3 ストレンジャー

文字数 3,668文字

第3章 ストレンジャー
 転校生高田三郎は村の子どもたちにとって「よそ者(Stranger)」である。この概念はある地域から別へと境界を超えて移り住んだ存在で、社会学や民俗学においてかねてより研究されている、その中で、三郎に最も合致するのはゲオルク・ジンメルの「ストレンジャー」だろう。

 ゲオルク・ジンメル(Georg Simmel)は、1908年、”Exkurs über den Fremden”において「ストレンジャー」について論じている。これは「よそ者」論の最初期の論考の一つである。

 日本語の「よそ者」の英訳としては”outsider”や”stranger”を挙げることができる。前者は「部外者」、後者は「見知らぬ人」のニュアンスがある。社会学や民俗学は「よそ者」を広い範囲で論じるので、”stranger”が適している。

 「ストレンジャー」は、ジンメルによれば、「今日訪れ来て明日去り行く放浪者」ではなく「今日訪れて明日もとどまる者である」。そのうえで、彼はそれを「旅は続けないにしても来訪と退去という離別を完全には克服していない者」であり、「潜在的な放浪者」だと定義し、四つの特徴を挙げている。

 第一に、ストレンジャーは社会集団において一定の距離や疎遠さを保ちながら関係する。それは社会的に占める位置が独特であることを意味する。

 第二に、「根底から集団の特異な構成部分や集団の一面的な傾向へととらわれてはいないから、それらのすべてに『客観的』という特別な立場で立ち向かう存在」である。それは集団内の利害関係やしがらみから自由であることを意味する。

 第三に、「実践的にも理論的にも自由な人間であり、彼は状況をより偏見なく見渡し、それをより普遍的、より客観的な理想で判定し、したがって行為において習慣や忠誠や先例によって拘束されない」。ただし、その地域に留まる期間や社会的役割によって高速の程度に差がある。また、地域とは別の習慣や慣例に縛られていることもある。

 第四に、ストレンジャーは共同体の「抽象的な本質」を顕在化させる。「抽象的な本質」は「個々の人々の間には『個人的な差異』が存在しながらも、それと同時に『対外的には特殊的であり比類のないものである』ような、集団内の諸要素の『一定の共通性』をも人々が共有している状態」である。

 以上の四つの特徴を高田三郎は備えている。それを象徴する一例が朝の挨拶のシーンである。児童が複数で登校するのに対し、彼は一人で、しがらみはない。また、その挨拶は従来の規範ではなく、それを通じて児童たちは暗黙の裡の自身の共通性を認識する。

 こういったストレンジャーが身近になるのは、移動の自由が認められる近代以降のことである。日本における子どものストレンジャーをめぐる経験は、高田三郎のように親の仕事の都合もあろうが、戦前で言うと、帝国主義と関連していることが多い。本国・植民地間の移住・引揚や戦災を避けるための疎開などにより多数の子どもがストレンジャーに接したり、自らもそうなったりしている。その中には明仁天皇もいる。また、戦後、高度経済成長期から転勤を始め家庭の事情により少なからずの子どもが転校を経験している。中には、国内外を問わず、それを繰り返す子もいる。

 こうした背景に伴い、転校生をめぐる小説やマンガ、映画が数多く発表されている。 そういった作品の一つとして、あすなひろしのマンガ『青い空を、白い雲がかけてった』を挙げることができる。これは『週刊少年チャンピオン』と『月刊少年チャンピオン』において、1976年から1981年の間に不定期で、読切連載されたマンガである。

 主人公は中学校三年生のツトムである。当時は受験戦争と呼ばれた時期だ。高校受験を控え、心が揺れ動く彼の日常生活の中での思春期特有の心理がコメディタッチを交えつつ抒情性豊かに描かれている。中でも最初の三回は、「リョウ」と呼ばれ、短期間だけ在校する転校生との交流をめぐる物語である。各回のタイトルは「青い空を、白い雲がかけてった」・「風を見た日」・「いつか見た遠い空」である。また、登場する「リョウ」はそれぞれ及川諒・大木亮・相良凌子である。

