第四章 薄れゆく愛7

文字数 2,895文字



 あたかも時を司る神様に微笑みかけられているかのようだった。そろそろ時機が来たといわんばかりに、クロノスは長らく隠していたカードを開いてみせた。ひとつ、またひとつと、散らばった過去の破片が手もとに集まりはじめた。その最たるものが、今年四月に姉ヶ池から引き揚げられた白骨死体だった。
 すでに誌したとおり、双娘町の名は一昨年、平成二十六年の春に、本土の市との合併によって失われた。同じく、トキツ森の姉ヶ池にヒメマスが棲んでいることも、前に書いておいた。今春、その生息調査を市が実施した際に、思わぬ事態が生じた。池から死体が見つかったのだ。ニュースになるより前に、私は父からの電話でそれを知った。
 正確な年数は不明だが、白骨化した死体は長いあいだ池の底に沈んでいたと思われる。頸椎に重大な損傷が見られ、重りが括りつけられていた形跡もあった。それはつまり、殺害された公算大ということだ。
 この意外きまわる報を聞いて、私が真っ先に思い浮かべたのは、例の場違いな登場人物、源道童現のことだ。われわれが彼の姿を見たのは、伊緒の失踪から九日後の六月五日だった。霊視による予言が大空振りに終わり、赤っ恥をかいて退散した男。だが、二十八年経ったいま、池から死体が出たという。それではあのときの源道の霊視は当たっていたのか。
 いや、そうではあるまい。そんなはずはない。なぜなら、見つかった白骨の主は伊緒ではなかったから。男性だったのだから。
 男性の白骨死体――、歯の治療痕などから身許は割れた。
 それは変わり果てた叔父、山之内世志だった。
 私が受けた衝撃は大きかった。世志は島を出たのではなかった。ずっと島にいたのだ。鬱蒼たる森に囲まれた池の底で、クリームみたいに滑らかな泥にまみれて。
 ひとつ、疑問があった。あの年、源道童現の予言のあと、六月七日に警察はダイバーに姉ヶ池を探らせている。二度目となる捜索だったから、作業は抜かりなく念入りに行われたとみてよい。それでも水中からは何も出なかった。ということは、六月七日の捜索が済んだのちに、誰かが死体を遺棄したことになる。
 とうに捜し尽くした場所へ死体を隠す――、じつに古い手口だ。が、あんな過疎の島の、なお人けのない森で実践するには、非常に有効なやり方といえる。
 こうなると、あのとき源道童現が突然白浪島に現れたのは、後日、姉ヶ池に死体を隠すためだったのではないかと思えてくる。あの男は、警察が池を浚うよう仕向けるためにやってきた。あの予言は、姉ヶ池に何もないことをアピールするためのものだった。あとあと二度と池に注意が向けられることがないように。そのために彼は、甘んじて恥を曝して帰ったのではないか。
 それにしても、池に沈んでいたのがなぜ世志だったのだろう。
 源道童現とは何者で、世志とどのような関わりがあったのか。
 世志の身の上については、ほかにもわからないことがあった。昭和六十二年の春先、どういうわけで白浪島へ舞い戻ってきたのか。東京で、彼の身に何があったのだろう。
 去る六月、この疑問に答えてくれたのが、かつて世志の会社で共同経営者の立場にあった奥寺(おくでら)(ゆう)()なる人物だった。奥寺は世志が失踪した当時、警察の聞きこみ捜査の対象となっていた。世志について話すのはそれ以来だと彼はいった。
 順風満帆の滑りだしを見せた世志のブランド「Vexations(ヴェクサシオン)」が、流行り廃りの速いファッション業界で五年のうちにじり貧になったことは、この記録の前半にも誌した。貧すれば鈍すで、業績の悪化とともに世志と奥寺の関係も険悪になった。
 或るとき、己の才能を否定するような言葉を吐かれた世志は、密かに裏工作をして、奥寺の失脚を企てたのだという。いつのまにか、奥寺が社内経理で不正を繰り返していた証拠がでっち上げられており、一時は世志の策略どおりに事が進みかけたが、幸い、ほどなくして真実が露見した。
 ブランドイメージを護るため、この一件は内々に収められたというが、世志はみずから興した会社を追われ、ブランド「Vexations」は、ゆくりなくもチーフデザイナーを変更する事態となった。
 追放の際にしっかり言質を取られていたため、世志は業界で生きるのも難しくなった。それでもデザイナーとしての商品価値があれば引く手があったかもしれないが、対外的には、才能が枯れたせいで世志が首を切られたという噂が、自然発生かリークによるものか、瞬く間に広まっていた。実際、そのころの「Vexations」は、ファッションビルの売場を他社に奪われるなど、零落した姿は隠しようもなかったから、世志はデザイナー寿命の尽きた存在と見なされてしまった。結果的にこの一件は、奥寺勇弥の「Vexations」にとって、方向転換の舵を切るいいきっかけになったのだった。
 こうした打ち明け話を聞いて、私は、東京での不祥事と山之内家の不倫騒動に類似を見た。その復讐の構図、策を廻らして相手に痛手を負わそうとする思考には、何やら通底するものがあると思った。
「それで、山之内君が殺害されたのはいつごろのことなんですか」
 いまとなっては怨み辛みも水に流した様子で、奥寺勇弥は感慨深げに訊ねた。
「それが、はっきりしないのです」
 と、私は答えた。
「ただ、自宅に金品を残したまま、なおかつ島から出た形跡がないのですから、個人的には失踪直後のことではなかったかと思っています……」
 この二十八年のあいだに姿を消したのは、むろん世志ばかりではなかった。
 顧みると、こうして私が辿ってきた、あの町、あの島のありようを表すキーワードは、「loss」の一語に尽きると思う。英和辞書でこの単語を引くと、複数のニュアンスが示される。
 喪失、喪失感、破壊、破滅、失敗、敗北、盗難、死……
 掘り尽くされた幻の銘石、島に見切りをつけた人々、話の種が尽きた酒屋の親爺、廃校に消えたきりの少女、瓦解した家族関係、盗まれた隕石、撮られざる島おこしの映画――、関係者の多くもすでに世を去った。

 山之内志乃(祖母)
 昭和六十三年八月十三日歿 享年七十九歳

 一色寿徳(双娘町町長)
 平成二年六月十日歿 享年七十五歳

 大名兵衛(自治会長)
 平成八年一月十九日歿 享年八十五歳

 山之内比佐志(伯父)
 平成十六年八月十八日歿 享年七十歳

 三輪麻衣子(母) 
 平成二十六年十二月二十五日歿 享年七十一歳

 山之内世志(叔父)
 ※歿年不明

 -----------------------

 ジョン(双子姉妹の騎士(ナイト)
 平成元年五月二十八日歿 享年十二歳

 そうしてこの世から消滅した双娘町と、「昭和」の終焉。
 仮にどんなに事情に通じていようと、あの島が故郷でなければ私は時を遡る作業などしなかったし、幸光将洋にしても、ふたたび島の土を踏もうとは思わなかったに違いない。
 幾つもの「loss」の記憶と手触りを残して、もうじき過去を彷徨う旅も終わりを迎え、私のなかからあの島は姿を消すだろう。さながら、一度は地図上に名を刻みつつ、のちに実在そのものを否定されて消え失せる幻島(ファントム・アイランド)のように。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み