第4話

文字数 1,868文字

「待合室」で書いた病院の先生に話を聞いてもらい、なんとなく自分の気持ちに整理ができました。そして母と話をし、両親と少し距離を置くことができるようになり、今に至ります。
もう少しだけ、今になって思ったことなども書かせていただきます。

私の悩みはもっと大変な経験をされた方に比べると、大したことはなかったかもしれません。そういう方からすると、それくらいのことなんで今まで自分で逃れようとしなかったのかと思われるかとも思います。やっぱり初めに行った病院の先生が言っていたように、そういうふうに育てられてしまっていたんだと思います。
近所の人とか、あまり深く付き合いがあるわけでもない人たちからみると、父も母も害のない善良な人間と思われていると思います。
本人たちも全く真剣に自分達は人に害を与えることなんてない良い人間だと思っています。
でも、二人ともそんなにいい人なら、小さい頃私が目撃した酷い夫婦喧嘩はなかったのだろうと思います。両親はそれはお互い相手が悪いから仕方がなかった、そしてもう過ぎたこと、くらいにしか思ってないと思います。
でも、実際には私は目撃した夫婦喧嘩をなん度も頭の中で巻き戻しては再生してを繰り返して考えてきました。まだ両親のことが好きだったからです。どっちの言ってることが正しいのか、どうやったら解決できるのか、本気でずっと考えていました。その結果、今でもセリフを間違えることなく、生々しく頭の中でその時のことを再生できます。初めはそのまま母がかわいそうに見えていましたが、何年か後には父の言うことも少しあるのかなと思ったり。そんなことを繰り返し、結果、大人になる前には正直どっちもどっちなんだろうとしか思えなくなりました。父と母のどんないい人そうな言葉も態度も、正直気持ち悪いとしか感じられません。
そんな気持ちを表に出してしまい、私が親の意にそぐわない態度を取ると、母は親に感謝できない私をずっと責めたてました。父は母の前で子供のために我慢する父親のセリフを言いました。そんな状況に長い間反論できませんでした。
初めに行った病院の先生が「人格を否定する言い方はしないで」と言った言葉が頭に残っていました。私が母からの言葉でずっと恐れていたのはそれもあったのかもしれないと思いました。
良い人の立場から、やってもらったことに感謝できないと咎められると、自分が「社会の中で、人にしてもらったことに感謝して生きていくことができる良識のある人間である」という人格を否定される気がしてしまうのです。その人格は、なんの才能もなく、そんなに強くもないけど社会の中でちゃんと生きていきたいと思っている私には、どうしても否定されたくないものだったと思います。
その人格を否定されたくないために、親の言うような感謝できる子供を演じる。でもそうすると両親に矛盾を感じて許せないと思っているもう片方の自分が、親の言いなりになってる自分のことを許せなくなる。どうしようもなくて心の中で親に対して汚い言葉で悪口を言う。そしてそんな自分にまた罪悪感を感じる。どんどん自分のことが嫌いになる。そんなことを何十年も繰り返しても、一向に終わりが見えない。心がとても疲れてこれ以上続けられないと思ってしまう。
私の心的にはぎりぎりだと感じることも多くなりました。それが原因でもし働けなくなってしまったら、あるいは我慢の一線をを超えてしまったら‥と考えてしまうこともありました。そうなった場合、私がその理由をなんとか簡単な言葉で説明した時、周りの人はそんなことで?という風にしか思わないんどろうなと思いました。
今は前よりだいぶ心穏やかに過ごせています。でももっと早くに相談できていれば、もっと自分の心を無理せずに生きてこれたのかなと思います。どうにか両親を好きになろうと自分の心を説得する努力ばかりしないで、もっと違うことに努力を傾けたかったなと。

私は現在介護の仕事をしています。仕事で出会う高齢の方達はいろいろ昔の話を話してくださいます。本当に大変な時代を生きてきたのだろうなと思います。
そして、問題があるのはうちの家族だけではないんだなと、今は感じています。それでも生きぬいて私たちに繋いでくれたことには、素直に感謝の気持ちが湧きます。それは私がその方達の家族ではないからかも知れません。両親も、私ではなく他の誰かに感謝の気持ちを持ってもらえたら、それはそれで良いのではないかと思います。

長々と自分のことばかり書いてしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。
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