二、夏

文字数 2,425文字

 夏の青さは二種類ある。空からこぼれる雫は水色。木漏れ日の先にあるのが本当の青。夏の青は涙と劣情の色だ。バーベキューの火は赤い。しかし、それは本当の劣情ではなく、ただの欲望だ。真の劣情は、青い炎だ。赤く燃え上がることなくじりじりと身を焦がす。夏とは相反しているかもしれないが、それが本当の夏の青だ。その劣情が無駄なものだと知り、涙を流す。水色だ。青から水色へ。劣情から純情に変わるのが夏だ。
 春に盛った猫たちは、夏の暑さでやられている。人間は猫ではないだろう。理性で春の盛りの季節を紛らわす。だけども夏の劣情には逆らえない。どこへも向かえぬ淡く尊い思いを、自分にだけ振りかける。そして自己嫌悪に陥り、白く何の色も残らない感情を持て余すのだ。その白を塗り替えるのも青だ。ポカリスエットと同じ、何も考えていないような、残酷なほどの純粋な真っ青だ。
 劣情が白くなり青い純粋に変わったとき、また青年は恋に落ちる。長い長い休みは、人を寂しくさせる。だから友と連絡を交わし、異性との出会いを探す。探さなくてもいい。一時期の劣情に戻ってもいい。それで君が自分を許せるのなら。私はそれができないから、君を放さなくてはいけないなと笑顔でいう。君はどうするか。
 青いネックレスは私の首輪だ。夏の間は外さないという強い決意だ。劣情の青でもな
く、純粋な青でもない、深い沖縄の海の青だ。私は若者に属せる時期を大きく離れてしまった。もうあの頃に戻ることはできない。それなのに君は、私の手を取ろうとするのですね。正義のヒーロー気取りはやめてくれ。夏のスーツアクターは、ただ苦しいだけだ。君にそんな思いをさせる気はない。さぁ、私を手放して、自由に空を舞ってくれ。それが私の願いだ。
 君の青は瞳の色か。私の首輪と違い、すべてが青く見えるのか。劣情の色ではなく、純粋な、真実の色を見出すのか。世界を素晴らしいと言えるのか。その感性がうらやましくもあり、憎々しくもある。だがそれが君の言う青ならば、すべてを青く染め上げてしまえばいい。世界から劣情をなくし、純粋な無垢な愛だけの素晴らしい王国を作りあげてくれ。汚い大人を排して、純情な青年と乙女だけが住まう王国だ。そこに青い薔薇を植えよう。青い青い、純情よ。どうかそのままでいてほしい。私はその王国に住まうことは叶わないが、ただただ君たちが青く、熟れることなく育ってほしいと叶わぬ想いを抱いているよ。
 青は海の色だ。制服のままで海に飛び込め。見飽きるほど流れたテレビのように、浮かれた流行歌のように。海の青に染まれ。貴方たちが青く染まるなら、私は喜んで海となろう。花火はどんと打ちあがり、ちりちりと散っていく。若さよ、散るな。君たちはここで散りゆく華ではない。線香花火のように地味にちりちりと長く、少しでも長く小さい花を見せてくれというのはわがままかもしれない。本当は線香花火が空に咲けばいいと思っている私は、今日も劣情に負けぬよう、首輪についている青い粒を指先で遊ばせる。夜風が涼しくなくなったのはいつからだろう。もうこの狭く汚れた王国は終わりか。いよいよ若い青の時代が訪れる。夏はその序章だ。クーラーをつけて、青いガラス瓶に入った酒を飲み干そう。新世代はもう幕を開けた。
仲間が入りきれないほどの狭い舞台で、君たちは踊るんだね。それを選んだのは他でもない君たちだ。遠慮をすることなく好きに暴れてくれ。ただ私は、蚊帳の外からその宴を見ていることしかできないから。好きにやって、失敗しろ。私は君たちの失敗を祈る、悪い大人でいたい。君たちにできる、精一杯の虚勢だ。私はもう、劣情の青にも純粋の青にも染まることのできない、感情の枯れ果てた陳腐な存在になってしまったのだ。
 嗚呼、若者よ。私から得られる栄養素があるなら、全部吸収していってくれ。私のすべてを飲み込んで、咀嚼せよ。吐き出せ。そして汗として流せ。ごみだと思うなら捨て置いてくれ。金輪際関わらないでくれ。私の耳に、その青さを吹き込まないでくれ。君たちの青は、私にとって残酷すぎる。夏の素晴らしい青は、私の目には眩しすぎる。これもまた陳腐な言い回しだろう。私は麦茶の出がらしだ。渋谷で死んでいるセミより運が悪い。
 悪魔がいる街に君たちの舞台が待っている。悪に染まることなく、その青さを見せつけてくれ。私の見ることのできない青よ。みずみずしく華やかな青よ。空の底抜けにアホらしいバカな夏よ。私をあきれ返らせてくれ。呆れはてた私を、また青でひっぱたいてくれ。君たちはもう気づいている。自らの若さに。それが時限式だということにも。それでも今を生きてほしいと願う老人がここにいる。青さが将来の糧になることを祈るしかできない、これもまたバカな老人だ。
海にクジラはいない。いるのは水族館だ。君たちは水族館を抜け出したクジラになれ。たとえ海で生きていけないとわかっていても、水族館を抜け出せ。見られるだけの動物になるな。生を奏でるラッパでいろ。潮を噴出して、仲間に存在を知らしめる巨大な優しい生物になれ。君も言ったじゃないか。その造形は、クジラだと。バカだと笑われることは
悪いことじゃない。ピエロになれる強さを持て。それが人間の世界のクジラとなることだろう。
 夏の青は嫌いじゃない。いくら人間の汚い情がまぎれようとも、それはいつか純化される。そう私は信じたい。汚いものばかリを見てきた私は信じたい。信じさせてはくれないか。青い、青い、とてつもなく残酷な若者たちよ。君たちが光り輝きたいと望むなら、私はまた深い鈍色の世界に潜っていこう。君たちがきれいでいるために戦う錆びた剣にも盾にもなろう。たとえ何人の血を吸おうが、私は構わない。君たちが光の子でいられるなら、この汚い世界の清掃人になろう。
 夏は、青い。青い、夏よ。永遠であれ。未来への翼になってくれ。子供たちの夢を乗せる、青であれ。空の青よ。深くあれ。
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