1 お早う

文字数 4,339文字

風が変わった日─宮沢賢治の『風の又三郎』
Saven Satow
Aug. 20, 2022

「日曜日はストレンジャー
仮面をつけて生きていいのよ
日曜日はストレンジャー
私じゃない私になれる」
石野真子『日曜日はストレンジャー』

第1章 お早う
 挨拶は社会的行為である。それは発せられること自体に意味があり、人間関係を強めたり、広げたりする機能がある。いい大人人にもなって挨拶一つできないと、社会性が疑われる。

 「おはよう」は、日本語の一日の挨拶において、「こんにちは」や「こんばんは」と違う用法がある。それは誰に対しても使えることである。

 「こんにちは」や「こんばんは」は身内に発せられることはない。事情により午後に出社したビジネスパーソンが上司に「こんにちは」と挨拶することはない。また、夜更けに帰宅した父親が子どもに向かって「ただいま」と言っても、「こんばんは」などと口にしない。身内にこれらの挨拶をすることは、日本語の母語話者にとってあり得ない用法である。

 だからこそ、黒澤明監督は、『八月の狂詩曲』において、空港のシーンでリチャード・ギアに「コンニチハ」と言わせている。彼が扮するクラークはアメリカ人であるが、初対面とは言え、出迎えの日本人家族の身内である。このシチュエーションでは、日本語人なら「初めまして」と言っても、「こんにちは」とは口にしない。この挨拶によって身内でありながら、外国育ちのストレンジャーだと観客に彼は印象付けられる。

 一方、「おはよう」は誰に対しても使える。身内であろうと、そうでなかろうと、その挨拶には違和感がない。もちろん、目下以外には「おはようございます」を一般的に用いる。ただ、「おはよう」には「おはようございます」という敬体があるが、「こんにちはございます」や「こんばんはございます」はない。身内以外に使うことが前提であるので、ことさらに敬体にする必要がない。Twitterで明らかにフォロワーに向けて「おはようございます」と挨拶するツイートをよく見かけるけれども、「こんにちは」や「こんばんは」と記すものはない。

 この挨拶は相手を選ばない。そのため、音楽や放送などエンタメ業界では,時刻にかかわらず、その日、初めてあった人に対して「おはようございます」と交わす習慣がある。これは戦後に生まれたものではなく、江戸時代から続く慣習である。

 江戸時代の歌舞伎の世界を舞台にした『淀五郎』という古典落語がそれを伝えている。これは予備知識の説明や演技が要求されるなど難しい演目のため最近演じられることが少ないが、六代目三遊亭圓生の十八番として知られている。

 主人公澤村淀五郎は四代目市川團藏によって『仮名手本忠臣蔵』の判官役に抜擢される。ところが、二日目を終わっても、まったくうまくできない。死を覚悟した淀五郎は、以前から目をかけてもらい、名役者として誉れの高い中村仲蔵の元へ暇乞いに訪れる。

 淀五郎はその日の公演を終えた初代中村仲蔵に「おはようございます」と挨拶する。堺屋は1763年に生まれ、1790年に亡くなった歌舞伎史上の名人の一人である。大立ち役から敵役、二枚目、女形までこなす「兼ねる役者」で、役柄の革新的解釈は「秀鶴型」として後世に影響を及ぼしている。そのような大物に格下の役者が失礼な態度をとるはずもない。18世紀後半には、時刻にかかわらず、その日初めて会った人に対してこの挨拶が使われる習慣が定着していたとわかる。

 「おはようございます」は歌舞伎界から生まれた挨拶とされている。 歌舞伎役者、特に名題役者の準備には手間がかかる。古典落語『中村仲蔵』によると、かつらや衣装なども自前で、メークも自分でする。そのため、舞台が始まるかなり前に楽屋入りする必要がある。裏方や格下がそうした姿に「お早いお着きでございます」と敬っていたとされる。それが後に「おはようございます」に変化して、朝の挨拶として使われるようになっている。元々時刻には関係なく、序列が下の者から上の者へ用いられていたというわけだ。

 初代中村仲蔵の活躍していた時期は江戸時代中期の田沼時代にあたる。この頃に敬いではなく、挨拶として「おはようございます」が用いられている。ただ、堺屋は「おはよう」と返していないので、語源にあった序列の上下関係が依然として反映しているように思われる。

