第6話 オトコの証明

文字数 1,830文字

「全力で、まずはフルスイングしてみいや。レベルに振ったらええ」、男は真剣であった。

大地は、それとばかりに力任せに降った。

師匠は、やれやれとばかりに首を振った、
「あかん、そのスイングじゃ一万年経ったってヒットは打てん」

「僕は、根性がないから。それに腕力もないし」大地が項垂れた。

「おまえは間違うとる。第一に、根性で撃てるんやったら寺の坊主は皆三割バッターや。第二に腕力で撃つんやったら、プロレスラーは皆ホームランや、ちゃうやろが」、男の説明が関西人らしく面白いので大地は興味を持ち始めた。

「ええか、よく見とき!」
男は、大地からバットを受け取ると説明を始めた。

「ええか、大地君は腰の回転と肩の回転が同時なんや。気持ちが焦ってるからや、これでは打球は前によう飛ばんで」、「右バッターの場合はな、右足の親指の付け根が起点や、こっから力を起こすんや。それで腰を回す」、
師匠が身振り手振りで、腰を捻ってみせた。

「ええか。ここが肝心や。この時点でまだ左肩を開かない。我慢するんや。それでこれ以上捻れが我慢でけへん所で、一気に左肩を開く」、
「こん時、脇が空いたらあかんで。こう締めるんや。それでフォロースルーして綺麗にセンター前や」、「どや、分かってか?やってみ」。

大地は、20回、30回と振り込んだ。

五十回になろうとした時、「ブンっ」と大地のバットから初めて空気を切る音がした。

「それや!いまの感じをわすれないようするんや。そーやな、朝100本、夕方100本振り込んで身体に覚えこますんや」

大地は、両手が赤くなり早速出来かかったマメに顔をしかめた。
とても、朝夕100本の素振りは自分には無理に思えた。

男は、大地のそんな弱い気持ちを察した。
「大地、ピッチャーはな孤独なんや。マウンドの上は一人なんやで。それで来る日も来る日もアウトローのコントロールを磨かなあかん。それで準備して来るんやないか」

「バッターかて、両手にマメぐらいこさえな。マウンドのピッチャーに失礼やろ。それがグラウンドの礼儀やで」

大地は、聴きなれない大人の理論に口をぽかーんと開けていた。

師匠がやにわに大地のキンタマをグッと掴んだ。
漢のたぶんは、二、三日は風呂に入っていないだろう赤黒い手が、自らの股間にあると思うと、大地の羞恥と屈辱は倍になった。

大地は、苦痛に声まで出なかった。
(痛いなぁ、野球の球とキンタマは違うじゃんか)

「大地、おまえはオトコか?」
、大地は、顔を歪めて頷いた。

「だって、ついてるじゃんか」

「大地、単にオトコだってことと、オトコになるっちゅうのは、天と地ほど違うんやで」

師匠がタマを放した。
(ちっこいキンタマやな。子供用やな)

「オトコになるっちゅうことはやで、何かを証明するいうことなんや」

「ショウメイ?」

「せや、まずセンター前ヒットを撃つことや。それには、ファーストストライクで来た甘いタマを一球で仕留めるんや」

「一球?スリーストライクまであるのに」

「アホ!二球目はアウトローに来るやろ。せやから、今のおまえにはワンストライクしか無いんや。特にフォアボールの後の初球は、ピッチャーがタマを置きに来るから、のがしたらあかんで」

師匠が、大地の目を見て人差し指を立てた。

「虐めっ子はな、ハイエナや。半分死んどる奴の屍肉を貪りに来る奴らや。決してトラんとこには来ないもんや。大地、タイガースの一員なんやろ、せやったらトラになったらええやんか」

大地には、初めて聴くことばかりで少々頭が混乱してしまったが、何か人生の真理を聴いたようで、さっきまでの、真っ暗なココロに一条の光が差し始めた心地がした。大地の顔色が変わり、赤みがさした。

「分かりました、シショウ!」
 「ええか、帰る時はワイとグランドに一礼して帰りっ!」
 「グランドに一礼?」
 シショウに一礼するのは、やぶさかでは無いが、人間ではないグランドに一礼するのは、大地には理解出来なかった。

 「せやで。グランドはなサムライが魂を磨く道場や。せやからな、来た時、帰る時は一礼せなあかんのや」
 
大地は言われるがまま、師匠にペコリとお辞儀をし、グラウンドに一礼すると夕陽で赤く染まる土手沿いに走り去った。
(やった、これでヒットが打てる。皆に馬鹿にされずに済むんだ)

師匠は、隅田川沿いの自称「リバーサイドホテル」へと帰った。
(やれ、やれ、これやから素人の指導者は困る。何にも、基礎を教えたらんやないかい)

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