第8話

文字数 2,941文字

 病院は暇なものかと思っていたが、案外忙しい。朝食は出ないが、主治医の診察。血液検査。CTスキャン。サラリーマン時代に保険に入っていて良かった。
 鬱には適用されないが……。諸々終わり、昨晩のLINEに無難な返事を返す。
 その日は母が仕事を休んで付き添いで来た以外、1組だけ来客があった。石井の両親だ。平身低頭で来るのかと思ったら違った。
「ウチの息子が刺すなんて信じられません。貴方が先に何か手を出したんじゃないですか?」「ナイフも持っていたなんて信じられないぞ。施設の誰かが悪知恵を入れたんじゃないか?」
 
流石にムカついたが、それ以上に母の方が怒りが激しかったらしい。口論になった。
老人は付き添いの妻が来ていたので大人しくしていたが、眼光はしっかりとこちらを向いていた。最初は私も少し口出ししたが、口論はなかなか収まらず、盲腸か老人がナースコールのボタンを押したらしい。看護師が駆けつけた。
「ここは病院なんですから、他の患者さんもいますし、お静かに願えますか。」少し身長が高めで、芯が強そうな彼女がそう言うと、流石に3人共静かになった。こちらを一瞥して石井の親バカ2人は帰って行った。
 
なかなかムカつきは収まらなかったが、気分転換にゲームをする事にした。当たり前だがWiFiは無いので、通信が必要なゲームは出来ない。1度クリアしたゲームだが、「VA-11 Hall-A」というゲームを再開した。バーテンダーアクションゲームと銘打ってはいるが、アクション要素は無く、サイバーパンクな架空の未来でバーテンがカクテルを客に提供するゲームだ。前回は本当のエンディングが見られなかったので、今回は攻略も見ながら真エンドを目指す。やはり腹が痛いのでなかなか集中するのは難しい。途中で飲み薬も出してもらった。
 
 なんとか痛みが治まってきた頃、LINEが一通届いた。高畑サナエだ。
「昨日はごめんなさい。煩くしてしまって。でも、あの女許せない。自分が元凶のくせに図々しく病院に来て。心配なのは分かるけど、まさか鉢合わせするとは思わなくて。最初に書いたけど、本当にごめんなさい。」そんな内容だった。
 
 後は通所者でLINE交換した人達から数通メールが届いた。大体似たような内容だ。「心配です。」「お大事にして下さい。」術後はまだ昼食も出ないようだった。
 
 自分以外の2人は昼食をすませ、静かな時が訪れる。
盲腸は腕組みをして、寝ながらヘッドフォンで音楽を聞いている。病室が静かな為か、微かに音漏れが聴こえる。何かロックかパンクか、或いはパンクロックか、激しい音楽を聴いている様だった。
 
 昨日は気づかなかったが、よく見ると左手の甲に何か梵字のタトゥーがある。こちらからは右手しか見えないので気づかなかった。老人は付き添いで来ていた妻がいるせいか、静かに何か会話をしていた。
 
 目が疲れてきたのでゲームを途中で中断して、親が持ってきた本を読む。地球の歩き方、モルディブの2013年版だ。図書館には古いものしかなかった。目次のバー&その他の環境のリゾートの項目にはボラボラ島は無かった。
モルディブの旅行事情のコーナーを開く。
 
「リゾートホテル=(イコール)島という構造」
「モルディブは約1200もの島々で構成される国。 しかもそのほとんどが1周歩いて数分、比較的大きなものでもせいぜい40分程度 という小さな島ばかりだ。 もちろん、人々が暮らす村も、私たちが泊まるホテルも、すべてそんな小さな島々にある。 ただし、島はそれぞれに漁民の島、 リゾートホテルの島、 空港の島、刑務所の島、ゴミ捨て場の島 (!) といったようにきちんと役割が分担されており、ふたつの役割がひとつの島に同時に存在はしない。 つまり、リゾートの島にはリゾートホテルしかなく、漁民の島には漁民の村しかないというわけだ。
さらにはその小ささゆえ、ひとつの島にはひとつの村といった具合になっている。 リゾートもひとつの島に1軒。これがモルディブ最大の特徴である1島1リゾートというもの。 ホテルが決まれば、 必然的に島が決まるという構造になっている。」と書いてあった。
 目録を見てもボラボラ島の記載は無かった。
 
 ネットで調べた所、日本からはかなり遠いし、新婚旅行などで行くケースが多いらしく、旅費もかなりの費用だった。今の自分には無理だが、ボラボラ島の水上バンガローには行ってみたくなった。
日が暮れて老人の妻も帰り、不機嫌そうにこちらを見渡す。看護師を呼んで、何か文句を言っているようだった。する事が無いので、スマホでSNSを見る。
 いつの間にか日が暮れて、夕食の時間帯になった。
今日までは点滴で明日からは食べられるらしい。盲腸はさっさと食べ終えて漫画か何かを読んでいる。
老人の方は遅れて食べ終わり、iPadか何かのタブレットを見て今日は静かに過ごしていた。
 
 夜中はほぼ恒例になっているのか、盲腸のイビキが五月蝿く、老人が怒鳴りつけていた。
盲腸は「すんません、これでも喉ちんこを取る手術したんですけど……」と言い訳していた。
 
 喉ちんこを取る手術なんて聞いたこともなかったのだが、スマホで調べると専門の外科医が大都市を中心として何ヶ所かあるようだった。酒が入ると五月蝿くなるようだが、盲腸のイビキは酒が入ってなくても充分に煩かった。
 
 就寝時間になり、夢、その日夢を見た。人によっては音は聞こえない、それが夢であるとわかるケースもあるらしいが、私の夢はフルカラー、音声、体の感じもある。
 
 夢の中で私は過去の自分に悔いていた。これをしなければ、あれをしなければ。そういった意志を持って活動していた。夏になったら納涼船に行く。冬はこたつで猫と遊ぶ。海外旅行にも行く。そういった事を客観的な自分が見ていた。夢の中では私は感情を持たない。起きる現象を見ているだけだ。

 次の日の朝、目が覚めた。寝る前には考えていた事は澱のように脳の中に沈殿し、すっかり忘れていた。見ていた夢は無論だ。
 
 今日からは食事がとれるらしい。薄いお粥と消化に良いおかず。後は水分。その日は盲腸の退院日らしく、少し傷が痛そうだったが、各所に挨拶をして、退院して行った。
 
 同じ病室だった老人とはかなり言い合いもしたが、1週間で私は退院した。その間に作業所の人達が何人かお見舞いは来たが、例の2人の女性は来なかった。
 
口やかましい老人は何か長引く病気だったらしく、その後も病院に残った。
 
 我々が去った後は、新しい入院患者が入るらしく、看護師の皆がテキパキとベッドメイクを行っていた。親が車で家に連れ帰ってくれた。傷は塞がったものの、暫くは動くと痛いので自宅待機だ。
 
 親が弁護士を雇ったらしく、今後暫くは石井側の弁護士を通してやり取りするようだった。本人からはまだ何の連絡も無い。1週間ぶりに「ペットボトル」と再開した。
 
 何も無かったかのように近寄ってくる。自分も飼われた猫になりたい、何もせず食って遊んで、寝る。シンプルな生活だ。もうすぐ9月も終わる。その日は丁度何かの祭りがやっているのか、近所の小学校の方から花火の音だけが聞こえた。
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