文字数 4,094文字

 母が、何かを飲むとき、むせこむことが増えてきた。コップからでも、吸い飲みからでも、何かを飲むとむせる。看護師に相談すると、飲み込む機能が弱まっているのだろう、ということだった。高齢者は嚥下えんげと言われる飲み込みの機能が低下しやすく、むせてしまうと、飲み物や食べ物が食道ではなく気管のほうに入ってしまい(それを誤嚥ごえんというそうだ)、肺炎を起こす危険性があると言われた。さらさらの普通の液体より、と・ろ・み・をつけたほうが飲み込みやすいそうで、私はさっそく、病院の売店で液体にとろみをつける粉を買いに行く。
 病院の売店には寄ったことがなかったが、思っていたよりもたくさんのものが売っている。飲み物や食べ物だけでなく、雑誌やクロスワードの本、ガーゼやおむつ、吸い飲みやストロー付きコップ、そして、とろみ粉。スポーツ選手が飲むプロテインのような巨大な袋のとろみ粉もあったが、母に合うかわからなかったので、とりあえずスティックタイプの小分け包装のものにした。このとろみ粉を気に入ってくれるなら、今後は大きな袋で購入したほうが良いかもしれない。
「お母さん、とろみ粉買ってきたよ」
「とろみ粉? 何かしら」
「最近、飲み物、むせるじゃん? とろみつけると、飲みやすいみたいだよ」
「とろみ? 美味しいのかしら」
 袋を見ると、無味無臭と書いてあった。試しに、母のコップに入っているリンゴジュースに入れてみる。さらさらした粉で、少量入れてスプーンでかきまぜる。なかなかとろみがつかず、加減がわからず入れているうちに、とろみどころかドロドロの葛湯くずゆのようになってしまった。
「あ、ちょっと入れすぎちゃった」
 私は苦笑しながら母にリンゴジュースを渡す。
「あら、すごい。ゼリーになったわ」
 そう言って、母はプラスティックスプーンでドロドロになったリンゴジュースを一口食べた。
「どう?」
「うん、悪くないわ」
「本当?」
 私は横から手を伸ばし、葛湯のようなものをスプーンですくって口にした。それは、ゼリーのようなつるんとした食感でもなければ、葛湯のようなとろんとした食感でもなく、ドロドロ、というのが一番適していて、あまり美味しくはなかった。
「お母さん、ごめんね。たぶん、もう少し緩くて大丈夫なんだと思う。ちょっと練習するわ」
「そう? なかなか、悪くないけれどね」
 そう言いながら、母はドロドロのリンゴジュースをぱくぱく食べた。確かに、液体で飲むようなむせこみはなかった。とろみ粉のパッケージを良く読むと「果汁の入っているものにはとろみがつきにくい場合があります」と書いてあった。だから、リンゴジュースは難しかったのか。
 これから母は、液体のものには全てこのとろみ粉が入れられるらしい。水やお茶、ジュースならまだしも、味噌汁もとろみがつけられるのか、と思うと、食欲が失せる気がした。それとも母は、「煮こごりみたいね」と言いながら食べてくれるのだろうか。

 母は、料理がうまくて、保険外交員の仕事をやめてからは惣菜店でパートをしていた。そこのメニューで気に入ったものがあれば家に帰ってきて作り、私が母の家に行くと、必ず新メニューでもてなしてくれた。ときどき私が料理をして母に食べさせることもあったが、私は生憎、料理上手とは言えなくて、それでも母はさまざまな語彙力で褒めてくれた。しょっぱいときは「ご飯が進むわ」。薄味すぎるときは「体に良さそうね」。今まで母が私を慰めてくれているのかと思っていたけれど、母は本心からそう思っていたのかもしれない。さまざまな角度から、物事を前向きにとらえられる才能。それは、人生において、重要な才能だと思う。ドロドロの葛湯ととるか、リンゴゼリーととるか。ドロドロの味噌汁ととるか、煮こごりととるか。何においても、とり方次第なのだ。
 母子家庭ととるか、最高の相棒との人生ととるか。
 母は、多面的に人生を捉えられる人なんだな、と改めて実感する。例え、それらを忘れてしまっていたとしても、捉え方の本質は変わらないのだな、と。
「お母さん、バス停の近くにある音楽スクールでね、いつもシューベルト弾いてる人がいるんだよ」
「あら、素敵ね。ピアノ?」
「そう。ピアノ。だいたい『セレナーデ』を練習しているんだけれどね、すごく良い音なんだ」
「聞いてみたいわ」
「そうだね。今度、一緒に聞きに行こうね」
 私は、もう外出の許可のでない母に、Jの演奏を聞かせることはできないことを知っている。それでも、CDのシューベルトじゃなくて、生演奏のシューベルトをいつか一緒に聞きたいね。そんな願いを口にすることくらい、許されてもいいと思った。
 
