選ばれた婿(中編)

文字数 11,473文字



 顔が濡れている気がする。身動ぎするとざらっと硬いものが頬に当たって、小暮は目を覚ました。
「ここ……は……?」
 薄暗い中でゆっくりと体を起こす。どこか洞窟の様な、そんな場所で、だから地面が湿っていたのか、と思う。
 明るいというような光はなく、どこからか差し込んでいる明かりでどうにか周りの状況を確認した。
 まず小暮が立ち上がってもまだ天井は高い程に、ここの空間は大きい。耳をそばだてても水の音は聞こえないから、近くを川が流れているわけでも水路があるわけでもないようだ。
「どうしよう」
 訳の分からないモノたちに連れてこられたことは覚えているが、その後どうやってこのようなところに来たのかは分からない。最後に見たのは静の顔だ。
「あの変なのも居ないし」
 そう、小暮を連れ去ったはずの真っ黒なモノはここにはなく、小暮一人なのだ。一体何のために。
「とにかく光を探さないと……」
 出口を見つけようにもこの暗さでは避けられる危険も避けられない。小暮はどこからか漏れているのであろう光源を探しに動くことにした。
 目を凝らしながら壁に手を当て、ゆっくりと歩く。時折湿った地面に足をとられてひっくり返りそうになるがどうにか耐えては前へ進む。
 徐々に光の明るさが強くなり、小暮は少し笑みを浮かべた。これが“希望の光”と言うのかもしれない、なんて思いながら。
 光の元に辿り着くと、それは洞窟の壁にできた切れ目だった。中を覗き込むと何かの作業に使用されていたのか、いくつかの道具と箱、そして輝く灯りが置いてある。
(あれをどうにか手に入れられれば……)
 小暮は周りを見渡し、壁の向こうへ回れる道を探した。漸く見つけた道を辿ってその空間へと足を踏み入れる。
(よし、持ち主には申し訳ないけど、借りちゃおう)
 灯りは古いものなのか、時代劇の中でしか見ないような、そんな形をしたもので、中では蝋燭に火が灯されている。誤って消してしまわぬようにしなくてはならない。
 灯りを持って小暮はその空間の先を目指すことにした。少し広くなっている道はきっとどこかに繋がっているだろう。それが出口かどうかはわからないが、何もない今の場所よりはずっとましに違いない。
 ついでに他に拝借できないかと見渡すと、机の上に書物が開いたままになっており、そこに走り書きがされている。
「贄? 贄って生贄とかのあれ?」
 他にも何か書かれているが読み取れたのはその文字だけだ。何かの研究で必要だったとか、実験体とか、そういうものだろうか? もしくはここは鉱山か何かで、隠喩として最初に潜る人間のことをそう言っていた、とか。
「まあ、他に何もないし、ここにはもう用はないかな」
 何の気配もない空間が気持ち悪く恐ろしいが、小暮は来た方角とは別に続く道を歩き始めた。

