第3話
文字数 3,177文字
「綺麗!」
アレクシアがそう言った瞬間、クラウスは近づいてくるかすかな足音に気付いた。
黒い影は二人の間を駆ける。
クラウスは自分の手元にオカリナがないことに気が付いた。
「オカリナがっ!」
「あっ、私のも!」
「おいっ、待てー!」
二人は黒い影を追いかける。アレクシアはクラウスを抜いていった。黒い影は建物の裏道へ入り、さらに見えづらくなる。それでもアレクシアの目は黒い影を逃さなかった。黒い影は裏道を右へ左へと曲がる。黒い影は明るみに出た。男の子の後ろ姿だ。アレクシアは男の子に追いつき、袖をぐっと引っ張る。男の子はこちらを向いた。
「あの時の…!」
駅前で見かけた靴磨き少年だ。靴磨き少年はアレクシアの手を振り払う。その勢いで少年の手にあったオカリナは空へと飛んだ。街灯に照らされてオカリナは光る。
「あっ!」
二人は同時に声をあげる。二人の手はオカリナへ伸びた。二人はぶつかり、そのまま倒れる。
オカリナは地面へ急降下する。遅れて来たクラウスは地面を蹴る。オカリナへ両手を伸ばし、キャッチする。クラウスの体は地面へ落ちていった。
「いてて…。」
靴磨き少年は体を起こし、立ち上がろうとする。が、アレクシアは靴磨き少年の足を蹴った。靴磨き少年はこける。
「なにすんだよ!」
「なにすんだよ、はこっちのセリフよ!オカリナ、もう一個返して!」
「やだね。」
少年はまた立ち上がろうとする。アレクシアは思いっきり少年の体の上へ乗っかった。
「ぐぇっ。」
「アレクシア、やるなあ。」
アレクシアはへへんとクラウスに笑顔を見せる。
「ほら、返すよ。」
靴磨き少年はフンッといった様子でオカリナをひょいっと投げ、アレクシアはそれを受け取った。三人は地べたに座っている。
「どうするつもりだったの?」
「…売ろうとした。楽器は高く売れると思って。」
「これは僕のおばあちゃんの形見だ。売るなんて…。」
「お前、大事そうに持ってるもんな。人が大事にしてるものは大体高価なものだ。だから奪ってやりたくなる。」
アレクシアは顔をしかめた。
「やっていいことと悪いことはあるでしょ。」
「お前たちだって帰る場所がないんだろ。ないからここにいる。俺はずーっと前からここで暮らしてる。靴磨きをしてるけど、それだけじゃ生きてけない。だから夜になったら泥棒してる。生きていくためにいいも悪いもないだろ。」
アレクシアは口を閉ざした。クラウスが続ける。
「…一人なの?」
「一人だよ。」
靴磨き少年は不機嫌そうに答えた。
「一緒に働こうよ、仲間が多ければ心強いし。」
「やだね。」
靴磨き少年はすくっと立ち上がる。
「そうやって仲間になったやつはいたけど、そいつらは警察に捕まった。一人の方が目立たないし自由に動ける。」
クラウスとアレクシアは目を合わせた。
「警察につかまるとどうなっちゃうの?」
「収容所に入れられるって。とんでもないとこらしいぜ。」
靴磨き少年は手をポッケに入れ、二人に背を向ける。
「俺はここにいるから、どうせ会うだろ。」
そう言って歩き始めた。
「まって、名前は?」
クラウスが立ち上がって呼び止めると、靴磨き少年の切れるような目はこちらを向いた。
「カスパー。」
アレクシアもクラウスに続いて立つ。
「僕はクラウス。」
「私はアレクシア!」
カスパーは二人に対して初めて、少し笑顔を見せた。
カスパーはその場から立ち去り、通りすがる車の陰に消えた。
「喉乾いた…。」
「僕も。井戸あるかな。」
「こんな都会に井戸なんてあるの?」
「ないの?」
「さあ。」
「カスパーに訊いとけばよかったな…。」
二人はしばらく街をうろうろ歩き、水を探している。街灯に照らされた公園に出ると、噴水があった。
二人は噴水に溜まる水を手ですくいあげて飲んだ。噴水のはしっこに座って二人はもらった大きなパンを分けて食べる。
クラウスは近づいてくる足音に気づき、音のする方へ向いた。夜の公園を懐中電灯がチラチラと光って移動している。
