文字数 2,930文字

 金木犀の芳香で行き過ぎる季節を感じ、乾燥した空気で秋の深まりを知る。私はいつものバス停でバスを待っている。バス停まで歩いてくるとき、住宅の庭にきれいな白い花が咲いていた。土いじりや花が大好きな母だけれど、生花の差し入れは禁止されているため、他人様ひとさまのお庭だけれど、きれいな白い花の写真をスマートフォンにおさめさせてもらった。
 バスに乗ってピンク色の病院へ向かう。今日はJのピアノは聞けなかった。しかたなく私はイヤホンをして、自分で音楽を聞く。Jの代わりに私の気持ちを落ち着かせてくれるのは最近知った若いピアニストの演奏。楽譜なしで、一度聞いたらその場で弾けるらしい。いわゆる「絶対音感」というものだ。私にも、何か突出した才能があったら、人生は何か大きく変わったのだろうか。こんな平凡な人間でなければ、もっと母を支えられることが、できたのだろうか。
 面会バッジをもらって母の部屋へ行く。ベージュ色を基調としたシンプルな部屋。差し入れができないから、殺風景だなと思う。
「どこのお嬢さんか知らないけれど、せっかく来てくださったなら、ゆっくりしていってね」
 そう言って母は、いつものように私に椅子を勧める。母は基本的に穏やかだ。私がいないときは、隣の病室の患者さんのように、突然大声を出すこともあるのだろうか。今のところ、そんな場面に立ち会っていないから、私は「まだ母のほうがマシだ」なんて、心無い差別的なことを思ってしまうことがある。誰も、なりたくて認知症になっている人なんて、いないというのに。
「今、来るとき、きれいな花を見たよ」
 私は自分のスマートフォンの画面を母に見せる。
「どれ? ああ、きれいね。シュウメイギクね」
 画像を見るなり、母は言った。私は母が花の名前を覚えていたことが嬉しくて、胸の奥から何か言いようのない感情がこみ上げた。感動とも違う、ただの嬉しさとも違う、切ないような、懐かしいような感情だった。それは、二人で暮らした狭いアパートのベランダで育てた花々を思い起こさせたからかもしれない。パンジー、ビオラ、チューリップ、朝顔、クレマチス、なでしこ、ペチュニア。
「素敵なシュウメイギクの写真をありがとう。あなた、お名前は?」
「加奈だよ」
「いい名前ね」
「でしょ。お母さんが、つけてくれたんだよ」

「どちらさまですか?」
 初めてそう言われたときが、テーブルの上の品物を覚えられない母を目の当たりにしたときの次に、絶望した瞬間だったと思う。入院して三カ月ほどで、私のことを娘と認知しなくなった。
 よく聞く話ではあった。いつか自分のことも忘れるのだろう。わかってはいた。でも、実際に目の前で母から名前を尋ねられることは、想像をはるかに越えて、私の胸をえぐった。
「お母さん、何言ってるの? 加奈だよ、加奈。お母さんの、娘!」
「あら、私に娘がいたかしら」
「いるでしょ。私がその、む・す・め! 加・奈!」
 私は、怒っていたように思う。母は、少し怯えたように見えた。私のほうが、取り乱していたのだと思う。怖かったのだ。「加奈はお母さんのたった一人の相棒」と言われながら、手と手をとって母と過ごしてきた日々を母が忘れてしまったら、私の存在自体が消えてしまうような気がした。
「どうかされました?」
 私は、自分で自覚するより大きな声を出していたのだろう。看護師が部屋を訪ねてきた。
「母が、私のことまで忘れてしまったみたいで」
 唇を噛んだ。入院なんか、させないほうが良かったのかもしれない。大変でも、やっぱり家で看みるべきだったのだ。入院したから、私のことも忘れてしまったんじゃないか。
「城田さん、いつも娘さんの自慢ばかりしてらっしゃるじゃないですか」
 看護師は静かに母に話しかけた。
「あら、そうだったかしら?」
「そうですよ。『うちは、母一人子一人だから寂しい思いばかりさせてしまったけれど、あの子は本当に素直で優しい子に育ってくれた』って、毎日仰るじゃないですか。その自慢の娘さんが、加奈さんでしょ?」
 母はじっと私を見て、優しく笑った。それは、いつもの笑顔だった。
「そうよ、加奈よ。私の自慢の一人娘」
 そうはっきり言った。私は、まだこの斑まだらな記憶を行ったり来たりしている状態の母に慣れていなかった。母は、渦巻く記憶の端から端まで行ったり来たりを繰り返し、渦に飲み込まれたり、呼吸のために顔を出したり、脳内で溺れているような状態だったのだろう。私はその都度に、期待したり、不安に思ったり、裏切られたと感じたり、落ち着かない日々を過ごしていた。
 そんな私にとって、看護師の存在は大きかった。いつもにこやかに穏やかに母に接してくれる看護師たち。
 この病棟の看護師はみな、忙しいはずだろうと思うのだけれど、せわしなく走っているところを見たことがない。みな、穏やかな顔をして、ゆっくりと、でも手際よく仕事をしているのだ。テレビで見るような「救命救急24時」などの番組だと、看護師はみな走り回って大きな声を出してバタバタしている。不思議に思って、いつも母を担当してくれている看護師の一人に聞いたことがある。すると看護師は
「ああ、そうなんですよ、私たちは走らないんですよ。緊急の場合は別ですけど、基本的には走りません。私たちがバタバタ走っていると、患者さんを不安にさせてしまうかもしれないでしょ。だから、忙しくても、走らないんです」と微笑んだ。
 丁寧で手際よく、でもバタバタせず。所作の一つ一つが仕事の一部なんだと感じたものだ。それと同時に、ここは看護師が走っているだけで不安に思ってしまうような、繊細な人たちの集まる場所なんだと思って、その中に自分の母がいることに、複雑な思いがした。
 シュウメイギクの画像を嬉しそうに眺める母を見て、生花の差し入れができないなら、花の写真を病室に飾ることはできないか、相談してみようと思った。殺風景なこの部屋に、少し暖かさが宿ると良い。

 帰りのバス停で降りると、Jがピアノを弾いていた。久しぶりに聞いた気がする。Jのピアノは相変わらず静かに穏やかで、私の情緒を少しずつ落ち着かせた。心配なことはたくさんある。将来の不安なんて、抱えきれないほど溢れている。それでも、Jのピアノで私は少し中和される。希望の象徴のような若々しい才能。それは、光であり、一瞬の癒しであった。Jは何歳なのだろう。二十代に見えたけれど、もっと若いのかもしれない。
 母は二十五歳で私を産んでいるのだから、母が私の年齢のとき、私はすでに十八歳だったということになる。愕然とした。私は、Jくらいの年齢の子供がいてもおかしくない年になっているのだ。若々しいエネルギーに満ちた十代後半から二十代の青年。どう考えても、私がそんな青年の母親になるという感覚は湧かなかった。私は一生母の娘であり、誰かの母にはならない。薄くくすんだ猫背の自分の影を見つめながら、ただJのピアノを聞いた。これはこれで、いいではないか。

 母の部屋に飾る写真は「額縁やガラスがなければ可」と言われた。何の花の写真を飾ってあげようか。Jのピアノの音を耳に揺らしながら、私は一人ぽつぽつ歩いて帰宅した。

つづく
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