味わい尽くして

文字数 1,272文字

そもそも沖田が悪いのだ。
押し潰されそうになる自責の念は耐え難く、私は責任転嫁に逃げる。
デートかと期待させておきながら――。憤って私は考える。
複数の男女が入り乱れる場に引きずり出されるなど、頼んでもないし望んでもなかった。
その上目の前で彼が人気者であることをまざまざと見せつけられるなど、私が前世でどれほどのカルマを負ったというのだ。
ふつふつと湧き上がる怒りに任せて、私は枕を壁に投げつけた。
勢いそのまま、沖田に電話をかけて、罵倒して文句を言ってやりたかった。
震える指がスマホの画面をタップするすんでのところで、かろうじてそれを阻止する。
言いたいことを言うのはいいが、こんな気持ちを携えた今のタイミングではないということはわかっていた。
そしてとんだ八つ当たりだということも。
向き合うべきは沖田ではない。

一方で、怒りに戦慄(わなな)く私は喜びに打ち震えてもいたのだ。
確かに突然叫んだかと思えばその場を飛び出していくなど、大人の振る舞いではなかったかもしれない。それでも私は、その刹那の情動に突き動かされるということをやってのけたのだ。
自分の感情をリアルタイムでキャッチできた。
いつでも張り巡らされた幕の向こうにあるかのようだった、ぼんやりとした感情を、感知したならすぐさま手に収めることに成功したのだ。

私は居酒屋を飛び出した際の気持ちを思い出す。
抑えきれない沸き立つ怒り、興奮しながらもどこか冷静な自分の一部を押さえつけて余りある焦燥、妬み、決して快適なものではないかもしれぬが、それはまぎれもなく私に生じた、生々しい感情だった。

これはよい傾向なのだ。
つい慣れ親しんだ自分のやり方、つまり感覚を鈍らせ、何も感じないように努める方向に戻りそうになる自分を叱咤する。
もうそんな風に、しんでいるみたいに生きたくはなかった。
私は持て余したこの憤怒の根源を知りたくなる。心を抱き寄せるようにして味わうことにする。

ああ、私は今怒っている。
思ったようにことが運ばず、イライラしたんだ。
こんなはずではなかった。
なぜうまくいかないのだ、なぜ理解されないのだ、なぜ大切に扱われず、なぜ尊重してもらえないのだ。
自分の中へ入っていく。心を見つめ続けた。

雨が今にも降り出しそうな、思わせぶりな天気さながら、涙が出番を控えていた。
私の中で蓄積されていた悲しみが顔を出す。
怒りに震えていたはずの私は、泣いていた。怒りの仮面の下で、悲しみに暮れていた。

そうだ、私は悲しかったのだ。
押さえつけられた過去、自分が自分らしくいることを禁じられ、迷子となった私、本当の自分を見失い、嘘で固めた偽りの仮面をかぶって、その下では泣いていたのだ。
私は私のために泣く。
痛みを引き受け、苦しみを感じ、私は悲しみを味わい尽くす。

突然何もないところに放り込まれた。
いつしか私は味わい尽くしたようだった。
行き着いた先は無だった。
もう何も考えられないくらい考え抜いた(あかつき)に、失うものも、得るものもなくなっていた。
思いは霧散し、ただ凪の中、私はぽつんと佇んでいた。
涙も出ない。それは心地よく穏やかで、平安そのものだった。
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