 パキっと足元で小枝が折れる。真っ暗な森の中を静は歩いていた。飛ばされた向こう側で小暮と合流できるかと思っていたが、どうやらバラバラになってしまったらしい。地面では人ならざるモノたちの残骸がくすぶっている。
「……ここはあの山ではないみたいね」
 小暮の実家のある田舎の山を思い返す。あの時見た山とは打って変わって怪しさ倍増、歪さマックスだ。だけれども、どこか似ている雰囲気もあるようにも思える。
「まあ、素人から見たら山って全部同じには見えるしね……」
 うへぇ、と息を吐きながら静は考える。確かに似ているが、だがあの山が原因とは考えられない。もしあり得るとするのなら。
「山が繋がってしまった?」
 そう。小暮の田舎にある何の変哲もない山が、どこかの山と繋がってしまった。であるのなら、あの夕暮れの中で見た山に違和感を覚えたのも、原因が掴み切れなかったのも頷ける。
「問題は何故繋がったか、か」
 小暮が女の幽霊に会ったから、ではなく、山が繋がっていたから女の幽霊に会った、と静は考えている。もちろんその予想が外れる可能性も高いが、元凶の住む場所に小暮が行っていないのなら、小暮ばかりを狙うあの妖が何故小暮の元に来たのかが説明付かない。
「山が繋がって、幽霊が現れて、それが小暮に会って……。それが憑りついて襲ってきている」
 そして、小暮は元凶の山へと連れてこられてしまった、というところだろうか。
「彼とはぐれちゃったのも少し気になるけど……。気配を探って探すしかないかな」
 ちゃきちゃきと刀を鳴らしながら静は山を登っていく。ところどころ人工物のなれの果ての様なものが転がっていて、昔はここに人が住んでいたのだろうなと察せられた。
「廃村、とかそういの、かな。ってことは、まあ、多分出るよね」
 めんどくさいなあ、と思いながら板やら柱の残骸やらが転がっている方へ足を向ける。仮称・廃村に行けば何かしら情報があるに違いない。ここが元々何だったのか、妖や幽霊が集まる理由になったのは何なのか。
「なんか……、ちょっと古くない……?」
 静は足を止めた。散らばる残骸をまじまじと見つめる。どう見てもここ最近の物ではない。廃村になるほどと思えば、静の世代からすれば古いものであってもおかしくないが、これは何というか……、そう、
「教科書の中でしか見たことないレベル」
 つい口をついて出てしまった。だがそれ程に古く、知識でしか知らないような道具が散らばっているのだ。木の板に書かれた文字も古く、言い回しが独特だ。唯一読めそうなものには『く……し村』と書かれていて、村の名前の標識があったことが伺える。
 もう少し先を歩くと古い家電がいくつも打ち捨てられていた。
「でも最近のではないみたいね……。不法投棄されてそのまま、なのか……、それとも家電が出て来たころまでは村として存在していたのか……」
 この廃村が存在していた頃の時代がよくわからない。もしかすると時空が繋がったのは今回だけでなく、過去に何度も生じていて、その度に何かしらが紛れ込んでいるのかもしれない。
 そんなことを考えながら静が山をひたすら上がっていると開けた場所に出た。そこには少しばかりの建物がどうにか残っている状態で存在しており、時折風が当たってはミシミシと音を立てている。
 木造の家々が均等にあったと思われるそこは恐らく集落、廃村の中心地だろう。そのうちの一つに静は近づいた。触れた瞬間に倒壊してしまうのでは、と思いつつドアノブに手をかけ、ドアを開ける。
 僅かに物が残っていて、本当に人が住んでいたのだ、という印象を受ける。ホラー映画ならこの時点で幽霊の一つや二つ出てきそうなものだが、恐れをなしているのか、出払っているのか、気配は感じない。
「お化け云々よりもこの建物に圧し潰されるかも、の方が怖いわね」
 床を踏み抜かぬように、家に極力振動を与えぬように静は確認して回る。台所を抜けて奥の部屋へ入ると机の上に本が一つ置かれていた。
 古いが丁寧に扱われていたことが伺えるほどには小綺麗なそれをゆっくりと捲ってみる。ぱらりと現れた黄ばんだ紙には文字が書かれていた。
「日記?」
 日付らしき数字と文字が数行書かれている。何の変哲もないただの日常が綴られているだけだ。
「まあ、あまり関係ない……ん?」
 一ページだけとてつもなく多量に書かれた日がある。日付があまりしっかりと読めないが少なくとも数十年以上前のことだろう。
“今日、ようやくあの人がまたやって来た! ああ、この日をどれだけ楽しみにしていたか!今度こそあの人に伝えるんだ、私の思いを。ああ、また日記帳を買ってくださるって! 私がこの日記を使っていると言ったから。あの人がくれるものならなんだって嬉しい!”
 あの人? と思い、静はその前のページをパラパラと捲る。そして、最初のページに何やら多量に書かれているのを見つけた。どうやら見落としていたらしい。
「この人は、あの人、って呼んでいる人が好きだった、ってことかな?」
“初めて日記帳というものを貰ったわ……! あの人が旅の中で見つけたものですって! 私にだけくれたの! これって、運命じゃないかしら。村の中ではあんなに素敵な人見つけられない。私には彼しかいないわ。これから毎日彼のことを思って日記を書くわ!”
 なるほど、と静は呟いた。パラパラと再びページを確認すれば、確かにところどころ“あの人”に向けた恋心が書き込まれている。
 この日記の持ち主はある旅人からこの日記帳を貰った。その旅人に恋をした持ち主——日記の内容からして恐らく女性だろう——は旅人を想いながら毎日この日記を付けていたということだ。
「旅人が来るくらいだから、この村はそこそこ栄えてたってことなのかな?」
 日記の最後のページを確認する。そこにはたった一言しか記載されていなかった。
「“どうして。”?」
 なんだこれは。静は首を傾げる。静は本を持ち上げてもう一度最初からページを確認していく。
「この持ち主は……旅人に告白しようとしていた……」
 思いを伝えるというのはきっとそういうことだろう。だが、その後に続くのは普通の日常の話で告白した後のことは記載されていない。
「日にちを置いたってこと?」
 思いが通じ合ったのか、振られたのか、わからない。最後のページに書かれていた“どうして。”という言葉はどういう意味なのか。
「ん?」
 静は一つのページで目を止めた。
「“女神様が憎い”」
 この村で祀られていた何か、か?
「っ!? 誰!?」
 何かが通り過ぎた気配がし、静は勢いよく振り返った。しかしそこには誰も居ない。
「……、どこに行った?」
 静は日記を机の上に置くと、刀を手にゆっくりと家の外へと出る。位置からして家の外に居るはず。
 目を凝らしながらゆっくりと気配を辿る。見間違いか? と一瞬だけ考えた時、視界の端で白いものが動いたのを捉えた。
(いた!)
 静は白いものが消えていった方角へと走る。こちらを揶揄っているのか、逆に気にしていないのか、速く動いたり、かと思えば立ち止まったり。そんな状態だから静がそれに追いつくのは容易だった。
(たった切るのは簡単だけど……。こいつ、小暮が声を掛けたっていう女の霊か? もしかして)
 静は相手の動きに合わせて後をつける。人と違ってそういうものに敏感だろうから、恐らく後ろに静が居ることには気が付いているだろう。それでも何もしてこないのはやはり興味が無いからか。
(……小暮のところに案内してくれればいいけど)
 静は何時でも刀を抜けるように構えながらその幽霊についていった。




