第2話  蓮の錠と、守りびと

文字数 4,669文字

「阿波錠か」
 俺より先にぼそりと言った崇行に、俺は頷いた。
「だな」
 しかも、装飾が〈蓮〉……。それに、通常の阿波錠よりも厚みがある。
「あの、阿波錠って?」
 俺たちの会話に割り込んだ杣野夫が、首を傾げる。
「錠の種類のひとつです。当時使用されていた錠は、他にも、土佐錠、因幡錠、安芸錠など、それら以外にも、数多く種類があります。その中で阿波錠は、花柄などの金具が施されていて、見た目に豪華なのが特徴的なんです」
 掻い摘んで説明すると、杣野夫は、『へぇ……』とあまり興味なさそうな返事をしたあと、突如ハッとした顔で言葉を繋げた。
「あ、ってことはですよ? 見た目に豪華ってことは、もしかしてこの箱の持ち主は金持ちだったとか?」
 ……、気になるのはそこかよ。
「さぁ、どうでしょうか。鍵と錠自体、使うことが広まり始めた時代ですから」
 鍵と錠は、裕福な庶民の富の象徴。ゆえに、この錠の見栄えからして、箱の持ち主が金持ちだったのは、ほぼ間違い無いと思うけど、そんなの教えてやるか。
「そうなんですか」
 少しがっかりした様子の彼に、何かひそひそと耳打ちした杣野李花は、
「とりあえず、よろしくお願いします」
 と、俺たちに微笑んだ。
 うわー、何耳打ちしたか、もろ想像つくな。
「わかりました。それでは、仕事を始めさせてもらいます。ですが、ここから先は我々鍵師の領域。〈解錠〉という作業は、非常に繊細な作業でして、なおかつ、とても集中力を要するものです。傍でじっと見ていられると仕事に支障が出てしまいますので、終わるまでは、ご自宅の方でお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
「え? あ、あぁ、はい。分かりました。じゃあ、終わったら呼んでください。行こう、李花」
 そう妻に声をかけた杣野夫は、彼女の背に手を回し、後ろ髪を引かれるようにしつつも、物置小屋を去って行った。
 ふぅ……。

「お前、俺に仕事譲るとか、本気かよ?」
 二人が行ってしまったのを見届けるなり、崇行が俺に不審気に投げかけた。
「へ? あぁ、本気」
「……。まさかお前、あの連中と同じように、俺がこれ開けられないとか思ってんじゃないだろうな?」
 サラッと流し返事の俺が気に入らなかったのか、じとっととねめつけた崇行。
 おいおい、あいつらと一緒にすんな。
「思ってない、思ってない。ただ、今日はずっと朝からバタバタだったし、仕事一つ無くなってラッキーって思ってるだけ。そんなことより、阿波錠ってことは、十中八九〈からくり〉なのは間違いないぞ」
 それにこの装飾、もしかしたら、初代宗右衛門の……?  
 話を替えて目の前の錠をじーっと観察していると、崇行も釣られるように錠へ目を向けた。
「そんなの分かってる。ってか、何まじまじ見てんだよ。。もしかしてまた、初代が作ったどうのこうのかよ?」
「ん? あぁ。装飾が、蓮なのが気になるんだよ。初代は〈蓮〉と〈椿〉を好んで使ってたって聞いてるし。だから、もしこれが初代作の物なら、相当難しい仕掛けになってるはずだから、慎重にしろよ」 
 でなきゃ、下手すりゃ一生開かないまま、かも。
「はぁ? 誰にもの言ってんだよ、てめえ」
「はいはい。そんじゃ、外野でゆっくり見物させてもらうよ。しっかし、思ったよりも大きいな、この桐箱」
 言って箱にそっと触れた次の瞬間――、周囲の風景が一変した。
 っっ!! 
 まただ。最近は、触っても視えなかったのに。――そう思った刹那、箱の傍らには一人の女。
 ――っ!?
(――あなたは……、もしかして、この箱に何かを入れた人?)
 訊ねてみると、女はこくりと頷いた。
《どうか、どうかお願いです。このまま触らんといてください。お願いします。お願いします》
 頭を下げて頼んでくる女に、俺は僅かに間を置いてから言葉を投げ返した。
(そう言われても。あの、そう何度もお願いされるということは、中には相当大事な物が入ってるんですか?)
