第4話

文字数 5,747文字

 小代里はホームルームの知らせを聞いていた。現場に行ってから疑念が現れ、平穏を過ごしていいのかと問いかけ脳内を回遊している。生徒手帳から紙切れを出して眺めた。加納が別れ際に渡したメモが挟まっている。開いて眺めた。日付と共に喫茶店の住所と簡単な地図が書いてある。日曜日に喫茶店で会う約束が気を紛らわせた。
 ホームルームが終わった。
 小代里はメモをしまい、カバンを手に取ると他の生徒より早く教室を出た。
 日曜日になった。
 小代里は登校と同じルートでで列車に乗り、麓の駅で降りた。メモを取り出し、地図を頼りに喫茶店へ向かった。
 路地の脇に入った。車がすれ違える程度の幅がある。
 小代里は奥に進み、地図で示した場所に来た。
 指定した場所は3階建ての家で、1階を喫茶店に改装している。テラス席はなく、家の前の駐車場には磨ききった車が停まっている。色あせたのぼりが脇に立っていた。
 小代里は不安になりつつ、駐車場に立ち入り窓に近づいた。カウンター席と座席が見える。不安になりつつも窓を開けた。ピアノの音がフロア内に充満している。座席は空席の方が人が座っている席より少ない。恐る恐る喫茶店に入った。一人で喫茶店に来た経験はないので、何が待っているかは理解出来ない。勝手に席に座っていいのか、先に注文を済ませるのかすら分からなかった。
 カウンター席で作業をしているウェイターが小代里に気づき、手を止めて近づいた。「お一人ですか」
「後で2人位来ます」小代里は適当に答えた。加納が一人で来るとは限らない。
「席は空いていますから、適当に座って下さい」ウェイターは頭を下げた。
「すみません、注文は」小代里は店員に尋ねた。
「席についてから行きます。禁煙席は手前とカウンター席ですので、空いている席に座って下さい」
 小代里は奥側の席を見た。喫煙室のラベルが貼ってあるドアが隅に見える。喫煙席に座る気はない。空いているテーブル席に座り、カバンを足元にあるバスケットに入れた。
 机の上にはメニューと調味料が置いてある。メニューを手に取って開けた。コーヒーの種類と味が詳細に書いてあるが、分からない。
「好きなの頼みなよ」聞き覚えのある声がした。小代里は隣を見た。少女が隣に座っている。
「コーヒーなんて皆同じ味よ」少女は笑みを浮かべ、テーブルの央に置いてある砂糖を指差した。
 小代里は苦笑いをした。同じ意見だ。ページをめくった。モーニングセットと称した、ブレンドコーヒーとトーストのセットが書いてある。朝食は取ったが腹に余裕がある。適当に決めてもらった方が楽だ。少女の方を向いた。少女は首を振った。
 店員が近づいてきた。

 議員と代表は調査完了の連絡を受け、加納の探偵事務所に足を運んだ。2回目なので事務所へ落ち着いた歩調で向かった。事務所の前に来て、堂々とインターホンのボタンを推した。
 最初に来た時と同じく、妻が応対し二人を部屋に入れた。
 部屋に入ると、加納がテーブルに座っていた。
「時間通りですね。連絡通り、事故の調査は終わりました」
「早かったな、簡単だったか」
 議員と代表は空いている席に座った。
「現場の調査や関係者の証言を踏まえてまとめたに過ぎません」加納はテーブルに議員側から提出した警察の報告書を置いた。「お借りしていた資料です。大変役に立ちました。調査が早く終わったのも協力があってこそです。ありがとうございました」
 代表は警察の報告書を受け取った。「年寄りはせっかちでな、はよ報告書を出してくれんか」
 加納は机の隅に置いてある2冊の報告書を手に取り、二人の手元に置いた。「報告書です。内容をご査収下さい」
 代表は報告書を開き、内容を確認した。
 名前は仮名で、事故の詳細が図入りで書き込んである。事故はカラスが落とした鳥の救助を理由に、被害者が道路に飛び出した為に起きたと結論づけていた。
 代表は概要を見て震えた。原因は新居者の側にあった。
 議員はもう一冊の内容を読んだ。警察の報告書を元に簡潔に書いてある。結論は代表が読んでいる報告書と同じだ。
「おかしい点でもありましたか」加納は二人に尋ねた。
 代表は首を振った。「予想通りだったので驚いた。警察は被害者の言い分だけを聞いているだけで、我々の意見は耳にせんかった。改めて調べ直してみるもんだ」
「同じくだ」議員はうなづき、報告書を閉じて机に置いた。「改めて聞くが探偵さん、報告書の内容は事実でいいんだな。まさかウソを書いていまいな」
「調査は中立です」
 代表は報告書を手に取り、カバンにしまった。
 加納は机の上に封筒を置いた。「依頼の完了と見ていいですね。では契約書の通り、残金のお支払いをお願い致します」
