第5話 背中(新)

文字数 1,486文字

 声変わりはそのうちするから心配ないよ、背もちゃんと伸びるから。
 拓にぃは、俺の真剣な悩みに笑って答えた。

 いつも忙しい拓にぃが家にいるのは珍しい。
 渡辺の家のメンツと会うときは都合をつけて来ることもあるけど、俺とこうして二人きりで話すのは久しぶりだ。
 俺は病気かも知れない。
 身長は150センチ代だし、声を高いままだ。拓にぃは180センチ近くあるのに、俺は突然変異でおかしくなったのかも知れない。
 本気で心配になって、たまたま家に帰っていた拓にぃを自分の部屋に連れ込んだ。
「お前もそんなこと気にするようになったんだなぁ」
「気にするよ」
「果歩ちゃんのこと、苛めてばっかりだったのに」
 拓にぃはおかしそうに笑った。うちには女の子がいないから、あの二人、特に果歩にはとことん甘い拓にぃなのだ。いつも喧嘩すると果歩に味方するし、みんなでいても拓にぃは果歩のことを一番気遣う。俺はそれが羨ましくていつも不満だった。
「お前もどんどん体も大きくなって、子供じゃなくなるだから、前みたいに転ばせて怪我でもしたら大変だよ」
 去年の春、果歩が勝手に転んで、コンクリに頭をぶつけて、額に傷を作ったことを言ってるのだ。確かにあのときは肝を潰したし、拓にぃも真っ青になって焦っていた。女の子の顔に傷をつけて、って。
 本人の果歩はけろっとしていたけど、何となくそれから果歩とは遊びづらい。悪口を言ったり、ゲームをしたりはするけど、さすがにもう叩いたり追いかけたりは出来なくなってしまった。自分でもその辺はわきまえてるつもりだった。
「分かってるよ」
 大学生になって、なかなか拓にぃは遊んでくれない。俺にはあんまり見せないけど、きっと女の人と遊んでるんだと思う。しょっちゅう携帯に連絡が来るみたいだし。拓にぃのことだから、きっと優しいんだと思うけど、俺は自分の兄がどういう人と付き合ってるのか知らない。俺のことを子供だと思ってるのか、なかなか教えてくれないのだ。
「拓にぃ、大学卒業したらどうするの?」
「大学院に行くよ。法科大学院ってやつだな」
「法科大学院って何するところ?」
「司法試験の勉強するとこだよ。俺は弁護士になるつもりだから、お前、父さんの事務所、よろしくな」
 拓にぃはニヤッと笑いながら言った。法学部に進んでから、たまに言われるのだ。公認会計士になるつもりはないから、お前に事務所は任せたからな、とか。
「どうせなれっこない」
「そんなことないだろう。何かやりたいことでもあるのか?」
「ないけどさ…」
 拓にぃは分かってないのだ。俺は拓にぃみたいに真面目じゃないし、勉強より部活のサッカーの方が楽しい。父さんの事務所は気の毒だと思うけど、とても自分は継げそうにない。兄ほど出来がよくないのだ。
「何だよ。勉強なんて好きな子でもいれば頑張れたりするじゃん。いないのか?」
 拓にぃが笑っていきなり変なことを聞くので、俺は慌てた。それを聞きたかったのは俺の方だったのに。
「いないよ。拓にぃこそ、大学にいっぱいいるんだろう」
「いっぱいは、いないけどな」
 笑った顔が何だか俺の知らない人みたいに見えた。
 拓にぃって、どういう人を好きになるんだろう。
 きっといい女の人なんだと思う。
 だって、拓にぃはこんなに優しくて頭も良くて、かっこいいのだ。
 俺はいつまで経っても、大人になってもきっと拓にぃには追いつけない。
 腰掛けていたベッドから拓にぃは立ち上がって伸びをした。
 中高時代にバレーボールをやっていたから、拓磨にぃは肩幅が広く、後ろから見ると身体のバランスのよさが際立っていた。
 大きな背中がいつまでも遠い。
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