幕間 恋の終わりに

文字数 3,405文字

 雪の日、風呂に入って体を温めて、睡眠を取れば雪道を歩いた分の疲れは取れるだろうと思って、私は相澤をベッドに寝かせようとした。
 電気毛布も入れてあり布団は暖かいから。
 客用布団は無いから私のベッドで寝かせるしかないと思ったのだが、相澤は嫌がった。どうしてだろうか。
 服を着て髪の毛を乾かして寝室を覗くと相澤はベッドに座っていた。
 どうしてそんなに嫌がるのだろうか。電気毛布は強にしてあるから暖かいのに。


 ◇


「奈緒ちゃんごめん。でもこうでもしなきゃ、奈緒ちゃんは話を聞いてくれないから」

 肘を掴まれたと思ったら、ベッドに押し倒されて相澤を見上げるまで一瞬だった。
 腕も足も動かせない。

 ずっと私は、相澤とこの話をすることを拒否していた。
 だって私は、相澤の答えを知りたくなかったから。

 あの日、『ずっと好きだった』と言った。
 なら今はどうなのかと言えば、葉梨が好きだ。私は葉梨に恋をしている。だからもう私は、相澤に恋をしていないということになるだろう。だけど――。

「奈緒ちゃん、今好きな人がいるの?」

 松永さんから聞いたのだろうか。相手が葉梨だとは知らないだろう。その素振りは無いから。だが私に好きな人がいたとして、相澤はどうするのだろうか。

「だとしたら何よ?」
「なら俺は別れるまで待ってる」
「はっ!?」

 どういう意味なのだろうか。葉梨と付き合って別れたら、相澤は私と付き合うと言うことか。ならそれは今だっていいだろう。違うのだろうか。

「だって……」

 相澤は私を、『誰にも渡したくないと思った』のか。私はいつから相澤のものだったのだろうか。相澤のものになった記憶は無いのに。どういう意味だ。

「多分、奈緒ちゃんが好きなんだと思う」
「多分って何よ」

 そんな不明瞭な気持ちでは困る。
 はっきりと言って欲しい。

「わかんない」
「バカなの?」

 ――痛い。

 相澤が舌打ちして、掴んだ私の手首に力を込めている。
 ああ、相澤を怒らせてしまった。目が怒っている。真面目に話してくれているのに、その言葉はさすがに失礼だった。謝らなければ。

「ごめ――」

 相澤の唇が私の口を塞いだ。
 手首を掴んだ腕の力は少しだけ緩んだが、二の腕にある相澤の腕に押し潰されそうだ。痛い。
 相澤の舌が私の口内に入って来た。苦しい。
 体は相澤が体重をかけている。重い。苦しい。重い。息が出来ない。苦しい。

 ――鼻ですればいいのか。

 そう思って鼻で息を始めた時、相澤は唇を離した。
 相澤を目で追うと、相澤は掴んだ腕も、足も離した。

 ――今のはキスだった、のか?

 あまりにも突然のことだったし、重くて苦しくて重くて何も考えられなかった。
 そうか、キスだ。私は相澤とキスをしたんだ。相澤の舌は、私を求めていたんだ。そうか、応えないといけなかったのか。でも――。

「ごめん……でも奈緒ちゃんがいいなら、俺はしたい。でも嫌なら俺はや――」

 腕を相澤の首に回して、私は相澤を引き寄せた。

 また相澤が私の体の上に来ると苦しいから、私は身を(かわ)して横向きになった。
 相澤の首に腕を回したまま横向きになると、相澤は私の背中に腕を回した。

「裕くん、寒いから布団に入ろうよ」
「あ……うん」

 起き上がり、一度ベッドから下りて布団に入り直した。セミダブルのベッドは、二人で寝ると狭い。

 マットレスの隅っこにいると、相澤は私の体を引き寄せた。隅っこじゃなくとも大丈夫だったのか。相澤は私の肩と腰に腕を回した。相澤の体が密着している。
 下はトランクスだけの相澤は、足が冷えていた。つま先が相澤の足に触れた時、すごく冷たかった。
 電気毛布は暖かい。
 相澤の冷たい足を、電気毛布が当たらない部分を、私は暖めてあげようとして足を相澤のふくらはぎに乗せた。
 それから相澤の顔を見ると、相澤は私の足の間に割り入ってきた。そして私の背中はシーツに沈められて、相澤は私に覆いかぶさった。

 ――元に戻った。

 苦しいから横向きになったのにどうしてこうなった。

「裕くん……んふっ……ふふふっ」
「奈緒ちゃん、なに?」
「苦しいから……横に……んふっ」
「ああっ!」

 相澤はまた横向きになり、『ごめんね』と言って私を強く抱き寄せた。私の下腹部に、熱く張りつめて、硬くなったものが当たっている。
 小さくて可愛い女の子が好きな相澤が、デカくて可愛げのない女に欲情している。相澤は好きでもない女を抱けるのか。

