第15話 ファースト・コンタクト

文字数 2,456文字


 階段を降りきると、その先は広い空間になっていた。やはりそこら中に蜘蛛の巣が張っている。地上よりも密度が多いかも知れない。

「…………」

 地下は荒れ放題であった。何か大きなテーブルや椅子などが横倒しになったり、ビーカーか何かの破片が散乱していたり、色々な金属の器具と思しき残骸が転がっていた。父はこの地下室で件の研究を行っていたのだ。

(でもこの荒れ方は何? 一体ここで何があったの?)

 何かトラブルが発生してこの場所を放棄せざるを得なくなった。それは父がティナに助けを求めてきた事と関係しているのだろうか。


 彼女が引き続きライトを照らして探索を続けようと、地下室の壁に照明を向けると、

「……!」
 入ってきた時は気づかなかったが、入り口と反対側の壁面が大きく抉れて『横穴』が開いていたのだ。かなり大きな横穴で幅は十フィート程はあるかも知れない。横穴は斜め上に向かって口を開けており、まるでここから『何か』が地上に向けて壁を掘り進んだかのようだった。

「ん? これは……」

 ティナはそこで横穴が空いた壁の壁面に大きく、『ビウディタ』という文字が英語で書かれている事に気づいた。明らかに後から書き殴ったような文字で、大きさといい何の意味もないとは思えない。

 しかも英語で書かれているという事は、ゲリラ達ではなく父が書き残した物である可能性が高い。

(ビウディタ……どういう意味かしら? イサークなら何か知っているかも。彼に聞いてみましょう)

 とりあえずこの横穴がどこに続いているのか入ってみようと一歩を踏み出した所で……


 ――カサカサッ カサカサッ

「……!?」

 何か……大きな物が土の上を這い進むような音が聞こえた。ティナは足を止めた。今のは空耳ではない。

(な、何……? 何か、いる……?)

 土を這い回る音という事は、今の音の発生源はこの横穴の先からだ。ティナは恐る恐る蛍光ライトで横穴の奥を照らす。そして、自分の目を疑った。


 そこに一匹の巨大な『蜘蛛』がいた。蜘蛛はどんなに大きくても精々成人男性の掌くらいの大きさが限界だ。外骨格の構造上の問題で、地球の重力化においてそれ以上大きく、重くなると自重を支えきれなくなって潰れてしまうのだ。

 目の前にいる存在はその物理学上の問題を無視して、あり得ない程の大きさとなった蜘蛛であった。八本の脚の直径は優に六フィートほど、つまりティナの身長よりも大きい。体高自体ももしかしたら三フィート近くあるかも知れない。


 一瞬何かの見間違い、もしくは作り物かと思ったティナだったが、その巨大クモは長い脚を細かく動かしながら、ゾッとするような速度で彼女目掛けて迫ってきた!


「ひぃっ!?」

 ティナは引き攣ったような悲鳴を上げて後ずさるが、すぐに散乱した家具にぶつかって尻餅を着いてしまう。その間にも化け物蜘蛛はどんどん距離を詰めてくる。ティナは恐怖のあまり硬直して思わず目を瞑ってしまう。その時……!

「伏せろっ!」

 力強い叫びと共に銃声が轟く。銃弾が当たったらしい化け蜘蛛が奇怪な叫び声を上げながら怯む。ティナが咄嗟に振り向くと、階段から降りてきたらしいイサークが大きな拳銃を構えて化け蜘蛛に向けていた。その後ろには蛍光ライトを手にしたまま驚愕に目を見開いたライアンの姿もあった。

 化け蜘蛛は何と銃で撃たれたにも関わらず死んでいなかった。ギギィッ! と怒りとも苦悶とも付かない叫び声を上げて身を翻すと、恐ろしい速度で横穴から地上に向けて逃げていった。


「ティナ! 大丈夫か!?」

 化け蜘蛛が逃げた事を確認したイサークが駆け寄ってくる。慌てている為か何気に初めて名前を呼ばれたが、ティナ自身も茫然自失としていた為にそれに気づかなかった。

「イ、イサーク……! イサークゥゥゥッ!」

 命が助かった事、そして彼に救われた事を自覚して、ティナの目に涙が溢れる。そのまま彼の逞しい胸板に縋って泣いた。明確な死の恐怖から開放された反動で一時的に情緒が不安定になっていた。イサークはそんな彼女の頭を意外なほど優しい所作で抱き留める。

「どこも怪我はないな!? 一体何だったんだ、今の化け物は!? ベレッタの銃撃を受けてもピンピンしてやがったぞ!」

 流石のイサークも当然ながらあんな化け物を見たのは初めてらしく、かなり動揺していた。しかしそれでも片腕でティナを抱きしめつつ、もう片方の手で銃を構えて横穴に油断なく向けていた。


「あ、あり得ない……。今のは明らかに蜘蛛……それもオオツチグモ科の特徴を持っていた。けど、いくら何でもデカすぎる。あんな生物が存在するはずが……」

 一方でライアンは未だに青い顔のままで、化け蜘蛛が逃げていった横穴を見つめながらブツブツと呟いていた。イサークはそんな彼を苛立たしげに振り返る。

「おい、坊主! 学術的コーサツって奴なら後にしろ! まずは彼女を立たせてここから脱出するんだ! お前も手伝え!」

「……!」

 イサークに怒鳴られて我に返ったらしいライアンが慌てて駆け寄ってくる。二人はティナを抱えあげて立たせようとするが、彼女は腰が抜けてしまっていてすぐに崩れそうになる。イサークが舌打ちした。

「俺が彼女を抱えていく。お前も銃を持ってるだろ!? 援護を頼む!」
「わ、解った!」

 自身も若干パニックに陥りかけていたライアンは、イサークの指示に従う事で精神の安定を保ったらしく自分の銃を出して構えた。逆にイサークは銃を仕舞って、代わりにティナを横抱きに抱えあげる。そして見た目通りの力強さで、彼女を抱えたまま階段を駆け昇っていく。ライアンが後方を警戒しつつその後に続く。


 住居部分に出ると、イサークはティナをそっと床の上に下ろした。そして自身の銃を再び取り出す。

「おい、坊主。俺は外の安全を確認してくる。お前は彼女を頼む」
「あ、ああ」

 ティナの事をライアンに託してイサークは油断なく銃を構えながら、家のドアから外の様子を窺う。そしてあの化け蜘蛛の姿が見えない事を確認すると素早く屋外に走り出た。
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