 心許ない蝋燭の光で洞窟の中を歩く。小暮が倒れていた場所よりは整備された様子の道はもしかすると元々何かに使用されているのかもしれない。
(灯りが置いてあったくらいだし、人が居るのかな、っていう気もするけど……)
 だがここに至るまで誰にも会わなかったどころか最初の場所以外人の気配を感じられるものは何もなかった。まるで忽然と姿を消したかのように。
「あ」
 漸く外の光らしきものが見えた。近づくとやはり洞窟の入り口だったようで小暮は外へと出られたようだ。
「よかった……」
 兎にも角にもよくわからない洞窟の中で死ぬことだけは免れたようだ。
「でもここからどうすればいいんだよ……」
 外へ出たところでそこはどこかの山の中だった。どうにか周りの様子は伺えるが薄暗いここはどうにも気味が悪い。
「とりあえず、動く……?」
 どこからか声も聞こえてきそうだし、と小暮は洞窟から抜けて歩き始める。とりあえず下に向かえば大丈夫じゃないだろうか。そんな安易な考えは命取りなのだけれども。
 心許ない灯りで足元を照らしながら道になっていそうなところを見つけ出し、それを辿る。やはり洞窟が使われていただけあって、道もかつてはあったのだろう。今もなお使われているのかは分からないが。
「うぅ……、幽霊とか以前にクマが怖い……」
 ガサっと自分以外に誰かいるような音が鳴る度小暮は周りを見渡す。風なのか、自分なのか、それとも獣なのか。幽霊だったとしても嫌だが、それ以上に獣が現れた時の方が怖いとは思ってしまう。それだけ今の人間にとって身近な危険だからだろうか。
「あんな目に遭ってるのにな……」
 小暮は呟きながら道を辿っていく。ところどころ大きく生えた草木や倒木を避けながら歩いていると、少しだけ開けた場所へと出た。
「うわ……、神社……」
 これは恰好の心霊スポットでは……、と小暮は顔を引き攣らせる。古びた神社らしきものは、もう誰も参拝には来ないのだろう、かなり朽ち果てていて、どうにかこうにかお社らしきものだけが残っていて、何かを祀っていたのだろうことだけが伺える。
 キィキィ音が鳴っているような、気のせいのような、そんな恐怖を覚えながら小暮は周りを見てまわる。何か手がかりか役に立つものがあるかもしれない。
「これは?」
 さっと小暮はその落ちていたものに灯りを当てる。それには何かが書きつけられている。そっと取り上げて読む。
「女神……祀り……、我ら捧げん?」
 どうやらこの神社で祀られていた神様についてのことが書かれているらしい。女神が祀られていたようだが、一体何を捧げていたのか。
「もしかして、さっき洞窟で見た“贄”ってこれのこと……?」
 人柱。その単語が脳裏を過る。ここに住んでいた住民たちはもしかして人を捧げていたのではないか? この社で祀っている神に。
「え、じゃあ、もしかして……、俺が連れてこられたのって……」
 偶然でも何でもなく。あの日から付け狙われているのは。
(俺が次の“贄”候補だから……!?)
 さーっと血の気が引いていく。一刻も早くこの山から下りて逃げなくては。

