11話「涙なしには話せない」

文字数 2,636文字





私は津田さんの狭い部屋の中、クッションに座って淡々と、両親が離婚したことについて話をした。

「昔は仲が良かったんです。でも、ある日お父さんが職場で左遷されてから、お父さんはお酒ばかり飲むようになって、それを止めたり、お父さんの嫌味に言い返したりするお母さんと、喧嘩が絶えなくなっていって。私はあんまり関わらないようにしてたけど…本当は、止めたかったと思います。でも、子供の私が出て行っても、なんにもならないことは分かってました」

そこで津田さんは、悲しそうに顔をしかめて、正座をした膝に乗せた手をつっぱり、肩で体を前に乗り出した。

「それで、だんだん喧嘩することで喧嘩がさらに増えてる、みたいな状態になっていって、それこそ話をすると言ったら嫌味だけ、っていうふうになりました。それで、もしかしたら、お母さんの方から「もう喧嘩したくない」って切り出したかもしれないです。ほんとは優しい人だし。だから、喧嘩したまま離婚したけど、二人がいがみ合って疲れることももうないし、これで良かったのかも…。でも、お母さん、家でたまに泣いてるんです。離婚、したくないのにしたのかも…わからないですけど」

そう言い終わった時、私はできるだけ笑おうとした。でも、津田さんの表情が、そうさせてくれなかった。それは、真面目そのもの、という顔だった。

「そうでしたか…でも、あなたはとてもえらい方ですね。子供なのに、もう冷静に考えようとして…それに、「自分が止めたかった」と、普通は考えないことまで、しっかり考えようとしていらした…すごいです」

津田さんがあんまり感心した様子で、頷きながらそう言うので、私はそれに少し照れてしまって、「いえ、全然、そんなことないですよ…」と、思わずうつむいてしまった。

その時私は、津田さんがあんまり私を丁寧に扱ってくれて、親身に話を聴いてくれるので、第一印象とはまったく違う人間像に、驚いていた。

“「一緒に死にませんか?」なんて赤の他人の私に向かって言うから、てっきりいい加減な人かと勘違いしてた…。それに、“売り飛ばされるかも”なんてことも考えてたし…”

私はそれで津田さんに申し訳なくなって、恥ずかしさから顔が熱くなった。だからしばらく黙って下を向いていて、“もう、顔、赤くないかな?”と、もう一度津田さんの方を見ようとした時だ。

「あの…お気にさわったら、申し訳ないんですが…」

また自信のなさそうな様子で、津田さんは両手を前に浮かせて、おろおろとしているように震わせた。

「なんでしょうか…」

その時、津田さんは急に胸が苦しくなったかのように顔を歪めて、脇を見た。でも、もう一度こちらを見た時には、しっかりした顔つきをして、私の目を直接覗き込もうとしているように見えた。

「お友達が、お亡くなりになったということもあったんですよね…悲しかったでしょうに…」

そう言いながら、津田さんはどんどんと泣きそうな顔になっていった。


私はさっきまで、深夜なのに見知らぬ人の家に来て、自己紹介がてらに辛い出来事を話すという、ある種非常事態のような中に居た。だから、たかやす君のことは忘れていた。

でもそれが一気に胸に蘇り、背筋を通って私の脇腹をがっちりと掴んだ。思わず下を見て、“冷静にならなきゃ”と心の中でつぶやく。


「ああ、ごめんなさい、ショックなことを聞いてしまって…!」

津田さんは私の心を察してしまったのか、やっぱり謝った。でも私は、これこそ話したいことだった。

だって、この人は多分、「あまり親しくなかったなら、気にすることはないですよ」とは、言わない。なんとなく、そう感じていた。


「…仲が良かったかどうか、わからないくらいに、何度かしか会っていないんです…」

私は、あえて同情してもらえなさそうなことから話した。なぜそうしたのかはわからない。津田さんは少し驚いたけど、もう一度神妙な顔に戻って頷いた。

「でも、彼にだけ、本当のことが話せると思いました…私に、とても優しい人でした…私が落ち込んでいることもすぐにわかってくれて、私に逃げ道が必要だとも、思ってくれました…!」

私の手はぶるぶると震え、それを押さえつけるために着ていた服をぎゅっと握りしめた。目の前が滲んでいくと、そこにたかやす君の笑顔が浮かぶ。それを私は失くしたくない。

「でも…でも、彼は自分のことは何も…苦しいとも言わずに…ある日突然、自分からいなくなってしまったんです…!」

津田さんは一言も口を挟まずに、私の話を聴いていた。だから私は、いつの間にかその存在を忘れて、叫んだ。

「どうしてなの?私には分からないけど、悲しむことしか出来ないなんて、ひどい!何も言わないで…!…何も言わないでいっちゃったなんて…!」

わけもわからなくなって、とにかく私はそうわめき散らした後で、わっと泣いてしまった。この時私は、“この涙はきっと枯れない”と知った。






私が落ち着いてから、津田さんはもう一杯りんごジュースを汲んできて、また私と少し話をした。私はまず、津田さんに謝った。

「ごめんなさい…「一緒に死にませんか?」ってメールについてきたのに…私、いろいろあって、ちょっと落ち込んでただけなんです…なんだかよく分からなくなっちゃってるけど、すごく悲しくて、それで逃げたくて…ごめんなさい…」

「大丈夫ですよ。それは普通のことです」

「えっ?」

津田さんの返事は、私が謝ったことに対する返事ではないように思えた。それから津田さんは少し斜めの下、ゴミだらけの畳に目を落として、こう話し出す。

「あなたは今、目まぐるしく変化して、悲しいことばかり起きる中にいます。だから混乱して、自分を守るのに必死なんです。でも…時間は掛かりますが、しっかり休めば、必ず良くなりますよ」

私はそれを聞いて、なんだか「自殺掲示板」のチャットに居た人達が喋っていたことを思い出した。

「そ、そうなんですか…?」

“だって、現実に起きた悲しいことは拭えないのよ。それでどうやって悲しみが消えるって言うのよ…”

なんだか私はそう思って、拗ねてしまいたかった。

「はい。きっと良くなります」

なぜかそう言い切る津田さんに、私は少し薄気味悪さを感じたままだった。でも、次に津田さんが話始めたことで、それはどこかに行ってしまったのだ。


「少し、これは私の話ですが、聴いてください…参考になるかもしれませんし…」


そう言って津田さんは、テーブルの上のりんごジュースをじっと見つめ、ため息を吐いた。






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