第5話

文字数 2,056文字

「お前の彼氏、いいヤツだな」

裸足のノリちゃんをおんぶしての帰り道
イチロウさんは呟くように言いました。

「私の話聞いてました?
3年も同棲してお年頃になった彼女に対して
言った言葉が『好きな人ができたから別れて』
ですよ。どこがいいヤツ?」

威勢よく背中でプリプリするノリちゃんに
「あばれるなよ」と文句をいいつつ
イチロウさんはホッとしています。

「…男は揉め事に弱いっつーか、
だから隠したり嘘ついたりなあなあで
済ませようとするヤツが多いよ。
このままどっちとも上手く行けばいいなー
とかさ。そんなの出来る訳ないのにな。
うん、大抵の男は女々しい。
でもお前の彼氏はキッパリ言ったんだろ?
男らしいじゃん」
イチロウさんは胸がチリッと痛むのを感じながら
言い切りました。すると

「…やっぱり私が男前だからですかねぇ」

しんみり言うノリちゃんの言葉に
2人はしばらく黙り込んでから
「ブッ!」と吹き出しました。

ノリちゃんは見た目フンワリ女子だけど
中身は全くの『男前』でした。
追い込まれた時ほど、その決断力と統率力は
遺憾なく発揮され
なんなら毎朝戦場のエッグモーニングを
こなしてるノリちゃんは
日常的に男前女子以外の何者でもありません。

❄︎ ❄︎ ❄︎

『自分を見たかったらまわりを見るといいわ』
マダムは鱗鏡を布に包み、優しく言います。

『それがどうあるか、その人達が何を言っているのか、そんなのはどうでもいいの』
『え?じゃあ見ても意味ないんじゃ…』
戸惑うノリちゃんの胸に
マダムはそっと手を置いて
『それを見てあなたが思った事があなたなの』

ノリちゃんはジッと考えてしばらくして
ホウッと息を吐き出しました。
『…凄く難しいですね』

マダムは足元に戯れついてきたフクちゃんを
あやして抱き上げると
『可愛いでしょう?』
『すっごくカワイイ』
『じゃあ、それがあなた。ね、簡単でしょ?』
その場の皆は顔を見合わせて吹き出しました。
シンプル過ぎて力が抜けて。

少し血の気が挿してきたノリちゃんの頬を
マダムはそっと包んで続けます。
『もっと簡単に自分を知る方法はね…』
『…彼が私って事ですか?』
そう言うノリちゃんにちょっぴり首を振って
『鏡に写ったあなたなの』

『鏡に写ったって事は、全部逆って事ですか?』
そう聞く時生君にミヨちゃんは
『えー?なんか難しい!ちっとも簡単じゃない』
ブーイングです。

『ノリさんが動くと彼も動くって事じゃ
ないですか?』
タカフミさんがイチロウさんの前で
グラスを拭きながら意味ありげに言いました。

『ああそうか。実体が動くから鏡に写った
ヤツも動くんだ。じゃあ…』
その先を言いかけてイチロウさんは止まります。

 じゃあ彼氏に好きな人が出来たって事は
 ノリに…

❄︎ ❄︎ ❄︎

「私に好きな人が出来たから
彼に好きな人が出来たって事ですよね」

背中のノリちゃんの言葉に
イチロウさんの心臓はどうしようもなく
跳ね上がって
それは背中にも伝わって…

「好きです、コック長」

ノリちゃんの口からポンッと飛び出しました。
そして次に出てきたこの一言。

「でもダメですよ、ワタシに惚れたら」

「え?なんで?」
『スキデスコックチョウ』に浮かされていた
イチロウさんは衝撃のあまり
ビタっと止まりました。

「しばらくこの子にかかりっきりなんで」
振り返ると
ほっぺに指を立ててる可愛いノリちゃん。

「…そうだな。しばらくほっといたんだろ?
『あの』お前のこと」
イチロウさんはゆっくり歩き出します。
「そうなんですよねー。だーいぶ長い間」
「…じゃあ、長い間かかりきりになる訳だ」
「そうなりますよねー。でも困りました」
「なにが?」
「私の可愛い編み込みやってくれてたの
歴代の彼達なんです。
彼氏いないの困るんですよねー」
「おまっ!!そんな恐ろしい事よくしれっと…」

背中でケラケラ笑うノリちゃんに
イチロウさんはため息をつきました。

 どこがフンワリだ!

「もういっそ髪切っちゃおうかな」
「バカ!お前…!
…冬までに俺が練習しといてやるから」
「冬までかぁ」

  ワタシはそれまでに許してくれるかな?

夏の夜とイチロウさんの熱に浮かされる中
ノリちゃんは頬に手を当ててそのひんやりした
心地よさを感じていました。

なんだか不思議な夢見心地です。

この手の中の柔らかくひんやりした自分と
一緒に生きていく。
それは寂しいようでいてなんだかとても大きな
ものに包まれているかのような…。

まだよくわからないけれど
今はそれでいいとノリちゃんは思います。

  だって今のところとりあえず
  私はワタシがとっても楽しい。

イチロウさんはさらに大きなため息をついて
ゆっくり歩き続けます。
背中のノリちゃんがどんどん軽くなるのを
感じながら。

  相手が男の方がまだよかったかもな。

イチロウさんはボソリと言いました。
「なんなら秋までに編み込み出来るように
するけど…」

「…コック長…女々しいですよ」

「…ですよねー」

今にも飛び立ちそうなノリちゃんを
背中に感じながら
イチロウさんは街頭に照らし出された
楓並木と自分とノリちゃんの影を
ゆっくり踏みしめて歩いていきます。

秋も冬もまだまだ先だなぁ
と思いながら。
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