最終話 死が二人を分かつまで

文字数 3,278文字

「…………」

 イサークもライアンの死に様を見届けると黙って立ち上がった。あの毒ガスは『マザー』の糸にも作用して跡形も無く溶かし去ってしまっていたのだ。


「ふ、ふふ……『マザー』も死んだか。終わる時はあっけない物だな。そう思わんか、イサーク?」


「……!」
 いつの間にか『成体』の死骸の上にヴァイスが立っていた。所々傷は負っているが、致命傷は受けていないようだ。複数の『成体』相手に流石の腕前だ。

「ヴァイス……もう俺達が争う理由はない。このままティナを解放して、俺達を黙って帰せ。お前は彼女の父親を殺したが、反面お前の協力が無ければ俺も彼女も生き残れなかった。今ならお相子って事でお互い落としどころに出来る」

「お相子か……くくく、相変わらず甘い男だ。だから優秀だったというのに、軍から『切り捨て』られたんだよお前は。今の俺のような任務はこなせないだろうと判断されてな」

「……!」

「何故俺があの女への手紙にわざわざお前を雇うように書いたと思う? 勿論お前ならあの女をここまで連れてきてくれる見込みがあったからというのも理由だが、それ以外にもお前をここに誘き寄せて殺す目的もあったからさ」

 ヴァイスは『成体』の死骸から飛び降りると、イサークと正面から向き合った。


「『マザー』は失ったが、せめてもう一つの目的は果たさせてもらおう」

「何故だ? そこまでして俺を殺さなければならん何の理由がある?」

 少なくともイサークには全く心当たりがなかった。だがヴァイスは口の端を歪めると邪な笑みを浮かべる。

「理由だと? そんな物はどうでもいい。俺は会った時からお前が嫌いだったんだよ。理屈じゃない。だがそんなお前はいつも俺の上にいた。それだけでも目障りだったが、挙句にお前は俺からダニエラを奪った」

「……っ! お前も、彼女の事を……」

「俺は昔から彼女を知っていた! 彼女の事ならお前の何倍も良く知っていたんだ! 彼女は俺の隣に在るべきだったんだ! それなのに……いきなり現れたお前が俺から全てを奪った。ダニエラも昔から一緒だった俺ではなく、お前なんぞにホイホイと尻を振る売女に成り下がった!」

「貴様……!」
 イサークは眉根を吊り上げる。だがヴァイスはそれを無視して、死んだライアンに視線を向けた。

「俺にはあの小僧の気持ちがよく分かる。あいつは俺と同じだったんだ。俺もかつてお前達を嵌めてやったのさ。お前がダニエラを殺す事になったあの『任務』、上層部に提案したのは誰だと思う?」

「……まさか」

 動揺するイサークを楽し気に見やって頷くヴァイス。

「そう、この俺だよ。お前とダニエラの甘い性格を報告して、部隊には不適格だと教えてやったのさ。後の結果はお前が一番よく知っているだろう?」

「っ!!」
 イサークの顔が完全に色を失くす。反対にヴァイスはその貌を喜色に歪める。

「ははは! そうだ! その顔が見たかったんだ! 俺とお前は相容れん! お前は今ここで死ぬべきなんだぁっ!」

 狂的に嗤うヴァイスは、恐ろしい程のスピードで持っていた拳銃をイサークに向け引き金を引く――――直前で、その胸に五十口径のマグナム弾による風穴が開いた。

 動揺しながらも尚、ヴァイスを上回るイサークの神業だ。物も言わずに吹っ飛んだヴァイスは仰向けに倒れ込んで、そのまま二度と動かなかった。その目は自らが死んだ事にも気付かないように狂笑に歪んだままであった……


*****


 『マザー』を含む化け蜘蛛達とライアンが死んで静かになった洞窟内で、ティナはイサーク達の会話を余す事無く聞き取っていた。

 例のダニエラという女性もまたティナと同じようにイサークの魅力に惹かれ、急激に親しくなっていったのだろう。だが元からダニエラを好いていたヴァイスは、イサークに対して暗い怒りとコンプレックスを燃やした。そう……丁度ライアンと同じように。

 そして全てを打ち明けたヴァイスは、動揺するイサークの隙を突いて銃を向ける。思わず悲鳴を上げかけるティナだが、イサークは条件反射とも言える、しかし非常に的確な素早い動きでヴァイスを返り討ちにする事に成功した。

