第1話

文字数 11,617文字

 村は限界集落の認定を受けた。消滅を防ぐため、維持に使う金を使って、徹底して区画整理をし、居住キャンペーンを展開した。
 キャンペーンを見た都会の人々は、都会のルールと時間から離れるため、徐々に住み始めた。
 村上家も転居した家の一つだ。自然が囲む生活に憧れ、キャンペーンに乗り、村に住んでから10年以上が経過した。
 村上家の娘の小代里は、村に分校がないので麓の町にある中学校まで通っている。朝早くに家を出て、駅に向かうバス停まで向かう。新しい建物が並ぶ区域を抜け、バス停のある山間の神社へ向かう。バスは新居者が住むエリアまで来ない。初夏の朝はまだ涼しく、浮いた制服の隙間に空気が入り寒気を覚える。
 尾根の道はあすなろの林を切り開いて舗装している。幹から伸びる枝が日光を遮り、程よい快適な風と共に過ごしやすさを与えていた。
 小代里は尾根の道をたどっていく。誰も相手がいないので独り言をぼやいていた。誰も聞いていないので大声を出しても問題ない。次第に独り言は会話となり物語を作っていく。誰かがいた気がして立ち止まり、振り返った。誰もいない。暫くして村人の姿が見えた。次第に近づいてくる。
 村人は老婆で、薄汚れた服をで腰を曲げて歩いている。農具を背負っていく。
「おはようございます」小代里は軽く頭を下げた。村人は何も返さなかった。古くから住んでいる村人からすれば、自分達の村のルールに従わない新居者に良い印象はない。村にとって価値があるのは自分達に従順な存在だ。小代里は道端に転がる石でしかない。小代里とすれ違い、去って行った。
 小代里が暫く歩くと、バイクのエンジン音が響いてきた。次第に大きくなっていく。今は盆や彼岸でもないので都会の人間はまず訪れない。
 大型バイクが曲がり角から走ってきた。バイクは速度を落とし、小代里の脇に停まった。
 小代里は立ち止まった。不審者だと確信し、かばんについている防犯ブザーに手をかけた。
 真紀はバイクから降り、小代里の前に来た。「鳴らしても人は来ないわよ」ヘルメットを外し、顔を出した。
 小代里は真紀の顔を見て、防犯ベルから手を離した。「真紀さん、戻ってたんですか」
 真紀は村生まれの住人の中で最も若い。今は大学に行く為に都会に出ている。休みで戻ってくると小代里の遊び相手をしている。学校でも浮いていて、同世代に友人がいない小代里にとって、貴重な友人だ。「今から学校か、中間テストは終わったんじゃないの」小代里に尋ねた。
「中間は終わって早くなったけど、部活があるから同じよ」
「大変ね、うちが中学生の時はテストが終わったら早めに切り上げてたのに」真紀は周辺を見回した。あすなろの木と草が生い茂っていて、緑に染まった山が見える。「地元の人とはうまくやってる」
 小代里は首を振った。
 真紀は苦笑いをした。「でしょうね、近々裁判になるかもね」
「裁判って、何でですか」
「仲が悪いままじゃ、お互いうまく生活出来ないでしょ」
「真紀さんは何しに来たの」小代里は真紀に尋ねた。
「学校が急行で暇だから、ノートを取りに来たのよ」真紀は小代里の方を向いた。「部活は早く終わるの」
「午後になったら終わりだけど、何かあるの」
 真紀はうなづいた。「夜中でも大丈夫」小代里に尋ねた。
 小代里は口をつぐんだ。村の夜中は暗い。待っている気はない。
 真紀は笑った。「冗談よ。夕方に神社の鳥居前で待ってて」先を見た。道が続いている。
 小代里はうなづいた。「早く帰って来るね」
「日が伸びてるんだから、無理はしなくていいわ」真紀はヘルメットを被り、バイクにまたがって走り出した。見慣れない人間からすれば代わり映えしない光景が続く。あすなろの林に目をやった。巣に鳥がいるかはバイクの速度で確認出来ない。自然が好きで、大学に行ってからも自然と関わると決めて野鳥を保護するボランティアを始めた。春生まれのひなは初夏になると親鳥と同じ体格に成長する。巣は窮屈になり、自らの翼だけで自立し飛び立っていく。言葉に表すと美しさと感慨深さを与えるが、若鳥を食う天敵が待ち伏せている。命がけの儀式で泥臭く美しさのかけらもない。