《はい。お琴ねえさんと旦那さんの。せやし、どうか開けんといてください》
 そう言いながら、女は何度も何度も頭を下げる。
 お琴ねえさん? と、旦那さん?
 そんなことを胸のうちで呟いた刹那、
「おい、何してんだよ。仕事の邪魔だろうが。ってか、まさかとは思うが、またいつぞやみたく〈霊〉が視えてるとかじゃないだろうな?」
 と、崇行が横から割り込んできた。
「え? あ、あぁ、うん。そのまさか。箱の傍に女の人がいて、開けないでくれって訴えてる」
「はぁ? 阿呆か。開けなかったら仕事になんねえし、それ以前にあの夫婦に馬鹿にされるだろうが」
 すかさず反論してきた崇行は、視えてないくせに、じとっと箱の傍らをねめつけた。
「おいおい、そんな目で睨んだら彼女が怖がるだろうが。……まぁ確かに、仕事依頼を受けてる以上、開けないワケにはいかないし、何とか説明してみる。こういう場合、無理矢理開けない方がいいって、うちのお客の神社の神主さんが言ってたし」
 とりあえず崇行を制して、再び女の方へ向き直った俺は、案の定びくついてる彼女へ話かけた。
(すみません、怖がらせてしまって。彼、仕事馬鹿なだけで、悪気はないんです。それと、僕たちは、箱を開けて中身をどうこうしようとしてるワケじゃありません。お客から依頼を受けて、錆びたり鍵を失くしたりしてしまって開けられなくなった古い錠を開けるのが、僕たちの仕事なんです)
《兄さんらはそうかも知れへんけど、さっきの人らぁは、そうやない。箱の中身見て、売っ払おうて思てはる。そないな人らに、この箱の中身は絶対渡せしません》
 言うと、箱の端をぐっと強く掴んだ彼女。
 ……。
 う~~ん、間違いなく事実なだけに、それを言われると返す言葉が無い。
 はぁ~~、超ネックだ、あの夫婦。
《ほんまに、ほんまに、大事なもんなが入ってんのです! せやし、兄さんらにも仕事があんねやと思いますけど、そんでも鍵は開けんといてください。そっとしといて下さい。お願いします》
 箱を守るようにして、もう一度頼み込んできた彼女に、俺はしばし考え込んだ。
 相当大事なものが入ってるんだな……。
 まぁ、仕事柄、俺としても箱の中身をあの夫婦に渡すのは癪だし。なにより、骨董屋に売り払うのは、もっと癪に障る。
 ……。
(分かりました。じゃあ、こうしませんか? 僕たちは仕事を受けた以上、この箱を開けないワケにはいきません。だから開けさせてもらいます。でも、開けた後、箱の中身をあの人たちには渡しません)
《え……? そないなこと……出来るんですか?》
(はい。箱の中身が何なのかは分かりませんけど、彼らには、全く価値の無いものだと説明します。専門家の僕らがそう言えば、彼らも素直に納得するでしょうし、諦めるはずです。それならいかがですか?)
《……ほんまに、そないにうまくいきますやろか?》
 とてつもなく不安そうな面持ちの女に、俺はしっかり頷いた。
(大丈夫。任せてください。僕も、大切な文化財をああいう輩に渡したくない派なんで。だから、絶対に渡しません。彼らから死守した後は、箱の中身は、僕が責任をもって店で大切に保管させていただきます。ずっと。だから、どうか僕を信じてこの箱を開けさせてください。お願いします)
 頭を下げて頼み込むと、そんな俺を見て、真剣な表情で悩み込んだ彼女は、
《…………。ほんまに、そうしてもらえんねやったら……。……分かりました。兄さんのこと、信じます》
 と、なんとか開けることを了承してくれた。
 はぁー、良かった。
(ありがとうございます。感謝します。必ず箱の中身は守ります)
 そう返して微笑むと、女はこくりと頷き、ようやく箱から離れ、ふっと姿を消した。
「おい、まだかよ?」
 腕組をしてイラついた口調で聞いてきた崇行に、俺は『もういいぞ。納得してもらった』と返事をすると、一歩、二歩と、箱から後ずさった。
「そうか。んじゃ、始めるぞ」
 さっそく道具を選び、仕事を始めた崇行を上の空で見やりながら、俺の頭の中には、あの女の言葉が回っていた。
 お琴ねえさんと、旦那さん……
 近所に住んでた夫婦なのかな?
