小噺1
文字数 5,733文字
「……。なあ」
じっと盤を見ていた凪が顔をあげる。目の前に居る氏は口元にいつもの笑みを浮かべた状態で盤に視線を落としている。
「なあって」
もう一度凪が声を掛けると、氏は漸く顔をあげた。
「なんだ。もう降参か?」
「降参も何も。お前には視えてるんだから、俺が勝てるわけないだろ」
ムッと凪が言い返すと、氏はくすくすと笑っている。
「ほらやっぱり。紅のずるじゃん」
「いやいや、わからないぞ? 確かに私は視た。お前が負けるのを、な? だけど、人は時として運命を軽々と変えてしまう。お前も私の視た未来をひっくり返すかもしれないよ」
紅はその細い指で駒を一つ動かす。
「が、叶わなかったな。チェックメイト」
「だー! だから、この勝負に何の意味があんだよお」
凪は泣きごとを漏らしながら散らばった駒たちを片付ける。紅はケタケタと笑うばかりだ。
「いつか役に立つかもしれぬぞ? ほら、もう一戦」
「……それは紅が視た未来での話?」
凪の言葉に氏は応えない。ただ静かに笑うのみ。氏の能力は数知れず。未来をも視通すが、だからといって完璧ではない、と氏は言う。
「何がどこでどう役立つなんて、誰にもわからないものさ。身に覚えがあるだろう?」
一つ。また一つと駒が丁寧に並べられていく。
「せっかくだ、何か小噺でもしよう」
「小噺?」
「そう。少しは楽しくなるだろう?」
ほら、機嫌をお直し、と揶揄われて凪は複雑な気持ちになる。しかし、その小噺が気になるのは事実で。致し方なし、と氏の提案に乗った。
「それは、ある男と女の話さ」
コツンと駒が動いた。
「あら。同業者の方がいらっしゃるなんて。これはとても困ったわ」
女はその手にしたものに新しく弾を詰めながら笑った。目の前にはにこやかに笑う男が一人。
「そうですか? 貴女であれば、これくらい予想されていたでしょうに」
男の手にも同じく拳銃が握られている。その無駄のない様は、いつでもすぐに女を撃ち殺すことが出来るだろう。
しかしそれは女にも言えることであった。
「そうねぇ。今回のターゲットは有名人だったから。……誰かさんと被ることもあるかな、とは思ったわ」
まさかあなただなんてね、と女は美しく微笑む。
「……意外でした? 貴女に一目惚れしてしまったので。僕」
追っかけてきました。そう言って笑う男はきっと多くの人を魅了してきたのだろう。
「あら」
女は嬉しそうに微笑む。「私のこと、愛してるの?」と。
「ええ。愛してますよ」
「そう。それは、嬉しいわね。じゃあ、」
「死んでくれるかしら? 私のために」
かちりと音が鳴った瞬間、男が居た場所には弾丸が何発も撃ち込まれる。
「あっぶないですね!」
男は驚いたように瞬時に横へと避ける。しかし、女の弾丸はそれを追うようにひっきりなしに彼へと襲い掛かっていく。
「何故です? 僕は貴女を愛しているのに」
男は楽しげな様子で女に問いかける。しかし、その目はしっかりと女の心臓を狙っていた。
「っ!」
咄嗟に女は物陰へと逃げ込む。女の横を弾丸が通り過ぎ、壁へと激突する。
「それはこっちのセリフね。どうして死んでくれないのかしら? 私を愛しているのなら」
「愛した者を殺さずにはいられない男と、愛を囁いてきた者を殺したい女の話、ってわけさ」
紅の駒が動く。凪は先程よりも幾ばくか楽しく感じる。話を聞きながら片手間に勝負をしているからだろうか。
「とてつもなくバッドエンドな話では?」
凪もまた一つ駒を動かした。
「で、その二人はどうなったわけ? 互いに殺し合いを始めたんだろ?」
「引き分けさ」
「へ?」
「困ったわ。また今度にしましょうか」
女はパンっと一発赤い缶へと打ち込む。オイルが入っていたソレにすぐさま引火し、ブオンと鈍い音を立てると爆発した。一斉にあたりへと火が回り始める。
「……残念ですが。そのようですね」
遠くからサイレンの音が聞こえ始める。この状況を見られてはまずいと言うのは男も女も同じ。
互いに深い追いすることなくその場を立ち去った。
こつんとゆっくりと駒が置かれる。うーんと凪は悩む。次の一手。どうすればいいのか。
「こう、かなあ?」
不安と共に駒を置く。負ける気しかしないが、だからと言って早々に負けたいわけでもない。紅がどのような未来を占ったのかは知らないが、できる限りのことをしたいのだ。たかがチェスではあるけれど。
「……で、その後、その二人はどうなったの?」
紅が次の一手を考えながら口を開く。
「凪、この二人が死ぬときはどういう時だと思う?」
「どういう時?」
凪は首を捻った。話を聞く限り、二人とも凄腕の仕事人だ。故に、仮に相手を葬ることが出来ても己自身も無傷ではいられないはず。
(わざわざ自分の身に危険を犯してまで相手に執着するか?)