 小代里は道を走って神社の敷地内にまで来た。真紀と話していた為にバスが来る時間が迫っていると感じ、急いで来た。
 境内の一部はバスターミナルになっている。
 神社は村おこしの中核を担う予定で、観光を見越したインフラ整備の一環で駐車場を作った。実際には縁起は武将が恩恵を受けたので祭ったと記述している程度で魅力に乏しく、更に先行投資した額の元を取る為に駐車料金をあり得ない額に引き上げたので、誰も来なかった。現在は駐車料金を無償とする条件で県が補助金を出し、バスを運営している。
 小代里は上がっている息を深呼吸で抑え、バス停に向かった。
 村人達がバス停に並んでいた。朝早くから駅前の販売所に売出し、物資を買いに行く予定の人々だ。皆高齢で、テレビの内容を話している。
 暫く経った。
 黄色みがかった白のバスがバスターミナルに入ってきた。バスはバス停の脇に止まり、昇降口のドアが開いた。村人達はぎこちない動きでバスに乗った。列の最後にいた小代里も中に入り、カバンについている定期券を読み取り機の前にかざし、空いている席に座った。間もなく動き出した。
 小代里は窓から見える景色を見た。青々とした景色が流れていて、爽やかに見える。巣立ったばかりの鳥達が木々の間を行き交っていた。
 バスは尾根を下っていく。あすなろの林が広がる光景から、家が密集する光景に変わった。大通りに入り、駅前についた。
 駅前の広場に観光地はない。建物は高くて3階建ての雑居ビル程度だ。
 人々は停車したバスから降り、駅前の光景や施設に目をくれずに駅舎に向かった。
 小代里もバスを降りて駅舎に向かった。日差しが直にアスファルトを照りつけていた。
 駅舎は木造の平屋で、入り口には駅名と隣駅の案内が書いてあり、壁にはさびついた鉄製の看板が貼り付けてある。
 小代里は駅に入った。統一しておかないと処理に困るので、設備は新しくなっている。
 村人達が切符の自動販売機の前で列をなしている。駅員を呼び出し、皆で囲む光景は日常の一部だ。
 小代里は年寄り達を無視して改札口に向かい、カバンからカードを取り出して認証部にかざした。電子音が鳴り、ゲートが開いた。ホームに進むと列車が停まっていた。村人達が来る前に座席に座った。暫くして村人達が次々に入って来た。
 車内にアナウンスが流れ、ドアが閉まった。間もなく列車が動き出した。



 真紀は道路を抜け、村人が住んでいる土地に入った。舗装した道は葉や枝、泥で汚れて茶色く染まっている。
 バイクは舗装した道の上を走り、売店の敷地に入った。
 売店は戸が開いたままで、棚には食料品やホコリをかぶっている日用品が乗っている。下にはしょう油は油が入ったボトルが置いてある。奥には手打ち式のレジスタが置いてあり、売店の主が椅子に座って眠っていた。村人は駅から麓の街まで買いに行くので、すぐに買い足す必要がある時か食料品の買い出ししか売店を利用しない。
 真紀はバイクを止め、降りて売店の中に入った。冷蔵庫を開けてカップのアイスクリームを取り出した。霜が付いている。レジスタに向かった。
 主は真紀の足音で目を覚ました。長年に渡り商売をしている人間の性で、寝ていても人が入ってくれば気付く。真紀の顔を見て、懐かしさを覚えた。村の人間は新居者を除いて皆顔見知りなので、顔と体格ですぐ何者か分かる。「岩田さん所の娘かい、珍しいね」し枯れた声を発した。
 真紀はレジスタを乗せている台にアイスクリームを置き、財布から小銭を出した。「調子は」
「普段通りだ」主は小銭を手に取り、レジスタのボタンを押した。ベルの音と共に棚が開き、金を入れて閉じた。
 真紀は主の後ろにあるソフトクリームの製造装置に目をやった。ホコリをかぶっていて、色あせたソフトクリームのポスターが剥がれかけている。「新居者は来てないの」
「知らない奴は誰も来ん。自分達だけで勝手に街を作って勝手に金を回してる、ひどい連中だ」主はレジスタに手を突っ込み、釣りを置いた。