 議員は封筒を手に取った。「お前さんは、我々が報告を何に使うか問わんのか」
「依頼の時に話した通り、犯罪に関わるのなら受けていません。何に使うかは勝手です。たとえ犯罪に使ったとしても貴方達の責任であり、私は一切無関係です」加納は淡々と話した。責任は仕事中に担うのみだ。相手に明け渡した時点で消滅する。
「奴等に報告書を渡せば交渉のテーブルに付く」
「当然だ。村の規則を破り実害を与えたのだ、拒否権はない」議員は代表の言葉に相づちを打った。
 議員は加納の方を向いた。「かの新居者の身辺調査もしとるんだろ。お前さん、追加の仕事をしないか」
 加納はため息をついた。「再契約ですか」
 議員はうなづいた。「奴らを意地にかけてもテーブルにつかせねばならん。村では重大だ」
「我々は新居者を潰す気はない、約束を守らん側に約束を守ってもらう交渉をするだけだ。お前さんは手助けをするだけでええ」
 加納は気難しい表情をした。全体に向き合わず、都合の良い部分だけを相手に突き出す。切り張りした正義による暴力でしかない。「再契約はしない方針です。トラブルでしたら弁護士に相談するのが良いかと存じます」
「狭量な奴だな、貧乏なのに依頼を選ぶ身分か」代表はぼやいた。
「仕事にはルールがあり、破れば私は仕事を失います」
 代表は眉間にシワを寄せた。
 議員は代表の表情を見て、軽く肩をたたいてなだめた。「仕方ない。意固地な奴は何しても動かんぞ」加納に笑みを浮かべた。
「すみません」加納は頭を下げた。「弁護士の紹介なら出来るんですがね、直に関わるのは無理なんですよ」
「規則なら責めはせん。金を払って終わりでいいんだな」代表は席を立った。
「はい」
「出るぞ、何かあったらまた頼む」代表はドアに向かい、部屋から出ていった。
「世話になった」議員は代表に続いて席を立った。
「ありがとうございました」加納は立ち上がり、頭を下げた。
 議員は部屋から出ていった。
 ドアが閉まった。
 加納はドアを見つめた。相手を締めて服従を与えても、相手は無敵の反撃をたたきつけてくる。人が出ていった経緯から何も学んでいない。
 妻がドアを開けて部屋に入ってきた。「随分満足していたわね」
 加納は机の隣に置いてあるロッカーに向かった。
「昔話でもして話が長くなるかと予想してたんだけど、簡単に帰ったわね」妻は憂いた表情をした。「言わなくて良かったの、離散の話」
 加納はロッカーに上着を入れた。「人は都合のいい出来事しか記憶に残らない。追放した人間は片隅にも覚えていない」
 妻は眉をひそめた。
「大体仕事なんだ、私情は挟めない。最後の仕上げだ、出るよ」加納はロッカーを閉じた。
「いってらっしゃい」妻は加納に声をかけた。
 加納はドアを開けて部屋を出た。天は向き合わない者に苦しみを上乗せして罰を与え、向き合う者に罪を与え支払いを促す。適切に支払いを終える為、案内してやるのも職のうちだ。使命と言って良い。
 二人は探偵事務所を後にした瞬間、興奮で失笑した。
「警察に頼らず、探偵に頼ったのは正解だったな」議員は代表に声を上げた。
「お前さんの先見は見事だったぞ。村の未来も安泰だ」代表は大声を上げた。

 小代里は話し声で充満する空間を眺めていた。コーヒーカップとトーストの乗った皿を見つめた。中身は両方共消えている。他に注文しないと失礼だ。
 ドアが開いた。ドアに付いた鈴が乾いた音を立てる。
 加納が店内に入ってきた。駆け付けた店員にカードを渡した。「コーヒーを一つ頼む」店内を見回した。自分が手を付けた皿を見ている小代里の姿を見つけた。小代里の席に移動した。
 小代里は加納の姿を認めた。
「約束の時間より遅れた。申し訳ない」加納は小代里の向かいあった席に座った。「事故調査は終わった。協力感謝する」
 小代里はうなづいた。「私自身が事故を起こした原因でしたから、協力出来ただけでも気が晴れます」たどたどしく声に出した。
「今でも辛いと」加納は小代里に尋ねた。顔色と目についたクマから精神を追い詰めているのが分かった。気が晴れているなら喫茶店に来ない。
 小代里は首を振った。「助けた鳥は大丈夫だったんですか」
「ペットショップに運んだ鳥の話だがね」加納は一瞬、眉をひそめた。「先日、病院から逃がしたと連絡が入った」
 小代里はわずかにうつむいた。加納の表情と回りくどい言葉から、回復せず死んだと理解した。気が晴れたとウソを言っているのは互いに同じだ。責める気はない。
 加納は小代里から目をそらし、周囲を見回した。ウソをつくのは後ろめたく、反応を見て追い打ちをかけるのではと不安だった。反応を見たくなかった。
 小代里は隣に目をやった。隣の席には少女が座っている。
 少女は小代里の方を向いた。小代里と目があった。
