6章―1
文字数 2,445文字
すっかり雪解けが進み、色とりどりの花が咲き誇る季節となった。冬の間は控えめだった客足は、春の訪れと共に増え始める。栽培と販売共に忙しくなり、ユーリットとオズナーはがむしゃらに働いていた。
そして瞬く間に卒業・入学シーズンが過ぎ、気づけば木々の緑色が映える頃になった。
「はぁー。こうしてのんびりするのって、何だか久し振りですね?」
今日は珍しく、客の入りは(アンヌ以外)一人もいない。いつもの修羅場が一段落つき、三人はのんびりとくつろいでいた。
オズナーは箒を手で弄びながらユーリットに話題を振る。『敬語なんていいから』とは伝えたものの、アンヌがいる時に砕けた口調になると再び修羅場になる。二人きりの時以外は、これまで通り敬語を使っていた。
「うん、もう六月だもんね。春になったと思ったら、もうすぐ梅雨だよ」
「梅雨ねぇ……そういえば私達、出会ってからもうすぐ一年経つんじゃない?」
アンヌに指摘され、ユーリットは予定が書きこまれたカレンダーを見る。昨年と同じような日付に、同じような内容のメモが書かれていた。
ちょうど一年前も、こうして暇な時間にカレンダーを眺めていたような。独りきりだったあの頃と比べて、随分騒がしくなったものだ。
「ほんとだ。あの時は随分酷いことされたなぁー」
「そっ、それはまだ『黒猫』だったから……今はお店に貢献してるじゃない!」
慌てるアンヌを見て、ユーリットは笑い出す。心に大きな傷を負った出来事を、まさか笑い飛ばせるようになるとは。再び小競り合いを始めた[獣]達を眺めつつ、ユーリットは感慨深く思うのだった。
――カラン
その時、玄関の呼び鈴が鳴った。ユーリットとオズナーは同時に「いらっしゃいませ!」と声を出す。来店客は一人の女性だった。ユーリットはほんの少し狼狽え、無理せずオズナーに任せることにした。
「(一年経つとは言っても、まだまだ治らないか)」
一年前と比べて症状は随分軽くなったが、初対面の女性を見るとやはり身構えてしまう。沈みかけた気持ちを切り替え、ユーリットは席を立った。
「あんた、もしかして『白兎』⁉」
栽培室のドアに手をかけた瞬間、女性客の叫びが響いた。ユーリットは思わず飛び上がり、反射的に振り向く。視線の先では何故か、女性客がオズナーに掴みかかっていた。
「あの時はよくも騙したわね? あんたのせいで私、人生が台無しよ!」
「お、お客様、落ち着いてください。人違いでは……」
「とぼけないで! 白い髪に赤い目の男なんて、あんたしか見たことないわよ!」
彼女は怒号を上げ、狂ったようにオズナーを殴りつけている。アンヌも仲裁に入るが、収まる気配はない。女性は泣き叫び、信じられないような言葉を放った。
「私達、結婚するはずだったじゃない。あんたのこと、ずっと信じてたのに!」
ユーリットは『女性恐怖症』の反応など忘れ、思考が凍りついた。騙した、結婚するはずだった、ずっと信じてた。言葉の意味が理解出来ない。オズナーは自分の恋人で、いつだって本心で向き合ってくれる『いい人』のはずなのだ。
「この詐欺師! あんたなんか、死んじゃえばいいのよ!」
女性はオズナーから離れ、恐ろしい表情で声を張り上げる。そのまま走り去り、玄関の呼び鈴が責めるように響いた。
オズナーもアンヌも、白い顔で震えている。ユーリットはオズナーだけを目に映したまま、あらゆる感情が抜け落ちてゆくのを感じた。
「オズナー。どういうことか、説明して」
ユーリットは思考がまとまらないまま、頭に浮かんだ言葉を口にする。オズナーは黙って従い、向かいの椅子に座った。彼は気まずそうに目を泳がせると、覚悟を決めたのか、ごくりと喉を鳴らした。
「俺は……ユーリに会うまで、詐欺師として生きてきたんだ」
彼の言葉はナイフのように、心に突き刺さる。オズナーは声を詰まらせるが、ぐっと堪えて語り続けた。
「『
ユーリットの視界が歪む。彼の言葉を受け入れられず、吐き気に襲われた。目の前にいる人物は、本当に、自分の知っているオズナーなのか。
「ユーリ。今まで黙っていて、本当に悪かった。でもあなたと出会って、俺は変わったんだ。今はもう人を騙すようなことはしていない。これだけは……信じてくれ」
以前『俺はいい人じゃない』と、苦しげに告白していたことを思い出す。過去に何があったかなんて関係ない。確かに自分は、そう伝えていた。
しかし、オズナーの言葉はもう、本心には聞こえなかった。あの人懐こい笑顔も、真っ直ぐな想いも、交わした愛でさえも全部、偽物のように見えたのだ。
「嘘はだめだ、って、言ったよね?」
ユーリットはふらりと立ち上がり、オズナーに虚ろな目を向ける。
「君のこと、信じてたのに……全部、全部。嘘だったんだね」
彼は即座に「違う!」と反論する。掴まれた腕を振り払い、ユーリットは涙を零した。
「君にまで裏切られたら……僕はもう、何を信じていいのか分からないよ」
どん底に沈んだ自分を救ってくれたオズナーが、詐欺師だった。その事実は、一年前『黒猫』の被害に遭った時よりも、心が深く抉られるような気がした。
ユーリットは涙を腕で乱暴に拭い、店を飛び出した。
「ユーリ、待て!」
オズナーは後を追いかけようとするが、玄関先で三人連れの女性客と衝突しかける。彼女らはそのまま店内へ入ってしまい、オズナーはユーリットの遠ざかる後ろ姿から、悔しげに目を逸らした。
「接客は私がやるわ! あんたはユーリを追っかけなさい!」
店内では、アンヌが切羽詰まった声で捲し立てている。同胞の気遣いに、オズナーは体を震わせた。
「アンヌ……後は任せた!」
オズナーは踵を返し、ユーリットの後を全速力で追いかけた。
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