「隠れよう。」
「なんで?」
クラウスは懐中電灯を指さした。アレクシアもそれに気づき、公園わきの茂みに隠れた。
懐中電灯の光は近づいてくる。案の定、警察だ。懐中電灯の光は茂みを照らす。
最初にアレクシアが見つかった。
「おい、君、こんな夜に何してるんだ?」
クラウスは横にいるアレクシアの腕をぐっと引っ張り、立ち上がって走る。
「子供が二人…まてっ、」
クラウスは駅へと走る。駅なら人が大勢いるので紛れることができると考えたからだ。
アレクシアはクラウスの後をついていく。駅近くの道に出る。路面電車が通った後に横切った。クラウスはアレクシアに手を差し伸べた。それに応えてアレクシアはクラウスの手を取る。二人は仕事帰りの大勢の人が行き交う隙間を通り抜ける。警察はまだ追いかけてくる。
駅の建物の入口へ入る。
「お前ら、何してんだよ。」
クラウスははっと声のした方へ振り向く。カスパーだ。カスパーは息を切らし切羽詰まった二人の表情を見て察した。
「警察が…!」
「あっちに向かいなよ。なんとかする。」
「なんとかするって…。」
「早く!」
カスパーは対面するクラウスの肩を後ろへ押しやり、自分が前に出た。
クラウスとアレクシアはカスパーの指差した方向へ走る。
警察が駅の入口に入ってきた。警察は手元に持っていた懐中電灯を腰にしまっている。
「あー!あっちに子供が走ってったなー、どうしたんだろう。」
警察の目の前でカスパーは大声で指をさす。さっきクラウスたちに向けたものとは逆の方向だった。
「どこだ!」
警察はカスパーの指さす方向を向いた。その瞬間、カスパーは警察の腰にある懐中電灯をさっと取る。
「ん…?」
警察は懐中電灯がないことに気づいた。
「お、おい!」
カスパーはへへっと笑ってすばやく去った。警察は彼を見失った。
クラウスとアレクシアは息を切らして足を止めている。
アレクシアの目の前に何かが飛び降りてきた。その人影は靴底を駅の床に叩きつけて着地した。
「カスパー!大丈夫?」
「慣れてるよ、ああいうの。」
アレクシアには負けたくせして、ずいぶんと余裕そうだった。アレクシアはカスパーの手にある懐中電灯に気が付いた。
「それっ、もしかして、警察の?」
「そう。警察はあきらめて帰ったよ。」
「よかったー!ありがとう、カスパー。」
クラウスはそう言ってへなへなと地面に座った。カスパーは懐中電灯を肩掛けバッグにしまう。
「駅の地下道って知ってるか?」
カスパーはクラウスの目線に合わせてしゃがんだ。
「知らない。」
「教えてやるよ。逃げ場所は知っておいた方がいいだろ。」
二人はカスパーの後についていき、地下道へ向かう。地下道には子供だけでなく家のない大人たちもそこに居座っていた。
「カスパー、新しい仲間か?」
地下道に座る一人の大人が声をかけた。ボロボロの服を着た男性だ。
「知り合い。」
「へぇ、俺はバルタっていうんだ、よろしくな。」
そう言って男性はクラウスとアレクシアに笑顔で手を振った。
「よろしくお願いします。」
カスパーは他の大人の何人かにも声をかけられていた。そのたびに二人は挨拶をする。
クラウスは、なんだ、一人じゃないじゃん、と心の中で呟いた。
「地下道は俺たちが抜けれる場所がいくつもあるんだ。例えば、ここ。」
そう言ってカスパーは壁に開いた小さな穴に入り込む。カスパーの足先は穴に吸い込まれていった。続いてクラウス、アレクシアも穴をくぐる。大人が抜けるには小柄でないとくぐれない狭さだった。穴を抜けると外に出た。振り返ると、駅の裏側の壁があった。
「抜けれる場所を知らなくて捕まる子どもはいっぱいいる。無知は敵だよ。」
「なんでカスパーは抜け道を知ってるの?」
アレクシアはカスパーの横顔に目をやる。
「大人から教えてもらった。」
そう言ってカスパーは穴へと潜った。クラウスとアレクシアはカスパーに続く。二人は地下道の抜け道を次々に覚えていった。
