をもう少し詳しく調べられないかなと思って。君の方で何か伝手(つて)はないかい?」

元々、ギャラリーを運営してるのは夫人の方で旦那さんは現在、市庁舎勤めだった。このギャラリー夫妻は結婚を機に旦那さんが夫人の住む町へ移住したのだった。
「うーん、俺はこの町でまだ勤め始めたばかりだから音楽に詳しい人は知らないな…ところでクレセント、そう言う話なら俺から1つ提案があるんだが聞くだけ聞いてくれるか?」
「なんだい?」
「実は俺、しばらくの間イルミネ市に出張になったんだ。都会で星空が見えるのと国内で1番大きなパラボラアンテナがある事で有名な観光地だ。俺だけ単身で行くつもりだが、仕事まで少し間があるから行く前に1度、旅行も兼ねて妻と子どもと一緒に訪ねてみよう思ってる。クレセント、君たちはまだ新婚旅行が済んでないだろう?滞在費は俺の方で持つから、向こうに行って単身先が落ち着くまで、彼女の歌声に詳しい人を探してみてはどうだろうか?その合間に妻と子どもの話し相手にもなってくれたら俺も助かるんだが…」

クレセントはちょっと驚いたが、すぐに気を取り直した
「うーん、そうだな…それは良い考えかもしれない。ダリアはどう?この町に来てから君は自宅と職場の往復ばかりだったし。いい機会だから旅行に行こうか。それに君の歌声の秘密も解明できるかもしれないし」
「そうね…じゃあここはパトロン夫妻のお言葉に甘えて、イルミネ市へ行ってみましょうか」

話が一通りまとまると、居間へ泣きじゃくる赤ちゃんを抱えて夫人が戻って来た。足元には夫人の飼ってる猫もついてきてる。
「それじゃあ、ダリアさんの歌声を聞かせてみましょうか」
ダリアは赤ちゃんを胸に抱き、小さな声で歌い始めた。するとやはり歌の効力でふっと泣き止んだかと思うと、赤ちゃんはすやすや眠ってしまった。
「あなた…やっぱり私の歌は、大人も、子どもも、赤ちゃんも、眠らせてしまうみたいね…」
「人だけじゃないみたいだね…」
クレセントに言われてダリアが部屋全体を見ると、長ソファの上ではギャラリー夫妻は肩を寄せ合って眠ってしまっていた。夫人のひざの上には、飼い猫も丸まって寝入ってしまっていたのだった…。


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03-新婚旅行

国の内陸部に住んでいたクレセントとダリアにとって、海はほぼ初めて見るものだった。列車の窓から眺める世界は端から端まで青1面が果てしなく続く。
「すてき…!海は子どもの時に海水浴に来て以来だわ」ダリアは子どものように、はしゃいでる。
「うん…これは素晴らしい…」クレセントも驚きを隠せない。

しかし…快晴がどこまでも続くかと思われたが、イルミネ市に入ると急にふっと、まるでトンネルに入ったように空が真っ暗になった。まだ昼間だと分かるのは地平線が白く光っているせいだった。目が暗闇に慣れると空には満天の星空が広がっている。そして終点の駅の付近には、白く光る大きな皿が傾いて建てられて海の方を向いているのが見えて来た。
「あれがパラボラアンテナか…この距離からあんなによく見えるなら、近くでは更に大きいだろうな…」クレセントは、呟く。

列車内ではアナウンスが流れる。
《…本日もイルミネ・エクスプレスをご利用くださりありがとうございます…イルミネ市内は「有害光線指定区域」のため法律により外出時の「UVマスク」着用が義務付けられております…皆様の健康を守るためご協力をお願いいたします…》

乗客は降りる準備と共に、各々(おのおの)用意した様々なデザインのUVマスクを付け始めた。そのマスクで共通してるのは、目の部分は薄い色付きグラスのゴーグルのようになっていて、鼻の部分は鳥のクチバシのように少しだけ尖っている。