 カタン。

 小暮が後ずさりしたその後ろで音が鳴る。それは明らかに作為的な音だ。そう、何かが開いたような、そういう音。
 ドッドッドッドッと心臓が激しく鼓動する。後ろを見るのがとても怖い。こちらに向かって何かが来る気配がする。
(振り向いたらダメだ……、ダメ……!)
 すぐにその場から逃げたいのに身体が金縛りにでもあったかのように動かない。ゾゾゾっと背筋を冷たい空気が撫でる。

――ねえ、気付いてるでしょう?

 それははっきりとした声だった。大学のトイレで聞いたような、そんな声。
「うわあああああああああっ!!」
 小暮は大声を上げて一目散に走り出した。どこに向かえばいいかわからない。だけれどもとにかく走って走って、逃げなくては。
 怖くて仕方がない。目的地も分からないまま、何となく坂になっている方を探しては下っていく。
「誰か、しず、しずか……っ!」
 頼む、早く見つけてくれ。そう願い、泣きそうになりながら走る。勢いよく段差を飛び越えて、木の根に引っ掛かった小暮は盛大につんのめってこけた。
 ガサっ。
 小暮の後ろで音がする。
「嫌だ、やめろ、来るな……!「小暮!?」
 目を瞑り抵抗する小暮に驚いたような声がかかる。その声に小暮は小さく「静?」と尋ねた。
「! 小暮! よかった、無事だった、大丈夫!?」
 ガサガサと音を立てて静が顔を覗かせた。小暮を見て走り寄って来る。「ああ、もう邪魔!」と言いながら彼女は手に持った刀で木々をパシンと薙ぎ払った。
「何があったの!? これ、怪我?」
 彼女は肩で息をしている小暮の手を取り、腕を触る。恐らく逃げてくる際に枝か何かで切ったのだろう。
「血は……そんなに出てないけど……、一応ハンカチで結んどくね」
 静はハンカチをピッと張ると長く切ってしまった傷口に当てて、キュッと結んだ。
「で、落ちついた?」
「……ちょっとだけ……」
 今もなお小暮の心臓はバクバクと音を立てている。静と合流できたことは喜ばしいがやはり恐怖は去ってはくれない。
「……、一人にしてごめん」
 ぽんと静の手が小暮の頭に乗る。「とりあえず、場所を変えよう。ここだとゆっくりできないし」そう言って笑うと、彼女は立ち上がった。そんな彼女がとても頼もしくて、漸く小暮も落ち着きを取り戻す。
「うん」
 小暮は頷くと彼女と一緒に彼女が来た道へと戻った。

