第5話
文字数 2,319文字
就活が終わっても、僕は彼女に連絡をしなかった。今思えば、僕と彼女の関係が終わった、その決定打となったのは、僕のこの行動だったのだろう。どうしてすぐ彼女に連絡を入れられなかったのだろうか。後ろめたさ。後ろ髪を引くような思いが、そこにあったからなのだろう。例えばその時、僕が違う行動をとっていれば、彼女にすぐ連絡を入れていれば、どうなっていたのだろうか。
人間、どうしてもifの世界を美化してしまうものだ。もしかしたら違う世界線で、僕はまだ彼女と付き合っていられたかもしれない。けれどきっと、結末は同じだろう。結局は延命治療に過ぎない。遅かれ早かれ、僕らはこうなっていたのだろう。そしてその時も、僕が原因なのではないだろうか。
とはいえ、僕はこうなったことに対して、反省しているところは多々あれど、後悔はしていない。まだ彼女と付き合っていたいという未練もない。
けれどやはり、僕は後ろ髪引かれるような思いを拭えずにいた。
16時30分。支度を済ませて家を出た。
朝からふっていた雪はその勢いを強めていた。雪化粧。夜の帳が降りはじめ、夜に輝いているのは果たして街灯なのか雪なのか。
新宿。交番の前で彼女を待つ。コートのポッケに手を突っ込み寒さに耐える。
よりによってこんな日に……。
待ち合わせは17時。彼女はその十分前に現れた。時間に五月蠅い、几帳面な彼女らしい。
流水のような黒髪と三白眼。この雪のように白い肌。彼女はいつもの彼女だった。
「久しぶり」
「そうね」
「行こうか」
「……」
スタッカートのような会話をして、僕らは目的地に歩みを進めた。
彼女と最後に会う場所として僕が選んだのは、なんてことはない喫茶店だった。例えば彼女と初めてデートに行った場所というわけでもなければ、何かしらの思い出があるわけでもない。とはい安いファミレスで済ませてしまおうとは思えず、少し考えた末に出した結論が喫茶店だった。
店内に入ると、彼女はコートを脱ぎ、被っていた帽子を脱いだ。前髪が額に張り付き、少し乱れている。
「何してたの?」
「バイトよ」
「ああ、まだ続けてたんだ」
彼女は飲食店でバイトをしていた。てっきりもうやめているものだと思っていた。意外と金がないのだろうか。因みに僕はまだちゃんとバイトをしている。何故なら金がないからだ。
「あたなは?」
「俺?俺はなんもしてなかったよ」
「そう。あなたらしいわね」
「褒めてる?」
「……」
僕の怪訝そうな視線をすました顔で無視しながら、彼女はメニューに視線を配った。
「……」
僕もそれに倣ってメニューを眺める。それに伴い、沈黙が流れた。
気まずさ。それは僕が勝手に感じているものなのだろうか。彼女は今この現状を、どう思っているのだろうか。言語化できないモヤモヤとした思考がグルグルと入り乱れる。目の前のメニューに書いてある文字が全く頭に入ってこない。
「決まった?」
そんな彼女の一言で僕の意識が現実に引き戻された。
「……ちょっと待って」
「……」
何食べようかな。サンドウィッチにパスタ、デザートもある。色々あって悩んでしまう。というかそもそも僕は今何が食べたいのだろうか。そう思うと別に食べたいものがあるわけではない。食欲はあるし、全部美味しそうに見えるが全部食べたくない。
悩んだ挙句、彼女はサンドウィッチのセット。僕はナポリタンのセットを頼んだ。
食事よりも先にコーヒーが先に送られてきた。特に好きでもないコーヒーをブラックで啜りながら、僕はこの棘のある沈黙から目を逸らした。
言い出さなきゃ、とは思うが、どう切り出せばいいのか分からない。
「……」
そう考えると、結局黙りこくり、コーヒーの水面を見つめたり偶にそれを口に含んだりくらいしかできなくなる。
そんな沈黙を静かに破ったのは、やはり彼女だった。
「配属先、神戸なんだっけ?」
「そうだよ」
「あなたのことだから、てっきり東京希望で出してると思ってたわ」
「時期が時期だったからね。どこでもいいですって言うしかなかったんだよ」
「そう」
彼女は静かにコーヒーを飲んだ。僕は音を立てて啜りながらコーヒーを飲むが、彼女は音を立てることなく熱いコーヒーを飲めるのだから不思議だ。
「まあ、東京配属になると思ってたからびっくりしたけどね。東京に住んでるわけだし」
「残念ね」
「……」
そう言いながらも、彼女は僕と目を合わせようとはしなかった。僕に興味などないと言わんばかりに。この会話も、何となく暇をつぶす為だけにしているかのように。
「でもそんなことないよ。神戸だって結構都会だしさ。それに俺が行く事業所が会社で一番きれいなんだって。そう聞くと凄い楽しみになってきてさあ!」
「そう」
僕は意図して少し明るく話した。すると、やっと彼女がちらりと流し目で僕を見た。しかしその目は、僕の体を硬直させてしまうほどには冷たかった。
「あんなに東京から離れたくないって言ってたのに、いざ離れるとなるとすぐ受け入れるのね」
「ちがっ……!」
僕は思わず大声を出しそうになった。頭に血が上る感覚がした。けれどそれは、僕が彼女に図星を突かれたからに他ならなかった。
「……そうなんだろうね、結局」
東京。空っぽの野望。変われなかった自分。そして彼女。
僕はそう言うものから逃げ出すのだ。
僕は背もたれに体を預けた。
髪をかき上げ、コーヒーの水面を眺めた。
過去じゃない。今を清算する覚悟が、僕にあるのか?
