第1話

文字数 4,069文字

 軽く目眩がした。慣れていないせいだ。そこは企業で障害者枠として働く奴の為のワンステップ前の施設だった。就労継続支援A型と言うやつだ。所長と面接をしてちゃんと契約を交わして入る。皆様障がい者手帳持ちだ。
 
 名前は「Mirai」。糞みたいな名前だ。
 ここにはいろんな奴がいる。統合失調症、うつ病、ダウン症、パニック障害、び○こ、め○ら、つ○ぼ、心臓に障害があるやつ、てんかん、双極性障害、ナルコレプシー、解離性障害。障害者のオンパレードだ。
 
 最低賃金に近いが一応工賃も出る。月額6万円程度だ。残念ながら交通費は出ない。
 室内では薄いベージュをベースにした壁にPCが3台ほど並べてあった。
 
 若い子が貼ったのであろうアニメのポスターが、でかでかと目に入る。大学の部室を思い出した。ほかにも大きめの机が6つほどあり中央の壁際にはホワイトボードがあった。
 入口近くには各々が荷物を入れるスペースがあり、靴箱はほぼ満杯だった。
 
 B型の施設もあるがそこは更に持病が重い人達のための施設で、給与も雀の涙程しか出ない。ケースバイケースで面接は行うが、基本的に契約も結ばないかわりに、体調が悪い時はすぐ休める。
 
 私はうつ病とパニック発作の持病でその施設に通所していた。東京で勤めていた会社で残業時間120時間超が何ヶ月も続き、ある日電車の中で倒れて救急車で運ばれてしまったのだ。
 
 結局原因はわからず、過労でしょうと医者に言われた。死にたい気持ちを抱えたまま3ヶ月休み、体調はとてもだるいまま治らず、最低限の引き継ぎだけして、会社から放り出された。自己都合退職とさせられ、傷病手当なんてものは出なかった。心療内科に行ったら、うつでしょうと診断書が出た。
 
 その後、パニック発作にも襲われ、電車の中で過呼吸になった。うずくまり、誰かが駅員の所に連れて行ってくれたのだけ覚えている。しばらくは東小金井で貯金で暮らしていたが底を尽き、30歳で都落ちして実家に帰ったのだ。
 実家に帰って暫くした後、パニック発作に襲われ、両親も間近で見てパニック発作の怖さを知ったらしく、無理なことは言わないようになった。あれ以来電車にも乗れない。
 
 実家の近所にある喫茶店で椅子に座り、本を読んでいる時にパニック発作に襲われた事もあった。それがトラウマになり、電車に加えて喫茶店で座って本を読むことは出来なくなった。

 就労支援では年齢も皆バラバラで18歳から50歳ぐらいの人もいた。人数は15人程度。
 心療内科に無造作に置いてあったパンフレットで、そういう施設が存在する事を知った。
 思えば主治医は薬を出すだけで、それ以外は何も教えてくれず、自立支援医療(診察、薬代の負担を3割から1割に減らしてくれる制度)の事すらうつ病になってかなり後に知った。なんて不親切なんだと思った。学校や会社、あまつさえ医者ですら何もそういう事は教えてくれない。
 
 実家住まいとはいえともかく金に困っていた私にはこの施設は好都合に思えた。病気の理解もある程度ある。
 体調が悪くなった時のためのベッドもある。9時から15時までが通所時間だ。幸いにも父の勤務地への途中だったので、車に乗せてもらって行き、帰りはバスで帰った。乗り物は怖かったが、やっと普及して来たヘルプマークも付けていたので、いざと言う時はなんとかなるだろうと思った。
 
 丁度高校生たちの学校帰りの時間に重なっていた。将来がある彼らの事は自分にはだいぶ眩しく見えた。キーホルダーを鞄にじゃらじゃらつけてバスの中で友人同士で他愛のない会話をしている彼女ら、彼らと比べて自分は小さく、くすんだ流木のように思えた。
 
 思えばうつになってから、感情が極端になった。意味もなく泣き叫び、また、怒りが湧いてきて嫌いだった奴に、糞尿をパックにつめ送り付けた事もある。
 
 引越し前は空いた時間でスケッチを習っていたが、筆が止まり、自分が何を描いているのか分からなくなってそのまま動けなくなったりもした。
 
 眠剤の飲みすぎで夜中、SNSに訳の分からない書き込みをしたり、同じく夜中、無意識のうちにドカ食いをしたり、(60キロだった体重が一時期80キロを超えた。流石に身長は変わりなく175センチを越えることは無かったが)忘れ物が酷くなったり、寝る前には眠剤だけでは眠れず、親にバレないよう階下に降り、ウイスキーのラッパ飲みをするのがルーティンとなってしまった。

 元々酒好きと言うこともあり、家に酒が無くて買いに行くのが億劫な時は料理酒も飲んでしまう事があり、親に酒を隠された。読書も以前していたが、少しずつしか読めなくなった。
 