 最初の「リョウ」である及川諒の家庭は全国の現場を回る建設業一家で、彼も家業を手伝っている。筋骨たくましい大男の彼は町のチンピラも叩きのめす腕力の持ち主である。町での作業が終わり、彼は家族と共に新たな現場へ向かう。次の大木亮は小学生と見間違うほどの幼さのある少年で、しばしば風と会話をする。両親の夫婦仲は悪く、家にいるとき、彼はタバコを吸って気を紛らわせることもある。精神疾患を発症して入院、学校を去る。三番目の相良凌子はふわふわのヘアースタイルにひらひらの服装をした自由奔放な少女である。しかし、彼女は親戚の間をたらいまわしされる生活を続け、この街に落ち着くのかと思ったのもつかの間、北海道へ転校していく。ツトムは自分と違う境遇の「リョウ」との交流を通じて、自信を回復したり、自由を求めたり、女心に戸惑ったりするなどして成長する。

 この中の「風を見た日」は『風の又三郎』へのオマージュである。「風」がキーワードになっている。リョウが精神疾患を発症したと嘲るように教える同級生に対して、ツトムは胸ぐらをつかみながら、利己的な人ばかりでさびしかったから、風と話をしていたと怒りを爆発させる。リョウと交流のあった乱暴者の番長も、涙を浮かべるツトムから入院の話を聞き慟哭する。しかし、リョウの両親は彼の精神疾患の原因が相手のせいだと責任のなすりあいをしている。その時、町の人々が一人また一人と風が見えると口にし始める。あっという間にそれは広がり、町全体を覆ったその瞬間、ツトムは「風が──変わった」と感じる。「風」は絆を象徴し、それが町中の人に浸透した時、もはやさびしさはない。ストレンジャーの「リョウ」は「風」となってそれを人々に気づかせる。『風の又三郎』も人のつながりを描いており、このマンガはそれを踏まえている。

「うわい又三郎、風などあ世界じゅうになくてもいいな、うわい。」
 すると三郎は少しおもしろくなったようでまたくつくつ笑いだしてたずねました。
「風が世界じゅうになくってもいいってどういうんだい。いいと箇条をたてていってごらん。そら。」三郎は先生みたいな顔つきをして指を一本だしました。
 耕助は試験のようだし、つまらないことになったと思ってたいへんくやしかったのですが、しかたなくしばらく考えてから言いました。
「汝など悪戯ばりさな、傘ぶっこわしたり。」
「それからそれから。」三郎はおもしろそうに一足進んで言いました。
「それがら木折ったり転覆したりさな。」
「それから、それからどうだい。」
「家もぶっこわさな。」
「それから。それから、あとはどうだい。」
「あかしも消さな。」
「それからあとは? それからあとは? どうだい。」
「シャップもとばさな。」
「それから? それからあとは? あとはどうだい。」
「笠もとばさな。」
「それからそれから。」
「それがら、ラ、ラ、電信ばしらも倒さな。」
「それから? それから? それから?」
「それがら屋根もとばさな。」
「アアハハハ、屋根は家のうちだい。どうだいまだあるかい。それから、それから?」
「それだがら、ララ、それだからランプも消さな。」
「アアハハハハ、ランプはあかしのうちだい。けれどそれだけかい。え、おい。それから? それからそれから。」
 耕助はつまってしまいました。たいていもう言ってしまったのですから、いくら考えてももうできませんでした。
 三郎はいよいよおもしろそうに指を一本立てながら、
「それから? それから? ええ? それから?」と言うのでした。
 耕助は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
「風車もぶっこわさな。」
 すると三郎はこんどこそはまるで飛び上がって笑ってしまいました。みんなも笑いました。笑って笑って笑いました。
 三郎はやっと笑うのをやめて言いました。
「そらごらん、とうとう風車などを言っちゃったろう。風車なら風を悪く思っちゃいないんだよ。もちろん時々こわすこともあるけれども回してやる時のほうがずっと多いんだ。風車ならちっとも風を悪く思っていないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようはあんまりおかしいや。ララ、ララ、ばかり言ったんだろう。おしまいにとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」
 三郎はまた涙の出るほど笑いました。
 耕助もさっきからあんまり困ったためにおこっていたのもだんだん忘れて来ました。そしてそしてつい三郎といっしょに笑い出してしまったのです。すると三郎もすっかりきげんを直して、
「耕助君、いたずらをして済まなかったよ。」と言いました。
「さあそれであ行ぐべな。」と一郎は言いながら三郎にぶどうを五ふさばかりくれました。
 三郎は白い栗をみんなに二つずつ分けました。
(『風の又三郎』)
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