クレセントとダリア、ギャラリー夫妻と赤ちゃんもコンパートメントでマスクを付ける。
「市民がみんなで、カラフルなマスクを付けるなんて、まるで仮面舞踏会みたいね…あら?クレセントってば、平日に珍しく集会所の先生の元を訪れてたのは、ひょっとして…あの博物館のマスクを返してもらうためだったのね。リメイクしたでしょ?」
「だって、短期間の旅行のために、あのUVマスクを買うなんて高過ぎるよー。マスクも“紫外線を防げるならOK”って観光ホームページに書いてあったし。自分で作ったよ」
「心配ないぞ、クレセント…俺たちに違和感は全くない。むしろ既視感(デジャビュ)すらあるぞ…」ギャラリー旦那さんは褒め言葉とも言えないジョークを飛ばす。
「そりゃあ、どーも」



一行は駅からタクシーで10分ほどの小高い丘の中腹にあるホテルにやって来た。…と言っても数週間ほど滞在を予定してるのでマンスリーマンションである。
ギャラリーの旦那さんは言った。
「それじゃあ、各々の部屋で…いや、この場合は家というべきか…?荷解きもあるだろうから午後6時に、このロビーに集まろう。今夜はイルミネ市の初日だ。近くのレストランに予約を入れてあるから一緒に夕食を共にしよう」
ギャラリー夫妻とクレセントたちはそれぞれの部屋へ向かった。

クレセントたちが部屋の前に来ると丁度、隣の部屋のドアが開いて1人の女性が出てきた。クレセントよりやや歳上の感じで、スラリと背が高く、アイボリーホワイトのスーツ姿と同色のハイヒールで、緩やかなキレイなウェーブの髪が背中に被っている。チラリと見えた顔には細いルージュに、薄い色のオシャレなサングラスをかけている。それはクレセントが高価だと話していた、あのUVマスクだった。

「あ、初めまして。私たち2週間ほど隣に滞在する者です。短い間ですが、よろしくお願いします」クレセントは声をかけた。
「まあ、そうでしたの。こちらこそどうぞよろしく」白スーツの女性に、にこりと微笑まれ、クレセントは少し顔がほころぶ。女性が立ち去った後、ダリアにチクリと指摘されたのだった。
「あなた、あの彼女に見惚(みと)れてたでしょ…?」

部屋は広めのワンルームで、窓からは丘に立ち並ぶ家々の明かりや、ネオンで彩られた麓の街が見える。イルミネ市は年中ほぼ夜景なので窓はスクリーンにもなっていて、リモコンで実際の景色と昼間の映像が切り替わるようになっている。今は午後3時頃なので、リモコン操作すると晴れた明るい街の映像になった。いずれにしても景色の良い部屋だった。
「さすが都会はハイテクね。部屋も広くてキレイだし、居心地良さそう。ずっと住みたくなるわね〜」ダリアは、うっとり感心する。
「そうかい?日光がないから絵具の色の見分けが難しいな…景色は偽物だぜ。僕は長くいられそうにないなぁ…」クレセントは言った。



午後6時になり、2組の夫婦はレストランへと向かった。席について談笑してた彼らだが、ギャラリー夫人はクレセントとダリアが少しぎくしゃくしてる感じに気づいた。その時、傍(かたわ)らのベビーカーの赤ちゃんが泣き出した。
「この子も食事の時間ね。ダリアさん、ちょっと付き添ってもらってもいいかしら?」
「はい、構いませんよ」
赤ちゃんを抱えた夫人とダリアは授乳室へと向かった。

