第3話

文字数 1,267文字

初めて病院で相談した後の日々は、自分の中でいろいろ考えました。自分の貰いたかったものが貰えなかったことに関しては、まだどうしていいかわからない気持ちでした。でも、行ってよかったと思えることもあったことも事実でした。
一つはきっぱりと家族と距離を置いていいと言ってもらえたことです。それは確かに嬉しかったのです。
あともう一つ、最後まで言葉を言ったわけではなかったけれど、先生が言った
「それはお母さんがちょっと‥」
その言葉で自分の中で悩んでいたことがなんとなくわかった気がしました。
小さい頃のDVや、こだわりのある性格、そしてうつ病と、我が家の中で問題なのは圧倒的に父だと思って過ごしてきたのですが、母ももしかしたら何かが普通ではない。考えると母がもう少し違っていれば、父もああではなかったかもしれないと思える節はいくつか浮かぶのでした。
私には母が何か名前のつくような症状であるのかないのかはわかりません。でも、母をずっと見てきて思ったところは、まずは精神的に極端に幼いところです。たくさんの兄姉がいる家庭の末っ子で育ったせいなのか、幼さを指摘されてもはばからず「幼いことは可愛くていいことだ」と言い張り、まったくそれを改善しようとすることもありませんでした。
でも母は家族以外の人と特に目立ったトラブルもなく、父よりもうまくやっていたように見えました。私が、両親のどちらかは普通だと思わなければとても心が混乱してしまう、それに耐えられないと無意識に感じていたのもあるかもしれません。
父は発達障害なのだと思います。もちろん、父が直接病院に行って診断されたわけでもなく、私が相談に行った二つの病院でも診察していない人のことをどうとも言ってくれるわけがないので、あくまで私の感じるところです。以前にネット等で調べてみた時には発達障害のくくりも今とは少し違って、私の解釈力もないために分からなかったのだと思います。
でも母がどうであったかは私にはわかりませんが、子供の私にとっては、父の発達障害と思われる特徴ではなく、極端な性格の方にむしろとても悩まされた気がします。
昔母から聞いた話ですが、父がうつ病で受診していた病院の先生に、
「(父の)病気は治せるけど、性格は治せない」
と言われたとのことです。「待合室」で書いた病院の先生が、
「お父さんはもう治らないかな」
と呟いたのも、たぶん父の性格のことだと思います。
こういったことをいろいろ考えてるうちに、私は母にきちんとした理由を説明して、理解を求めようとする必要はないのだと思えるようになりました。母に何も証拠を提示して証明する必要がないのだと。
何かを証明する必要はないけれど、まだ何か足りないこの気持ちは、先生が言っていたように悩みを持つ人同士で話し合う場に行くのがいいのだろうかと思い始めていました。でも、結局そういった場がある病院を見つけることはできませんでした。
それでも、無理なく通えるところで、家族の間の悩みを聞いてもらえる病院でもいいだろうかと探して「待合室」に書いた病院を見つけたのでした。
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