進んだ先には

文字数 1,531文字

こんなところから始めなければならないのかと、情けなくなる。
投げ出したくなる気持ちを持ち直しては、私は私を励ます。
母にいない子のように扱われることを恐れ、泣き喚いたり地団駄を踏んだり、暴れたり睨みつけたり……幼少期に済ませておくべきだったのかもしれない、こういった衝動のままの行いを、私はしたことがなかった。
幼い子どもにとって、親の加護は必要不可欠で、その欠損は死活問題だ。
当時は最善を尽くしたのだ。
ないものは仕方がない。わからないものはどうしようもない。
過去に戻ってやり返すわけにもいかない私は、手探りでやるしかないのだ。

それでも衝動に突き動かされて、考えもなしに行動することが、大人となった今相応しいわけではないこともわかる。
社会の中で、円滑な対人関係を築くために、私は相手を思いやった行いをしたいと思う。そうでなければそれは野蛮だ。
ひとに不快な思いを強いてまでして、自分のための歩みを進めたいとは思わなかった。

私は感情は感情として、湧き出るままに感知することを心がける。
怒りや妬みの感情は、目を背けたくなるほど私の醜さをあぶり出したが、蓋をしてなかったことにしてきたからこその、これまでの苦しみだったのだ。
感情にいい、悪いもない。
刺激に対する反応だ。
私は自らの感情を慈しむようになった。
苦しいのはマイナスの感情を持つことなのではなく、こんなことを思ってはいけない、とそれを否定することによってだと気づく。
感じたものそのままを受け取り、とことんまで感じてやればいいのだ。
こんなことを思う自分は変だ、こんな風に感じる私はいけない、と否定することをやめる、それは自分を認めてやることに繋がり、やがて私はかつてなく自分と仲良くなっている自分と出会う。
自分を大切にする、よく言われていることだが、具体的にそれを実施する一つの方法を、実践している感覚があった。

「鈴原さんは好きな人いるの?」
沖田に尋ねられ、私は肯定した。
それは誰かと聞かれて素直に彼の名を告げる。
自分の感覚を信じられるようになるにつれ、取り繕う必要を感じなくなっていた。
私は私のままでいい。
沖田に告白されて、私たちはつきあうことになった。

長く慣れ親しんだやり方が染み付いているのだ。
一晩寝てできるようになるものではないのだろう。
それでも私は感情を味わうのはいいが、そこから脊髄反射で行動するのではなく、一旦思考を挟むことを意識する。
うまくいかないことも多い。それは主に、沖田が担う部分が大きかったが、つまり、泣いたりマシンガントークされたり、八つ当たりされたり、かと思えば慌てて謝罪してこられたり、と、と感情ジェットコースターのとばっちりを喰らうのは彼の方ばかりだったが、私はありがたくその恩恵を受けながら決して立ち止まらなかった。

お互いがお互いを写す鏡となって、課題が浮き彫りになる。
沖田の存在により、私の道のりは、一人で取り組むよりも飛躍的に捗った。
彼はカリスマ店員となって、私にぴったり合うものを取り揃える。段階を踏ませ、スピードを調整し、一つ終えたと思えば次はこれ、という風に、私に課題を突きつけては乗り越えさせた。

私は怒ってもいいし悲しんでもいい。感じていい、私はそこから取捨選択することができる。
他害するのでなければ息ができないほど笑い転げてもいいし、愛おしさのあまり抱きしめてもいい。
部屋の片隅で膝を抱え一晩明かしても、ヒトカラで同じ曲を一時間半歌い続けてもいいのだ。

ゴールはない、歩みは絶え間なく、果てがなく、ちっぽけで、たいした成果もないかもしれない。
それでも私は進む。目まぐるしい今の世の中で、数や圧の力に屈し、易きに誘惑されそうになっても流されはしない。
私だけは私を忘れないでいる。
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