そうして彼女は言った。相変わらず、僕に一瞥もくれることなく。
「じゃあもう、終わりね」
「……」
そうだね、と言うことはできなかった。
人間、どうしてもifの世界を美化してしまうものだ。もしかしたら違う世界線で、僕はまだ彼女と付き合っていられたかもしれない。けれどきっと、結末は同じだろう。結局は延命治療に過ぎない。遅かれ早かれ、僕らはこうなっていたのだろう。そしてその時も、僕が原因なのではないだろうか。
とはいえ、僕はこうなったことに対して、反省しているところは多々あれど、後悔はしていない。まだ彼女と付き合っていたいという未練もない。
けれどやはり、僕は後ろ髪引かれるような思いを拭えずにいた。
16時30分。支度を済ませて家を出た。
朝からふっていた雪はその勢いを強めていた。雪化粧。夜の帳が降りはじめ、夜に輝いているのは果たして街灯なのか雪なのか。
新宿。交番の前で彼女を待つ。コートのポッケに手を突っ込み寒さに耐える。
よりによってこんな日に……。
待ち合わせは17時。彼女はその十分前に現れた。時間に五月蠅い、几帳面な彼女らしい。
流水のような黒髪と三白眼。この雪のように白い肌。彼女はいつもの彼女だった。
「久しぶり」
「そうね」
「行こうか」
「……」
スタッカートのような会話をして、僕らは目的地に歩みを進めた。
彼女と最後に会う場所として僕が選んだのは、なんてことはない喫茶店だった。例えば彼女と初めてデートに行った場所というわけでもなければ、何かしらの思い出があるわけでもない。とはい安いファミレスで済ませてしまおうとは思えず、少し考えた末に出した結論が喫茶店だった。
店内に入ると、彼女はコートを脱ぎ、被っていた帽子を脱いだ。前髪が額に張り付き、少し乱れている。
「何してたの?」
「バイトよ」
「ああ、まだ続けてたんだ」
彼女は飲食店でバイトをしていた。てっきりもうやめているものだと思っていた。意外と金がないのだろうか。因みに僕はまだちゃんとバイトをしている。何故なら金がないからだ。
「あたなは?」
「俺?俺はなんもしてなかったよ」
「そう。あなたらしいわね」
「褒めてる?」
「……」
僕の怪訝そうな視線をすました顔で無視しながら、彼女はメニューに視線を配った。
「……」
僕もそれに倣ってメニューを眺める。それに伴い、沈黙が流れた。
気まずさ。それは僕が勝手に感じているものなのだろうか。彼女は今この現状を、どう思っているのだろうか。言語化できないモヤモヤとした思考がグルグルと入り乱れる。目の前のメニューに書いてある文字が全く頭に入ってこない。
「決まった?」
そんな彼女の一言で僕の意識が現実に引き戻された。
「……ちょっと待って」
「……」
何食べようかな。サンドウィッチにパスタ、デザートもある。色々あって悩んでしまう。というかそもそも僕は今何が食べたいのだろうか。そう思うと別に食べたいものがあるわけではない。食欲はあるし、全部美味しそうに見えるが全部食べたくない。
悩んだ挙句、彼女はサンドウィッチのセット。僕はナポリタンのセットを頼んだ。
食事よりも先にコーヒーが先に送られてきた。特に好きでもないコーヒーをブラックで啜りながら、僕はこの棘のある沈黙から目を逸らした。
言い出さなきゃ、とは思うが、どう切り出せばいいのか分からない。
「……」
そう考えると、結局黙りこくり、コーヒーの水面を見つめたり偶にそれを口に含んだりくらいしかできなくなる。
そんな沈黙を静かに破ったのは、やはり彼女だった。
「配属先、神戸なんだっけ?」
「そうだよ」
「あなたのことだから、てっきり東京希望で出してると思ってたわ」
「時期が時期だったからね。どこでもいいですって言うしかなかったんだよ」
「そう」
彼女は静かにコーヒーを飲んだ。僕は音を立てて啜りながらコーヒーを飲むが、彼女は音を立てることなく熱いコーヒーを飲めるのだから不思議だ。
「まあ、東京配属になると思ってたからびっくりしたけどね。東京に住んでるわけだし」
「残念ね」
「……」
そう言いながらも、彼女は僕と目を合わせようとはしなかった。僕に興味などないと言わんばかりに。この会話も、何となく暇をつぶす為だけにしているかのように。
「でもそんなことないよ。神戸だって結構都会だしさ。それに俺が行く事業所が会社で一番きれいなんだって。そう聞くと凄い楽しみになってきてさあ!」
「そう」
僕は意図して少し明るく話した。すると、やっと彼女がちらりと流し目で僕を見た。しかしその目は、僕の体を硬直させてしまうほどには冷たかった。
「あんなに東京から離れたくないって言ってたのに、いざ離れるとなるとすぐ受け入れるのね」
「ちがっ……!」
僕は思わず大声を出しそうになった。頭に血が上る感覚がした。けれどそれは、僕が彼女に図星を突かれたからに他ならなかった。
「……そうなんだろうね、結局」
東京。空っぽの野望。変われなかった自分。そして彼女。
僕はそう言うものから逃げ出すのだ。
僕は背もたれに体を預けた。
髪をかき上げ、コーヒーの水面を眺めた。
過去じゃない。今を清算する覚悟が、僕にあるのか?
そうして彼女は言った。相変わらず、僕に一瞥もくれることなく。
「じゃあもう、終わりね」
「……」
そうだね、と言うことはできなかった。