 真紀は釣りを受け取り財布に入れた。レジスタの隣にある木のヘラでアイスクリームを食べ始めた。外を眺めた。売店の前を運送屋のワゴンが通り過ぎた。風で風鈴が鳴っている。
「家に戻るのか」主は真紀に尋ねた。
「新しい区域を見学したらね」
「出来てたら潰しといてくれ」
 真紀は主に笑みを浮かべた。時間が止まった場所は懐かしさを喚起する分にはいいが、常に変化し続ける世界では徐々に廃れゆくだけだ。アイスクリームを食べ終え、奥にあるゴミ箱に空のパックを捨てた。「またね」バイクにまたがり売店を後にした。
 泥と落ち葉で茶色く染まった道を抜け、開けた場所に出た。泥は舗装した道に付いていない。用水が道の脇を通っているが田畑はなく、空き地は草が生え放題になっている。真新しい木造の家が点在していた。
 真紀は道をたどりながら周囲の状況を確認した。コンビニエンスストアもスーパーマーケットもない。
 売店の前を通り過ぎたワゴンが一軒の家の前に止まった。配達員がインターホンを押す。中から壮年の女性が出てきて、荷物を受け取っていた。ネットワークが発展しているのを利用して、通信販売で衣食住を確保している。よって村の売店には一銭も落ちない。ワゴンの前を過ぎ、突き当たりに来た。バイクを止めた。
 道は先にない。地面が見えない程に生え尽くしている野草の原に、足場設置に使うパイプと作業機械が置いてある。
 真紀はバイクを止めて降り、原に立ち入った。野草を踏むと、真紀の足元から無数の虫が一斉に飛んでいく。虫に慣れているので恐れはない。パイプの前に向かった。
 簡易な柵があり、建築予定の知らせが張り付いた看板が立っている。一軒家が立つ予定で売店ではない。いくら村の生活が安上がりだとしても、手数料や送料が上乗せした値段では、都会で暮らしているのと何ら変わらない。当初は不便さも新鮮に見えるが、徐々に慣れれば飽きて面倒になり出ていく。自分勝手な焼き畑農家と同じだ。
 真紀はバイクを止めた場所に戻り、家に向かって転がした。
 バイクは村人達が暮らす区域に入った。崩れかかった家屋が原の間に建っている。田畑もあるが、作物を大量に育てる体力がないので、家庭菜園も同然になっている。
 真紀は古い家屋の庭に入った。
 家屋は木造で、所々剥がれている。縁側の窓は開いていた。
 真紀はバイクを降り、キーを抜いて止めた。次いでヘルメットを脱いで縁側に向かった。
 母親は縁側で洗濯物を干していた。真紀に気づき、作業を止めて近づいた。「また戻ってきたの、随分暇ね」
「忙しいから、短い暇を満喫しに来たの」真紀は縁側に向かい、靴を脱いで縁側に上がった。
「玄関から入りなさい」
「別にいいじゃない」真紀は家の中に入り、台所の棚からタンブラーを取り出した。冷蔵庫を開け、透明なポットを取り出した。麦茶が中に入っている。麦茶をタンブラーに注ぎ、ポットは冷蔵庫に入れた。足で軽く蹴って冷蔵庫を閉め、麦茶を一気に飲んだ。冷たさが苦味より先に体へ伝わり、喉を通る頃には体中に染み入る。体は水を認識し、汗を吹き出す。台所にタンブラーを置いた。
「昼は」
「食べる」真紀は母親の言葉に勢いよく答えた。
 母親は昼食を用意し、ちゃぶ台に置いた。
 真紀は母親と食事を取った。地元の野菜類を保存の効く状態に加工し、戻して調味料で味付けしている。実家を出るまでの間に毎日食べてきた料理で、飽きはなく適度に食が進む。食べ終わり、母親と共に食器を洗った。水道から流れる水が程よく冷たい。