 元々ゲームが好きだったので、家で寝ていてもできるSwitchのポケモンやスプラトゥーン、昔の3DSのゲームを引っ張り出してやる事ぐらいしか出来なかった。
 
 30過ぎて俺は何をやっているんだ?そんな日々だったので、規則正しい生活をしてリハビリをしたいと思っていた。

 初めて通所した時、早めに着いて最初にいたのは若い青年だった。彼は熱心にポケモンカードゲームのカードを見ていた。20そこそこの青年で身長は180センチぐらい、体格はしっかりしている。
 
 顔立ちは整っていて、鼻筋もキリっとしている。伸びすぎた無造作な髪型を除けばイケメンと言えなくもなかった。何かに集中している時の眼光は鋭かった。
 本人にそんな意識は無いようだったが。

 「おはようございます。初めまして、タニガキといいいます。」と名乗ると彼は頭を上げ、初めて私に気づいたようだった。「あ、は、初めまして。」少し緊張している様子だった。
「それ、ポケモンですか?もういい歳ですが好きなんです。」「そうです、ポケモンカードです。み、見ますか?」
 
 私はカードが経済的事情によりあまり買えなかったので、(強いカードには軒並みプレミア価格が着いている)彼からポケモン剣盾のキャラ、ザシアンV UR、金色のゴリランダー等のカードを羨ましく見ていると、(熱心な解説付き)次々と通所してくる人達がいた。
 
 初日なので後から来る人達が気になった。彼から見せて貰っているカードも気もそぞろになっていた。見た目だと障害者に見えない人達が殆どだ。

 50代の2人組もいた。2人はは背が低く肥満気味で手がやたら長かった。もう1人は背が高く痩せぎす。足が長い。対照的な2人だ。
 
 妖怪の手長足長か?それぞれ山田、藤木という名前の同じ50を越えた同年代ということだった。統合失調症という同じ病なので2人は気が合うらしく、かなりの割合で一緒にいた。

 幻覚や幻聴が現れる、当事者にはつらいが話を聞く分には面白い病気だ。全員が揃い、朝礼の時間になった。司会進行も当番制で通所者が行う。今日の掃除の当番は誰々がどこで誰々はここです、等。
 
 その後1人がスピーチを行う。題材はなんでもいい。持病の事、身の回りの事、その日は手長こと山田がスピーチを行った。
「私は20代の頃統合失調症になりました、30年近く、く、苦しみましたが、たまに幻聴や目の前で蠅が沢山飛んでいるのが、み、見えます。ここに通うことで幻覚や妄想、幻聴が、で、出なければいいと思っています。」
  要約するとそういう事らしかった。30年近く病気に悩まされているとは、病歴5年未満の私には想像できなかった。私のうつも、そのぐらい続いてしまうのだろうか。山田は現段階では症状も落ち着いているようで、喋らなければなんの障害かも分からない。
 
 私もその頃はだいぶ落ち着いていた。抗うつ剤、抗不安薬も大量に飲んでいたおかげかもしれない。30歳になって実家の四畳間、布団で寝たきりだったのを一念発起して通い始めたのだ。簡単に辞める訳にはいかない。
 
 自分のスピーチの日が来た。前もって原稿を書いてきたので思ったより緊張せずに済んだ。ホワイトボードに要点だけ書いて話し始める。
 
「タニガキです。私はうつ病で体がだるい時があります。家では寝たきりの時が多いです。無性に怒りが湧いてきて、スマホを壁に投げつけた事もあります。(糞尿を送った事は引かれるかと思い言わなかった。)
 色々な病院にかかりましたがなかなか良くなりません。パニック障害もあります。こちらは頓服の薬と袋を持って、過呼吸になってしまった時に使っています。5〜20分程度で発作は終わると思うので、救急車は呼ばなくても大丈夫です。

 三毛猫を飼っていて、名前は「ペットボトル」です。小さい頃ペットボトルでよく遊んでいたからそういう名前になった様です。
 帰ると玄関までお出迎えしてくれる日もあります。もう11歳になる猫ですがまだまだ元気です。猫は気ままに過ごしていて、撫でていると本当に猫になりたいなと思う事が多いです。(笑)」
 
 こんな感じで簡単な自己紹介とペットの事をスピーチした。無難にできたと思う。つ○ぼの通所者には支援員が小さいホワイトボードに書いて文字で見せている。手長足長はなんとはなしにそこを眺めていた。
 
 入る前にデザインの仕事をしたいと所長に伝えたにも関わらず、「必要だったらIllustrator、Photoshopも買います。」と言っていたが、今のところどのソフトも入れる様子はなかった。所長から仕事を取ってこいと言われ、いくつかの求人サイトを眺めていたが、今の自分に取れそうな仕事はなかった。
 
 暫くフリーのソフトを使って作業を行っていたが、どうにも使いづらかった。工場から受け持った仕事がどんどん増えてきた。
 日が経ち、PC作業をしている私もそちらを手伝わざるを得なくなっていた。家電の部品を作る仕事だ。ついぞ、それが何の家電に使われているかは分からなかったが。
 
 何かのパーツとほかのパーツを糊をつけて組み合わせるような作業だ。こんな仕事が人力で行われているとは思わなかった。機械で加工しているとばかり思っていたのだ。なんらかの理由で人に頼らないといけないのかもしれない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み