 小代里は声を漏らした。
「分からなかったら人に聞きなさい。自分で縮こまっても何も解決しないわよ」少女は小代里に言葉を発した。
 小代里は顔をしかめた。分かっているが探偵に話をして大丈夫か。
「知っている人に話すしかないでしょ、他に話せるの」少女は小代里を叱責した。
 小代里は加納に目をやった。自分が事故の原因だと親に話しても、聞き入れないか突き放すだけだ。村人に話せば徹底して責め立て追い出しにかかり、精神科医に話しても適当に受け流して終わる。
「前にいくらでも経験がある、向き合うしかないって言ってましたよね。私は何をすればいいんですか」
「自分に悪くないと説得し、納得してもらうしかない。自分が悪いと認識する理由は何だ」
「私のせいで事故を起こしました。真、いえ岩田さんは」
「事故を始め、出来事は複数の要因が重なり発生する結果だ」
 ウェイターがコーヒーの入ったカップを持って加納の席に来た。「ご注文のコーヒーです」コーヒーを置いた。小代里の元に置いてある皿を片付け、去っていった。
 小代里は伝票がないのに不自然さを覚えた。
「何故今コーヒーが来たか、理由は注文した要因があるからだ。ではコーヒーを頼んだ理由は」加納は小代里に尋ねた。
「喫茶店に来たからですか。頼まないと失礼ですよね」
 加納はうなづき、テーブルの上に置いてあるシュガーポッドを開けた。「失礼だから頼んだ。となれば頼んだのは結果で、失礼なのは要因だ」砂糖をコーヒーに入れ、カップに付いているスプーンでかき回した。
 小代里は眉をひそめた。「何の関係があるのですか」
「頼んだ先は」
「コーヒーが来ます」
「来ない可能性もある」
「あり得ません、失礼です」
「なら鳥を助けた結果の先は。バイクが来て事故が起きると認識していたか」加納はカップを手に取り、コーヒーを飲んだ。
 小代里は顔をしかめた。
「車は来ない。だからバイクが来るなんてあり得ない。喫茶店だからコーヒーの注文を無視する訳がない。1つの結果を予測した意味では同じだ。予想出来ない事態が発生した場合、あり得ないと判断して行動した行為を責めるのは、自分を含め誰にも出来ない」
 小代里は黙った。
「予測出来ず発生した結果で自分を責めても何もない。分かれば向き合う作業の半分は消化出来る」
「残り半分は、何ですか」
 加納は、カバンからハンディプリンタとスマートフォンを取り出した。「調査に協力した人には報酬を渡すのが義務だ。子供の君に現金を渡せば、犯罪者と間違う奴が群がる」スマートフォンを操作した。ハンディプリンタが起動し、印刷をした。印刷した紙を差し出した。
 小代里は紙を受け取り、内容を見た。地図と病院の名前、住所と病室の番号が書き込んである。
「岩田真紀は回復した。会う気があるなら行くといい。通してくれるかは別問題だが、知り合いなら大丈夫だと判断している。君がコーヒーを頼めば来ると言っていたのと同じ確率で気が晴れるのは確かだ。保証する」
 小代里は紙を受け取った。
 加納は残ったコーヒーを飲み干した。「用件は終わりだ」伝票に手を伸ばした。
 小代里は伝票を手元に寄せた。「私の伝票です。私が払います」
 加納は苦笑いをした。「私が呼び出したんだ、子供に支払いは」
「子供扱いしないで下さい」小代里は加納に声を上げた。自分で頼んだメニューは自分で精算すると決めたのだ。引く気はない。
 加納は手を引いた。「分かったよ。では失礼する」カバンにスマートフォンとハンディプリンタをしまい、席を立った。
「貴方の伝票は」
 加納は財布を取り出し、クレジットカードを出した。「探偵ってのは不足に自体に備えて、先払いしておくんだ」店から出ていった。
 小代里は隣りに座っている少女に目を向けた。
 少女は小代里を見てうなづいた。
 小代里は少女と同じ意見だと納得し、レジに向かい精算して外に出た。
 時間は朝から正午へ向かっていた。夏の日差しが来た時より濃く照りつける。
 小代里は加納から受け取った紙を頼りに、病院に向かった。
 病院は10階建てで、街の一区画を占めていた。
 小代里は入り口の自動ドアの前に来た。ガラスを通して真新しい待合室が見える。自分が入っていいのかと不安を覚え、隣を向いた。少女が立っている。
「大丈夫かな」小代里は少女に尋ねた。
 少女は何も答えない。
「聞いてるんだけど」小代里は改めて少女に尋ねた。
 少女は何も聞こえず、病院を見つめている。同じ意見だと気付いた。
 小代里はわずかに笑みを浮かべ、少女から目をそらして病院の自動ドアの前に足を踏み込んだ。自動ドアが開き、病院内に入った。
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