三、秋 

文字数 2,342文字

 赤は青と対照的だ。しかし私は秋を赤と表現したくはない。たとえる青なら、藍。さみし気で物憂げな表情の彼は、いかにして死を書いたのか。死を表現しているのに、彼は生きたいと願っている。毎日を死にたいと願う私とは違う。なぜ彼はそこまで生に執着しているのか。別れの秋なのに。人は朽ち果てていく。春のようなバカ騒ぎではなく、夏のような盛り上がりもなく、しんみりと静かに時間は風とともに吹いていく。木枯らしは路上のイチョウをさらっていくが、銀杏のくささは残す。これもまた残酷な風景だ。
 死体は冷やされて美しく化粧されるが、内臓は腐っていく。それを見ることなく体を燃やし、骨にする。灰になると表現した美しい作家は誰だ。本当はね、骨になって果てることなく永遠に残るんだよ。風と同化することなんて素晴らしい話じゃあないんだ。若造よ、心に刻め。人は生きていても死んでいても評価されない。生きた痕跡など残らない。どんなに頑張って生きても、どんなに爪痕を残そうとしても、何も残らないし死んでいった人間のことなど誰もが忘れるんだ。数字だろうが、文学だろうが、音楽だろうが、なんでも一緒だ。残るものなど耳垢よりも微塵なものだ。天使の羽を見るほうがよっぽど現実的だ。それだけ浮世に生きる人間は、死人に興味がない。自宅の机でこうして死んでいる私と一緒だ。死んでいるのにこのような駄文をただただ入力する作業は、魂を細切れにされているような感覚だ。それでも少しでもこの世に生きている人間の栄養となり、糞として排出されるような存在になりたいというのは、私のエゴだ。誰にも見られることのない、くそのような駄文を描いては、君に届けと願っている私は、すでにおかしくなってしまったのだろう。しかも、これを恋だと錯覚していることも気持ちが悪い。
 空は青から深い青に変わる。夜空だ。夜の青は深い。春の淡さでも夏の素っ頓狂な青さでもない。静かで、重く、ひんやりとしたものだ。吹きすさむ風が頬を切り取っても、血は流れない。厳しいが優しい夜風が吹く。それが秋の青だ。
 秋の青を感じる頃、私はどうなっているのだろうか。私は打ち上げ花火として詰められた火薬だった。不発で終わった私は、火筒の中で湿気てしまっているだろうか。それとも腐ってしまっているだろうか。――それとも、万が一それとも。魔女としての力を取り戻して、自身に魔法をかけて、天へ羽ばたいているだろうか。そうなったらいいな。そうなったらいいな。泣きながらその些細な夢を蜘蛛の糸として生きている私はみじめだ。秋の深い青に失礼だ。美しい星を見せてくれているのに、暗い私の心情なんて、感じるだけでもおこがましい。せめてそれを表に出さないように、隠れて生きていく。悲しい女だ。
 夏に咲いた青い花火はどうなっただろう。うまく地球に着火しただろうか? 悲しい女の生きがいである若い青たちは、今年の冬に咲く季節外れの月下美人になる予定なのだ。私の青。みずみずしい青。魔女が食べて消化してしまうにはまだ熟れきっていない。だからこそ、死を免れた運のいい青。真っ青だった青は、今は深く哀愁を帯びた青に変わってきている。もうすぐ熟れる、もうすぐ熟れるとずっと待ってきた。しかしその時を私は見ることができないだろう。彼らは赤く熟れることなく、藍となって生きる宿命だ。
 嗚呼、なんて最低な日だ! 私は奇人になり大声で叫ぼう。愛する者たちよ、永遠のさよならだ。愛しい音楽よ、私から青を取らないでくれ。後生だから、せめて青を耳にすることだけは許してくれ。秋のささやかな風の音。冬に近づく足音。藍に光り出す星の音。私から奪わないでくれ! 私の生活をすべて捨ててもいい。浮浪者となり道端で生活することも厭わない。だから、私から青を取らないでくれ。青がなくなるくらいなら、私は死を選ぼう。青のない世界など、この世の終わりだ。生きている価値もない。
 この想いは果たして愛なのか。恋のようなふわふわとしたものではない。ドロドロした、粘着した気持ちの悪い反吐だ。愛なんかじゃない。私は青を想いすぎて、どうやら反吐になってしまったらしい。せめて君たちを惑わす悪い魔女でいたかった。
 ブルーベリーの青は、秋の空に似ている。つぶれてしまえば紫に変わる、不思議な果実だ。その実の青も嫌いではないが、君たちは君たちの青をつらぬいてほしい。またわがままだ。私の悪い癖だ。私は自分が反吐だということを自覚していないようだ。自分のような失敗した接着剤のカスのいうことにいちいち反応する若者はいないだろう。それも私の甘えだ。だが、カスはカスなりに自我がある。好きで生まれてきたわけではない。生物のくだらない営みの結果生み出された社会のカスは、青に恋し、愛してしまった。一時は魔女になることができたが、魔法は簡単に溶けて反吐に戻った。今はしょぼしょぼした老人だ。自分の法を若者に押し付け、文字を打ち込みコーヒーを飲むだけの吐瀉物だ。青い首輪を、夏を過ぎてもつけている。それは君たちへの執着からだ。気持ち悪いだろう。老婆からの愛だなんて。お願いだ。ここにこうして宛名のない文章を綴っている老婆を、君たちは忘れてくれ。一抹の悪夢だったと。道端で輩に絡まれただけだと。君たちに忘れられることが、私の供養だ。青の首輪は置いていこう。私の中で、唯一きれいでい続けた青だから。私の愛は死んだ。叶わぬ恋は叶わぬままでいい。汚い人間の中で、ただひとつ美しいものは、叶わぬ恋だ。ただ最後に伝えたい。愛していましたとだけ。
 秋は次第に冬に変わる。冬は何も知らないだろう。青のことも、私の秘めたる恋心のことも。純朴な冬が始まるときも、私はきっと空を見上げているだろう。
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