であれば。関係のないところで死ぬのではないだろうか。
「なるほど。凪はそう考えたんだな。まあ、至極当然というか、殺しに重きを置けばそうだろうな」
「重きを置けば? まるで殺すことが目的じゃないみたいな言い方だな……、え、そうなの?」
凪の言葉ににこりと紅が笑う。そして、いつの間にか駒が動かされていた。
「でも、殺し合ってたんだよな?」
「そういう性分なのさ。愛しているから殺す。愛されたから殺す。ただそれだけ」
「……、それって幸せなの?」
凪は共感が出来ない。言っている意味は分かる気がしなくもないのだが。愛し愛されは生きているからこそ、良いものなのではないのか?
「さあな。ただ、彼らは愛を知らないのさ」
ほれほれ、手が止まっているぞ? と紅が凪をせっつく。凪は苦悶の表情を浮かべながら次の一手を考える。
「愛を知らず。殺すことでしか愛せず。殺すことでしか愛を返せず」
紅が呟く。それは話すでも語るでもなく、ただ呟いただけのものだった。
「……まさかとは思うけど紅の話じゃないよな?」
嘘か本当かわからない事ばかり話す氏だ。氏の過去も詳しく知らないからこそ、実体験を話しているのではないかと疑ってしまう。
「ははははっ、さて、どうかな?」
凪が駒を動かした瞬間、紅はすぐに駒を手に取った。手を読まれていたらしい。
「で。答えは? 二人はどうなったんだよ」
凪が促せば氏は駒を置きながら応じた。
「男は、死んだんだ」
「え? 女に殺されたの?」
紅は肯定も否定もしない。
「詳しくは知らない。だが、女が男のところに辿り着いた時に男は死んだ」
その言い方は女が殺したとも、他の者が殺した後に女が辿り着いたともとれる。
「それは何故なのか。一体何が――「あったんでしょうね?」
凪はバッと後ろへ飛び退く。知らない女性がにこっと笑いかけた。
「誰も出てこないから。入って来ちゃったわ」
ごめんなさいね? と可憐に笑う女性は緩やかにカールした横髪を耳にかけた。海外の女優の様な出で立ちの女性は紅へと顔を向ける。
「依頼があった仕事。貰いに来たの」
「……そう。入ってくるのはいいけど、気配を消すのは止めて」
片方の眉を上げながら紅が苦言を呈す。しかし、彼女はクスクスと笑うだけで意に介してない様だ。
「ごめんなさいって。つい、ついね? 職業柄、癖がついちゃってるのよ」
彼女はそう言うと小さなバックから煙草を取り出す。「吸ってもいいかしら?」と尋ねる彼女に紅は無言で窓際を指差した。
「はいはい。肩身が狭いわ~」
そう言いながら彼女は窓を開けると、庭に視線を飛ばしながら煙草に火をつけた。
「で、何の話をしていたの?」
彼女は紅へと視線を向ける。可愛らしい瞳は有無を言わさない様子だ。
「何の話だろうね?」
「男と女の話ね」
「暇だったからつい、彼に話してしまったよ」
さっきの意趣返しなのだろうか。紅の微笑みに彼女はクスクスと笑う。
「そう。つまみにでもなったなら、良いわ。で、続き、気になる?」
ふーっと煙を吐きながら彼女は凪へと視線を移した。彼女もさっきの話を知っているようだ。
凪が素直に頷くと彼女は「そうねぇ」と少し考えるそぶりを見せる。
「ナルキッソス、って知ってる?」
唐突に彼女はそう尋ねてきた。
「ギリシャ神話の?」
「そう。あれと同じ。あれと同じ感じで死んだのよ、男は」
凪の頭に疑問符が浮かぶ。ちらりと紅を見たが、氏は彼女にバトンを渡してしまったようで、そのまま彼女の話を聞く様子だった。
「愛を知らない男は、ある日愛を知ったの。過去の自分と見つめ合ってね」
「……過去の自分?」
彼女は吸い殻ケースを取り出すと、そこに灰を落とす。
「男は、相思相愛っていうものに憧れてたのね、きっと。そして、最後。自分を愛し、自分が愛せるのは、自分だけ、と気づいてしまったのよ」
少し短くなった煙草を彼女は咥える。小さく吐き出された煙は、窓の外へ風と共に流れていく。
「……その瞬間を狙って、女は男を殺したの」
彼女は遠くを見つめている。その顔に、何か、映った様な気がして凪は眉を顰める。
「でも、残ったのは骨だけ。ああ、正確に言うと、骨と男の着ていた服ね」
「骨だけ……?」
「男は死んでたのよ。最初から」
「へ?」
凪は思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。それはつまり。
「幽霊を殺せるわけなかった、ってこと!」
バカみたいな話よね! と彼女はケタケタと笑う。
「自分を愛しているのだと思っていた男が実は死んでた、だなんて。……女はどうすればよかったのかしらね」
これでお終いよ、と彼女は吸い殻ケースに煙草を捨てた。そして「面白かった?」と凪に顔を向けたその瞬間。
「っ、ぁ……」
凪はびしりと動きを止めた。彼女に死の相が出ている。彼女は、もうじき死ぬ。それはきっと、先程からちらつくその男が関係しているのだろう。
「どうかしたかしら?」
彼女は不思議そうにしている。恐らく紅は男には気が付いているのだろう。だけど彼女の死については知っているのだろうか?