アレクシアがそう言った瞬間、クラウスは近づいてくるかすかな足音に気付いた。
黒い影は二人の間を駆ける。
クラウスは自分の手元にオカリナがないことに気が付いた。
「オカリナがっ!」
「あっ、私のも!」
「おいっ、待てー!」
二人は黒い影を追いかける。アレクシアはクラウスを抜いていった。黒い影は建物の裏道へ入り、さらに見えづらくなる。それでもアレクシアの目は黒い影を逃さなかった。黒い影は裏道を右へ左へと曲がる。黒い影は明るみに出た。男の子の後ろ姿だ。アレクシアは男の子に追いつき、袖をぐっと引っ張る。男の子はこちらを向いた。
「あの時の…!」
駅前で見かけた靴磨き少年だ。靴磨き少年はアレクシアの手を振り払う。その勢いで少年の手にあったオカリナは空へと飛んだ。街灯に照らされてオカリナは光る。
「あっ!」
二人は同時に声をあげる。二人の手はオカリナへ伸びた。二人はぶつかり、そのまま倒れる。
オカリナは地面へ急降下する。遅れて来たクラウスは地面を蹴る。オカリナへ両手を伸ばし、キャッチする。クラウスの体は地面へ落ちていった。
「いてて…。」
靴磨き少年は体を起こし、立ち上がろうとする。が、アレクシアは靴磨き少年の足を蹴った。靴磨き少年はこける。
「なにすんだよ!」
「なにすんだよ、はこっちのセリフよ!オカリナ、もう一個返して!」
「やだね。」
少年はまた立ち上がろうとする。アレクシアは思いっきり少年の体の上へ乗っかった。
「ぐぇっ。」
「アレクシア、やるなあ。」
アレクシアはへへんとクラウスに笑顔を見せる。
「ほら、返すよ。」
靴磨き少年はフンッといった様子でオカリナをひょいっと投げ、アレクシアはそれを受け取った。三人は地べたに座っている。
「どうするつもりだったの?」
「…売ろうとした。楽器は高く売れると思って。」
「これは僕のおばあちゃんの形見だ。売るなんて…。」
「お前、大事そうに持ってるもんな。人が大事にしてるものは大体高価なものだ。だから奪ってやりたくなる。」
アレクシアは顔をしかめた。
「やっていいことと悪いことはあるでしょ。」
「お前たちだって帰る場所がないんだろ。ないからここにいる。俺はずーっと前からここで暮らしてる。靴磨きをしてるけど、それだけじゃ生きてけない。だから夜になったら泥棒してる。生きていくためにいいも悪いもないだろ。」
アレクシアは口を閉ざした。クラウスが続ける。
「…一人なの?」
「一人だよ。」
靴磨き少年は不機嫌そうに答えた。
「一緒に働こうよ、仲間が多ければ心強いし。」
「やだね。」
靴磨き少年はすくっと立ち上がる。
「そうやって仲間になったやつはいたけど、そいつらは警察に捕まった。一人の方が目立たないし自由に動ける。」
クラウスとアレクシアは目を合わせた。
「警察につかまるとどうなっちゃうの?」
「収容所に入れられるって。とんでもないとこらしいぜ。」
靴磨き少年は手をポッケに入れ、二人に背を向ける。
「俺はここにいるから、どうせ会うだろ。」
そう言って歩き始めた。
「まって、名前は?」
クラウスが立ち上がって呼び止めると、靴磨き少年の切れるような目はこちらを向いた。
「カスパー。」
アレクシアもクラウスに続いて立つ。
「僕はクラウス。」
「私はアレクシア!」
カスパーは二人に対して初めて、少し笑顔を見せた。
カスパーはその場から立ち去り、通りすがる車の陰に消えた。
「喉乾いた…。」
「僕も。井戸あるかな。」
「こんな都会に井戸なんてあるの?」
「ないの?」
「さあ。」
「カスパーに訊いとけばよかったな…。」
二人はしばらく街をうろうろ歩き、水を探している。街灯に照らされた公園に出ると、噴水があった。
二人は噴水に溜まる水を手ですくいあげて飲んだ。噴水のはしっこに座って二人はもらった大きなパンを分けて食べる。
クラウスは近づいてくる足音に気づき、音のする方へ向いた。夜の公園を懐中電灯がチラチラと光って移動している。
