第3話

文字数 4,144文字

「て、が、み・・・?」
 夕凪彰隆(ゆうなぎあきたか)は、2189年。
 一家に一台当たり前の家政婦ロボット、「zyaguza」《ジャグザ》が押し入れの奥から拾ってきたという手紙を受け取っていた。
「歴史の授業で習った。紙という、かなり昔に使われていた、人が絵を描いたり、字を書いたりするのに使用していたものに書かれた封書。てがみ、手紙だ」
 今の時代、手紙とは大昔のコミュニケーションツール。
 夕凪は、頬杖をつきながら歴史の授業を受けているとき、本当に不便な時代だったんだな。と感じた。
 年号もすっかり変わり、てがみ、紙、なんて不便で非効率的な文化は消え失せた。
 人類は、皆生まれた時に配布される「dounn」《ドューン》を装着して生活する。
 ドューンは、昔の人が使っていた「眼鏡」というものに形が似ている。昔の人で視力が悪い人は眼鏡というガラスを通して物を見ていたらしい。
 ドューンさえあれば、視力が悪いもいいもない。かければ世界はクリアにそこに広がっているからだ。
「歴史の授業で習ったけど、手紙、本物を触るのは、初めてだ」
 夕凪は、さらさらとしたソレをなぞり、丁寧に封がされていた「片田あずみ」という自分の祖先からの手紙の封を開けた。
「・・・」
 手紙を読んだ夕凪は、苦笑いを浮かべてその手紙をそっとポケットに入れた。
 誰にも見られてはいけないような、この世界の真実を、自分だけが知ってしまった恐ろしく身震いするような興奮を一瞬覚えたが、それによって何かを行動しようとか、このことを誰かに相談しようだとか、夕凪はそういうことを考える青年ではなかった。
「俺はまだ健全な高校生ですよ、ご先祖様。こんなん見せられてどうしろっていうんですか」
 小さい声で夕凪は呟いた。
「正義感の塊だったり、好奇心の化けものだったりしたら、この手紙を見て何かどうにか行動を起こしたりするのだろうか」
 夕凪は足早に自分の部屋へと向かうと、手紙を押し入れの奥深くへと封印するようにしまいこんだ。
「俺にはそんなことはできない。し、する必要がない」
 ピコン。ドューンが機械音を発した。この音は、お母さんか。夕凪は、すくっと立ち上がった。
「あきくん、お雑煮できたって」
「ああ、今行くよ」
 遠くにいても、ドューンで会話すれば済む話。
 昔の人はスマホ、というものを持っていたらしい。が、片手が使えないなんて、不便だったんだろうな、と夕凪は心の中で思った。
***
「日本は、犯罪率毎年ワースト1の国になりました」
 正月休みが終わり、夕凪は家のタブレットを起動させ、歴史の授業を受けていた。
 昔の人はわざわざ学校という場所に週に5日程足を運んでいたらしいが、夕凪はそれも非効率的で無駄なことだと思った。
 その学校に行く交通費や、交通時間が無駄だし、何より人間に先生という職業があったことに、授業中苦笑してしまった。現代では当たり前のようにAIがタブレットを通して人にあった授業をしてくれている。
「人間が同じ人間に教えを説くなんて、無理だろ」
「私語は慎みましょう!夕凪さん!」
「はーい」
 夕凪が思わず独り言を言ったのを、タブレットの向こう側の先生は、見逃さなかった。
 昔は、AIでもできることを、いやむしろAIにやらせた方が効率がいいことを、人間がわざわざ労力を割いてやっていたことに驚きだったし、それをできていたことに夕凪はもっと驚いた。つまり、現代が当たり前に便利すぎるのだ。
 人間が教えるより、ネットで調べた方が余程正確で詳しいことがわかるというのは昔の人でさえわかっていたはずなのに、技術が足りなかったばかりに。日本の進化を実感させられる。
「日本は、マナーがいい国ランキングで、どの国よりも群を抜いて毎年1位。一番観光客が旅行に来る国ランキングでも勿論1位。世界一平和な国という日本のキャッチフレーズは伊達ではありません」
 先生は、更に付け加えた。
「日本に産まれたことに誇りを持ちましょう」
 AIは、”そういう風”に、人間にプログラミングされているんだと、夕凪は思っている。
 世界一平和な日本に住んでいることを、日本国民であることを誇りに持ちましょうと。現代の若者を”そういう風に”教育するように、人間が仕向けた。結局、こういう場面に遭遇すると便利な世の中の中に、意味があるように夕凪は感じた。
「それらはすべて、2020年。令和2年に日本の総理大臣をしていた王道晴高氏の素晴らしい考案から日本は変わっていったのです」
 王道、晴高という名前に、夕凪はぴくりと肩を跳ね上げた。
 押し入れにしまってある、夕凪の祖先。片田あずみの手紙に書いてあったのだ。確かに、王道晴高という名前が。
 夕凪は、嫌でも気になってしまっていた。
 片田あずみ・・・自分の祖先からのあんな手紙を見てしまったら。王道総理大臣がどういう人間だったのかということが。
 日本は、昔ゴミが道端に捨ててあったそうだ。そんなこと今では想像もつかない。そんなことをするのは理性のない動物じゃないか。信じられるはずがない。