 二人が辿り着いたのは静が見て回ったと言った集落跡だった。
「見たって言っても一軒だけだけど。建屋がある程度残ってるから何もない森の中よりは落ち着くでしょ?」
 まあ、今にも朽ち果てそうでそれは怖いんだけど、と彼女はまだ丈夫そうな家へと勝手に入る。
「良かった、ここはまだ平気そう」
 その灯り、貸してくれる? と言われ、小暮はいつの間にか火が消えていた灯りを渡す。
「そう言えば静は灯りを持ってなかったけど……、大丈夫だったの?」
「ん? あー、まあ……。こういう仕事してるとさ、ある程度は視えるというか、わかるようになっちゃうと言うか。あった方が助かるからあるに越したことはないんだけど」
 彼女は部屋の中から見つけてきたのであろう古びたマッチで器用に蝋燭に火を灯す。
「点いた! よかった。やっぱり、灯りはある方が良いね、現に小暮を探すのに時間がかかっちゃったし」
 よくこれ見つけたね、と言われ、小暮は彼女に合流をするまでの話をした。

「俺、生贄にされるのかな……」
「するつもり、だったんでしょうね」
 小暮の呟きに容赦なく静は応える。その唇は不服そうに尖っていた。
 二人の情報を交換して得られたのは、小暮が生贄として選ばれたのであろうことだけ。理由や経緯は全く分からない。
「静が見つけたのは日記だけ?」
「ええ。旅人に恋したのであろう人間が書いたって思われる日記よ。綺麗な装丁で……」
「綺麗な装丁? 本だったってこと?」
 小暮の言葉に静が頷く。本くらいの厚さだった、と。
「それはなんか変じゃない? だって俺が見たのはなんか、こう、古い感じの、書道とかで使う……」
「半紙?」
「そう! そういうやつ!」
 静の言葉に小暮は頷く。小暮が見たものはもっと古めかしい書物で、あれは筆で書かれたような文字だった。
「あれ、変だな……」
 小暮は再度呟く。灯りを手にした時は必死で、灯りが古いことにしか意識がなかったが、よく考えると変なのだ。灯りだけならば、物持ちが良いんだな、と割り切れるが、灯りの置いてあった場所は何もかもが古かったのだ。
 机の感じも、その上にあった書物も、道具も何もかもが現代の物とはかけ離れている。一方で静が見たという日記も今いるこの家屋も古くはあれどまだ現代に近い。
「……。私も少し気になってたの」
 静は小暮を追って来た道中で見たものについて説明した。
「ここ、時間軸が変なのよ。私の勘では、定期的に時空の繋がりが発生したんじゃないか、って思ってるんだけどね」
 彼女はそう言うと考え込むように黙った。時間軸が変。それは確かに納得のいくような気もする、と小暮は思う。
 情報収集しましょ、と静かに提案されて小暮は頷いた。帰り道も分からない今、とにかく情報を集めるしかない。それに、ここにずっといても生贄として狙われている以上、安全ではないのだ。
「この家には特に何もなさそうだけど……。他の家をまだ見てなくて。少し離れたところにいくつか家があるのを見かけたからそっちへ行ってみよう」
 静かに連れられて小暮は彼女が見たというもう一つの集落の方へと向かった。

 ギシ、ギシ、と床が音を立てる。かろうじて床が抜けていないのが奇跡だろう。小暮は静の後ろに続いて歩く。埃が被った家屋の中は特に目新しいものは無く、家主が居なくなってから長い年月が経っているのがよくわかる。
「あれ、あっちの部屋、ちょっと綺麗になってない?」
 小暮は通り過ぎた廊下の向こうを指差す。なんとなくだが他の部屋よりも整っている感じがするのだ。
 二人でその部屋へと向かうと、まるで祭壇の様なものが真ん中に置かれていた。祭壇と言っても豪華なものではなく、ただ真ん中に何かがあって、お供えの様なものがあるに過ぎない。
「これって、俺が見た神社と関係が……」
 恐らくあの神社はこの廃村で大事にされていたもの。であれば、ここは神主かもしくは信心深い人間の家なのだろう。
「あるかも」
 静がスッと一冊の手帳を振ってみせた。
「この家、村長の家だったみたい」
 そう言って彼女は祭壇前のテーブルに手帳を置いた。そして、ぱらっとページを捲ると一か所を指差す。
「“代々村を治める家系として努めて参ったが、ここ最近の飢饉、如何としようぞ”?」
 小暮が読み上げると静は頷く。その次のページにはまた日付が変わって村長の日記が続いていた。