「部屋の資料を取りにね」真紀は廊下を通り、かつて自分がいた部屋に向かった。部屋は雨戸で閉じていて、光は薄い。資料やバイクの部品を詰め込んだ段ボール箱が所狭しと置いてある。ホコリくささと薬剤の匂いが混ざって漂っている。紙魚やカツオブシムシを寄せ付けない為だ。は段ボールの隙間に足を踏み込みながら中央に移動し、電灯のヒモを引っ張った。蛍光灯の電気が付き、部屋が明るくなった。机に向かい、上に乗っている書物とノートを手にとっては置いていく。該当する資料とノートは村にいる鳥の生息状況と詳細が書いてある。現地に来た時に都度書き込めばいいと判断し、実家に置いたままにしていた。持っていくノートは最近まで参照し、書き込んでいたので記憶にある。机の上に山積みになっている書類の山をかき分け、ノートを取り出した。開けてみると予想通りの内容が書き込んである。ノートの下に置いてある本を確認し、ノートと共に手に取ると電灯のヒモを引っ張って消した。電灯が消え、足元が暗くなった。行きの時の感覚を元に部屋を出る。敷居に足をかけた。体重が一瞬で前にかかり、廊下に転倒した。手に持っていたノートと本は倒れ込む直前に離したので、両手で受け身を取り大事に至らなかった。立ち上がり、足を見た。敷居の段差が見える。足に痛みはなく、足首を動かしても問題はない。
「何が起きたの」母親が真紀の元に駆けつけてきた。倒れた時に音が響いたので、何が起きたのかと心配して来たのだ。
「転んだだけよ、大丈夫」真紀は散らばったノートと本を拾った。両方とも千切れていない。
 真紀は和室に戻った。廊下と倉庫の締め切った空気と異なり、暑いとも冷たいとも言えない開放した空気が流れている。眠気が襲ってきた。休みでゆるくなった精神の前に歯向かう術はない。眠気は体の力を奪い、畳の上に寝転ぶ衝動を与えた。
 開いた縁側の窓から緑の山々と青い空が見えた。風が入り込む。
 真紀は畳から来る冷ややかな感覚に心地よさを覚えた。天井を眺めていくうち、眠気を覚えて意識が遠のいた。



 真紀は自然に目覚めた。見慣れた天井が視界に入った。起き上がり、自分が寝ていた場所の隣に散らばっているノートと本を拾い腕時計を見た。3時45分を示している。記憶ではバスが来るのは3時半と5時だ。小代里が早く戻ると言っていたので、3時半に停車するバスに乗ってくるのは容易に想像出来る。人通りがないとはいえ、神社までバイクで15分以上はかかる。急いで縁側に飛び出した。
「すぐ出るの」母親は真紀に尋ねた。
「神社に待ち合わせてるのよ。遅刻だわ」
「友達が来るなんて珍しいね」
「新しく来た子よ」
 母親は真紀の言葉に眉をひそめた。「金を落とさない人とは、関わらない方がいいよ」
 真紀は眉間にシワを寄せた。「勝手でしょ」縁側から外に出て、バイクに近づいた。ノートと本をバイクに積み、ヘルメットを被ってバイクにまたがった。
「戻って来るの」母親は真紀に不安げに尋ねた。
「遊んでから帰るわ。次の休みに戻る」真紀はバイクのエンジンを掛け、勢いよく家の庭から飛び出した。村人は身内なので皆、電話番号を含めた連絡先を知っている。小代里は新しく居住した人だ。個人情報にうるさいので連絡先はない。次に会えるのか分からない。尾根を突っ切る道路に入った。
 あすなろの木々が沈み始めた日の光を遮っている。光が真紀の目に入り、視界を幻惑する。
 真紀は目をそらして幻惑を避け、曲がり角を曲がる。尾根の道路は遠目でまっすぐに見えるが、山間の道をなぞる形で敷いてあるので入り組んでいる。ブレーキを最小限にとどめて曲がる。人影が曲がった先に見えた。歩道から飛び出し、横切って対面方向に駆けている。一瞬でぶつかると分かった。後先を判断する前に、ブレーキレバーを引いて急停止した。ディスクブレーキが作動し、バイクの車輪は急に動きを止めた。
 バイクはジャイロ効果のバランスが崩れ、急激に傾いて倒れた。スピードは落ちずに真紀を振り払い、小代里に向かってアスファルトと擦れる音を立てて突っ込んでいく。
 真紀はアスファルトに体を打ち付け、崖の前にあるガードレールに向かって滑っていく。ガードレールに当たり、崖から落ちずに止まった。衝撃で意識を失った。
 小代里はバイクに気づくも、避ける前にぶつかった。バイクは慣性で止まらず、小代里をひいて滑っていく。縁石にぶつかって止まった。
 近くの木に止まっていた鳥は、事故の衝撃で異常を察知し、飛び去っていった。