 二人の大事なものって、何なんだろう。
 まぁ、さっきの女がこの屋敷に住んでたのは確かだろうし、ここが昔、商家か何かで裕福だったのも、あの蔵の建ってた跡や本宅の古い大きな屋敷を見れば容易に窺えるけど、そんな家の女が、近所の夫婦の遺品を錠付きの箱に入れて、しかも蔵の中に隠し床まで作って仕舞うなんて、ちょっと変わった話だよな。
「……」
「じっと見てんじゃねえよ。気が散るだろ」
 背中越しに言われて『あぁ、悪い』とだけ謝ると、小屋を出て、すっかり瓦礫の山になってしまった蔵の跡へと足を向けた。
 ……あの箱の中身、もしかしたら、違った意味でやばい代物なんじゃ?
 そんなことを考えながら、ちらりと小屋の方へ目を向けると、必死に錠と格闘を始めた後ろ姿。
「……」
 あの錠、もし初代宗右衛門の作ったものだったとしたら、ちょっとやそっとじゃ開かないぞ。
 きっと何か複雑な仕掛けがあるはずだ。
 うーんと顎に手を当て考え込んだあと、ふと思い出してスマホを取り出した。
 そして、かけた先は、店で仕事中の奏真。
『どうしたんだよ、旬。もう終わったのか? 早かったな』
「いや、まだ。客んとこ来たら、崇行に会っちまってさ」
『はぁ? 何であいつがいんだよ? うちが受けた仕事なのに』
「ちょっと、いろいろあってさ。ってか、それより、事務所の書棚にある初代宗右衛門に関する資料、あれちょっと見てくれないか?」
『初代の? 分かった、ちょっと待ってくれ』
 そう言うと、ぶつぶつ独り言を言いながら書棚を探し出した様子の奏真。
『何冊かあるけど、どれがいいんだ?』
「蓮装飾の錠のことが書いてるやつ、無いか?」
『蓮? うーん、ちょっと待ってくれよ……。蓮、蓮……、あ、あった。これかな』
「どんなことが書いてある?」
『うーん……、解錠方法は書いてないなぁ。でも、蓮の花の装飾が多いほど、仕掛けが多いとは書いてある。あと、鍵にも何か仕掛けがあるっぽい。たぶん、知恵の輪的な仕掛けじゃないかな』
 蓮の花が多いほど仕掛けが多い? でもって、鍵にも一計仕込まれて……。
 もし、あの錠の仕掛けが資料に書かれた通りの物だったとしたら、九割の確率で初代が作ったものだと言える。そしてそれは同時に、鍵の無いあの錠を開けるのは、この上なく至難の業……。
「分かった。また何かあったら連絡する」
『なぁ、旬。もしかして、初代の錠と出会ったのか? だったらおじさんにも連絡してあげないと』
「まだ、手に触れて見たわけじゃないし、作者銘も見てないから連絡はするな。じゃ、また」
 電話を切ってスマホを後ろポケットに突っ込んだあと、瓦礫の山の一角に腰を下ろした。
 あの様子じゃ、まだしばらくは触らせてもらえそうにないな。
 ちらりと物置小屋の崇行を見て諦めた俺は、瓦礫のあちこちへと視線を流してから、杣野夫婦が入って行った自宅を見つめた。
 今頃、箱の中のお宝でも想像して、それ売った金でどうしようか……、なんて考えてるんだろうな。
 でも残念ながら、何が入ってたとしても渡すつもりはないけど。――にしても、あの夫婦、冷たい茶の一杯も持って来そうにないな。こんだけ暑いってのに。
 仕方ない、崇行の分も一緒に、何か飲み物でも買って来るか。不本意だけど。
 よいせと腰を上げた俺は、自宅にいる杣野夫婦に声をかけることもなく、敷地内を出て近くのコンビニへ向かった。


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