 でも、昔の文献には、ゴミが道端に捨ててある日本の姿が確かに残っているし、道端にゴミを捨てる人間の姿が確認されている。その文献の写真が授業で表示されたとき、夕凪は思わず目をそらしてしまった。
 現代の人間にとっては、全く信じがたいことだが、義務教育で必ず習うのでどうやら事実らしい。
 夕凪は、自分の祖先のいた時代がますます不憫に思えた。
「ぼーっとしてますね。夕凪さん。集中してくださいね」
「はい・・・」
 AIだから、俺の様子をしっかり監視しているし、視線の動きなどでちゃんと聞いているか、集中しているか判断し、声をかけてくる。
「王道氏が総理大臣をしていた頃、令和の時代ですね。それまで、道端にゴミを捨てるのは普通でしたし、信号無視も普通にしている人が多かったです。ホームレスという難民もいました。ホームレスについては前に勉強しましたね?日本は不平等で、悪が普通にはびこり、ちゃんとルールを守る人間が馬鹿をみるような理不尽な世界でした」
 今では考えられないが、事実なんだと学んだ夕凪はただ静かに続きに耳を傾けた。
「そんな世の中を変えようと、王道氏はあるプロジェクトを考案し、日本の明るい未来に向かって歩みを進み始めました。なんだかわかりますか?」
「正義政策ですね」
「正解です」
「生まれたばかりの子供の脳みそに、「日本の法律やルールを守ったら電流を流す」マイクロチップを埋め込むプロジェクトですね」
 夕凪は、自分には考えつかない案だなと思った。本気で王道総理は、日本を変えようとしたんだなと感じた。ルールを守らない人間がはびこっていた日本でそんな提案を出したら、反対されるに決まっているということは夕凪でもすぐわかる。
「最初は、反対大多数でした。当然ですね。ルールを守らない身勝手な人間というのは、声が無駄に大きく、駄目な人間というのはそういう人間たちで徒党を組み、声を上げるものです」
 夕凪は、あえてごくりと喉を鳴らした。
「ですが、王道総理は言いました。「ルールを守ればいいだけだ」と。「自分の子供に、孫に、犯罪をさせないように教育すればいいだけだ」と。それでもうるさい人には、「自分の子供や孫が犯罪を犯す可能性がある確信があるからそんなに焦って反対しようとしているのではないか?」と言いました」
 夕凪は、反対が多数でた話を聞いて少し笑ってしまった。
 ルールを守るのは当たり前だし、犯罪を犯さないのは、当たり前のことだからだ。それを必死に「守れるかわからない」から「そう教育できる自信がない」から、その政策に反対しているのが可笑しい。
「反対を叫ぶ声は確かにありましたが、徐々に消えていきました。反対ということは、自分の子供を、「ルールをきちんと守る子供に教育できる自信がない」といっているのと同じことです。「自らの子供を犯罪者へと育成してしまう可能性を感じていることを自らが露見している親」というようにデモをしている恥ずかしい非国民たちの写真が大きくネット上にあがったりもしました」
 最初から、王道総理が言っていたことだと、夕凪は思った。
「王道総理が言っていたことをデモを働いていた非国民たちが理解するのには、実に9年かかりました。それだけ日本の治安は悪かったのです」
 普通に考えたらわかることなのに。夕凪は、9年という年月にため息が出た。
「日本人は少しずつ、少しずつ、正義政策に賛同し、2029年。ついに可決されました」
 逆に王道総理が正義政策を提案しなかったら、日本は今も、ゴミが地上に無造作に捨てられ、犯罪がはびこり、赤信号を無視する。女性が電車に乗れば痴漢される可能性がある。ルールを守っている人間が損をするような状態だったという事実に、夕凪は背中が寒くなった。
 人を殺しちゃいけない。
 ゴミを道に捨ててはいけない。
 赤信号は止まれ。
 見知らぬ女性の体を触ってはいけない。
 そんなことは、夕凪が「にほんのるーる」という幼児向け絵本を保育ロボット「アン先生」に毎日読み聞かせてもらっていたので、幼児でも理解していたことだった。
「そうして、また時は流れ、王道総理が58歳になった際に、マイクロチップは完成し、日本の病院へと配布されていきました。日本は劇的に変わっていきました。愛するわが子が死ぬようなことがないように、一層親は教育熱心になります。王道総理は、正しい日本にするために種をまいたといえるでしょう」
 そういう政策が可決されたから、やっと、子供にルールを守ることをしっかりと教育するという当たり前のことに必死になる親たちがいたというのは、おかしな話だなと夕凪は苦笑した。
「ですが、少子高齢化が進み、正義政策外にいる大人に影響された子供が、次々と死んでいくという問題が起きました」
 夕凪は、目を大きく見開いて身を乗り出すようにして聞いた。
 王道総理がその問題をどう解決したのか気になったからだ。
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