 この「おはよう」や「おはようございます」を効果的に使った作品が宮沢賢治の『風の又三郎』である。

 転校生の高田三郎はその挨拶によって学校の子どもたちを次のように戸惑わせる。

一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱が白く波立っていました。
 嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄を右手にかかえて走るようにして出て来たのです。
「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、
「お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。
 それは返事をしないのではなくて、みんなは先生にはいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆してしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。

 今日、朝の通学の際、顔見知りの小学生が「おはよう」と交わしている光景は日常的である。すでに述べた通り、この挨拶は誰に対しても使うことができる。ところが、三郎が一郎たちに「お早う」とあいさつをしたのに、彼らは返すことができない。それは先生に対して児童が「お早うございます」とあいさつするが、子どもたち同士でそうする習慣がないからである。 

 実際、この前に次のようなシーンがある。

 みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、
「先生お早うございます。」と言っただけでした。
「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。

 朝の挨拶であるけれども、それは上下関係に基づくものである。ただし、『淀五郎』と違い、先生も「お早う」と返している。この村落共同体の挨拶習慣にはそれが幾分残っているように思われる。

 言うまでもなく、賢治が子どもたちの戸惑いの理由を記しているように、作品執筆当時はすでに三郎の行動の方が一般的だったと推察できる。そこからこの村落共同体は国内でもいささか保守的との設定がうかがい知れる。

 事実、賢治は、『虔十公園林』や『黄いろのトマト』、『よく利く薬とえらい薬』、『インドラの網』などでも「お早う」と登場人物・キャラクターが挨拶を交わすシーンを描いているが、いずれでも目下が目上に挨拶するだけではない。それは今日の一般的用法と同じである。

 一方で、賢治は「こんにちは」や「こんばんは」にあまり言及していない。作品の都合上そうなっている場合もあろうが、他の理由も考えられる。「お早う」は身内にも使える。それは絆を確かめ、強める効果がある。その挨拶を交わすことで、両者が同じ共同体に属すてしていると読者が認識できる。挨拶が身内かよそ者かを分かつ。その意味で、『八月の狂詩曲』の「コンニチハ」が『風の又三郎』での「お早う」に相当する。

 「お早うございます」のシーンから始まる『風の又三郎』は、同様の挨拶で次のように幕を閉じる。

 するともうだれか来たのかというように奥から先生が出てきましたが、ふしぎなことは先生があたりまえの単衣をきて赤いうちわをもっているのです。
「たいへん早いですね。あなたがた二人で教室の掃除をしているのですか。」先生がききました。
「先生お早うございます。」一郎が言いました。
「先生お早うございます。」と嘉助も言いましたが、すぐ、
「先生、又三郎きょう来るのすか。」とききました。
 先生はちょっと考えて、
「又三郎って高田さんですか。ええ、高田さんはきのうおとうさんといっしょにもうほかへ行きました。日曜なのでみなさんにご挨拶するひまがなかったのです。」
「先生飛んで行ったのですか。」嘉助がききました。
「いいえ、おとうさんが会社から電報で呼ばれたのです。おとうさんはもいちどちょっとこっちへ戻られるそうですが、高田さんはやっぱり向こうの学校にはいるのだそうです。向こうにはおかあさんもおられるのですから。」
「何なして会社で呼ばったべす。」と一郎がききました。
「ここのモリブデンの鉱脈は当分手をつけないことになったためなそうです。」
「そうだないな。やっぱりあいづは風の又三郎だったな。」嘉助が高く叫びました。
 宿直室のほうで何かごとごと鳴る音がしました。先生は赤いうちわをもって急いでそっちへ行きました。
 二人はしばらくだまったまま、相手がほんとうにどう思っているか探るように顔を見合わせたまま立ちました。
 風はまだやまず、窓ガラスは雨つぶのために曇りながら、またがたがた鳴りました。

 この挨拶が交わされるシーンが作品中三か所ある。転校生が登場するのは二番目だけで、一番目と三番目にはいない。彼が挨拶を発する時、いつもの習慣と異なっているため、子どもたちは戸惑う。一番目と三番目、すなわち冒頭の学校で教師と児童の挨拶のシーンと似ているが、同じではない。いつもの習慣通りであっても、転校生がやって来るのではなく、去っている。繰り返しの中の微妙な違いだが、それは決定的である。出来事はもう終わっている。子どもたちはその事実を受け入れざるを得ない。これが日常というものである。自分たちの思いとは別の事情によって出会いと別れがある。子どもはそうして成長すると共に、それをかけがえのない思い出として記憶する。

 「お早う」という挨拶がこれだけ効果的に用いた作品はそうないだろう。それでは、この『風の又三郎』について考察してみよう。
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