第8話 任務完了と、おめでたい二人。

文字数 3,533文字

「あのー、どんな感じでしょうか?」

 恐る恐るな感じで聞こえたのは、男の声。それに振り返ると、立っていたのは杣野夫だった。
「あ、ちょうどいいところに。どうぞ。ようやく開きましたので、呼びに伺おうと思ってたんですよ」
 そう告げて小屋の中へ入るよう促すと、待ってましたと言わんばかりの顔で『そうですか! あ、じゃあ、妻も呼んできます!』と屋敷の方へ駆けて行った杣野夫。
 それから間もなく、妻の李花を連れて彼は戻って来た。

「良かったー、開いて。開かなかったらどうしようかって、二人で相談してたんですよ。鍵壊して開けるのも考えたんですけど、そんな頑丈なのを切る道具持ってないもんで」
 言った最後に苦い笑みを浮かべた杣野夫。その傍らで、妻の李花も『だから何とかして開けてもらわないと……って、言ってたのよね』と彼に補足した。
「そうそう。ほんと良かったですよー。ありがとうございます! で、いったい中には何が?」
 中身が気になって気になって仕方なさそうな顔で、目を輝かせる杣野夫婦。
 笑えるな。絶対頭ん中、今頃金の計算してるに違いない。
 笑いを堪える俺の横で、崇行が箱の蓋をそっと開けて説明を始めた。
「中には、千両箱と、掛け軸だろうと思われる絵が入った桐箱が収められてました」
「せ、千両箱?!」
 驚きで声を上ずらせた杣野夫。その横で、李花も口を開けたまま固まった。
「ええ。中には、かなりの量の小判が入ってました。おそらく相当な額になるかと。掛け軸と思われる方も、僕は鑑定士ではないので詳しくは分かりかねますが、たぶん名のある画家が描いたものじゃないでしょうか。さっそく鑑定していただいた方がいいかと思います」
 千両箱の蓋を開けて中身を見せながら、落ち着きはらった口調で告げる崇行。そんな彼を前に、杣野夫婦は興奮を隠せず状態。
 小判観て、興奮で鼻の孔膨らんでるし。
 ダメだ。笑いたい。でも、笑えない。
「わ、分かりました。ありがとうございました。さっそく鑑定をしてもらいます。李花、鑑定士に電話だ!」
「うん、分かった」
 夫の言葉に即答した李花は、『あの、依頼料は、きちんとお二方分払いますので』と俺たちに言い残すと、大急ぎでパタパタとサンダルを鳴らして屋敷に駆けて行った。
 すげえ慌てようだな。まぁ、あの小判観たら分からなくもないけど。
でも、この小屋ん中にある、あの錠付きの箱たち……、あれもひょっとしたら、すごいものが入ってるんじゃないだろうか。何か、そんな気がする。教えてやらないけど。
「本当にありがとうございました。良かったら、家のほうでお茶でも飲んで帰ってください」
 自宅を指さし誘う杣野夫に、俺は躊躇うことなく首を振った。
「いえ、次の仕事が入ってるので、僕たちはこれで失礼させてもらいます。ところで、この錠と鍵なんですが」
「はい?」
「箱の中の物を売る予定にしてらっしゃるなら、これはもう不要ですよね?」
 言って鍵と錠を見せると、杣野夫はきょとんとした顔を俺に向けた。
「へ? え、ええ、まぁ……」
「でしたらこれ、僕が頂いても構いませんでしょうか? 僕の仕事料はこれで結構ですので」
 手にした錠の上部には、初代宗右衛門の作者銘。その部分を撫でながら申し出ると、しばし目を点にした杣野夫は、
「……あ、あの、それ……、ひょっとして、凄い値の付く錠なんですか?」
 と、恐る恐る貪欲な質問を飛ばした。
 おいおい、これも高値が付くなら売ろうってか。どこまで欲深なんだよ。
「いえ。阿波錠とその鍵は、骨董屋にも広く出回ってますし、高値は付きません。僕がこれを頂きたいのは、これが僕の先祖である初代宗右衛門が作った錠だからなんです」
「初代が作った?」
「はい。うちの初代は、江戸時代、錠前鍛冶だったんです。でも当時、錠前鍛冶はたくさんいましたから、こうして古い錠を開ける仕事をしていても、なかなか初代のものに出会うことは難しくて。なので、ここで出会えたのは、ある意味運命的というか」
「そうなんですか。でしたら、どうぞお持ち帰りください」
 値がつかないと聞いて、途端に興味を削がれたのか、快く承諾してくれた杣野夫。それに深く礼を言うと、俺は左手で荷物を持ち、右手を箱にかけて立ち上がった。
「――では、次の仕事に向かわないといけないので、僕たちはこれで」
 言って視線で合図すると、遅れて立ち上がり、道具の入ったバッグを肩に担いだ崇行。
「そうですか。今日は、本当にありがとうございました。何か持って帰ってもらえる飲み物でもあればいいんですが、僕たちもまだ引っ越してきて間が無いもので。何も無くてすみません」
「いえ、おかまいなく。それでは、請求書は万里小路さんの方からのみ、後日郵送させていただきますので」
「本当に、よろしいんですか? 依頼料」
 俺の顔を見て念を押すように窺う杣野夫に、俺はこくりと頷いた。
「ええ。本当に錠だけで十分です」
「そうですか。分かりました。では、万里小路さん、請求書よろしくお願いします。お二方とも、このたびは本当にお世話になりました。ありがとうございました」
 そう言って最後にぺこりと頭を下げた杣野夫。その時、箱の傍らにあの女の人が姿を現した。
 あっ……
《兄さん、おおきに》
 そう言うと、深く頭を下げた彼女。
 そんな彼女に俺は、言葉の代わりに小さく首を振った。
「あの、何か?」
 俺を見て不思議に感じたのか、ぼそりと訊ねてきた杣野夫。彼に『いえ、何も』と返した俺は、崇行と一緒にその場を後にした――。

