序章 十二話 「運命の出会い」

文字数 3,660文字

「おい、幸哉!幸哉!大丈夫か?」
健二の囁くように呼びかける声で目を覚ました時、幸哉は両手首を体の後ろで縛られ、高床式住居の壁にもたれかかった状態で座らされていた。
「い…、一体、何が…?」
痛む頭を振りながら、周囲の状況を把握しようとした幸哉が呻くように呟くと、彼のすぐ脇に立っていた軍服姿の男が現地後の怒声をあげた。
喋るなと言っているのか…?
現地語のサンゴ語で罵られた内容は幸哉には理解できなかったが、空港の入国審査官が着ていたのと同じウッドランド・パターンの迷彩服を着用し、自動小銃を手にした男に監視されている状態から、自分達が危険な状況にいることは理解できた。
傍らには健二の他にも一緒にキャンプにやって来たNPOの面々やジャーナリスト達が幸哉と同じように捕らえられていた。耳鳴りがする聴覚には絶えず、銃声が轟き、砂塵と硝煙が舞う視界の中では迷彩服姿の兵士達が難民達を暴行、銃撃し、家々を火炎放射器で燃やす姿があった。
「政府軍だ…。」
健二が隣で呟いた声に、幸哉はエディンバの言葉を思い出した。
政府は否定していますが、全土で少数民族に対する武力・政治的弾圧が行われています…。
その言葉が脳裏で蘇った瞬間、幸哉の胸の中で理不尽に対する怒りと同時に、これから自分達に待ち受ける運命に対する恐怖が広がった。
何故、こんなことができる?そして、これからどうすれば良い?
その問いが幸哉の胸の中で一巡した瞬間、彼らのもとにサングラスをかけた政府軍の男が歩み寄ってきた。
指揮官か…?
幸哉達を拘束していた兵士達の、男に対する立ち振る舞いから、幸哉がそう察知したと同時、サングラスの男は見張りの軍人の一人に現地語で何か指示を出した。その指示に頷いた見張りの軍人は幸哉の隣で縛られていたNPOの白人の男の肩を掴むと、サングラスの男のもとへと引っ張っていった。
「No!No!」
軍人達の現地語の会話を理解していたのか、必死に抵抗するNPOの男だったが、両腕を後ろ手で縛られた状態では十分な抵抗はできず、サングラスの男の前まで引きずられると、自動小銃の銃床で後頭部を殴られて、地面に倒れ伏した。
何をするつもりだ…?もしかして…?
地面に四肢をつき、目の前の軍人達に嗚咽とともに命乞いの言葉を叫ぶNPOの男と、それを嘲笑いながら見下ろす二人の政府軍兵士の姿から漂う空気感に幸哉が不穏な胸の動悸を感じた瞬間だった。サングラスの指揮官はズボンの腰ベルトに挟んでいた自動拳銃を引き抜くと、NPOの男の頭に向けて発砲したのだった。
それは一瞬の出来事だった。だが、同時に今まで戦争のない平和な国で二十四年間を過ごしてきた青年達には余りに衝撃的な光景でもあった。幸哉は目の前で起きた衝撃的な出来事に、胃の中に入っていた消化物を全て吐瀉物として吐き出してしまった。
後頭部から赤色の脳髄を噴き出し、力無く倒れたNPOの男の死体を踏みつけながら、二人の軍人は汚物を吐き出した幸哉の事を嘲笑とともに見つめていた。その視線を見て、幸哉は直感した。
次は俺の番だ…。
二人の視線に幸哉が生命の危機を本能的に察知した瞬間、サングラスの男が幸哉の顔を指差して、現地語で何かを言った。その言葉を聞いて頷いた部下の男は幸哉に近づくと、その肩を強引に掴み、無理矢理に立たせた。
「おい!待て!そいつだけは!」
傍らで幸哉と同じように縛られていた健二が抗う声を上げたが、返答代わりに見張りの兵士が持つ自動小銃の銃床が鳩尾にめり込んだ。
健二が友の危機に自らの命を顧みず、抵抗する一方で、幸哉自身は兵士達に対して、全く反抗を示さなかった。というよりも、余りに唐突に、そして呆気なく迫ってきた死の気配に唖然としてしまって、抵抗する力が出なかったのである。
俺、死ぬのか…?
奇妙に冷めた感慨とともに目立った抵抗もできないまま、サングラスの男の前に跪かされた幸哉はNPOの男のように命乞いをすることはなかった。ただ、呆然と宙空を見つめている幸哉にサングラスの男も首を傾げながら、自動拳銃を向けた。
俺はここで死ぬ…。
向けられた銃口に対して、冷静な感情が脳裏を過ぎり、その瞬間、優佳や健二、今まで出会った人達の顔が走馬灯のように蘇り、最後にあの病室で見た母の姿が浮かび上がった。
「弱い人達を救うために生きて…。」
その言葉が脳裏に蘇った瞬間、幸哉の意識の中で一つの思いが生じ、体中を駆け巡った。
死ねない…!まだ…!