「裕くん……あの……」

 私は熱く張りつめたそれに手を伸ばした。
 指先が触れた時、相澤は私が言いたかったことを理解したのか、『そうだよ、奈緒ちゃんだからだよ』と言った。

「でも、私を好きかわからないんでしょ?」
「それは……」

 ――始めたら、終わりがある。

 始めなければいいのだ。
 この先、仲の良い同期として、無事に退官するその日まで、私は相澤とずっと一緒にいたい。

「今日で、片思いを終わらせる」
「えっ……」
「私は裕くんがずっと好きだった」
「うん」

 私がもっと、勇気を出して、早く想いを伝えていれば、きっと相澤は私の気持ちに応えてくれていただろう。でももう、いい。

「十六年、ありがとう」
「はっ!? 十六年!?」
「そうだよ」
「裕くん、ありがとう」
「えっ、でも……」
「なに?」
「俺は別れるまで待ってるから」

 ――また元に戻った。

 私はどうすればいいのだろうか。海っぺりの公園で告白した時は、まだ相澤のことは好きだった。だがもっと前から葉梨に心が揺れ動いていたのは事実だ。そして葉梨とデートして、私は恋を覚えた。

「早く結婚しなよ」
「奈緒ちゃん……」
「片思いは今日で終わる」
「……俺は奈緒ちゃんが好き」
「さっき多分って言ったよ?」

 相澤から返事が無い。表情を見ると、唇を噛み締めている。小さく息を吐いてから私の目を見て、また強く抱き寄せた。

「奈緒ちゃんがいいなら、俺はしたい。でも嫌なら俺はやめる」

 ――また元に戻った。

 これはよくあるアレだ。警察官によくあることだ。激務と睡眠不足で正常な判断が出来ず、判断を見誤るアレだ。
 私も女だ。相澤は女とこうしてベッドに一緒にいるのだ。相澤は性欲が溜まってて、私で処理したいのだろう。
 襲わないだけ相澤はまだいい。松永さんよりマシだ。私の同意を得られないのなら相澤は引き下がるだろう。

「わかった。最後に裕くんに抱かれて、私の片思いは終わる。それにする」

 私はそう言って、相澤の唇を求めた。
 初めて自分から求めたキスに相澤は応えてくれた。嬉しかった。
 私達は何度も唇を重ねた。
 舌がまた、私の口内に入ってきて、私は応えた。でもさっきより、性急さがあった。舌が狂おしく私を求める。

 相澤が唇を離した時、私の肩を抱いた腕に力が込められて、抱き起こされた。私を抱き寄せている相澤は耳元で囁いた。『我慢出来ない』と。

 私の長袖Tシャツと中に着ていたタンクトップを乱暴に脱がして、相澤もTシャツを脱ぎ捨てた。

 私はシーツに沈められ、相澤が足の間に割入って、私たちは体が重なった。

「奈緒ちゃん」

 私に体重をかけないようにしているのか、相澤が遠くにいる気がする。
 相澤に恋人が出来ると、小さくて可愛い女の子を抱く相澤を俯瞰したイメージが頭に浮かんで、心が騒いだ。
 だが今は、ベッドで私は、相澤の腕に抱かれている。願った結末ではないが、私は嬉しい。

「奈緒ちゃんのこと、好きだよ」

 相澤は私の背中に手を差し入れ、手のひらで私の肌を撫でている。私は、相澤の左上腕を見ていた。
 そっと唇を重ねて、耳元から首すじへと唇が這う。
 その時、私の背中にある傷に相澤は気づいたのだろう。目の色を変えて私を抱き起こして背中を見た。

「奈緒ちゃん! もう傷は消えたって言ってたよね? 残ってるよ!?」

 私は相澤の左上腕にある傷に唇を這わせた。
 私の背中と相澤の左上腕にある切創痕は、私が全て負うはずだった傷を二人で分けたものだ。

「私の中に裕くんはずっといる。裕くんも左腕を見た時、私を思い出してよ」

 今にも泣きそうな顔の相澤が愛しくて、相澤の首すじに添わせた指先に力を込めた。

「裕くん、抱いて。私を抱いて」

 泣きそうな顔のまま、眉根を寄せた相澤は、私を強く抱きしめた。『奈緒ちゃんの嘘つき』と言いながら、唇を重ねる。

「奈緒ちゃん、好き」

 その言葉は、欲望が果てた後にも言ったら、信じてあげる。だけど――。

 でも、もう、いい。




 
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