授乳室で夫人は赤ちゃんにお乳をあげながら優しく語りかけた。
「ダリアさん、どうかしたの…?クレセントさんとケンカしちゃった…?」
ダリアは悲しそうに苦笑した。
「さすが、夫人は気づいてらしたのね…さっき部屋に行ってから、なんだか彼とすれ違っちゃって。あ…でも今思えば、私が悪いんです…最初は、ドアの入り口のところで会ったお隣さんが美人で…私がちょっとヤキモチを焼いちゃって。部屋に入ったら「都会は居心地がいい」って言っただけなのに「じゃあダリアは今の環境が不満なの?」って不機嫌になっちゃって…「そんなこと無いわ、仕事も好きだし、子どもたちも好きだし幸せよ」って言ったら…、
「でも学校の子どもたちはいずれ卒業して、いつまでもダリアの側にはいてくれないよ?ダリアは子どもが欲しいって思ってるの?」
「それは…相談しにくくて。だってあなた、子どもが苦手みたいだし…」
「僕が子どもが苦手だって…!?なぜそう思うのさ」
「だって学校では、子どもにまで敬語を使ってるし、絵の上手い子たちと大人げなく張り合ったりしてて、子どもを大人と同じように見ているわ」
「それは当然だろ。僕は美術を教える側で、あの子たちは僕の子どもじゃないんだから」
「じゃあ、あなたは…これから私との間に家族を持つ事に協力できる…?それならどうして今も神経質に避妊するのよ…」
「それは…ダリアは“身重”になりたく無いだろうなぁ…って今まで、ずっとそう思って来たから…」
「つまり、私のせいなのね…」
「そんなわけじゃない…!」



「…今まで仕事で忙しかったのに、急に時間が有り余っちゃったから…私たち、今まできちんとお互いに向き合って将来の事とか話した事がなかったなぁ…って」
「それが新婚旅行よ。いい機会じゃない、まだ始まったばかりなんだからこれを機にゆっくり話し合ってみたら…?」
「はい、そうしてみます」ダリアも少し元気が出たようだった。



一方…なかなか女性たちが戻らないのでギャラリーの旦那さんは酒を舐めるように味わうクレセントに話しかけた。
「そんな飲み方じゃ、せっかくの酒が美味くないだろう…?」
「生憎、僕は頗(すこぶ)る酒が弱いのさ…以前、町のギャラリーでパーティがあっただろう?その時に飲み過ぎちゃってさー、酔い潰れて帰宅したら、次の日にダリアに大目玉を食らった。以来、酒は控えてる。明日は観光もあるしね」
「前から聞いてみたかったが…クレセント、君たちは子どもは持たないのか?」
「…たぶん」
「たぶん?…ダリアから、そうお願いされたのか?」
「はっきり言われたわけじゃないけど……って言うか、いくら元婚約者だからって夫の僕の前でダリアを呼び捨てにするなよ!」
「すまない…!でも1度くらいは将来の事とか話し合ったんだろう?」
「…ない。正直、今まで忙し過ぎてそれどころじゃ無かった。それに…ダリアも音楽の教師を生き甲斐にしてるみたいだったし。彼女の人生の邪魔をしたくなかったんだ。それに今回の事で“教師を辞めなくちゃならないかも…”と、かなり落ち込んでるし、家族について話し合うどころじゃないよ」
「なるほどね…ところでクレセント。念の為、聞くが…」
「なんだい?」
「お前…まさか、“子どもの作り方”を知らないわけじゃ…ないよな…?」
「知ってるよwwww!!」酒に酔ってないクレセントだが、顔を真っ赤にして答えたのだった…。


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04-拉致(らち)

次の日。地平線が明るい時(※イルミネ市は年中夜空なので、昼と夜は、地平線の明るさと時計で判断する)2組の夫婦はイルミネ市の名物である海岸の「パラボラアンテナ公園」へと観光に行った。

この一帯は元々、人工島で海岸沿いの少し高くなった敷地内は街で1番広い公園で都民の憩いの場となっている。天気も良いと地平線が一層明るくなるので、日曜日という事もあり公園は人々で賑わっている。ここは国内最大パラボラアンテナの観光地でもあるため、公園の中心部に観光客用の博物館とパラボラアンテナがそびえる。説明では高さ60Mとあるが、整った円盤と幅もあるためライトアップされたその「巨大な皿」の目の前に来ると、色は輝くように白く想像以上に大きく感じるのだった。