 バイクのエンジン音が響いている中、倒れた二人は意識を失っていた。他は日常と変わりはない。あすなろの影は太陽の位置に対応して傾き、伸びている。若鳥が自由を歓喜してさえずり、飛び回っていた。
 一時間後、パトロールカーが道を走ってきた。駐在所と麓の街にある支部とを行き来していた。事故現場に来ると停止した。
 警察官は降りて様子を確認した。パトロールカーに戻り無線で同僚を呼んだ。数十分後に駐在所と麓の警察署から応援が駆けつけてきた。事故処理と二人の運び出しの為、一定時間通行止めになった。元々交通量が少ない場所なので影響はない。
 事故は自治体や地元警察では大きく扱った。平和な村では重大な出来事だった。



 村人達は事故の知らせを聞き、大騒ぎになった。事故処理を巡り険悪になり、互いに何も言わなくなった。
 事故の知らせを聞き、緊急で自治会を開いた。村のはずれにある集会所は新鋭の設備はなく、広い和室があるだけの宴会場と変わらない。
 村人達が5名、重い腰を上げて集まった。緊急かつ年寄りだけの集団の中、人が集まっただけ優秀だ。座布団の上で足を伸ばして座り、机の上に乗っているわら半紙を見た。新居者による事故と対応の不満が、扇情を過剰に加えた言葉と共に手書きで書いてある。
 村人の一人が立ち上がった。「新居者共は自治会費だけではなく、入村費までも払わない。請求すれば訴えるだの何だのと言ってごね続け、村の施設を一切使わず金を落とさん。あまりにも横暴だ。村をタダで宿泊出来る旅館と勘違いしている」
 真紀の母親は立ち上がった。娘が事故にあったのは新居者の娘である小代里と関わったのが原因とみなし、排除を求めて来た。「新参者は疫病神だ。奴等がいなければ、真紀は事故を起こさず意識不明にならずに済んだ。しかも相手は近々退院するときたもんだ。ひどいもんだよ、奴さえ来なければ事故が起きずに、村は平和なままでいたんだ。連中は追放して当然だ」
 村人達は大声を上げた。参加している議員は黙っていた。村と言っても土地は異様に広く、区域ごとに派閥がある。自治会はあくまで村一区画の集まりでしかない。
 自治会の決定は地元出身の議員がくみ取り、村議会で決定して有効になる。自らの意見を反映する人を議員に推し、話し合いで決めるので選挙は形しかない。
「追放はやりすぎだ」議員は村人達をたしなめた。「人が住んでいるだけ良い。入村料や自治会費は交渉して」
「無理だと言っているんだ」老人の一人は議員に突っかかった。「俺達が何度重い体に耐えて金を迫ったか、お前らに理解出来るか。奴等は宗教だの裁判だのと罵声を浴びせた上、自分こそ被害者だと言ってやがる。俺達こそ被害者だ」
 村人達は同意し、一斉に騒ぎ立てた。議員は何も言わない。村人達は止める為にぶちまけた水を油に変え、火を付けて自分にかかる。
 出席している自治会員の一人が、議員の方を向いた。「議会に伝えておきな。新参者が被害者ぶる権利はないとな」
「根拠がないのでは、私が納得しても議会は動かない」議員は抑揚のない声を発した。村人達は一斉に議員をにらみつけた。「被害者と言い張るのは、加害者の根拠がないからだ。事故の原因が新規居住者側にあるとなれば別だがな」
 村人の一人は議員の意図に気づいた。「事故を徹底して調べて、奴に非があると分かれば同意するって筋かい」
 議員はうなづいた。「人間、弱みが出来れば従いざるを得まい」
 村人達は議員の言葉に歓喜した。
 村人の一人は議員に近づいた。「いい手段じゃないか。何で今まで言わなかったんだよ」笑いながら、議員の肩をたたいた。
「調べるにしても、方法がない。おまわりさんが事故について聞きまくってたのは知っとるよな、まともに話をしてくれんかったのは分かっとるだろ」
 村人達は一瞬で黙った。警察官は村人達ろくな情報を話さなかった。
 村人の一人が立ち上がった。「俺たちから聞きこめばええ」壁に備え付けてある電話から受話器を取って電話をかけた。「もしもし、聞こえとるかおまわりさん。岩田さん所の事故について聞きてえ話があるんだ」相手に向かって話を始めた。
 他の村人達は議員の周りに集まった。
