第29話 父と娘

文字数 4,849文字

 ティナは相変わらず後ろ手に手錠を掛けられたままヴァイスに引っ立てられて、『マザー』の洞窟とやらに向かって歩かされていた。

 彼女達の前、先頭には父であるコンラッドが歩いている。三人の後ろからはヴァイスの部下であるゲリラ達と、そしてコンラッドに付き従うように多数の化け蜘蛛達が追随している。何とも奇妙で奇怪な行軍であった。

「パ、パパ……こんな化け物を作る事がパパの望みだったの? こんな物の為に私とママを捨てたの……?」

 ティナは父の後ろ姿に、現在の状況も忘れて悲しげに問いかける。コンラッドの歩みが僅かに鈍る。

「……すまない、ティナ。私はどうかしていた。『ABCS』の魔力に取り憑かれてしまっていたんだ。あんな化け物を誕生させるのは本意ではなかった。その為にお前やテレサに計り知れない苦労と心労をを掛けてしまった。今更謝って許される事ではないが……」

「本当にそうよ。知ってる? ママはパパがいなくなってしばらくしてから、ずっと精神科に罹ってるのよ?」

「……!」

 父が失踪してからというもの、母は人が変わったようになってしまったし、それでもティナは父との繋がりから自身も生物学者を目指して、決して平坦な道ではなかったが頑張ってきたのだ。

 いつか父と再会できるという望みを捨てずに来たが、望んでいたのはこんな状況ではなかった。振り返ったコンラッドの顔が苦渋に歪むが、それ以上何も言う事なく押し黙った。


「安っぽいホームドラマも結構だが、生憎終点だ。あそこが『マザー』の洞窟だ」

 ヴァイスが顎で指し示した方角に目線を向けたティナは目を瞠った。そこには大きな岩山がせり出したように突き出ており、植物に覆われたその岩山の根本にまるで縦に裂けるような形状で巨大な横穴が口を開けていたのだ。

 穴の横幅は大人が十人くらい並んで通れるくらい広いもので、『かなり巨大な生物』でも出入りができそうな感じだ。穴の奥は黒々とした闇が蟠っており、奥を見通す事は出来ない。この奥に化け蜘蛛達の生みの親である『マザー』がいるらしい。

「…………」

 ティナの喉が我知らずゴクッと鳴った。洞窟の奥からは何となくこのジャングルに相応しくない、冷気のようなものが漂ってくる気がする。


「さあ、止まるな。さっさと行け!」

 ヴァイスがティナに銃を突きつけてコンラッドを促す。コンラッドは歯噛みしながらも渋々その指示に従って洞窟に入っていく。ヴァイスはティナを連れたままその後に続く。部下のゲリラ達は何人かが追随し、残りはこの場所で見張りを命じられていた。化け蜘蛛達もコンラッドの指示で同じように洞窟の入り口を固めている。

 洞窟の奥は長い通路状になっていて当然光源のようなものは無いので、部下のゲリラ達が所持していた携帯ライトで闇を照らしていく。

 ライトに照らされた通路の壁面は、あの廃村でも見た大量の蜘蛛の糸によって覆われていた。地面もなんとなくネバネバしているような感触がある。また歩いていると分かりにくいがこの洞窟自体、緩やかに地下に向かって下っているようだ。

 そのまま一分程進んでいくと……やがてかなり広いスペースに出た。面積も高さも、ティナの職場であるカンザス州立大学のメインホールくらいの広さがある。天井には岩山の頂上まで続く巨大な縦穴が開いており、そこから僅かではあるが陽の光が差し込んでいた。そのお陰でライトが無くてもこの『ホール』の全景を見渡す事が出来た。


 故に……すぐに気づいた。


「……っ!!」

 ティナは最初この『ホール』の奥の岩壁一面に大きな影が差しているのかと思った。だがそうではない。よく見るとその『影』には八本の脚が生えており、しかもそれがゆっくりと蠢いていた。

「な…………」

 ティナは思わず唖然として『ソレ』を見上げた。対面の広大な岩壁全体を覆うように壁面に下を向いた状態でへばりついているのは……恐ろしく巨大な一匹の『蜘蛛』であった。一言で巨大と言っても、その大きさは『成体』すら比較にならない。

 歩脚を含めた全長は優に十ヤード以上(十メートル)はあるだろうか。体高も恐らく『成体』の全長ほど……つまり三ヤードはある。最早驚きを通り越して笑うしか無い馬鹿げた巨大さだ。

 こんな生物が地球の重力下で生存している事自体、科学への冒涜だ。

 全体的な特徴は元のルブロンオオツチグモのそれを踏襲しているが、腹部が異常に肥大化したアンバランスなフォルムが印象的であった。


(こ、これが……『マザー』……!)