【パラボラアンテナは通常、海のある北側を向いている。海岸から見ると明るい地平線に薄っすらと影が見える。それは「ソードボール島」で、島の北に位置する大国の国々が揃って領有権を主張していた(…歴史的に島は既に独立した国であるが、未だに領土問題が残るために大国から干渉を受けてる…)
何年も前…武力行使に出た大国から空爆を受けていた島は紛争が始まってからしばらくして1基の大きな「黒い灯台」を建てた。それは夜は全く光を発しないが日の出から日没にまで「黒い光」を発する奇妙な灯台だった(…まるで黒く輝く宝石が頂上に据え付けられてるように見えたのだった…)不思議な事にその灯台が建って以降、島の空爆がぴたりと止んだ…この灯台を研究する国外の専門家たちは、この灯台からはミサイル等の攻撃用飛翔体を空中大破させてしまう特殊な電波を発してる事を突き止めた。
これで紛争は停戦に向かい解決すると思われた…が、この黒い灯台の電波は間もなく、南側の国のイルミネ市に原因不明の病を流行らせる事になる。以前から住む人々は絶えず頭痛に悩まされ、街に新たにやって来た人々もここへ来ると慢性的な頭痛を引き起こした。街から離れると治るため灯台からの電波が原因であることが間もなく判明する。イルミネ市はソードボール島に対し、黒い灯台を撤去するよう要求した。しかし…島にとってそれは領土問題を突き付けて来る大国への降伏に等しく、自衛権の放棄である事を理由に拒否されてしまう。
そこでイルミネ市は、黒い灯台電波から都民を保護するため、灯台電波を妨害するパラボラアンテナを海岸に接地したのだった。そしてこの施設によって病は急速に収まった。しかしこの処置は想定外の現象を引き起こした。パラボラアンテナと灯台の両方の電波が太陽光を遮断して、この海域一帯は、まるで墨を流したかのように真っ暗な空になってしまったのだった。加えて眼球を傷める強力な紫外線が降り注ぐためUVマスクが欠かせない街となった。
またソードボール島も、イルミネ市の処置は環境汚染と他国の自衛権妨害であるとし友好的であった国交が停滞してしまう状況に陥ってしまうのだった。
ソードボール島と北の大国の紛争も解決のめどがなく、もう何年も睨み合いが続いてる状態で現在に至るのだった…】



パラボラアンテナの博物館を見学してから、施設に併設されたレストランでクレセントたちとギャラリー夫妻は休んだ。店内の奥は目の前に海が広がっている。眺めのキレイな屋外の席は家族連れやカップルや観光の団体客で賑わっていた。
クレセントは、ふと立ち上がると店のベランダまで歩いて行き、手すりに寄りかかり、ぼんやりと海を眺めた。ダリアも後ろからついて来て隣に立った。
「あなた…昨日は色々と、ごめんなさい…」
「うん…もういいんだよ」
するとクレセントは、おもむろに上着のポケットから何かを取り出した。それは、剣玉だった。普通よりもひと回り小さく、玩具として遊ぶというより飾るための物だった。
「あら、お土産に買ったのね。自宅のあなたの机にも剣玉が置いてあるし…あなたって、剣玉が好きよね。そういえば…このイルミネ市は、お土産屋さんに必ず“剣玉”が売ってるわ…どうしてなのかしら…?」
「剣玉はソードボール島の象徴みたいなものだ。昔…イルミネ市との国交が活発だった時に友好の証としてイルミネ市の外交大使に剣玉を贈った名残なんだよ」
そう言うと、クレセントはささやくように歌いながら剣玉で技を操った。

“赤い星 くるくる回し
まずは 大地で深呼吸
つぎは お日様こんにちは
くるっと半周
お月様 出会ったなら
見上げ 赤い星 宇宙(そら)飛んだ
切っ先鋭い 剣の先
目指すは輝く 北極星”