 凄まじい神業で自分達のリーダーも殺された残りのゲリラ達は恐れを為して、ティナを置いて洞窟の外へと逃げて行った。イサークも未だ動揺している事もあって、特にそれを追撃する事も無く黙って見送った。


「……イ、イサーク」

 ティナは後ろ手に手錠を掛けられたままの不自由な体勢で、ヨロヨロと彼の元に歩み寄る。イサークはやや茫洋とした目付きでゆっくりと顔をこちらに向けた。そして自嘲気味に力無い笑みを浮かべる。

「……どうやら俺は自分でも気づかない内に、周りの人間を死に追いやっちまう性質らしい」

「……!」

「ダニエラもヴァイスも……俺がいなきゃ死ななかった。俺が彼等の人生を狂わせたんだ。彼等だけじゃない。坊主……ライアンも同じだ。俺さえいなきゃあいつは、あんたを慕う助手のままだっただろう。全部俺のせいだ。俺が――」

「――イサークッ!!」

 ティナは強い調子でイサークの言葉を遮った。彼が目を瞬かせて彼女を見下ろす。

「イサーク、聞いて。私、多分そのダニエラって人の気持ち解るわ」

「……っ」

「何があったのかは知らない。けど彼女は決してあなたを好きになった事を後悔はしていなかったはずよ。彼女も……そして私も、あくまで『自分の意志』であなたを好きになったのよ。子供じゃないんだから自分の意志は自分で決められるわ。あなたのせいなんかじゃない」

「ティナ……」

「ヴァイスもライアンもそうよ。誰が強制した訳でもない。こうなったのは彼等自身の選択よ。その事を忘れないで」

「…………」

 ティナの言葉を聞いている内に、次第にイサークの目に力が戻って来ていた。

「目が覚めた? 言っておくけど私もあなたを好きになった事を後悔していないわよ? 私にも自分の意志があるもの」

「……ダニエラの事を聞いてもか?」

「何を聞いてもよ。この旅の間だけでも、ある程度あなたの人となりは理解してるつもりよ。何かやんごとない事情があったんでしょ? それが解ってれば、例え何を聞かされても私の気持ちは揺るがないわ。その選択の結果、例え自分が死ぬ事があってもそれは断じてあなたのせいなんかじゃないわ」

「お、おい、ティナ。縁起でもない事を……」

「例えばの話よ。それに……もし私が危ない目に遭ったら、その時はあなたが守ってくれるんでしょ? 今回みたいに」

「……! ああ……そうだな。お前は俺が絶対に守る」

 イサークが力強く頷くと、ティナは満足そうに笑った。

「うふふ……期待してるわ。タフな傭兵さん?」

 そして彼女は自ら伸び上がって、イサークの口に自分の唇を近づけていった……





「おい、無事か!? 一体何があったんだ! いきなりゲリラ共と蜘蛛共が同士討ちを始めやがって、そのお陰で俺達は生き残れたが、ありゃお前らが何かしたのか!?」

 無数の化け蜘蛛の死体が転がる洞窟のホール内にベルナルドの声が響く。彼の部下達も一緒だ。彼等は一様にホールの光景や『マザー』の死体に驚いたりしていたが、やがてケヴィンが『2人』の姿に気付いた。

「あ、ふ、副隊長……。あの、俺達は外に出ていましょう。とりあえず『彼等』は無事だったみたいですし……」

「あん? 何言ってんだ、ケヴィン…………お」

 ケヴィンが遠慮がちに指し示す方向を目で追ったベルナルドが一瞬固まる。アシュビーら他の兵士達も同じように瞠目した。一呼吸置いて、ベルナルドが盛大に溜息を吐いて頭を掻いた。

「ち……見せつけてくれるぜ。まあ全部解決したって事で良さそうだな。なら邪魔すんのも野暮ってもんだな。行くぞ、お前ら」

 ベルナルドが部下達を促して、来た道を引き返していく。最後にケヴィンが一度だけ振り返って少し切なそうに『その光景』を見やったが、すぐに苦笑してかぶりを振るとベルナルド達を追って外に歩いて行った。


 後には彼等が来た事にも殆ど気付かず、夢中でお互いに熱いキスを交わすティナとイサークの姿だけがあった……



Fin

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