 全ての飲み物にとろみをつけていたのも虚しく、母は誤嚥性肺炎になった。飲み込みが悪くて、気管に食べ物やの飲み物が入ってしまって、そこから患ってしまう肺炎らしい。今は少し熱があって、呼吸が良くないため、カニューレと呼ばれるチューブのようなものを鼻につけている。そこから酸素を流しているらしい。
「高熱にならなくて良かった」と私が言うと、高齢者は体の反応が弱く、高熱はあまり出ない、と医者に説明を受けた。防御する機能が低下している証拠なのだそうだ。
 母は鼻にカニューレというチューブをつけたまま静かに眠っているので、私は小さな音でシューベルトを流し、ベッドサイドの椅子に掛けた。病室のベージュ色の壁に、シクラメン、クレマチス、シャコバサボテン、ビオラ、シンビジウムなど、冬の花の写真をプリントアウトしたものを貼っている。母は、これらの好きだった花の、いくつまで名前を言えるのだろう。例え名前は忘れてしまっていても、花の写真に囲まれていることが、母にとって喜ばしいことなら嬉しいのだけれど、と思った。

 帰り際、雨が降り出した。結局、今日の母は眠ったままで、話すことはできなかった。バス停を降りると珍しく通りには誰一人おらず、冷たく湿っているブーツのつま先を見つめながら、世界には私一人しかいないんじゃないかという錯覚に陥った。

 一月の冷たい静かな日。前日の夜から降った雪がすっかり積もり、街中を冷やしていた。世界は白一色で、色彩と全ての雑音は厚い雪に吸収され、静寂に張り詰めていた。
 冷えた指先をこすり合わせる。皮膚が乾燥して中指の爪の横にささくれができている。紅茶を飲むための湯を沸かす。ガスの火は、チチチチぼわんと音をたてて青白く灯る。やかんの上に手をかざしていると、携帯電話の振動が着信を伝える。母の入院している病院からだった。
 先月から患っていた肺炎が悪化していて、危ないかもしれないとは言われていた。電話の内容は、「いよいよです。病院に来てください」という内容のことを、丁寧な言い方で伝えてくれた。
 一つ一つゆっくりと忘却を続けてきた母は、とうとう生命をも失おうとしている。私は急いで着替えて、雪道を慎重に転ばぬよう、バス停へ走った。乗車の際、ICカードを忘れていることに気付き、覚悟していたとはいえ、気持ちが焦っていることを実感した。現金で払ってバスに乗る。バスは延々走り続けるように思えた。
 病室につくと、母は浅い呼吸を繰り返していた。意識はなかった。
「お母さん、加奈だよ」
 声をかけて、痩せた手を握る。温かく力強かった母の手。何でも器用にこなし、裁縫の得意だった手。保険外交員をやめてから惣菜店でパートをし、美味しい料理を作り、働き者の母の手。私の頭を撫でた手。花が好きで、日焼けするよ、と言っても気にせず、ベランダで作業して手の甲にシミを作った手。大好きな母の手。私の、大切な相棒の手。母を前にすると、私はいつだってただの甘ったれの娘だった。母が忘れてしまっても、私は永遠に母の娘なのだ。
「泥棒が入ったかもしれない」
 そう言ったあの日から、母はいったいどれほどのことを忘れながら生きてきたのだろうか。私が覚えている数えきれない母との日々を、母はどれだけ忘れてしまったのだろうか。例え母が忘れてしまっても事実が消えることはない。私たちは最高の相棒だ。
「私が全部ちゃんと覚えているから大丈夫だよ」
 そう言って、ぎゅっと手を握る。じっと母の胸を見つめる。浅い呼吸がだんだん少なくなり、ますます浅くなる。最後にゆっくりと一つ息を吐いて、母は静かに逝った。
 そのときの表情は、記憶を失くし始めるより前の、若い頃の母の顔であり、凛として美しかった。痩せて、老いてはいるが、確かに強く生き切った母の顔であった。母は、生命を失うと引き換えに、今まで失ってきた記憶を取り戻したのかもしれない。人生の最期に、走馬燈のように人生を思い出すというのならば、最期に記憶を取り戻した母は、さぞ、驚きや喜びや苦労もあった色とりどりの走馬燈を体験することができたに違いない。そう思うと私は、悲しみよりむしろ、ほっとしたような気持ちにもなるのだ。 
「加奈はお母さんのたった一人の相棒だから」
 そう言ってくれた母。私が相棒だったこと、最期にきっと思い出してくれたよね。

 もろもろの手続きを終えて、病院の帰り、バスを降りると、Jが背中を向けてピアノを弾いていた。それは、シューベルトの「セレナーデ」であった。私は突然にこみ上げる感情が喪失感であることに、涙が溢れるまで気が付かなかった。通りを足早に過ぎていく会社員風の男性や、雪道をゆっくり歩いている女性に見られていると感じたけれど、私は気にせずに泣いた。希望の象徴のような若者の弾くピアノは、今日に限ってことさらに優しく、悲しい旋律であった。
 私のたった一人の家族がいなくなった。私のたった一人の相棒。私は、大好きな母の相棒としての役割を、しっかり果たせたのだろうか。私の相棒はもう、この世界のどこを探しても、二度と会えない。その事実を受け止めるまでには、まだ時間がかかりそうだった。

 真冬の空の下、突っ立ったまま一人泣く中年の女を、シューベルトが静かに包む。足は雪にかじかんで冷たく、最期に強く握った母の手の温度だけを、今ひっそりと思い出している。

おわり
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み