「…この歌はソードボール島の童謡だよ。ダリアには、まだ話した事がなかったね…僕はね、元々あのソードボール島に暮らしてた子どもだったんだよ…。もう、すごく昔の事だから…最近じゃ記憶がおぼろげになっちゃったけど…僕にはね、親代わりの姉が1人いたんだ。僕と同じく視力が優れていて、すばしっこい女の子だったよ。でも…ある時、急に姿を消してしまって……それ以来、姉には会ってない。その後、僕はイルミネ市の援助でこっちの国へ逃げて来たんだ。分からないけれど…姉は、おそらく空爆に巻き込まれて命を落としたんだと思う…けれど、今でも時々、考えてしまうんだ…自分だけ安全な場所へ逃げて来て良かったのか…本当は、姉はまだあの島のどこかで生きてるんじゃないかって…。生活していくのに精一杯で、こんな事…今まで思い出さなかったのに…学校で子どもたちと接するようになってから、急に子どもの頃を思い出すようになったんだ……姉を忘れて…自分だけが愛する人と一緒になって…平和に暮らしてて…その上、家族まで持ちたいなんて…贅沢(ぜいたく)なんじゃないかって。だから…僕は正直、子どもを持つことを恐れてる。君は悪くないよ、悪いのは僕の方だ。僕自身のわがままに付き合わせてしまっているんだから…ごめん、ダリア…君には申し訳ないと思ってる…」

ダリアは、そっとクレセントに寄り添うと手を握った…明るさは薄暗くなり始めていたので、周りの人の目は気にならなかった。目の前の海の、はるか彼方に島の影が映し出され、地平線は、やがて温かい朱色に染まっていった…周囲の街灯も徐々に増えて行く…もうすぐ夜の時間だった…



異変は…その日の夜の事だった。

パラボラアンテナの観光が終わる頃、ダリアは少し体調がすぐれないと言い、ギャラリー夫人と赤ちゃん、ダリアは先に帰宅した。旦那さんは仕事の下見で寄りたい場所があると言うので途中で別れた。クレセントは調べておいたホテルの近所にあるスーパーで夕食の買い物をすると帰宅した。
自宅にダリアは、いなかった。(ひとりじゃ寂しいからきっと夫人と赤ちゃんの部屋に一緒にいるのだろう…)と考え夕食の仕度を始めた…。

ところが…夕食の準備中にクレセントの元に電話がかかって来た。それはギャラリー夫人からだった(ホテルの部屋同士は専用の内線電話が通っている)
夫人は、ちょっと慌てて切り出した。
「あ、クレセントさん。そちらにダリアさんと赤ちゃんはいないかしら…!?
「いいえ。僕は、てっきりダリアはまだ夫人と赤ちゃんの部屋にいるんだろうと思っていて…ダリアは、そっちにいないんですか?」
「ええ、そうなのよ…私がお風呂に入ると言ったら、ダリアさんがその間に赤ちゃんを見てくれると言ってくれて。けれど…私が戻ったら赤ちゃんもダリアさんも部屋からいなくなってしまったのよ…!」



一瞬…クレセントは、さっき話した自分の過去のせいでダリアは魔が差し、彼女に“赤ちゃんを盗む…!”という荒業へと駆り立ててしまったのでは…!?と不安になった。しかし、その不安はすぐ解消した。
「それで、ダリアさんが急用で部屋に戻ったのかと思って通話記録を見たの。でも、おかしいのよ…私たちの部屋の内線記録が、なぜかクレセントさんたちの「隣の部屋」なのよ…あら、あなた…丁度、主人も帰宅したわ。実は…クレセントさん、あなたに話しておかなくちゃいけない事があるの。すぐに私たちの部屋に来てくださる…?」
夕食の準備を中断し、ガスコンロの火を止めるとギャラリー夫婦の部屋へ向かった。部屋を出た時、クレセントは隣の白スーツ女性の部屋の呼び鈴を鳴らした。しかし静まり返って返事はなく人の気配も感じられなかった(後にホテル側に問い合わせたら既に引き払われた後だった…)