“黄泉の女神の怒りか悲しみか。村は栄えず、衰えて。終ぞ私の代で終わってしまうのか。”
“今日は旅人が参った。久方ぶりの旅人に村が浮足立つ。宴をせねばなるまい。”
“いよいよ村も飢饉故。致し方あるまい。これからの繁栄を願って儀式を始めよう。”

 掻い摘むとそのようなことが記載されていた。要するに、飢饉に襲われたこの村は、それを村が信仰している黄泉の女神の怒り、もしくは悲しみだと捉えたようで、それを治めるために生贄を捧げることにした、ということだった。
「……村が滅んでも諦めきれないのか、それとも、その黄泉の女神とやらが生贄を探し回っているのか、どっちなんでしょうね」
 少し怒りを滲ませた様子で静は口にした。
「どちらにせよ、質が悪いことには変わりないようね。仮にここで望み通り生贄を捧げたところで何回も同じことを繰り返すわ」
 それは静が言っていた『霊に意思はない』ことを指しているのだろう。たった一つの感情しかなく、どうすることも出来なくなってしまった存在。
「可哀想だなんて思ってないよね?」
「えっ」
 静は真剣な表情だった。
「可哀想だなんて感情、アイツらにとっては何の意味もなさない。ただ付け入る隙を与えるだけ。同情も必要ないわ、例えそこにいかなる理由があったとしても」
 もう人じゃないんだから、と静は続けた。だが小暮の表情を見るにどうにも割り切れていないようで、静は小さく溜息をついた。ここまで散々怖い目にあって来たというのに、その優しさの皮を被った愚かさはどこから出てくるのだろうか。
(……。本当に女神の仕業なのか……。かといって村長が、とも思えない)
 小暮は理解しているかわからないが、確実に複数の妖が関係している。度々遭遇している女の幽霊と、小暮を引き込もうとするその他諸々のものだ。
(とにかくここから出る方法を考えないと……)
 うーん、と静が唸っていると、小暮がフラッと奥へ進む。「あ、ちょっと」と静が声を掛けるが彼は何かを見つめたままそちらへと進む。
「っ、何?」
 足を引っ張られ、静が足元に視線を向けると黒い手が足首を掴んでいた。
「このっ……!」
 ガシンと鞘の先でその黒い手を突き、その拘束から抜け出す。しかし静が小暮の方へと顔を上げた時には彼の姿はなく、少し離れたところの裏戸がキィキィと音を立てながら開いていた。
「嘘でしょ……、連れてかれたの?」
 驚きのあまり静は愕然とする。今さっきまでそこに居たのに。何故。
「だめ、こうしてはいられない、すぐ探さないと」
 落ち着け、と自分に言い聞かせながら裏戸に近づいた時、何かを蹴り飛ばした。
「なに、これ」
 蹴り飛ばした物を拾い上げる。それは他の場所でも見つけたものにも似ていた。
「これ、例の日記?」
 パラパラと捲って内容を見るが、それはあの書き手とは異なる人物が書いているようで、筆跡が異なる。
「これは……、もしかして旅人の日記?」
 少し大雑把な筆跡のそれは、要点だけをまとめられたもので、時折何を好感しただとかどういう話を聞いただとかそう言ったメモに近いものも多い。旅人は行商人に近いものをしていたのかもしれない。
「この日記を小暮は読んで、連れて行かれた?」
 もし日記を単に見つけただけなら小暮は静に伝えたはずだ。だが、彼は静の言葉には何も返事をせずそのままどこかへ行ってしまった。
「これを読んで乗り移られたか、または何かに引き寄せられたか」
 気になる箇所が無いか忙しなくページを読み進める。
(特に変わった箇所は……ない、けど、なんだろう、この違和感……。旅人の日記のはずなのにこの村でのことしか書いていない……)
 一般的には様々な場所へ移動する旅人であれば、ここ以外のことも日記に残すだろう。それとも日記一冊が埋まるほどにこの村で過ごしていたのか? 
「いや、違う、日付が飛び飛びだ……。じゃあ、これはこの村で過ごした時にだけ書かれたもの? 一体何のために?」
 静はパタンと日記を閉じた。散乱する物品の時代のずれ。小暮が見たという洞窟の古さ。それから三人の日記。
「もしかして、旅人も時空が繋がった時に、この村とは違う時間軸から来たってこと?」
 そして旅人は恐らくだがそれが一回ではない。幾度となくこの村を訪れている。本人も時空のずれには気が付いていたのだろう。だからこの村でのことだけを日記に記した。
 田舎にあった“あの”山と“この”山が何故起点になったかは分からない。元々起点であれば、そういう噂があるだろうから、恐らく今回偶然発生したに違いない。そして、何らかの要因で山を経由して時空が繋がった結果、小暮は奴らに見出された。
「……、旅人が最後生贄になったのかどうかはわからないけど、小暮が生贄候補であることに変わりはないわね」
 何故そうなったのかは分からない。だが、来た方法が分かったのなら、帰る方法だって見つけ出せる。きっと旅人は何度も元の場所へ帰っているはずなのだから。
「……人探しは苦手なんだけど。片っ端から聞いて行けばいいかしらね?」
 裏戸の向こう側から覗き見る黒い影に視線を送りながら静は刀を抜いた。