 全ての元凶、コンラッドによって『ABCS』を直接投与された、化け蜘蛛達の文字通りの生みの親となった始原の個体。


 父やヴァイスに直接説明された訳ではないが、ティナには一目でこの怪物が『マザー』だと解った。解るしか無かった。

 『マザー』の姿に圧倒されて最初は気づかなかったが、よく見ると岩壁には他にも多数の子蜘蛛達が這っていた。天井に開いた縦穴から外に出ていく個体もいる。化け蜘蛛達はこの縦穴からも出入りできるようだ。

 また『ホール』の地面には『成体』の姿も何匹か確認できた。他にも直径が三フィート(約一メートル)ほどはある白っぽい球体が糸に包まれた状態で、壁や地面にへばりついていた。どうやら『マザー』が産み落とした化け蜘蛛の卵らしい。ざっと見渡すだけでも百個以上の卵がこの場にはあった。『成体』はこの卵嚢とでも言うべき卵の塊を管理する役目を担っているようだ。

「ふ、ふふ……素晴らしい。こいつらが孵ればまた新たな兵隊が手に入るな。イサークやあの兵士達に減らされた分などすぐに補充できる」

「……!」

 ヴァイスが若干表情を引き攣らせながらも不敵に笑う。

「『マザー』さえいればいくらでも戦力を増やせるんだ。しかも増えた奴等は半年もあればより強靭な『成体』に変わる。まさに完璧な生体兵器だ」

 その完璧な生体兵器をこんな危険な男が手にしたら何が起きるのか。父はそれを危惧したからこそ、ヴァイスに『ABCS抗体』の在り処を秘密にしていたのだろう。父が蜘蛛の指揮権を保持し、尚且父を殺せば蜘蛛達が暴走する危険があった為に、今まで奇妙な均衡が保たれてきたのだ。

 だがティナがまんまとヴァイスの策に嵌ったせいでその均衡が崩れた。そしてヴァイスは悪魔の力を手にするチャンスを得たのだ。


「さあ、コンラッド! 『ABCS抗体』はどこにある!?」
「……あそこだ」

 ヴァイスに問われたコンラッドが指差す先……。丁度『マザー』がへばりついている岩壁の下に、小さく壁が窪んだ場所があった。そこにいくつかの石が積み上げられたような場所がある。どうやらその瓦礫の下に隠してあるようだ。

「よし、早く取ってこい。お前以外は『マザー』に近づけんからな。確かにある意味で理想的な隠し場所だな」

 ヴァイスが銃を振って命令する。コンラッドはティナの方に振り返った。そして再び悲しげに顔を歪めると、目を逸らしてそのまま隠し場所まで歩いていく。確かにコンラッドが真下まで歩いていっても『マザー』は一切敵意を見せずに大人しいものだった。

「あれが『ABCS抗体』の効力だ。これまで何人かうちの兵隊をあの辺りまで忍び込ませた事があるが、即座に『マザー』から強力な糸を吐きかけられてあっという間に糸巻きにされてしまった。その後は生きたまま『マザー』のご馳走コースさ。『マザー』は自分の子供以外は、抗体を接種した者しか側に寄せ付けようとせん」

「……!!」

 ヴァイスの忌々しげな説明に息を呑むティナ。父を心配するが、相変わらず『マザー』は大人しいままだ。やがて瓦礫を退かしたコンラッドが、その下から金属製のケースのような物を取り出した。どうやらあの中に件の抗体とやらがあるらしい。