ギャラリー夫婦とクレセントは居間のソファで向かい合って座っていた。夫婦がクレセントに話したのは、最近このイルミネ市で頻発している「身代金目的の子どもの拉致事件」だった。特にギャラリーの主人は市庁舎勤めだったので警察から注意を促されていたという。
「…狙われるのは富裕層や社会的地位の高い家庭の子どもたちで…でも今まで拉致されてたのは就学児で…まさか乳飲み子を拉致されるとは思わなかったのよ…」
「それと、さっき郵便受けにこれが入っていた…」
旦那さんが机に差し出したのは1通の封筒で、中には2つ折りのカードが入っていた。文章の上には金の紋章が箔押しされていて、旦那さんが言うには「ソードボール島」の国章だと言う。カードには、こんなメッセージが記されてた…

【…予告通り、ギャラリー夫婦の子どもとダリア嬢は預かった…返して欲しければ身代金を“怪盗モントスティル”に託し、ソードボール島まで持参せよ…】

「この“予告通り”って言うのは…?前から狙われたのか…」クレセントは聞いた。
夫婦は戸惑いながら相手を見て、旦那さんが話した。
「すまない、クレセント…実は1か月ほど前、私たちの元に“子どもを拉致する”と予告がされていたんだ。警察に相談したが私たちの町は内陸部だし、模倣犯のイタズラではないかと言われた。イタズラといえど心配だったから万が一を考えて旅行に出る事にした。旅の目的は予告期間に町を離れる事だったんだ…イルミネ市の警察に協力できるし、都会の方が警護しやすいからな」
「それがかえって仇になった…か。でも最も気になるのは…」
「そう…拉致の犯人は、クレセント…君の正体まで知っている事だ。誓って言うが、俺も妻も君の正体を誰かに他言した事は一切ない。予告ではダリアさんについては全く触れてなかったし、当初は赤ちゃんだけを連れ去るつもりだったのだろう。しかし想定外の事が起きてダリアさんも拉致したのだと思う。これは俺の推測だが…ダリアさんは偶然、拉致現場に出くわしてしまって犯人を眠らせようとしたんじゃないかと思う…歌の効力に気づいた犯人は、とっさに彼女を気絶させ、姿を見られたために一緒に連れ去ったのだと思う…」

悔しそうに顔を歪めクレセントは聞いた。
「どうする…?警察には…」
「いや、今回は警察に相談出来ない…下手をすればクレセント、お前の正体が公(おおやけ)にされる危険もある。犯人は俺たちに警察を介入させないようにする狙いもあるのだろう。しかも「ソードボール島」は国外だ。現在はイルミネ市との国交は途絶えてるから、国境間の協定も宛てにならないだろう…」
「…あ、あなた…どうすれば…あの子に、もしもの事があったら…わたし…!」とうとう夫人は泣き出してしまった…。

クレセントは、犯人が残していったカードをしばらく見つめると、切り出した。
「…僕が、助けに行く…!」
「し、しかし…協定が無効である以上、何かあった時は国やイルミネ市は頼れないんだぞ…危険だ…!」旦那さんも動揺した。
「このカードには身代金の金額が全く書かれてない…それに僕を名指した、この犯人に僕は少し心当たりがある。犯人の本当の狙いは僕を島に呼び寄せることにあるようだ。頼む、僕を島へ行かせてくれ…!」

ためらう旦那さんと、隣では夫人がすすり泣いていた…やがて、旦那さんは決心して言った。
「すまない、クレセント…いや“怪盗モントスティル”…ソードボール島までの手段は俺の方で手配しよう。頼む…どうか俺たちの子どもと、ダリアさんを助けてくれ…!」


(第1章-大地の皿 -終-)

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