ちらりと紅へ視線を向けると、氏は険しい表情をしていた。
(ああ、これは……。あの男は良くないモノなんだな)
氏の表情で凪は全てを悟る。
「ああ、そういうこと」
彼女が自嘲気味に言葉を溢す。
「私、死ぬのね?」
「えっ!?」
凪の大きな反応は彼女の質問に肯定してるようなものだった。
「やっぱり。そんな気はしてたから。ああ、でも、わかるってことは、あなたが死の相が視える子、だったのね」
界隈ではとっても有名よね、と彼女が笑う。
「なんで、そんな……」
笑っていられるのか、という言葉を凪は飲み込む。
「私、美しく死ねるかしら? 同じ死ぬなら、やっぱり最後まで美人でいたいのよね」
彼女は己の死を受け入れていた。
「正直、私、今この瞬間に……」
恐らくきっと彼女は“このまま死んでもいい”と言おうとしたのだろう。だが、それは紅の大きな声で遮られる。
「おい!! ここで安易にそんなことを言わないでくれるか? お前の気持ちも分からないではない。だが、ここに何かを残すことは許さないぞ」
ちらりと紅が彼女の横を見る。その黒い影としている男がススッと手を引っ込めた。今まさに彼女を死に至らしめようとしていたらしい。
「ふふっ。そんなに怒らないで。これでも私も分かっているつもりなの。だから、大丈夫よ。……彼もちゃんとわかってるわ」
彼女は「さて」と立ち上がる。
「じゃあ、仕事を頂いてお暇するわ」
白い封筒が紅から彼女へ渡される。
「一応、言っておくが。殺しの依頼じゃないからな?」
うちは殺しはやらん、と紅が言う。彼女は封筒の中身を確認すると静かに頷いた。
「ええ、知ってるわ。だって、あなたまでこっちに来たら大変ですもの。そのまま、どちらにもならないで中立でいてね?」
「…………」
「で、これ、日にちなんだけど。少し予定を早めてもいいかしら?」
「かまわないが……。その日が成功率は高いぞ?」
「平気よ。今の私なら、ね」
彼女は封筒をバッグにしまうと、「じゃ、さようなら」と言い残してさっさと部屋を出て行ってしまった。
凪は慌てて見送りに向かったが、とてつもなく足が速いのか、玄関に辿り着いた時には彼女はもう玄関の外に居た。
「あ、あの……」
「ああ、気にしないでね? 心優しい子。さようなら」
それだけ言い残して彼女は去って行った。
「紅、手紙が届いてるぞ」
凪は白い封筒を紅に手渡す。紅は封筒を確認すると、鋏でその封を切った。中からは何枚もの写真が出てくる。
「これ、何?」
「写真だ。……この間依頼したやつだ」
ああ、と凪は合点がいく。あの女性に依頼していたのは写真だったのか。
「彼女なら難なく忍び込めると思ってな。色々とセキュリティが張り巡らされてるもんだから、まあ、その手のプロにお願いしたというわけだ」
「……それは、占いに使うわけ?」
「いいや」
紅が首を横に振る。
「これは、いずれ来る依頼のために用意しておいたものだ」
そう言うと紅は写真を引き出しへと閉まった。
「おーい」
廊下から声が掛けられる。凪が振り向くとそこには大きくカールを描いたツインテールの少女が立っている。
「テレビ見ないのなら消すぞ~?」
「あ、ごめん、椿。今消す」
凪は慌てて廊下へと出る。先程まで凪が居た部屋から微かにテレビの音が聞こえる。
「ふふふっ、我は何と優しいことか! ほれ、今日のおやつは大福じゃて」
椿がルンルンと手にしていた袋を凪に見せる。
「テレビを消したらキッチンへ集合じゃ。良いな? 他にも声を掛けてこんとの」
ふわっと一陣の風と共に椿が去って行った。
『―――昨夜は満月がとても綺麗で……、はい、わかりました。……新しく入ったニュースです。昨日、○○の路上で、女性が一人倒れているのが発見されました。すぐに病院へと運ばれましたが、既に意識はなくそのまま息を引き取ったとのことです。警察によりますと、女性には目立った外傷はなく、争った形跡もないことから、事故死の方向で調査を進めているとのことです。しかし、眠るように亡くなっていることから、薬物が使用された可能性も否めず――――』
『僕の死を捧げるから、どうか、貴女の死を僕に捧げてください。初めて愛した貴女よ』