「新規入村者とはいえ、子供が事故にあったのも確かだ。子供は我々にとっても替えのない財産、責めるのもいかがなのかと捉えているがな」
 村人は議員の言葉に眉をひそめた。「議員さん、一理あるが岩田さんの娘は村で一番若い。罪は新参者よりも重いに決まっとる」
 村人達は一斉に同意の声を上げた。
 電話をかけている村人は警察に連絡を取った。「事故について聞いとるんがね、おまわりさん。まさか入院しとる子供をかばおうって気じゃないか」しつこく警察に尋ねた。受話器から返答が流れる。返答を聞いて徐々に腹が立ってきた。
 議員は電話を取っている村人の態度に不審を覚えた。警察に連絡をとっても望む結論は手に入らない。
「知らん、奴は岩田さんの娘を事故に巻き込んだ悪党の一味だ。あんた達がかばうなら、俺たちにも手がある」村人は会社の受話器を投げる動きで元の場所にかけた。「おまわりも信用出来んのか」
 議員は電話をかけた村人を見つめた。興奮で息が上がっている。意識不明の真紀に対し重症で済んだ小代里に嫉妬するのは分かるが、共に事故で怪我をした被害者だ。悪党と平然と罵る時点で冷静さを失っている。
「事故の証拠を持ち出せるのはいないか」村人は大声を上げた。村人達は黙った。鬼気迫る表情に威圧を覚え、部屋に沈黙を与えた。
「落ち着けよ、駐在所のおまわりがクソだっただけだ。麓の警察署に行けばええ」村人がなだめた。議員に目を向けた。「議員さんよ、あんたのコネ使っておまわりさんを動かせねえか。口添え一つで簡単に動くってテレビでやっとったぞ」
 村人達は一斉に議員に目を向けた。
 議員は気難しい表情をした。肩書が通じないエリアでは、権威は心に張り付いた荷物でしかない。麓の町は村の区域ではないので、肩書による権威は意味をなさない。「警察では無理だ。同じ答えしか帰って来んよ」議員は言い切った。下手に警察に告げれば怪しんで調査をしだす。選挙を行わず話し合いで決めている事実がばれれば議員が根こそぎで逮捕となり、村議会の存続に影響する。
 村人達の表情が一斉に強張った。警察に駆け込む以外に何があるのか。
「他に手段があるんか」村人の一人は議員に尋ねた。
「村で証拠を見つけろ、探せと言っても無理だ。事故から時間が経過しているし、言いがかりでは駄目だ。裁判に持ち込んだら名誉毀損で逆に金を失う。麓の町に行って聞いてみれば、手段があるかもしれん」
 村人の一人は眉をひそめた。「名誉毀損って、何だよ」
「俺知っとるよ、文句言ったら金取るって法律だ」
 村人達がざわついた。
「ウソを言うな、文句言うだけで金取れんなら、俺等はとっくに貧乏人だ」村人の一人が笑った。「事故引き起こしたのは奴等の側なのに、何で俺達が金を払わなきゃいかんのだ」
 村人達は騒ぎ立てた。
「黙れ」議員は大声を出した。村人達は黙った。「村に目撃者がいない、警察も信用できないとなれば、近い町で聞き込むしかあるまい。警察の代わりに出向いて調べる」
 村人達はうなづいた。麓の街に向かい、証拠を聞き出し真紀と共にいた小代里の非を調べ上げて迫る。自治会の方針が決まった。



 小代里に意識のスイッチが入ってから一週間が経った。体中の痛みは和らいでいるが、動かすと体の中に何かが邪魔をしている感覚がある。過剰に動かすと痛みが出ると用心したが、包帯とギブスで固定しているので動かす以前に動けない。医者は退院は近いと言っていた。
 意識を取り戻したと聞き、保険屋や警察が次々に押しかけてきた。自分をひいたのは遊び相手である真紀で、現在別の病院で入院していて意識不明だと聞いた。
 保険屋の説明は中学生になって日も浅い小代里には理解出来ず、適当にうなづいていただけだった。あまりに適当な返答だったので、親元に行って交渉する方針を取った。
 両親は事故処理で多忙になった上、同級生達も病院に寄り道をする時間もない。中学校は都会から父母と子供を呼び寄せる為、部活動に注力している。土曜や日曜の休みを返上してクラブ活動に打ち込んでいる為、見舞いに来る者はいない。病院のベッドの上で寝ているだけの日々だ。テレビは高年齢者向けのドラマの再放送か、アジテーターが必死に事件をあおり立てるワイドショーしか放送していない。本も読めず、眠気を呼び起こす為に天井材の穴を数える日が続く。