「隠れよう。」
「なんで?」
クラウスは懐中電灯を指さした。アレクシアもそれに気づき、公園わきの茂みに隠れた。
懐中電灯の光は近づいてくる。案の定、警察だ。懐中電灯の光は茂みを照らす。
最初にアレクシアが見つかった。
「おい、君、こんな夜に何してるんだ?」
クラウスは横にいるアレクシアの腕をぐっと引っ張り、立ち上がって走る。
「子供が二人…まてっ、」
クラウスは駅へと走る。駅なら人が大勢いるので紛れることができると考えたからだ。
アレクシアはクラウスの後をついていく。駅近くの道に出る。路面電車が通った後に横切った。クラウスはアレクシアに手を差し伸べた。それに応えてアレクシアはクラウスの手を取る。二人は仕事帰りの大勢の人が行き交う隙間を通り抜ける。警察はまだ追いかけてくる。
駅の建物の入口へ入る。
「お前ら、何してんだよ。」
クラウスははっと声のした方へ振り向く。カスパーだ。カスパーは息を切らし切羽詰まった二人の表情を見て察した。
「警察が…!」
「あっちに向かいなよ。なんとかする。」
「なんとかするって…。」
「早く!」
カスパーは対面するクラウスの肩を後ろへ押しやり、自分が前に出た。
クラウスとアレクシアはカスパーの指差した方向へ走る。
警察が駅の入口に入ってきた。警察は手元に持っていた懐中電灯を腰にしまっている。
「あー!あっちに子供が走ってったなー、どうしたんだろう。」
警察の目の前でカスパーは大声で指をさす。さっきクラウスたちに向けたものとは逆の方向だった。
「どこだ!」
警察はカスパーの指さす方向を向いた。その瞬間、カスパーは警察の腰にある懐中電灯をさっと取る。
「ん…?」
警察は懐中電灯がないことに気づいた。
「お、おい!」
カスパーはへへっと笑ってすばやく去った。警察は彼を見失った。
クラウスとアレクシアは息を切らして足を止めている。
アレクシアの目の前に何かが飛び降りてきた。その人影は靴底を駅の床に叩きつけて着地した。
「カスパー!大丈夫?」
「慣れてるよ、ああいうの。」
アレクシアには負けたくせして、ずいぶんと余裕そうだった。アレクシアはカスパーの手にある懐中電灯に気が付いた。
「それっ、もしかして、警察の?」
「そう。警察はあきらめて帰ったよ。」
「よかったー!ありがとう、カスパー。」
クラウスはそう言ってへなへなと地面に座った。カスパーは懐中電灯を肩掛けバッグにしまう。
「駅の地下道って知ってるか?」
カスパーはクラウスの目線に合わせてしゃがんだ。
「知らない。」
「教えてやるよ。逃げ場所は知っておいた方がいいだろ。」
二人はカスパーの後についていき、地下道へ向かう。地下道には子供だけでなく家のない大人たちもそこに居座っていた。
「カスパー、新しい仲間か?」
地下道に座る一人の大人が声をかけた。ボロボロの服を着た男性だ。
「知り合い。」
「へぇ、俺はバルタっていうんだ、よろしくな。」
そう言って男性はクラウスとアレクシアに笑顔で手を振った。
「よろしくお願いします。」
カスパーは他の大人の何人かにも声をかけられていた。そのたびに二人は挨拶をする。
クラウスは、なんだ、一人じゃないじゃん、と心の中で呟いた。
「地下道は俺たちが抜けれる場所がいくつもあるんだ。例えば、ここ。」
そう言ってカスパーは壁に開いた小さな穴に入り込む。カスパーの足先は穴に吸い込まれていった。続いてクラウス、アレクシアも穴をくぐる。大人が抜けるには小柄でないとくぐれない狭さだった。穴を抜けると外に出た。振り返ると、駅の裏側の壁があった。
「抜けれる場所を知らなくて捕まる子どもはいっぱいいる。無知は敵だよ。」
「なんでカスパーは抜け道を知ってるの?」
アレクシアはカスパーの横顔に目をやる。
「大人から教えてもらった。」
そう言ってカスパーは穴へと潜った。クラウスとアレクシアはカスパーに続く。二人は地下道の抜け道を次々に覚えていった。