「それでは、お気をつけて」
 そう言い、俺たちを門の外まで見送った杣野夫婦は、いそいそと家の中へ。
「何か、俺らが帰ったらすぐ来そうだな。鑑定士」
 去っていく杣野夫婦の背中を見ながらぼそりと口にした崇行へ、『だな』と同意した俺は、『行こうぜ』と顎で道の先を指示した。
 そうして俺たちは、ようやく杣野邸を後にした――。

 歩き始めて間もなく、
「バッグ、怪しまれずに済んで良かったな。けどお前、ほんとに依頼料、その錠と鍵だけでいいのかよ?」
 不思議そうに問いかけてきた崇行へ、俺は錠を見ながら頷いた。
「あぁ。俺はこれで十分。家にある、あの錠を開けるヒントが掴めるかも知れないし」
「あー、前に言ってた、〈開かずの錠〉か」
「そう。まったく方法が分からないんだよ、あれ。――って、それよか崇行、お前、杣野邸までどうやって来たんだよ?」
 荷物を手で握りなおして訊ねると、
「え? あぁ、杣野渉の車」
 と、答えた崇行は、重そうな荷物バッグを担ぎ直した。
「杣野渉?」
 って、誰だ?
「あぁ。さっきの、杣野夫の名前」
「杣野夫?」
 淡々と答えた崇行に、『あの旦那、そんな名前だったんだ』と苦笑交じりに呟くと、『あぁ』と短く返された。
「へぇ。まぁ、知ってても知らなくても、仕事には何の差し障りも無かったけど……と、んなことより、じゃあ乗ってけよ。俺、車で来てるし。そのバッグの中のやつも、店に置いてってもらわないといけないからさ」
 重そうなバッグを指さすと、『そか。じゃあ、乗せてもらう』と素直に応じた崇行は、自分の担ぐバッグにちらりと視線を落としてから、俺を見返した。
「――なぁ、それはそうと、あの物置小屋ん中、あの千両箱と掛け軸の他にも、何かあったのか?」
 思い出したように飛ばされた質問に、俺はすんなり頷いた。
「あぁ。ざっと見た限りでは、まだ開けてない錠付きの木箱も幾つかあったし、棚にあった食器もいいものがありそうな感じだった。たぶん、もっときちんと探せば相当すごい物も出てくるんじゃないかな。何しろ、隠し床の下にあったのが、これだしな」
 言って自分の荷物バッグをポンポンと叩くと、崇行は『なるほど。……かもな』と頷いてから立ち止まり、後方を振り返った。
「ということは、あの夫婦、そのお宝をそのうち大型ゴミへ寄付するってことだな」
「寄付って……。けどまぁ、そういうことになるな。俺としては、何とか保護してやりたいんだけどな。あの財産たち」
「まぁな。それは、俺も分からなくない。でも、無理だろ」
「うん。残念だ」
 言って再び歩を進めると、同じく隣を歩き出した崇行が、不意に『なぁ』と俺に声をかけた。
「ん?」
「ところでこのバッグの中身のこと、塚原と親っさんには話すのか?」
 え? あぁ……
「いや、話さないでおく。お琴さんもあの人も、静かにしておいて欲しいと思ってるだろうし。だからこのことは、俺とお前だけの秘密な。絶対喋るなよ? お前んとこの両親にも」
 釘をさすと、崇行はすんなり首を縦に動かした。
「あぁ」
「おし。じゃあ、早く帰ろうぜ」
 言って、見えてきた車を顎で指すと、俺たちは急いで稀音堂を目指した――。

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