思考など無かった。生き残れる見込みも無かった。それでも体中を駆け巡った一つの思いに駆られて、幸哉は体を動かした。跪く姿勢で折り畳んでいた足を一気に伸展させ、全身を目の前のサングラスの男の下顎に向けて、ジャンプさせたのだった。
一発の銃声が轟いた。宙を舞う自動拳銃。直下から不意打ちの頭突きを食らったサングラスの男は顎の骨を砕かれながら、後ろ向きに倒れた。
勢いでジャンプしたものの、両手を縛られていて、バランスを崩した幸哉は地面に転倒したが、間髪おかずに今度は、目の前で起こった突然の出来事に動揺して固まっているもう一人の軍人の足元に転がり込むと、迷彩服の足首に全力で食いついた。
幸哉の必死の噛み付きでアキレス腱を切断された軍人の男は手にしていた五六式自動小銃を宙空に向かって発砲しながら倒れた。その瞬間だった。幸哉の間近で着弾した砲弾が炸裂したのだった。間近で炸裂した轟音に耳鳴りが止まらない聴覚の中で幸哉は地面に倒れ伏したまま、周囲の様子を窺った。
先程まで難民達を虐殺していた政府軍兵士達が必死に周囲を銃撃し、また同時に銃撃を受けていた。
攻撃されている…?
瞬時にそう直感した幸哉の脳裏に、飛行機の中で読んだガイドブックに記されていた抵抗軍の存在が過ぎった、それと同時だった。幸哉は後ろから髪の毛を掴まれ、無理矢理に立たされたのだった。
「ファック、ジャパニーズ!キル・ユー…!」
片言の英語でそう言って、幸哉を引きずり倒したのは先程、彼が下顎を頭突きで粉砕したサングラス姿の政府軍指揮官だった。両手を縛られながらも、何とか体勢を立て直そうとした幸哉の鳩尾に政府軍指揮官の足蹴りが打ち込まれる。
「ファッキン、キル・ユー…!」
片手で下顎を押さえながら、そう言った指揮官はもう片方の手に握ったブローニング・ハイパワーを幸哉に向かって構えた。向けられた自動拳銃の銃口に抵抗しようとした幸哉だったが、両手を後ろで縛られた状態で地面に倒れていてはできることなどあるはずもなく、向けられた銃口を敵意と憎悪とともに見つめるしかなかった…。
次の刹那、間近に轟いた銃声とともに顔に散った生暖かい液体に幸哉は死を悟った。だが、耳鳴りの向こうから聞こえる銃声や全身の痛みは消えていない。
死ぬって、こういうことなのか…?
幸哉がそう思った時、彼の体は再び後ろから引き起こされた。だが、先程と比べると、その力は幾分か優しかった。
一体、何が…?
そう思った幸哉が傍らを見やると、先程の政府軍指揮官が頭から血を流して倒れ伏していた。その姿を幸哉が捉えた瞬間、彼の両腕の拘束が解かれた。何が起きたのか、全く理解できずにいる幸哉に彼の拘束を解いた人間が英語で話しかけた。
「Are you ok?」
政府軍指揮官とは違う、はっきりとした英語でそう言った男は政府軍のものとは別の迷彩服を着込み、カービン銃をスリングで肩にかけたアジア人風の男だった。
この国の人間じゃない…?
幸哉の混乱する思考が追いつくよりも前にアジア人風の男は幸哉に怪我がないことを確かめると、
「Follow me!!」
と一言残して、硝煙と砂煙の中を走り出した。ついてこい、と言われたものの、先程までの拘束と暴力から体が思うように動かなかった幸哉は走り出そうとして、その場で転倒すると、
「ちょ…、ちょっと、待って…。」
と情けない声を日本語で発してしまった。その声を聞いた瞬間、走り出そうとしていたアジア人の男は驚いたように幸哉の方を振り返ると、信じられないという口調で話しかけてきた。
「お前、日本人か?」
確かに日本語で発せられた男の言葉に幸哉も動揺した。
日本人の…、兵士…?
混乱する思考の中で適切な言葉が思いつかなかった幸哉は男の顔を見返して、何度も頷いた。
「何てこった…。」
呆然とした顔でそう言った男は、しかし、次の刹那、兵士としての表情を取り戻すと、幸哉の肩を引き寄せて言った。
「生きたければ、何が何でも俺についてこい!」
そう言って、再び走り出そうとした日本人の兵士を幸哉は必死な声で呼び止めた。
「まだ、友達が…!」
そう言って、先程、自分が拘束されていた小屋の方に戦場を駆け戻ろうとした幸哉の襟首を日本人兵士の男が掴み上げた。
「今は友達より自分の命だ!」
その剣幕に気圧された幸哉に反論できる言葉はなかった。生きたければ来い、と続けた男は再び硝煙の中を走り出し、健二の安否が気になる幸哉は後ろ髪を引かれる思いを感じながらも、戦場で偶然にも出会った日本人兵士の背中を追いかけるのだった。
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