 パチリ。スイッチが切りかわった様なそんな錯覚を覚える。
「ここ、どこだ……?」
 それもそのはず、小暮はつい先程の記憶がない。講義中の一瞬眠りに落ちた感覚に近いそれは、とんでもない置き土産を残してくれたらしい。
「え、また洞窟?」
 暗く、上から零れる僅かな光で漸く周りが伺えるレベルのその場所は、何となく最初に訪れた洞窟に似ていた。
(静は!? いないのか!? もしかして……はぐれた……?)
 さっきまで一緒だったはずなのに、と思い返そうとして頭が痛む。日記が降ってきて、中身を見て、それで……。
(日記を読んでからの記憶がない……)
 日記はある男のものだった。この村にいつの間にか入り込んでいて、ほとほと困っていたところ村の住民に助けられたらしい。
(なんで日付が飛び飛びなのかが気になるけど……)
 日記には村での様子や交わした内容が記載されていた。それ以外には特段変わったことはなかったが、日記は途中で終わっており、その後彼がどうなったのか、この村がどうなったのかは分からない。
(日記の人は生贄のことを知ってたのかな?)
 ぴちょん。音が鳴って小暮は振り返る。
「うわっ」
 慌てて後ろへと後退る。そこには大きな池のような、水溜りがあった。気づかずに動き回っていたのなら中に入ってしまっていただろう。
「洞窟の水滴が溜まってできたやつかな……?」
 対岸は見えそうで見えない。昼間かもしくは強い光源があれば見えるのかもしれないが。
「とりあえず、また出口を探さないと」
 ここに居続けるのはよろしくない気がする。小暮は僅かに見える視界を頼りに足を踏み出した。

――綾之助さん

 後ろ、池の方から声が聞こえた。それは先程の神社の跡地で聞いた声と似ている。

――綾之助さん

 綾之助って誰だ? 少なくとも自分のことではない。なのに、その声は自分を呼ぶようにその知らない名を呟き続けている。

――こちらへ。一緒になりましょう……

 ボウッと光が灯る。急に明るくなって小暮は思わず手で顔を覆う。

――こちらへ、こちらへ
――生贄、生贄
――我らの供物

 いくつもの声が小暮の周りに群がって来る。
「嫌だ、やめろ!! 離せっ……!!」
 黒い影が小暮の腕や腰を掴む。どんなに振りほどいても次から次へと手が現れる。
 バシャっ、音と共に靴の中に水が入って来る。
「うっ、わ……っ!!」
 ぐらりと後ろへ体が傾き、黒い手が、腕が、小暮の体を包み込んだ。
「ゲホッ……」
 ゴポポポ……、暗い水の中へと体が沈んでいく。一体これほどの深さがあったのか、と呑気にそんなことを思ってしまう。