 2名の警察官が病室に入り、小代里の寝ているベッドの脇に来た。
「すみません、警察です」若い警察官は小代里に挨拶をした。毎日同じ時間に訪ねてくるのは互いに分かっている。刑事ドラマで見かける、かしこまった挨拶や警察手帳を見せる儀式もない。「体の調子はいかがですか」
「分かりません」小代里は曖昧に答えた。自分の体の内部がいかに変化しているか、実感も理解も出来ない。変わったと言えば慣れて感覚が鈍っただけだ。
「昨日に続き聞きますが、神社の近くで起きました事故の状況についてお尋ねします」
 小代里は小さく息を吐いた。何度も話しているが、同じ質問を聞いてくる。「神社で待っていても来なかったので、沢に行きました」
「沢ですか」
 小代里は顔をしかめ、頭の中から記憶を掘り起こした。「村では神社位しか遊ぶ場所がないので、一緒に遊んでました。沢に連れて行ってもらって、虫を取って私に見せてました。道路を飛んでいる虫も簡単に捕まえる位の人です。私は気味が悪かったんですが、真紀さんは平然としてました」
 二人の警察官のうち壮年の警察官は眉をひそめ、警察手帳を開いて挟んである地図を見た。神社は山間で境内の一部が公園になっている。沢は公園から外れた場所にあり、相当な急斜面を下りる必要がある。子供が冒険感覚で降りるのは危険で、仮に降りても自力で登るなど出来ない。
「沢に行ってからは」若い警察官は否定せずに尋ねた。相手の意見を否定すれば、萎縮して話さなくなる。
「日が暮れる頃ですかね。よく鳥が鳴いてました。最初はうるさかったんですけど。沢をたどっていけばいいと聞いていたので、言うがままにして道に出ました」頭の中に広がる海から釣り上げた内容を、ありのままに話した。
 壮年の警察官はため息をついた。真紀の親から待ち合わせがあると言ってバイクで出たと聞いている。一緒に遊んだ状況はありえない。
 若い警察官は壮年の警察官に顔を近づけた。「証言が昨日と違います。ウソをついているんですかね」小声で尋ねた。
 壮年の警察官は首を振った。被害者がウソをつく理由はない。
 小代里は警察官を見て、気難しい表情をした。警察は自分の話を信用していない。
「分かりました。ありがとうございました」壮年の警察官は警察手帳を閉じた。事故は痛みを伴った、辛い記憶だ。掘り起こすには苦痛を伴う。無意識に避けていると捉えた。証言を取るには時間を置く必要がある。
 若い警察官は眉をひそめた。事件現場は一般車両が通過する為に既に片付けてある。事実にたどり着く糸は小代里の証言しかない。
「真紀さ、いえ岩田さんは大丈夫ですか」小代里は警察官に尋ねた。
「別の場所で入院していまして、話をまだ聞いていません。何分管轄から離れていますから、知り得ないんですよ」
「すみません」
 壮年の警察官は笑った。「警察といえど万能ではないんです、我々こそ申し訳ありませんでした。暫く来ませんから安心してご静養下さい」
 二人の警察官は小代里の元を去った。
 小代里は真紀は死んだのではないかと、不安を覚えた。鼓動が強くなり、体が熱くなる。体の変化から逃げ、落ち着く為に窓を見た。鳥が柵に止まっている。事故が起きる前の状況を頭の中から釣り上げる。真紀と神社で遊ぶ約束をしていたのは分かる。バス停から降りて時間を確認したのも分かる。神社から村に向かう峠の道で事故にあったのは警察から聞いた。何故、バイクが来る車道に入ったのか。記憶がない。頭が徐々に混乱してきた。ウソはついていないが、実際に経験したのか分からない。記憶が曖昧なのに気付いた時、景色が大きく揺れた。窓に一瞬、少女の姿が見えた。意識が鮮明になった瞬間、周囲の光景が崩れた。
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