6章―3
文字数 2,300文字
どこか遠くから、声が聞こえる。
繰り返し反響する音に応えるかのように、ユーリットは意識を取り戻した。思考がはっきりするにつれて、少しずつ聞き取れるようになる。それは、オズナーとアンヌが自分を呼ぶ声だった。
「ユーリ、頼む! 目を覚ましてくれ!」
「ユーリ、いい加減起きなさいよぉっ!」
ユーリットは瞼を動かす。眩しい光と共に、二人の取り乱した顔が飛びこんできた。
「あっ。ちょ、ちょっとオズナー! 意識が戻ったわよ!」
「え、あ。ほっ、ほんとだ! うわああああ、よかったあああああ!」
様子に気づいた『兎』と『猫』は、覆い被さるように抱きついてきた。突然の再会に唖然としながら、ユーリットは喜びに震える。先程見た光景は夢だったらしい。
よく見ると、オズナーは全身ずぶ濡れだ。湖に飛びこんだ自分を助けてくれたのか。
「ふ、二人とも……なんで、僕を……」
「理由なんてどうだっていい! ユーリが死ぬなんて俺には耐えられねぇよ!」
「そうよそうよ! あぁ、とにかく助かってよかったわ!」
オズナーもアンヌも、わんわんと泣き喚きながらきつく抱きしめてくる。その言動も行動も嘘ではなく、間違いなく本心だ。ユーリットは二人につられ、涙を零した。
「(僕はほんとうに馬鹿だ。オズナーは嘘をついていたけど、嘘じゃなかったんだ)」
彼が隠したのは詐欺師だった過去だけであり、自分を想う気持ちは、出会った当初から変わっていない。『嘘をつかれた』というショックで、疑心暗鬼になっていただけなのだ。[第六感]の正しい指摘に今更ながら気づき、ユーリットは再び自分自身を罵る。
一年前なら、『これも嘘なのかもしれない』と警戒したはずだ。しかし変わったのは、目の前で泣き崩れるこの二人だけではなかった。
今回のように、想いが揺らぐことはあるだろう。一度築いた関係を壊さないために、優しい嘘が出ることもあるだろう。それでも、自分の心を信じたい。何があっても、彼らのことを信じていたい。
ユーリットは、初めて愛情を向けてくれた二人を抱きしめ返す。自分はもう独りではない。そう思うと、泣き顔は自然と、笑顔に変わった。
「オズナー、アンヌ。ほんとうにありがとう。これからもずっと、僕の傍にいてくれないかな?」
[獣]達は同時に目元を拭い、「もちろん!」と返す。再び泣き出した二人の頭を撫でながら、ユーリットは生まれて初めて『生きていてよかった』と思うのだった。
――
季節は更に過ぎ、七月。梅雨らしい日が多かったが蒸し暑い晴れ間が混ざるようになり、夏の始まりが近づいていた。
店先のプランターに水やりをしながら、オズナーは手の甲で汗を拭う。まだ開店前だが辺りは晴れ渡っており、既に暑い。ユーリットは彼に、タオルを差し出した。
「サンキュー。いやぁ、梅雨なら梅雨でおとなしく降っとけよなー」
「確かに、今年はあんまり降らなかったね。……あっ、来たみたいだよ」
雑談していると、道の向こうから見慣れた人影が見えた。二人は大きく手を振る。三つの人影は手を振り返しながら駆け寄ってきた。私服姿のブラックウィンド夫妻とウェルダだ。
「おはよう。今日も暑いね」
「中は冷房つけてる? さっさと入ろうよ」
この暑さでもマフラーをしっかり巻いているニティアに唖然としていると、リベラとウェルダは二人をぐいぐいと店内に押しこんだ。
玄関につけた呼び鈴が涼しげに鳴る。それを合図に、部屋の奥からアンヌが駆けこんできた。
「皆さんいらっしゃーい! 準備は出来てるわよ、早速始めましょ!」
「おっ、気合い充分じゃないか。これは期待しちゃうな」
「ちょっとウェルダ、ハードル上げないでよ!」
ウェルダとアンヌのやり取りに、思わず笑みが零れる。ユーリットとオズナーをその場に残し、一行はリビングへ消えた。
ユーリットが自殺を図った日から数日後、アンヌは正式に、植物園のスタッフとなった。フラワーアレンジメント講師の資格を取った彼女は、冬の間別の花屋で修業を積み、ユーリット達と一緒に働く気でいたらしい。『女性恐怖症』の症状もほぼ完治したため、ユーリットは喜んで彼女を迎え入れたのだ。
スタッフの人数も増え、アンヌの提案によって新たな試みを始めることになる。それが、フラワーアレンジメント教室である。今日は記念すべき開講日。真っ先に申しこんだのが、夫妻とウェルダだった。
「さて。無事に始まったことだし、こっちもそろそろ開店すっか」
オズナーはやれやれ、とリビングに背を向ける。ユーリットはその隙を狙い、彼の背中に飛びついた。
「わっ、いきなりどうしたんだよ?」
案の定あたふたするオズナーに、ユーリットは笑いが止まらなくなる。あの日見た『悪夢』とは真逆の日常が続き、急に可笑しくなったのだ。
「ふふ……なんか、抱きつきたくなっただけだよ」
腕の力をぎゅう、と強める。オズナーもつられて笑い、正面を向いてユーリットを抱きしめた。
思えば、彼と出会ったのは今日のような、蒸し暑い晴れの日だった。目の前に突如現れた、『兎』のような青年。人を疑うことしか知らなかった自分は彼の愛情に触れ、初めて心の底から、人を信じることが出来た。
もしあの時出会わなければ、自分も、オズナーも、アンヌも、何ひとつ変わることはなかっただろう。彼らはこの出会いを通じて、『自分の居場所』を見つけたのだ。
ユーリット達は開店に向けて動き始める。この一年間、嬉しいことも悲しいことも沢山あったが、この幸せがゴールではない。彼らの新しい生活は、まだ始まったばかりだ。
My companion animals
([獣]な恋人たち)
(完)
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