――ああ、これで、我らは解き放たれる
――黄泉女神様、どうか、どうか
――我らが罪をお許し給へ

(黄泉、めが、み……、それがあの神社の……)
 小暮の意識がゆっくりと沈んでいった。


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登場人物紹介

神楽坂 紅(かぐらざか こう)




性別無し、声は低め? 見た目は女性に近いが、骨格は男性に近い。



占い師。様々な事に精通しているが、特に未来を見ることが得意で、夢だったり、占いだったりその方法は様々。



その結果として、人ならざるモノも視えたりする。



 



占いを生業としてその筋では知らない人はいない程に有名。

椿(つばき)




悪魔のようなもの。



ある事件をきっかけに紅と出会った。そこから紅をいたく気に入り、共に過ごすようになる、人ならざるモノ。



その姿は少女の様で、黒くツインテールにした髪が特徴的。しかしその年齢は誰よりも長く生きた存在。

宝上 凪(ほうじょう なぎ)




子どもの頃から“死”に関するものが視える青年。



名のあるヤクザの大事な孫で、ずっと屋敷の中で過ごしていた。



他人の死の未来が見えることが分かってから、家に利用されてきた。



それが普通で、“死”というものがどういうものかわかっていなかった。ただ“視えた”ことを伝えたら、皆が喜んでくれた。それが自分の価値であり、存在意義で、それで皆が幸せなら、それでよかった。あの日が来るまでは。



 



結之介は大切な、大切な、家族であり、友達であり、たった一人の、存在。

永戸 結之介(ながと ゆいのすけ)




凪の用心棒。



凪に拾われ、助けられ、それからずっと傍にいる。



頑丈過ぎて、力が強すぎるという特殊な力を持つ。元々霊感はないが、あまりにも凪と行動を共にしすぎた結果、人ならざるモノの気配を感じれるように。



 



だが、その正体は死神と人の間に生まれた存在。死神としての役目を果たせない死神。成り損ない、役に立たないモノ、仲間外れにされてしまったモノ。



自分にはない“死を視る力”を持つ凪に興味があって、彼の元へと訪れた。その際に凪の友人たちに叩きのめされてしまうが、凪によって傍に居ることを許され、徐々に絆されてしまった。



 



凪は、結之介にとっての光で、守るべき存在。そして、それは彼らとの約束を果たすことでもある。

轟 静(とどろき しずか)




強い霊感を持つ大学生。



霊が嫌い。生きている人間を救うために、この仕事をしている。(かといって人間が好きと言うわけでもない。)



昔から霊に良い思い出がなく、それも相まって霊に対する恨みがすごい。



死んでから文句を言うな、と思っている。また、死んだ人間が今を必死に生きている人間を巻き込むな、とも。



寄り添う気持ちが無いわけではないが、それはそれ、これはこれ、だからと言ってその所業が許されるわけではない、というのか彼女の根本の考え。

原野 まりえ(はらの まりえ)




花の女子高校生。



常に一緒に過ごしている弟をとても大切にしている。



おっとりとした彼女は誰にでも優しいが、それ故にまことにいつも心配されている。



彼女自身には何も能力はなく、本当にただの少女。



ただ、何かしらの加護があるのか、彼女はいつも守られている。

原野 まこと(はらの まこと)




まりえの弟。おませな子ども。頭がよく、しっかりしていて自分がまりえの面倒を見ていると思っている節もあるが、甘え上手な一面も。



 



まりえは僕のモノ。誰にも渡さない、僕のモノ。あの日の約束は二人のモノ。

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