「……さあ、お望みの物だ」

 ケースを持って戻ってきたコンラッドが、そのケースをヴァイスに差し出した。ティナの身柄を部下に預けて、震える手でそれを受け取るヴァイス。

「ふ、ふふ……やっとだ。ここまで長かったぞ」

 ケースを受け取ったヴァイスが、むしろうっとりとした口調で呟く。蓋を開けると中から青みがかった液体で満たされた注射器が出てきた。この液体が『ABCS抗体』なのか。


 それを確認したヴァイスはコンラッドに銃を向けて躊躇う事なく引き金を引いた。乾いた銃声が響き渡り、コンラッドが胸から血を噴き出しながら倒れる。


「パパ!? パパァァッ!!」

 ケースを受け取った際にヴァイスの手が離れていたティナは、悲鳴を上げて父の元に駆け寄る。しかし後ろ手に手錠を掛けられているので、父を抱き起こす事も出来ない。

「『王』は二人もいらんからな。それに別の抗体を作られても厄介だ」

 ヴァイスが冷酷に笑う。最初から抗体が手に入ったらコンラッドを殺すつもりだったのだ。

「パパ、しっかりして! パパァッ!」
「う……ぁ……ティ、ティナ……す、済まない……。テレサ、に……」

 息も絶え絶えなコンラッドは、それでも懐に手を入れて何かを取り出した。それは古ぼけた指輪であった。だがティナはその指輪に見覚えがあった。父と母の結婚指輪のはずだ。南米で十年以上も暮らしながらまだ持っていたのだ。

 コンラッドは震える手でその指輪をティナの胸ポケットに入れる。そのまま彼女の耳に顔を近づけると、何事かを小さく呟く。そして……力尽きたようにその身体が地面に倒れた。

「パ、パパ……? パパ!? い、いやあぁぁぁぁっ!!」

 ティナが既に息をしていない父の遺体に取りすがって慟哭する。十年前に失踪して以来、もう死んだものと扱っていた。しかしあの『手紙』を受け取った事で生きていると知り、父に会う為に苦難を乗り越えてこのジャングルの奥地まで冒険してきた。

 そして実際に父は生きていた。しかし余りにも矢継ぎ早に展開する慌ただしい状況の中で、碌に親子の再会の会話を交わす余裕もなかった。僅かに後悔と謝罪の言葉を聞くことは出来たがそれだけだ。

 そして父はそのまま逝ってしまった。父の遺体を見つめながら、ティナはこれが現実の光景とは思えなかった。だがそんな彼女の心境をよそに、状況は容赦なく動いていく。


「ははは! 安心しろ、女! お前は殺しはせん。俺の王国で妾として飼ってやる!」

「……っ」
 ティナは自分を罠にはめた挙げ句、父を射殺した憎き仇の顔を視線で殺さんばかりの眼光で睨み上げる。

 一方抗体接種者のコンラッドを失った事で『マザー』を始めとした化け蜘蛛達が奇怪な叫び声を上げてせわしなく動き始める。

「ふ……『マザー』め。伴侶を失った事で暴走を始めたようだな。確かにコンラッドの言っていた事は事実だった。このままでは俺達は全滅するだろう。だが今の俺にはこいつがある」

 ヴァイスは『マザー』の様子を見ながら顔を引き攣らせつつも、自らの手にある『ABCS抗体』に目を向けて落ち着きを取り戻す。

 そして注射器のキャップを外すと自らの胸に打ち込もうとするが……


「――ヴァイスゥゥゥゥゥッ!!」


「っ!?」
 突如としてヴァイスに大きな影が飛び掛かる。とっさの事で不意を突かれたヴァイスはその影に飛びかかられて、そのままもつれ合うように地面に転がる。注射器が地面に落ちる。

「イ、イサーク!?」

 ティナは目を瞠った。それはヴァイスの基地に囚われているはずのイサークであった。

 どうやら『マザー』や化け蜘蛛達の様子に気を取られていたヴァイスや部下のゲリラ達の目を盗んで、岩陰を伝いながら忍び寄っていたらしい。

「イサーク、貴様……!? くそ、邪魔するな!」
「ヴァイス! これ以上お前の好きにはさせん!」

 二人は罵り合いながら地面を転がって殴り合う。リーダーと密着しているので部下のゲリラ達もイサークを撃てずに戸惑う。

「今だ! その注射器を拾えっ!」

 イサークが怒鳴る。地面に落ちた注射器が傾斜で転がっていった先、誰かのつま先に当たって止まる。自分の足に当たった注射器を拾い上げたその人物は……

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